あなたが私を手に入れるまで

青猫

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番外編

思いもよらない4

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 軍の本部、十二ある隊の間では多くの書類やメモがやり取りされる。定期的な報告書、緊急の知らせ、機密性の高い書簡などなど。一番隊に届くそれらを分類し、各役職に渡すのもレオンの重要な仕事だ。
 王都をジリジリと焼いていた夏の太陽がようやくその威力を陰らせ、西に傾いてきた頃、一番隊にまた一通の封書が届いた。いつものようにそれは、総隊長への窓口と認識されているレオンに渡される。
「緊急のものか? 総隊長は明日早朝に外国からの使節団を迎えるので、今日はもう退庁する予定で」
 レオンが言うと、その封書を持ってきた六番隊の兵士は首を降った。
「あんたにだ」
「俺に?」
 こんな下っ端に何の知らせだろうと訝しがりながらも、レオンは蝋封を破って封書を開いた。そこには綺麗な綴り文字が連なっている。

レオン・フェアクロフ様
今日、そちらのお仕事が終わり次第、六番隊薬草園の執務室まで来られたし。いくら遅くてもかまいません。
ヨーゼフ

 レオンはごくりと固唾を飲んだ。
 妻の上司とはすでに対面したが、いずれもう一度会って、この神父がどんな男なのか見極めなくてはならないとは思っていた。その機会がこうも早く、しかもあちら側からやってくるとは。
 ヨーゼフ神父の目的も意図もわからないが、聖職者という者は何かしら人の悩みなどを目ざとく見つけて、ほじくり返し、偉そうに説教を垂れる職業だとレオンは思っている。彼の執務室に呼び出され、何が待ち構えているのかと考えると、眉間に深くシワができた。
——セリーナに対して至らないことなど、己が一番わかっている。だが、他人からあれこれ言われる筋合いはない。
 逡巡したのはほんのわずかな間だけだった。
 残っている仕事を頭の中で計算し、返事を待っている六番隊の兵士にひとつ頷く。
「ヨーゼフ神父に、二時間後にお伺いすると伝えてくれ」
 了承して、伝達の兵士は去っていった。
 いつの間にか、レオンの手の中で手紙はくしゃりと潰れかけている。脳裏に、セリーナと神父が手を握り合っている光景が蘇ってきた。あれは偶発的な触れ合いだと頭ではわかっているのに、それを思い出すたびに胸が不穏な怒りで焦げる。
——直接呼び出すとは上等だ。セリーナと俺の間に入り込める隙などないと、はっきりさせてやる。
 くすぶっていた何かがあらぬ方向に暴走していると、レオン自身は全く気づけていなかった。

 夏の夕暮れの色が、静まり返った薬草の庭に満ちている。セリーナも他の二人の爺さんたちもすでに帰ったようだ。その薬草園を横切り、レオンは呼び出された執務室に足を向けた。
 意気込んだ気持ちがそのままドアをノックする強さになってしまって、レオン自身がぎくりとする。
 気配が近づいてきて、内側から扉が開いた。
「ああ、フェアクロフさん。突然の呼び出し、申し訳なかった。来ていただけて嬉しいです」
 開口一番、ヨーゼフ神父はそう言ってレオンを出迎えた。
 レオンは一瞬、彼のその朗らかさにひるんでしまったが、また表情を硬く取り繕う。
「妻の上司からのお誘いは断れません」
 神父は少し困ったような表情で苦笑して、レオンを部屋に招き入れた。
 執務室の中は、作業部屋といった方がよさそうなありさまだった。天井からは草花が大量に吊るされ、窓際も鉢植えでいっぱいだ。部屋の中央にある大きな作業台はおおかた整頓されているのに、部屋の隅の小さな書物机には本などが雑然と積んである。
  少し意外だった。レオンが子供の頃嫌いだった聖職者の爺さんたちは、神経質なほど清潔と整理整頓を好み、掃除婦を叱りとばす者ばかりだったから。ヨーゼフ神父は、その若さや溌剌とした様子も、レオンの持つ聖職者のイメージからはかけ離れている。
 それが良いことなのか悪いことなのか、判断はまだできない。とにかくここは単刀直入に切り込むことにした。
「セリーナのことで、何かありましたか?」
 尋ねると、ヨーゼフ神父は口元に笑みを浮かべてこちらを見返してくる。
「あ、いいえ。今回お呼び出ししましたのは、彼女のことではなく、あなたとお話ししてみたくて」
「……俺、と?」
 ええ、と神父は頷いた。
「それと、手伝ってもらいたいこともあって。簡単な調薬なんですが」
「俺は薬なんて作れませんよ」
「いえ、それが結構力仕事なんですよ。はい、これを持って」
 いきなり差し出されたのは、ハンマーとすり鉢とすりこぎ棒だった。


「……そろそろいいですか?」
「う~ん、まだまだですね。もっと細かくしないと」
「……」
「いや、ほんと助かります。ほら、結構手首とかにきませんか? この薬草園の人員って、高齢者二人に女性だけで、こういった長時間の力作業を頼むのはしのびなくて」
 相変わらずにこやかに、ヨーゼフ神父が言う。
 今レオンがしているのは、硬い殻に覆われた木の実をハンマーで砕き、中身を取り出したら、それを今度はすり鉢ですり潰すという作業だ。手伝って欲しいと言われた時は戸惑ってしまったが、今は黙々とすりこぎ棒を回して、そろそろ半刻ほどが経とうとしている。
 確かに簡単に見えて、長く続けていると腕や手首に負担がくる。しかしそれなら、レオンと同じ働き盛りの年齢であるヨーゼフ神父がやればいいことではないのか。なぜ自分がこき使われているのか。という不満がレオンの口を突く前に、またヨーゼフ神父がしゃべりだした。
「えっと、それで、どこまで聞きましたっけ? ああ、そうそう。あなたがセリーナさんに片想いをしていた頃の思い出話し。潜入捜査みたいに下町に潜り込む彼女を、密やかに見守っていた、と」
 レオンは一度手を止めて、深くため息をついた。
 木の実を砕きすり潰す作業の合間に、ヨーゼフ神父はレオンとセリーナの馴れ初めの話を聞きたがったのだ。もちろんレオンは話す気などなかったのだが、彼の屈託なさそうな話術のせいか、妻に惚れ込んだ経緯を少しずつ聞き出されてしまった。
「あの、あんた、何がしたいんですか? 俺とセリーナの話なんて聞きたがって」
「え、楽しくないですか? 恋バナ」
「恋、ばな?」
「恋の話をすることです。聞いてる方も楽しいですよ。セリーナさんの正義感にまず惚れて、さらに彼女の勇気に心打たれたところなんて、私も感動してしまいます」 
 一体なんなんだ、とレオンはさらに困惑する。するとヨーゼフ神父に「手は止めないでくださいね」と指摘された。しぶしぶ、またすり鉢でごりごりと音をたて始める。
「……彼女は当時すでに人妻だった。神父さんからしたら、俺の恋は不道徳だろう」
 レオンが思わず低い声でぼそりと言うと、ヨーゼフ神父は少しだけ間を置いて、弱々しく首を横に振った。
「恋に落ちる相手は選びようがない。それは私もよくわかっています」
 重々しい声色だった。
 レオンは手元からふと顔を上げて、机を挟んで座る黒衣の男を見やる。彼の表情には苦悩があった。しかも、その苦悩を滲ませながらも、彼の眼差しは甘やかに宙を見据えている。
 苦しく、甘美で、囚われてどうにもならない。レオンにも嫌というほど覚えがある。
「……まさか」
 レオンはまた作業を中断して、身を乗り出す。彼は曖昧に頷いた。
「私の実家はそれなりの爵位がある家なのですが、この恋の相手以外とはどうしても結婚したくなくて。だから、聖職者という道を選んだんです。不道徳というなら、私こそがその具現化された存在なのですよ」
 窓の外はすっかり暗くなっていた。部屋にはランプと蝋燭の光が揺れるだけで、二人の男の間にはしんとした沈黙がおりる。
 そしてしばらくして、レオンはまたごりごりと木の実をすり潰す音を再開させる。この「恋バナ」とやらにもう少し付き合ってみようと、いつの間にか肝が据わっていた。
「……神父さんの想い人は、今どこにいるんですか?」
「彼は……さあ、今頃どこの海を漂っているのか。冒険家なんです。新しい世界を見つけて、黄金や珍しい植物を持って帰ってくると一方的に約束して、船に乗って行ってしまった」
——彼。
 こんな危うい話を自分にしていいのかと、レオンはヨーゼフ神父を凝視する。彼は弱々しく微笑んでこちらを見返して、肩をすくめてみせた。
「理解してもらえるとは思いません。でも、フェアクロフさんは大丈夫でしょう? 秘密にしてくれますね?」
「もちろんです」
「よかった。想ってはならない相手。この愛情を秘するしかない悔しさ。同じような恋の苦しみを経験した方に打ち明けられて、少し気が楽になりました」
 ヨーゼフ神父は席を立って、レオンの抱える鉢を覗き込んだ。「ここまで滑らかに潰れたらもういでしょう」と、その中身を別の容器に流し込む。
「……あの、すみません。俺、なぜか、神父さんとセリーナのことをあれこれ、筋違いに……」
 いたたまれなくなって、しどろもどろにレオンが白状すると、ヨーゼフ神父はくすりと笑った。
「私もその気持ちわかりますよ。嫉妬とは、つまるところ「不安」ですから」
「……嫉妬」
「おや。自覚もなかったんですか?」
 そう笑顔で言いながら、ヨーゼフ神父は作業台の上にプレス機を設置している。潰した木の実をそこに入れて、レオンにハンドルを回すように指示を出した。
 二人はしばらく言葉を交わすのは中断し、力を合わせて手動の機械を回し続ける。重いハンドルに力をかけ続けると、注ぎ口からとろりとしたエキスが流れ落ちてきた。それを、用意されていた白乳色のクリームに混ぜ合わせる。
「嫉妬なんて、俺、セリーナに片想いをしていた頃は、全くしたことなかったのに。思いもよらない、こんな感情なんて……」
 ぼそりと言うと、慰めるようにヨーゼフ神父に軽く肩をたたかれた。
「当時の彼女の夫に、敵意を向けるなんてことはなかった。それはフェアクロフさんが善良な証でしょう」
「では、今や俺は……」
「あなたはたくさんの苦難をのり越えて、彼女と王都にやってきたそうですね。彼女をこれからも守り抜きたいと、必死になるのもよくわかります。けれど、一番大切なことを忘れないようにしないと」
 セリーナの上司として、ある程度必要な情報は軍部上層部から聞いたのであろう。彼の表情には、レオンの過去の傷を慈しむような柔らかさがあった。
 レオンが肩を落としていると、「さて、これが最後の仕上げです」とヨーゼフ神父はいくつかの小瓶を作業台に並べた。
「目を閉じて。セリーナさんを思い浮かべてください」
「え?」
「いいから、ほら」
 言われた通り、目を瞑る。すると鼻腔に花の香りが広がった。
「ラベンダーの香油です。どうです? セリーナさんに合いそうですか?」
 レオンはとっさに首を振った。いい香りだが、セリーナのイメージではない。
 それから次々と、時々コーヒーの香りで鼻を休ませながら、様々な花の香りを嗅がされた。レオンは言われた通り目を瞑って、自分の伴侶にふさわしい香りを探す。
 そして不意に、これだと思うものがあった。
「……あ、これ」
「これですか? ああ、確かに彼女にぴったりだ。気取らず、清廉で、すっきりとしている。花の見た目も愛らしいし」
 レオンが目を開けて確かめると、香油の瓶には「スズラン」とラベルが貼ってあった。
 それを数滴、木の実のエキスが入ったクリームに混ぜる。しっかりと封をして、ヨーゼフ神父はそれをレオンに差し出した。
「これを就寝前に、あなたの奥さんの手に塗り込んで差し上げなさい。湿疹はそれで治ると思います。仕事場でも上司として気をつけますが、家でもしばらく水仕事は控えさせて」
 手製のハンドクリームを受け取って、レオンはしばらく呆然とする。
「こんな親切を……なんとお礼言っていいか。俺、最初、神父さんにずいぶん失礼な態度をとってしまって」
「いいんです。むしろ微笑ましくて、個人的には面白がってたくらいなんです。でももう、私の秘密も知ったわけだし、嫉妬なんて余計な感情は捨ててくださいね。あなたが最も大切にすべきことは、セリーナさんに愛情を注ぐことです。独りよがりにならず、彼女との時間を大切にしてください」
 レオンは思わずこうべを垂れた。
「どんな秘密があろうとも、神父さんは、俺が今まで会った中で一番素晴らしい聖職者だと思います」
 ありがとうございます、と彼の目を見てしっかり言えた。そして、戸口でもう一度振り返る。
「あの……もし俺が、神父さんのような恋をしたら。もし、セリーナが女性ではなかったら。俺も海へ出て、新しい世界を探しに行くと思います。誰にも批判されることなく、恋した相手を連れて行ける世界を。だから……」
 ヨーゼフ神父は一瞬呆然となって、少し泣きそうな気配を隠すように、またいつもの微笑みを浮かべる。
「ありがとう。また、恋バナしましょう」
「また力仕事がある時は、いつでも呼び出してください」
 そして二人の男はおやすみと言い合って、夕闇の中で別れた。
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