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第二章
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レオンとセリーナの夫婦としての生活は順調に動き出し、さらに何週間か経とうとしていた。
軍人としての訓練だけでなく、街中や郊外での警備任務に当たるレオン。女中のリサと分担しながら洗濯などの家事を引き受けるセリーナ。二人の日常は機能的に回るだけでなく、その中にある夫婦としての信頼関係も自然に育っている。
日々の中で、何気ない会話を食卓で交わしたり、時には一緒に出かけて買い物をしたり。お互いの蔵書を勧めあって交換したりもして、少しずつ、二人はお互いのことを知っていった。
そして、寝室での情事も、最初のぎこちなさから一歩一歩脱しようとしている。
「あ……レオ、ン……っん、ぁ」
「……っ、く、ぅ……ぁ、セリー、ナ」
寝室に響く二人の息遣いが、次第に濃密になっていく。家の外は凍てついた冬の真夜中だが、夫婦のベッドの中は熱気が篭っていた。
組み敷かれたセリーナの露わになった肌に、荒い吐息が滑る。何度目になるかわからない口付けを交わし、レオンは妻の味を堪能した。
前戯にもできるだけ時間をかけて、挿入もゆっくりと行った。けれどここから先はいつも、制御が効かなくなってしまう。つい気を緩めると、律動する腰の動きが乱暴になる。レオンは奥歯をきつく噛んで、暴走しそうになる己の手綱を引き締めた。
「レオ……ぁ、ダメ。深、く、て……んぅっ」
「……っすみません。苦しいですか?……っく」
セリーナの狭く温かいナカ。その最奥を堪能するのに夢中になってしまっていたが、彼女の切羽詰まった声に我に返って、腰を引いた。
「ぁ、あ……!」
硬く凶暴な形のレオンの熱欲がセリーナの内側をなぞり上げた途端、彼女の甘い声がひときわ高く響いた。
どこか彼女の好いところを掠めたのか。レオンは頭の隅で気がつきかけたが、すぐに欲情に思考が染め上げられた。
彼女のひくつく秘所が、すがるようにレオンを締め付けてくる。
——ああ、こんな。愛おしい女性と肌を合わせて、乱れて、彼女の淫らな表情を自分だけのものにできるなんて。
呻り声が喉の奥で低く鳴って、自分でも獣じみていると頭の隅で思う。それでも、目の前にある彼女の魅力的な乳房に手を伸ばし、さらに思うままに揉み上げてしまう。
「……っんぁ、ぁ、……っあ」
「セリーナ。俺の、俺だけの……っく。も、う……」
欠片ほどの理性をなんとか保持していたが、結局は快楽に屈服してしまう。ダメだと思いながらも、律動は次第に荒々しくなっていった。
反射的に、セリーナの腰が逃げるように跳ねる。それを片手でやすやすと押さえて、レオンは再び、妻の細い身体の奥へ己を突き入れた。
以前は、ずっと忍んでその姿を眺めるだけだった、愛しい女性。彼女は今や自分の妻で、腕の檻の中で身体を繋げている。レオンが動けば、彼女は普段にない啼き声を漏らし、頬を上気させ息を乱し、潤んだ目でこちらを見てくれる。
「ぁ、あっ……リーナ……っ」
こみ上げる激しい感情のまま、レオンはセリーナを掻き抱いた。耳に、彼女の掠れた悲鳴のような息がかかる。
彼女が「だめ」と言った奥に、また深く押し付けてしまっている。そう分かっていても、もはやどうしようもなかった。野獣のような本能が、彼女の最奥に精を届けたいと欲している。
息を詰まらせたまま、レオンは最後に容赦ない律動を二度三度と繰り返した。強烈な快楽が背筋を駆け上り、腰に澱んでいたものが解放される。
「く……ぁ。こんな、まだ……っぅ」
「んっ……ぅ。あ、ぁ……レオ……っ!」
熱い奔流を思う存分流し込む。自分の快楽の証で、彼女を内側から汚しているという事実に、さらにレオンの思考は沸騰しそうになる。
絶頂の余韻に息を弾ませながら、もう一度ゆっくり腰を揺らめかせた。そこから生々しくくぐもった水音がたち、ぐったりと四肢を弛緩させているセリーナが、弱々しい呼吸を飲んだ。
身体を繋げて、そこに種を残す。夫婦として、真っ当な行為だ。レオンはなぜか、そう自分に言い聞かせていた。
しかし、次第に理性が戻ってくる。先ほどの交じり合いがどれだけ自分の一方的な欲望に突き動かされたものだったかを、思い出してしまう。
「セ、セリーナ。大丈夫ですか?……待って、今……っ」
ゆっくり腰を引いて、結合を解く。彼女は一度苦しそうに眉を寄せて、レオンから背けるように顔を枕に押し付けてしまった。
欲情に火照っていたレオンの身体に、冷たいものが這い上がってくる。
「すみません……!俺、今度こそ優しくって思っていたのに……!」
恐る恐る、妻の剥き出しの肩に手を乗せる。すると乱れた髪の合間から、彼女の目線がちらりとこちらを見上げてきた。その眼差しに、本気の嫌悪が無いのを見て、心底ホッとする。
「……バカ」
小さな声で投げられた、ささやかな罵倒。真摯に受け止めなくてはならない。なのにレオンはそれさえも、幸せだと思ってしまう。
「どこか、痛くしましたか? ごめんなさい……俺、また、最後はほとんど何も考えられなくて……」
「痛くは、なかったけど……。あなたは身体が大きくて、体力も半端なくて……私より若くて……。ごめんなさいって言うのは、受け止めきれない私、」
セリーナの言葉を断ち切るように、レオンは彼女の唇を奪った。何度も甘い吐息を零し、レオンを翻弄する声をあげるその唇を。
「もう、何度も貴女とこういうことをしたのに、俺、ぜんぜん」
その先は続かなかった。
軍部の友人との戯れや、男だけの酒の席で話題になる、男女の睦みあいのこと。女の快楽っていうものは、男にかかっている。様子を見て、優しく丁寧に、できれば女を一回イかせてやって。そんな情報を、レオンだって耳では学んでいた。
なのに、セリーナとの閨でとなると、そんな知恵を駆使するところまでいけやしない。
近頃やっと前戯の時間がかけられるようになって、男として恥ずかしい暴発も抑えられるようになったのがせいぜいだ。
その時、細くしなやかな腕がレオンの腰に絡みついてきた。それに導かれるまま、彼女の横に身を横たえる。
「好きよ。レオン」
疲れて、睡魔に負けそうになっているセリーナが囁いた。
「お、俺もです。貴女が、好き……」
いや、「好き」だけでは到底足りない。もっと苦しくて、幸福で、どうにもならない感情が胸に渦巻いている。
「セリーナ……俺は、貴女を、あ……」
そこで、セリーナの寝息が耳に届いた。レオンは喉に詰まっていた言葉を飲み込んで、そっとため息をつく。
しばらく妻の寝顔を堪能して、レオンはベッドを抜け出した。お湯でタオルを絞って、彼女の身体を清めなければ。朝に彼女が凍えないように、暖炉の薪も足しておいたほうがいい。
真冬の夫婦の寝室には、気だるい快楽の余韻がまだ漂っていた。
やっとそれらしく始まった夫婦の幸せと、軍で一隊を率いる仕事。どちらもレオンは手応えを感じていた。セリーナとは絆が育まれているし、隊の部下たちとも、きちんと連携が取れている。
ただそんな日常の中で、一つだけ気がかりがあった。
巷で囁かれている、亡きフランク・ブランソンの死についての噂話だ。
「やっぱり、根も葉もないただの噂話だよ」
マットは髪にガシガシと指を入れながら、職場の椅子に深く腰掛けた。彼の目にはわずかに隈がある。昨夜遅くまで下町の酒場で聞き耳を立てていたせいだろう。
「根も葉もない、か。俺もこんな話、すぐに消えるだろうと思っていたが、この数週間続いて人の間で話題になるということは、どこかに発信源があるに違いないんだ」
レオンも自分の席で腕組みをして、眉間にしわを寄せる。
「噂、っつうか、陰謀論ってやつだよな。フランク殿が亡くなった土砂崩れは、意図的なものだった、なんて」
二人がここ数週間探っているのは、そんな物騒な噂の出どころだ。
もちろんこの調査は正規の任務ではない。仕事の合間に下町で聞き込みをしたり、夜の酒場で情報を集めている。
「フランク殿は王都への街道を馬車で走っている時に、土砂崩れに巻き込まれた。事故としても悲劇的なことなのに、さらにこんな陰謀めいた話がセリーナの耳に入ったら……」
思わず声にして呟いて、レオンは拳を握った。
こんな話が耳に入ったら、妻は動揺するだろう。当たり前だ。亡き前夫の死が何かの陰謀によるものだったと、例え根拠のない話だとしても、その小さな可能性が外から聞こえてきたら。
「今のところ、そんな話をしてるのは、酒場のつまらない酔っ払いくらいだよ」
マットがレオンの懸念を振り払ってくれようとするが、あまり効果はなかった。
レオンは仕事場の窓際に立ち、訓練場で剣を振るう部下たちを一度眺めた。これから午後は警邏任務だ。その後の夜番は別隊に引き継ぎ、またこの個人的な調査に時間を割ける。
「今まで俺たちが探っていたのは、このくだらない話の出どころだ。……けれど、少しやり方を変えるべきかもしれない」
レオンはマットに向き直った。
「あの土砂崩れについて、もう一度調べてみようかと思う」
そう言うと、途端にマットの表情が苦いものになった。
「おい。お前も、この噂話が馬鹿らしいものだって思ってるんだろ? 俺たちの目的は、与太話を流してる奴を締め上げるってだけで、」
「事故について調べれば、事後処理をした関係者もわかる。噂話を流している奴にもきっとつながるはずだ。この土砂崩れに疑念がつく理由もわかるかもしれない」
レオンが言い切ると、マットは少し考えてから小さく頷いた。
「事故が発見された経緯と、事後に土砂を片付けた人員。その後、街道の地質を調査し直した役人の名簿。その後の調査記録も閲覧できるように申請しよう」
仕事が早い副隊長に感謝して、レオンはさらに思案した。
もし、この陰謀論が少しでも信用に値するものならば。フランク・ブランソンは意図的に殺されたことになる。高潔な裁判官だった彼は、誰かに恨まれていたのだろうか。
一瞬、セリーナに「前夫に敵はなかったか」と訊いてみようかと思い至ったが、レオンは即座にその考えを打ち払った。
決して、彼女には聞かせられない話だ。
少なくとも、真実が明らかになるまでは。
軍人としての訓練だけでなく、街中や郊外での警備任務に当たるレオン。女中のリサと分担しながら洗濯などの家事を引き受けるセリーナ。二人の日常は機能的に回るだけでなく、その中にある夫婦としての信頼関係も自然に育っている。
日々の中で、何気ない会話を食卓で交わしたり、時には一緒に出かけて買い物をしたり。お互いの蔵書を勧めあって交換したりもして、少しずつ、二人はお互いのことを知っていった。
そして、寝室での情事も、最初のぎこちなさから一歩一歩脱しようとしている。
「あ……レオ、ン……っん、ぁ」
「……っ、く、ぅ……ぁ、セリー、ナ」
寝室に響く二人の息遣いが、次第に濃密になっていく。家の外は凍てついた冬の真夜中だが、夫婦のベッドの中は熱気が篭っていた。
組み敷かれたセリーナの露わになった肌に、荒い吐息が滑る。何度目になるかわからない口付けを交わし、レオンは妻の味を堪能した。
前戯にもできるだけ時間をかけて、挿入もゆっくりと行った。けれどここから先はいつも、制御が効かなくなってしまう。つい気を緩めると、律動する腰の動きが乱暴になる。レオンは奥歯をきつく噛んで、暴走しそうになる己の手綱を引き締めた。
「レオ……ぁ、ダメ。深、く、て……んぅっ」
「……っすみません。苦しいですか?……っく」
セリーナの狭く温かいナカ。その最奥を堪能するのに夢中になってしまっていたが、彼女の切羽詰まった声に我に返って、腰を引いた。
「ぁ、あ……!」
硬く凶暴な形のレオンの熱欲がセリーナの内側をなぞり上げた途端、彼女の甘い声がひときわ高く響いた。
どこか彼女の好いところを掠めたのか。レオンは頭の隅で気がつきかけたが、すぐに欲情に思考が染め上げられた。
彼女のひくつく秘所が、すがるようにレオンを締め付けてくる。
——ああ、こんな。愛おしい女性と肌を合わせて、乱れて、彼女の淫らな表情を自分だけのものにできるなんて。
呻り声が喉の奥で低く鳴って、自分でも獣じみていると頭の隅で思う。それでも、目の前にある彼女の魅力的な乳房に手を伸ばし、さらに思うままに揉み上げてしまう。
「……っんぁ、ぁ、……っあ」
「セリーナ。俺の、俺だけの……っく。も、う……」
欠片ほどの理性をなんとか保持していたが、結局は快楽に屈服してしまう。ダメだと思いながらも、律動は次第に荒々しくなっていった。
反射的に、セリーナの腰が逃げるように跳ねる。それを片手でやすやすと押さえて、レオンは再び、妻の細い身体の奥へ己を突き入れた。
以前は、ずっと忍んでその姿を眺めるだけだった、愛しい女性。彼女は今や自分の妻で、腕の檻の中で身体を繋げている。レオンが動けば、彼女は普段にない啼き声を漏らし、頬を上気させ息を乱し、潤んだ目でこちらを見てくれる。
「ぁ、あっ……リーナ……っ」
こみ上げる激しい感情のまま、レオンはセリーナを掻き抱いた。耳に、彼女の掠れた悲鳴のような息がかかる。
彼女が「だめ」と言った奥に、また深く押し付けてしまっている。そう分かっていても、もはやどうしようもなかった。野獣のような本能が、彼女の最奥に精を届けたいと欲している。
息を詰まらせたまま、レオンは最後に容赦ない律動を二度三度と繰り返した。強烈な快楽が背筋を駆け上り、腰に澱んでいたものが解放される。
「く……ぁ。こんな、まだ……っぅ」
「んっ……ぅ。あ、ぁ……レオ……っ!」
熱い奔流を思う存分流し込む。自分の快楽の証で、彼女を内側から汚しているという事実に、さらにレオンの思考は沸騰しそうになる。
絶頂の余韻に息を弾ませながら、もう一度ゆっくり腰を揺らめかせた。そこから生々しくくぐもった水音がたち、ぐったりと四肢を弛緩させているセリーナが、弱々しい呼吸を飲んだ。
身体を繋げて、そこに種を残す。夫婦として、真っ当な行為だ。レオンはなぜか、そう自分に言い聞かせていた。
しかし、次第に理性が戻ってくる。先ほどの交じり合いがどれだけ自分の一方的な欲望に突き動かされたものだったかを、思い出してしまう。
「セ、セリーナ。大丈夫ですか?……待って、今……っ」
ゆっくり腰を引いて、結合を解く。彼女は一度苦しそうに眉を寄せて、レオンから背けるように顔を枕に押し付けてしまった。
欲情に火照っていたレオンの身体に、冷たいものが這い上がってくる。
「すみません……!俺、今度こそ優しくって思っていたのに……!」
恐る恐る、妻の剥き出しの肩に手を乗せる。すると乱れた髪の合間から、彼女の目線がちらりとこちらを見上げてきた。その眼差しに、本気の嫌悪が無いのを見て、心底ホッとする。
「……バカ」
小さな声で投げられた、ささやかな罵倒。真摯に受け止めなくてはならない。なのにレオンはそれさえも、幸せだと思ってしまう。
「どこか、痛くしましたか? ごめんなさい……俺、また、最後はほとんど何も考えられなくて……」
「痛くは、なかったけど……。あなたは身体が大きくて、体力も半端なくて……私より若くて……。ごめんなさいって言うのは、受け止めきれない私、」
セリーナの言葉を断ち切るように、レオンは彼女の唇を奪った。何度も甘い吐息を零し、レオンを翻弄する声をあげるその唇を。
「もう、何度も貴女とこういうことをしたのに、俺、ぜんぜん」
その先は続かなかった。
軍部の友人との戯れや、男だけの酒の席で話題になる、男女の睦みあいのこと。女の快楽っていうものは、男にかかっている。様子を見て、優しく丁寧に、できれば女を一回イかせてやって。そんな情報を、レオンだって耳では学んでいた。
なのに、セリーナとの閨でとなると、そんな知恵を駆使するところまでいけやしない。
近頃やっと前戯の時間がかけられるようになって、男として恥ずかしい暴発も抑えられるようになったのがせいぜいだ。
その時、細くしなやかな腕がレオンの腰に絡みついてきた。それに導かれるまま、彼女の横に身を横たえる。
「好きよ。レオン」
疲れて、睡魔に負けそうになっているセリーナが囁いた。
「お、俺もです。貴女が、好き……」
いや、「好き」だけでは到底足りない。もっと苦しくて、幸福で、どうにもならない感情が胸に渦巻いている。
「セリーナ……俺は、貴女を、あ……」
そこで、セリーナの寝息が耳に届いた。レオンは喉に詰まっていた言葉を飲み込んで、そっとため息をつく。
しばらく妻の寝顔を堪能して、レオンはベッドを抜け出した。お湯でタオルを絞って、彼女の身体を清めなければ。朝に彼女が凍えないように、暖炉の薪も足しておいたほうがいい。
真冬の夫婦の寝室には、気だるい快楽の余韻がまだ漂っていた。
やっとそれらしく始まった夫婦の幸せと、軍で一隊を率いる仕事。どちらもレオンは手応えを感じていた。セリーナとは絆が育まれているし、隊の部下たちとも、きちんと連携が取れている。
ただそんな日常の中で、一つだけ気がかりがあった。
巷で囁かれている、亡きフランク・ブランソンの死についての噂話だ。
「やっぱり、根も葉もないただの噂話だよ」
マットは髪にガシガシと指を入れながら、職場の椅子に深く腰掛けた。彼の目にはわずかに隈がある。昨夜遅くまで下町の酒場で聞き耳を立てていたせいだろう。
「根も葉もない、か。俺もこんな話、すぐに消えるだろうと思っていたが、この数週間続いて人の間で話題になるということは、どこかに発信源があるに違いないんだ」
レオンも自分の席で腕組みをして、眉間にしわを寄せる。
「噂、っつうか、陰謀論ってやつだよな。フランク殿が亡くなった土砂崩れは、意図的なものだった、なんて」
二人がここ数週間探っているのは、そんな物騒な噂の出どころだ。
もちろんこの調査は正規の任務ではない。仕事の合間に下町で聞き込みをしたり、夜の酒場で情報を集めている。
「フランク殿は王都への街道を馬車で走っている時に、土砂崩れに巻き込まれた。事故としても悲劇的なことなのに、さらにこんな陰謀めいた話がセリーナの耳に入ったら……」
思わず声にして呟いて、レオンは拳を握った。
こんな話が耳に入ったら、妻は動揺するだろう。当たり前だ。亡き前夫の死が何かの陰謀によるものだったと、例え根拠のない話だとしても、その小さな可能性が外から聞こえてきたら。
「今のところ、そんな話をしてるのは、酒場のつまらない酔っ払いくらいだよ」
マットがレオンの懸念を振り払ってくれようとするが、あまり効果はなかった。
レオンは仕事場の窓際に立ち、訓練場で剣を振るう部下たちを一度眺めた。これから午後は警邏任務だ。その後の夜番は別隊に引き継ぎ、またこの個人的な調査に時間を割ける。
「今まで俺たちが探っていたのは、このくだらない話の出どころだ。……けれど、少しやり方を変えるべきかもしれない」
レオンはマットに向き直った。
「あの土砂崩れについて、もう一度調べてみようかと思う」
そう言うと、途端にマットの表情が苦いものになった。
「おい。お前も、この噂話が馬鹿らしいものだって思ってるんだろ? 俺たちの目的は、与太話を流してる奴を締め上げるってだけで、」
「事故について調べれば、事後処理をした関係者もわかる。噂話を流している奴にもきっとつながるはずだ。この土砂崩れに疑念がつく理由もわかるかもしれない」
レオンが言い切ると、マットは少し考えてから小さく頷いた。
「事故が発見された経緯と、事後に土砂を片付けた人員。その後、街道の地質を調査し直した役人の名簿。その後の調査記録も閲覧できるように申請しよう」
仕事が早い副隊長に感謝して、レオンはさらに思案した。
もし、この陰謀論が少しでも信用に値するものならば。フランク・ブランソンは意図的に殺されたことになる。高潔な裁判官だった彼は、誰かに恨まれていたのだろうか。
一瞬、セリーナに「前夫に敵はなかったか」と訊いてみようかと思い至ったが、レオンは即座にその考えを打ち払った。
決して、彼女には聞かせられない話だ。
少なくとも、真実が明らかになるまでは。
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