あなたが私を手に入れるまで

青猫

文字の大きさ
上 下
6 / 50
第一章

しおりを挟む
 重苦しい無言を貫いたまま、二人は一緒に家路についた。
 そして今、セリーナはテーブルを挟んで座る相手に向き合っている。花が欲しいというリクエストをなぜか誇大解釈して、貴族の屋敷の庭にまるでコソ泥のように忍び込もうとした夫だ。
「……こんなに、コスモスが摘んであるじゃないですか」
 帰宅して、レオンの担いでいた背囊に、色とりどりのコスモスのブーケを見つけた。残念ながら、他の荷物に押しつぶされて、花のほとんどは萎れてしまっている。これを摘んだ河原からまっすぐ帰ってきてくれれば、生き生きとした綺麗な花は全て花瓶に収まっただろうに。
「それを摘んだ後、バラの方がもっといいと思って……」
 そう弁明するレオンは背筋を伸ばして椅子に座りながらも、視線を足元に落として俯いている。そのしょげかえり様がまるで学校で教師に叱られている学生のようで、セリーナはなんだかそれにも苛ついてしまう。
「それで、犯罪行為に走った、と?」
 どうしても責める口調になってしまう。目の前に座る年下の男はますますうなだれた。
「……軽率な過ちでした。貴女を怖がらせてしまったし……」 
「本当に。あの路地で塀を登る人影を見たときは心臓が凍りましたし、その正体が自分の夫と知ったときには眩暈を覚えましたよ。しかも盗もうとしていたのが、まさか私が頼んだ一輪の花だなんて」
 そこまで一気に吐き出して、セリーナは最後はどうしようもないため息で言葉を切った。
 テーブルの上には、無残に花弁が傷んだり茎が折れたコスモスが散らばっている。その中でまだ比較的しゃんとした一輪を探し出し、手に取った。蝋燭の光の下で、そのコスモスの薄紅色は美しく見えた。
「この一輪が私にふさわしいと思いませんか。棘だらけで香りのきついバラよりも、あなたが野で見つけた可憐な花の方が嬉しいですよ」
 やっとレオンは顔を上げた。そして一瞬、泣きそうに唇を震わせる。
「……覚えていますか? 俺が、北の要塞から手紙を貴女に送った時、山の花を同封したのを」
 押し花の処理もせずに潰れて届いた花を思い出し、セリーナは頷いて先を促す。
「俺はいつもそうなんです。何か、うまく気の利いたことなどできたためしがない。貴女にふさわしいものを贈りたくても、いつも自分で台無しにしてしまう」
 彼は、あの手紙に入れた花のことを言っているのか、それとも今日の過ちのことを言っているのか。それとも何かひどい誤解で、この結婚自体のとこを言っているのかもしれない。
 セリーナはこれ以上夫を問い詰める気にならず、やれやれと立ち上がった。同時に慌ててレオンも椅子から起立する。同室にいる目上の女性に対するマナーが叩き込まれているのかもしれないが、それにしても妻に対してそこまで杓子定規にならなくてもいいだろうに。
「今、あなたが私に贈るべきものがわかりますか?」
 向かい合って立つと、二人の身長差が際立つ。セリーナがさらにレオンに歩み寄ると、彼の引き結んだ唇がさらに強張った。
 セリーナの問いに、レオンはゆるゆると首を振る。
「謝罪のキスを」
 そう告げると、夫の目が見開かれた。セリーナは少し背伸びして首をかしげ、彼に頬を差し出す。
 こちらに身を屈めた彼の、固唾を呑む気配まで伝わってきた。そして頬に唇の感触が落ちる。一拍置いて、リップノイズがささやかに響き、仄かな熱は離れていった。
「すまない」
 彼のたったそれだけの言葉が心に染み込んで、全てを押し流す。セリーナは一輪だけ選んだコスモスを結った髪に挿して、やっと夫に微笑むことができた。
「謝罪を受け入れました。さあ、そろそろ夕食にしましょう」
 作り置きされたシチューを温めるために、セリーナは台所へと踵を返した。
 残されたレオンは呆然と自分の唇に指を当て、妻が部屋から出て行ってからカッと頬を染めていた。


 自分の家と伴侶がある生活は、レオンにとって未だに現実味がなかった。
 寝床は相変わらず書斎のカウチだが、兵舎の古いベッドに比べると格段に寝心地がいい。騒がしい食堂での慌ただしい食事より自宅で摂る夕食は寛いだものだし、何より帰ればそこに、憧れの女性がいる。
 その晩もクッションを積み重ねたカウチに横になって、レオンは先ほどの接吻を反芻した。
 今までセリーナに唇を寄せたのは、結婚式の時と、この家での初めての夜に彼女をベッドに寝かせた時、そして先ほどの「謝罪のキス」。全て鮮明に思い出せる。
 彼女の伏せられた睫毛の繊細さや、密やかな吐息、肌の温度。自分の心の奥底に貴重な宝物をしまい込むように、レオンはその記憶を抱え込む。
 今まで溜め込んだ宝物は、キスの記憶だけではない。
 例えば、四年前初めて彼女を目にした時の、淡い思い出。北の国境からやり取りした手紙。結婚式で彼女が被っていたヴェールの手触り。そして今日、自分が摘んだコスモスを髪に挿した彼女の美しさ。
 それらを一つ一つ思い出しながら、レオンは眠りについた。
 廊下を挟んだ寝室では、きっと彼女も安らかに眠っているだろう。自分が用意した屋根の下の、やわらかなベッドの中で、毛布にくるまって。
 そして明日は、また彼女の気配を一番に感じて、朝を迎えられるのだ。
 それだけでレオンは幸せだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

生まれ変わっても一緒にはならない

小鳥遊郁
恋愛
カイルとは幼なじみで夫婦になるのだと言われて育った。 十六歳の誕生日にカイルのアパートに訪ねると、カイルは別の女性といた。 カイルにとって私は婚約者ではなく、学費や生活費を援助してもらっている家の娘に過ぎなかった。カイルに無一文でアパートから追い出された私は、家に帰ることもできず寒いアパートの廊下に座り続けた結果、高熱で死んでしまった。 輪廻転生。 私は生まれ変わった。そして十歳の誕生日に、前の人生を思い出す。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

一番悪いのは誰

jun
恋愛
結婚式翌日から屋敷に帰れなかったファビオ。 ようやく帰れたのは三か月後。 愛する妻のローラにやっと会えると早る気持ちを抑えて家路を急いだ。 出迎えないローラを探そうとすると、執事が言った、 「ローラ様は先日亡くなられました」と。 何故ローラは死んだのは、帰れなかったファビオのせいなのか、それとも・・・

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

処理中です...