あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第一章

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 二人だけの夕食の卓は、ここ数日と同じように静かなものだった。
 女中のリサが作ってくれたスープと鴨肉の料理は、塩加減が絶妙で口当たりが優しい。揃ったカトラリーやナフキンも、優しく部屋を照らし出すロウソクも、ここが一つの家庭として機能し始めていることをささやかに示している。
 それなのに肝心の夫婦が、どうしてもぎこちなかった。
「レオン。お仕事でお疲れだとは思いますけど、今朝言ったように、お話ししたいことがあるんです」
 ほぼ卓上の皿が空になったのを見計らって、セリーナはそう切り出した。ワインを飲んでいた彼の動作が止まる。
「ここ数日、あなたと一緒に住んでみて、思ったことなんですけど……。一体、どうして」
 慎重に話し始めると、俯いていたレオンの顔がパッとあげられた。
「まず、俺から、いいですか? 俺も、いろいろ考えていました。今日、一日、ずっと」
 何か切羽詰まったように話を遮った彼に、セリーナは戸惑ってしまう。けれど、ここは夫に譲ることにした。
「家も、家具も、これでも精一杯吟味したのです。でも確かに、いろいろ不自由をさせてしまっていると思います。新しい階級をあたえられたばかりなので、すぐに改善できるとは言いません。けれど俺が率いる新設された隊は、優秀なやつらばかりです。いずれ功績が認められると思います。そうすれば、貴女にもっといい暮らしをさせると約束します」
 彼が言っていることが、よく分からない。セリーナは軌道修正しようと、テーブルの上にある彼の大きな手に自分の手を重ねた。小さな動揺が伝わってくる。
 口を噤んだ夫に、セリーナは改めて問うた。
「どうして私と結婚したのですか?」
 沈黙がおりた。彼の目は狼狽を隠しきれていなかった。セリーナはさらに彼の手を上から握って、もう一度問いかける。
「どうして、この私を選んだんですか?」
 襟元から、彼の喉仏が一度上下するのが見えた。
「それは……」
 彼は掠れた声を出したが、それ以上は続かない。セリーナは、もう遠慮するのは止めにした。ここは年上らしく、物事を前に進めなくてはならない。
「何か根本的なところで、私たち分かり合えていない気がするんです。なぜかあなたは、私が贅沢な暮らしを求めていると思っているみたいだし、私はあなたの望みが分かりません。どうして、毎晩書斎のカウチで寝ているんですか?」
 普段何を考えているか分からない夫の表情が戸惑いのものになると、なんだか少年のように幼く見える。セリーナは辛抱強く彼の返答を待った。
「俺は……貴女にここにいて欲しくて……」
 レオンがなんとか言葉を紡ぎ出す。
「修道院の壁の向こうになんて、行って欲しくなかったんです。それで、求婚しました」
 セリーナは瞬間的な苛立ちに、思わず瞑目する。彼は肝心のことを答えていない。
「でも、どうして? どうして私なの?」
「……俺は、ずっと」
 彼は一度固唾を飲み、そしてやっとセリーナと目を合わせた。
「ずっと貴女を想っていたんです。何年も前から。貴女が、フランク殿と一緒にいた頃から……」
 まるで、罪の告解をしているようだった。
 驚いているセリーナを一度熱く見つめて、レオンはまたうなだれた。
「貴女は知らなかったでしょう。知らないままでよかった。むしろ俺は、そう望んでました。だって、あまりにも恥ずべきことです。もう既に、立派な紳士と家庭がある貴女に焦がれて……」
 セリーナはなんと言えばいいか分からなかった。
 彼の手に被せていた自分の手が、いつの間にか反対にそっと握られている。
「恥ずべきどころか、恐ろしいことかもしれない。貴女が寡婦になった時、俺の想いの浅ましさといったら……」
 レオンは椅子を乱暴にずらして立ち上がった。セリーナは呆然と、彼を見上げることしかできない。
「でも、この家の寝室では安心して眠ってください。俺は、貴女を幸せにしたいだけなんです。それがただの自己満足だとしても、貴女が気持ちのいいシーツの上で休み、きちんとした食事で健やかであるならば、価値があることなんです」
 そしてレオンはそっとセリーナの手をとって、その甲に唇を当てた。小鳥の羽ばたきが肌を撫でただけのような慎ましさだ。
 セリーナは何も言えなかった。今何か無理やり言葉にしても、無知と厚かましさが露呈してしまうだけに思えた。
 その晩もまた、セリーナは一人ぼっちでベッドで眠った。
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