あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第二章

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 暖房がいき渡り冬の寒風など微塵も感じさせない屋敷の、煌びやかな家具が揃った一室に、婦人たちのお喋りと上品な笑い声が響いている。
 セリーナも、華奢なティーカップからハーブティーの香りを楽しんでいると、このお茶会の主催者のエリーゼ・グリフトン婦人がこちらに身をのり出して微笑んだ。
「普段はお茶会といったら輸入物の紅茶が主ですけど、地元のハーブティーも香りが良くていいものですね」
 エリーゼはグリフトン男爵に嫁いでまだ数年で、歳もやっと少女から女性へと階段を上ったばかりのような初々しさがある。昼日中の、あまり肩肘張らないお茶会でも、張り切って流行の髪型とドレスで客人を迎え、セリーナにはそれが微笑ましく感じられた。
「ええ。カモミールティーは蜂蜜を入れると香りが引き立ちますし、待ち遠しい春を感じさせてくれますね」
 セリーナがそう言うと、他の女性たちも興味津々に蜂蜜をティーカップに注いで、小さな匙をくるくると回し始める。
「やっぱり、このお茶会にセリーナ様をお呼びしてよかったわ! 美味しい料理にはたくさんの香草が欠かせないと、以前私に教えてくださいましたものね。だからきっと、ハーブティーにも詳しいはず、と思ったの」
 エリーゼはそう言って、他の客人に改めてセリーナを「フェアクロフ夫人」として紹介した。
 しかし、このお茶会に招かれた女性たちは、エリーゼの無邪気な紹介以上のことをよく知っているはずだ。
 セリーナの以前の姓はブランソンで、フランクを事故で亡くしたこと。寡婦となって、この中規模の都市の社交界からは、姿を消すはずだったことも。
「それで……あれから、お変わりなく?」
 セリーナと同年代の女性が、扇で口元を隠しながらそう尋ねてきた。扇子の下の唇は単なる笑みなのか、同情に引き結ばれているのか、わからない。
「お変わりなく、というわけにはいきませんでした」
 この女性たちの好奇心を満足させてやる程度の情報は、語って聞かせねばなるまい。セリーナは少しだけ心を硬化せ、あの喪失の悲しみを無理やり無視する用意ができてから語り始めた。
「フランクを亡くしたのは、本当に突然の事故で、目の前が真っ暗になりましたわ。彼を失ったのは辛すぎましたし、私は貴族ではありませんから、未亡人として残された財産も土地もありませんでした。実は、二度目の結婚の話があるまでは、修道女院に入る手はずを整えていたんです」
「そんな! 言ってくださればよかったのよ。いくらでも援助したのに」
 膝の上に置いていた手が、突然エリーゼにとられた。
 若く、世の苦難から守られた身分の彼女は、セリーナの身に降りかかった不幸を聞いただけで涙ぐみ、突拍子も無いことを言い出す。そして、それが世間知らずの男爵夫人の優しさなのだと理解し、受け流せるくらいには、セリーナは充分大人だ。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、今こうしてまたお茶会に呼んでいただけるだけで、本当にありがたいです」
「あの……それで、今の旦那様はどのような方なの?」
 話が本題に進んだ。つまりこれが聞きたくて、エリーゼやその友人たちは、セリーナに招待状を送ったのだろう。
「レオンは軍人です。北の山岳国境で功績をあげ、軍部に新設された隊を任される身となりました」
「まあ、兵隊さんね。ほら、社交界でも、軍の上層部の方々が立派な制服で夜会などにいらっしゃってるわ」
 また別の婦人が、テーブルにあったクッキーをつまみながらそう言った。セリーナはちょっと笑いながら首を振る。
「レオンは、まだそんな夜会に呼ばれるような階級ではないんです。歳も……私より下ですから。キャリアはこれからです」
 せっかく色々なハーブティーやお菓子を揃え、女性が集まっているのに、話題はその伴侶のステータスのこと。セリーナはもっと、流行りの小説のこととか、今人気の音楽家のお話をしたかった。
 けれど彼女たちは、セリーナの新しい夫の情報をまだまだ引き出したいらしい。
「年下! まあ、男が歳をとりすぎている政略結婚なんかより、ずっと楽しそうですわ」
「軍人さんのお仕事は、剣を振るうことでしょう。若くて、きっと逞しい旦那様なのでしょうね」
「私の夫なんて、一日中屋敷にいて領地の税金の勘定をしているせいで、腰痛持ちよ。外で勇敢に戦う旦那様を持つ方が絶対にいいわ」
「それで、そのレオン様とは、どんな出会いでしたの? 以前からお知り合いか、誰か仲人がいらっしゃったのかしら?」
 最後の問いが誰かから発せられ、室内の女性たちの目線がまた一斉に向けられた。
 セリーナは耳におくれ毛をかきあげながら、どう説明したものかと口ごもる。
「どんな、って……初対面の場で、求婚されたんです。一応豪族のギリアン・フェアクロフ氏が仲介役ということでしたけど、私は予備知識も無くて」
「まあ、突然?」
「ええ。北の国境に任務に行くから、帰るまでに、返事をと言われて……」
「それはずいぶん……情熱的ね」
 それを言った婦人は、きっと「突拍子もない」とかそんな言葉を飲み込んで「情熱的」と言い換えたのだろう。
 すると、エリーゼが感激したかのように、両手を胸の前で合わせてうっとりと語り出した。
「きっと、そのレオン様、ずっとセリーナ様に恋をしてたんだわ。でもすでに家庭のある女性に想いを告げるなんてできず、それは諦めなければならない恋だった。でもね、セリーナ様が寡婦になって、レオン様は決心したんだわ。『今、求婚しなければ、僕は彼女を永遠に失ってしまう!』って。素敵だわ! 小説みたい!」
 セリーナは内心汗をかいていた。
 夢見る少女のようなエリーゼの言うことが、実はほぼ的を射ているなんて言えるはずがない。
 他の貴族の夫人が、お茶会の主催者といえど若いエリーゼを、「フランク様が悲劇的な事故で亡くなったのを忘れてはいけませんよ」やんわりとたしなめていた。
「あ……ごめんなさい、セリーナ様。今の幸せは、貴女が不幸を乗り越えた先にあるものですものね。不謹慎にも軽薄に小説みたい、なんて……」
 エリーゼがしゅんと項垂れるので、セリーナはすぐに許した。
「いいんです。実際、私は幸運な女です。今の夫はとても優しい人ですから。小説なら、運命を司る神様に、このままハッピーエンドをお願いしたいですわ」
「まあダメよ。これが小説ならば、もう一捻り筋書きが必要ですよ」
 そう声をあげたのは、今までの会話にはほとんど参加していなかった、一人の中年の婦人だった。着ているものは高級ながらシックで、一目で相応の身分の女性だとわかる威厳がある。
 エリーゼがセリーナの耳元で「あの方はアイゼンシュタイン夫人よ。夜会でお会いすることはあるけれど、お茶会に出席してくれたのは初めてなの」と囁く。
 その名前に、セリーナはふと先日のアイゼンシュタイン卿を思い出す。ということは、この婦人は彼の奥方なのだろう。なんとなく警戒心が頭をもたげるが、それはおくびにも出さなかった。経験から培った、上品な微笑みを彼女に向ける。
「一捻り、ですか? でも、私の人生なんて、フランクを亡くした悲しい出来事と、二度目の結婚以外は、平凡な生まれで平凡な毎日です」
「まあそんな謙遜、おっしゃらないで。そうね、私ならセリーナ様の二度目の結婚に、こんな筋書きを考えますわ。
 既婚のセリーナ様にままならない片恋を募らせた男は、その情熱的な恋を凶暴なまでに膨れ上がらせてしまう。そんなある夏の長雨の日、フランク様は街道の土砂崩れに巻き込まれた。でも、待って。本当にあれは事故だったのかしら? セリーナ様が寡婦になって、一番利を得たのは、いったい誰かしら?」
 この部屋にはお喋り好きの女性が大勢集まっているのに、アイゼンシュタイン夫人の言葉が終わると、皆がシン、静まり返った。
「あら、いやだわ。私こそ、こんな不謹慎なこと。本当に失礼をいたしました。セリーナ様が何の疑問もなく、今の生活をおくっていらっしゃる、それでハッピーエンドですわね。ごめんなさい。ミステリー好きの意地悪な女の戯言だと聞き流してちょうだいな」
 アイゼンシュタイン夫人は羽飾りの扇子を広げて、バツが悪い、とでも言いたげにそれを自らにあおいだ。しかし、その表情はどこか狡猾だ。
 しばらく、セリーナとアイゼンシュタイン夫人の目線が絡み合う。
 唐突に、セリーナはカップに残っていたお茶を飲み干した。カモミールの香りも蜂蜜の甘さも、ただ今は喉をきつく刺激するだけだ。
「私、そろそろお暇しますね」
 そう告げて席を立つと、エリーゼはオロオロとして、セリーナとアイゼンシュタイン夫人を見比べた。
 身分が高い客人と、今や一介の兵士の妻。どちらが彼女にとって大事な客人か、セリーナにはよくわかっていた。だからこそ、このまだうら若いエリーゼ・グリフトン男爵夫人を困らせたくない。ここは自分が退席した方が全て丸く収まる。
「ま、待って、セリーナ様」
 ごきげんよう、とセリーナが膝を折って部屋の戸口まで行くと、エリーゼが追いかけてきた。
「ごめんなさい。貴女のご苦労も悲しみも想像しないで、私があんな、小説みたい、なんてバカなことを言ったから」
 その謝罪とともに「見送ります」と、彼女はセリーナの腕に手を絡めた。一緒に玄関大広間までの廊下を歩く。
「いいんです。私自身も、前夫を亡くした不幸と、二度目の結婚の幸運をどう考えていいか、わからない時がありますから」
「そう、幸運ですわ。若く有望で、優しい旦那様との生活、きっと素敵なものでしょう。あんな変な勘ぐり、忘れてくださいね」
 セリーナは「もちろん」と答え、このお茶会に呼んでくれたエリーゼに改めて礼を言い、途中退席する失礼も詫びた。
 屋敷を出ると門の前には、夫人たちが乗る馬車が整然と並んでいた。セリーナはここまで徒歩で来たので、また歩いて帰る。まだ夕暮れまでは時間があったが、街を歩くと、冷たい風が首元に入り込んできて、頬を冷たく刺した。
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