あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第一章

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 意識しだすと止まらない。
 今までだって、セリーナに性的な劣情を抱いたことは多々あった。罪深くも、彼女がブランソンの姓を名乗っていた頃からだ。けれど昨夜同じ寝床に入った瞬間から、今まで夢想していたことが急に現実味を帯びてきた。
「おかえりなさい」
 その日家に帰ると、妻は普段通りにレオンを迎えてくれた。家路の途中でシミレーションしていた通りに、「ただいま帰りました」とさらりと言えればよかったのだが、あいにくレオンは意味不明な声をモゴモゴと絞り出すので精一杯だ。
「今日はリサと一緒に市場に行ったんです。小麦粉とジャガイモが安かったので買い溜めしておきました」
 セリーナはレオンの上着を脱がせながら、そんな一日の報告をしてくれる。レオンは耳に心地いい彼女の声にうっとりとなりかけて、ハッと意識を切り替えた。
「待ってください。小麦粉とジャガイモ?」
 レオンの視線を受け止めて、小首を傾げるセリーナが可愛らしい。年上なのに、時々少女のような可憐さを漂わせる。
「ええ。冬になる前にたくさん買っておくとお得ですから。もう貯蔵庫に入れておきました」
「市場から、リサと女二人だけでそれを運んできたんですか?」
 自然にレオンの眉間にシワが寄る。それを見て、セリーナの表情も慎重なものになった。
「手押車を借りたので、リサと私で充分手は足りましたよ」
「市場からこの住宅地まで、坂があるでしょう」
「ああ、あそこでは肉屋の息子さんが手を貸してくれたんです。それでリサと相談して、その肉屋でベーコンを買って」
「他の男の手を借りるくらいなら、軍から俺が戻ってくるのを待っててくれればよかったのに。馬がいるんだから、貴女の細い腕を酷使することもなかった」
 少しきつい言い方になってしまった。自分の妻に力仕事をさせたと思うと、どうしてもやるせない。自分も、亡きフランク・ブランソンのように下男を雇うべきだろうか。
 悶々としていると、いきなり鼻腔に柔らかな甘い香りが広がった。遅れて、自分の胸にセリーナが顔を埋めているのだと気がつく。彼女の細い腕がぎゅうと、棒立ちのレオンの腰を抱きしめていた。
「ありがとうございます。次からは、あなたを頼りますね」
 顔がカッと熱くなる。
 彼女はレオンに正面から抱きついたまま、笑顔をこちらに向けてくる。その額に、頬に、鼻梁にキスをしたくてたまらなくなる。
 そしてレオンは彼女の微笑む唇に釘付けになった。その甘やかさ、柔らかさを想うと、今度は顔だけでなく下半身も重く熱が篭る。
「……あ、の……」
 自分の声は情けないほど掠れている。こんなに動揺しているのは滑稽だとわかっているが、湧き上がった衝動が強すぎて、今キスをしないと死んでしまう気がする。
「キス……」
 もうこれでは獣と同類だ。言葉を失って、ただ眼差しで彼女に懇願する。
 それでも、妻はこちらの意を汲んでくれたようだった。背伸びして、瞼が伏せられた美しい顔がレオンに近づいてくる。
 レオンも身をかがめて、そっと彼女の唇に自分のを重ね合わせた。
 セリーナの小作りな鼻がレオンの鼻頭に擦り付けられ、パズルのピースのようにお互いの上唇と下唇が合わさる。
 レオンの手は強張って、セリーナの腰をかき抱いていた。男のものとは全く違う細い身体を意識すると、連動するようにキスは深くなる。
 一瞬、情熱のままに二人の舌が触れ合った。レオンは無意識のまま腰を彼女の身体に押し付け、そして危ういところまで駆け上った情欲にハッと我にかえる。
「……っ、セリーナ。あの……」
「レオン……?」
 どうしよう、どうしようと、まるで子供のようにそればかりが頭の中でぐるぐる回っている。
「俺……すみま、せん」
 不意に、今度はセリーナの方から軽やかなキスが頬に押し付けられた。
「謝ることなんて何もないじゃないですか。夕食の前に、浴室で身体を拭いてきてください。今日の訓練、厳しかったんですか? 髪も、なんだか埃っぽいし」
 彼女がどれだけレオンの昂ぶった身体のことを察したのかはわからないが、それはありがたい申し出だった。一度頭を冷やす必要がある。でなければ、夕食の卓にもまともに座れない気がする。
 その後レオンは浴室で頭から水をかぶりながら、今夜自分はどこで眠るのだろう。彼女と同じベッドにまた入るなら、自分は一体どうなってしまうのだろうと、また悶々とするしかなかった。 
 
 穏やかな夕飯の時間も終わり、セリーナが沐浴している間、レオンは武具の手入れをしていたらしい。そしてそろそろ就寝の時間となった時、寝室と書斎の間にある廊下に立ち尽くしている夫を見つけ、セリーナはひっそりため息をついた。
 木綿の夜着を一枚だけ羽織っている彼の体躯が、闇の中でランプの光に浮かび上がり、彼の若さと漲る力強さが幻想的にも見える。
 何も言わず、セリーナは夫の手を取った。そのまま彼の手を引いて、寝室の扉をくぐる。彼は素直について来た。こうしてセリーナが促すまで、彼は書斎と寝室のどちらで就寝するかずっと悩んでいたのだろう。
「だんだん、夜は冷え込むようになってきましたね」
 シーツと掛け布団の間に身を滑り込ませて、レオンに語りかける。彼は一瞬躊躇したものの、ゆっくりとベッドの中に入ってきた。
「寒いですか? 上掛けをもう一枚持ってきましょうか?」
 彼の優しい心遣いに、セリーナはゆっくり首を振った。
「二人でくっつけば暖かくなりますよ」
「……」
 あからさまな誘惑だっただろうか。ただセリーナにしてみれば、これは誘惑というよりも切実な問題でもあった。
 先ほど浴室で身体を洗った時、お湯の温度がぬる過ぎたのだ。もともと冷え性なのもあって、足先が氷のように冷たくなってしまっていた。かつてはお付きの侍女に湯たんぽを頼めばすぐに用意されたが、今はそこまで贅沢な生活ではない。
 軍人の慎ましいこの生活もセリーナは好きだ。今日だって、女中のリサと一緒に市場に行ったり、手押し車を押して街中を進むのは楽しかった。
 ただ、もう少し若い夫が吹っ切れてくれたらなとは思う。自分の冷たくなった足を温めてはくれないだろうか、と。
「……えい」
 セリーナは悪戯心で、ベッドの中でも距離を開けている夫のスネに足先を当てた。彼がびくりと肩を強張らせ、息を飲んだのが伝わってくる。
「どうしてこんなに足が冷えてしまってるんです?」
 困惑の声がかけられた。同時に彼は布団の中で身体を下にずらし、セリーナの両足を大きな手に包む。やっと冷えたつま先が人肌の温かさに包まれて、セリーナは作戦成功と心の中で呟いた。
「氷みたいだ。靴下履いてなかったんですか?」
「さっき沐浴した時に、冷えてしまっただけですよ」
「湯がもっと必要だったなら言ってくれればいいのに」
「あなたがこうして温めてくれるなら大丈夫です」
 レオンは本格的にベッドの上で身を起こし、枕に背を預けるセリーナに半ば被さって、さらに手の温度を分け与えようとしてくれた。
 どれだけ二人でそうしていただろう。次第にセリーナのつま先が温まり、二人ともほぼ同時に自分たちの体勢を意識しだした時だった。
「セリーナ……」
 掠れ声が自分の名を紡ぐ。そしてセリーナは、自分の足の甲に彼が唇を押し当てるのを目の当たりにした。
「っ……そんなこと……」
 彼はそのまま身をかがめ、足の甲に頬ずりし、唇で足首から上へとたどっていった。こんなかしずくようなことされるなんて、心の準備ができていない。頭の中が真っ白になる。
「小さな足だ。ほっそりしていて……」
 セリーナの夜着の裾はいつの間にか膝上まで捲り上がっていた。むき出しになった膝頭に、彼がリップノイズを響かせてキスをする。
 レオンの眼差しには劣情が燻っている。セリーナは自然に足を開いて、身を乗り出した彼の逞しい身体を招き入れた。
「ん……」
 荒々しい息遣いが頬にかかり、唇を塞がれた。今までの戸惑いを含んでいたキスとはまるで違う、むき出しの欲情が伝わってくる。
 腰に彼の体重がかかった。太ももに彼の手がかかり、指が食い込む。
 セリーナは思わず彼を押し返したが、大きな身体はびくともしなかった。唇を吸われ、息継ぎもままならない。火が枯れ草に燃え広がるように、彼は欲望に染まっていた。
「待って……レオ、ン。ぁ……っ!」
 性急な手つきで、ショーツが足から抜かれた。夜着は腰まで捲れ上がって胸紐も解け、痛いくらいの力で胸を揉まれる。
 獣じみた息遣いを隠しもせず、レオンが腰を押し付けてきた。いつの間にかズボンの前が開いている。暗闇の中でセリーナは彼の欲望の証を目にしてしまった。
 自分には経験があるし、覚悟はできてると思っていたが、レオンの裸体を見た途端にセリーナは小娘に戻ってしまっていた。
——だって、あんなの、知らない……。
「セリーナ」
 レオンの声は低く、それだけでセリーナをシーツに縫い付ける威力があった。
 足の間に、滾った欲望が擦り付けられる。その硬い感触だけで、彼のものが大き過ぎると分かった。
 セリーナはぎゅっと目を瞑った。同時に、秘部に熱が突き立てられる。
「んぅっ……っぁ」
「セリ……ナ」
 滲む恐怖で、セリーナの身体は強張っていた。それに秘部も充分濡れていないせいで、結合には至らない。熱に染まった彼は冷静さをすっかり失って、がむしゃらにセリーナの肢体をかき抱く。
 焦れたような唸り声が上から降ってきた。セリーナも腰をずらして彼を受け入れようとするが、張り詰めた硬い感触はすぐに上滑りして、むやみに荒々しい動きを繰り返すだけだ。
 彼はどうにもならない欲情に突き動かされ、何度か腰を強く押し付けてきた。切羽詰まった様子で、喉の奥で息を殺す音を響かせ、セリーナの身体にすがって静止する。同時に、太腿の内側に濡れた感触が飛び散った。
「ぁ……っく」
 脈打つ欲望は大量の白濁液を吐き出した。セリーナの足の間でレオンは何度か戦慄き、息を荒くしたまま肩口に項垂れる。
 セリーナは彼の広い背中に両腕を回し、そっと抱きしめた。
 彼がどう感じているか分かる。慰めも、否定も、今は相応しくないはずだ。ただ、これでいいのだと伝えるために、セリーナは彼の頬や鼻梁にキスを降らせ続けた。
「すみま、せん……俺。こんな……」
「いいのよ、大丈夫。私達は夫婦で、これから数え切れないくらいの夜があるんだから」
 彼は次第に頭がはっきりしてきたらしい。セリーナの言葉を理解しながらも、羞恥と自責に項垂れている。
 そして言葉を失ったまま恥じ入りながら、レオンはシャツを使って己の残滓を丁寧にセリーナから拭き取った。
「痛くしましたか?俺、頭が真っ白になって……」
「少しびっくりしたけど、大丈夫よ」
「もっと優しくしたかったのに。それに俺、こんな、情けない」
 セリーナは首を振って、もう一度、今度は彼の唇にキスをした。
「寝ましょう?」
 レオンは途方にくれたように見えたが、やっとおずおずと頷いた。
 その夜、二人は同じベッドでまた距離をあけながらも、手を繋いで眠りについた。
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