あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第四章

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 幸い、セリーナの熱は拷問で受けた傷の悪化によるものではなかった。熱は極度の疲労のせいだ。思い返せば、王都へ向かう馬車の中では一睡もできず、総隊長やレオンとの面会時はいつも痛みを耐えて気を張っていた。その一日は目まぐるしく一食もしなかったし、夫がやっと拘束を解かれ、全てのめどが立ったと思った瞬間にプツリと限界を迎えてしまったのだ。
 その後セリーナは六番隊へと運ばれて、すぐに目を覚ました。レオンがまた泣きそうな顔で繋いだ手を離そうとしないせいで、片腕がすっかり痺れてしまっていた。
 医師に診察され、安静を言い渡され、セリーナはあてがわれた病室で一夜を過ごした。レオンはベッドのそばの椅子から動こうとしなかったし、マットも病室の外のベンチで眠ったようだ。
 そして翌日、また丸一日かけて馬車に揺られ、三人は自分たちの街に帰ってきた。南の王都から戻ってくると、地方の寒さが身に染みる。
「お二人で帰ってこれて、本当によかった……。もうどうなることかと心配で心配で。せめて私も奥様と一緒に王都に行けばよかったと、昨晩は悶々としてしまって」
 一通りの経緯を聞いた女中のリサはそう言って、エプロンで涙をぬぐいながら、セリーナの結った髪を解いてくれた。重ね着していた服を数枚脱ぎ捨てるだけで、疲れもじわりと溶け出すようだ。
「背中の傷の治りはどうです?」
「悪くはなってないと思うわ。でもそろそろ包帯を換えて、お薬を塗らなくちゃ」
「それは、俺がやります」
 レオンのその申し出に、女二人はちょっと固まってから、男には読み取れない目だけの会話で微笑みあう。リサは全て心得ましたとでも言うように頷いてから、静かに寝室を出て行った。
 どうやら、いつの間にかまた雪が降り始めたようだ。窓の外の暗闇に、白い煌めきがちらほらと舞っている。シンと静かになった寝室は、ランプの明かりだけが揺れていた。
「……手伝って?」
 ベッドに座ったままそう促す。レオンはこくりと喉仏を一度上下させて、セリーナの方に身を屈めた。
 ブラウスの胸紐が緩められ、冬用の重いスカートの腰紐も解かれる。下着の袖から腕を抜き、セリーナは夫に背を向けた。
 レオンの指が躊躇しながらも的確に、セリーナの肩から腰にかけて巻かれた包帯を解いていく。最後に木綿の布が取り払われると、肌と傷が空気に晒された。
 レオン引き攣ったような呼吸の乱れや歯ぎしりが、耳に届く。
 しばらくすると、感情の波を乗り越えたのか、レオンの手が清潔な布でセリーナの傷を清め始めた。丁寧で優しすぎる手つきだが、鞭で抉られた傷は、どうしても染みる痛みを引き起こす。セリーナは静かに耐えて、彼が軟膏を塗り終えるまで声を噛み殺した。
 最後に新しい包帯が巻かれ、やっと夜着に袖を通すとホッとする。
 その時、唐突にレオンが切り出した。
「あれから繰り返し、アイゼンシュタインを斬った感触を思い出しているんです。そうやってあいつを、何度も殺している。それでも、まだ足りない」
 セリーナは肩越しに彼を見上げ、無理に笑ってみせる。
「何度もなんて、困るわ。私はそう何回も王都に行って、軍幹部さんたちの前で大立ち回りはできないもの。難しいことだけど、自分の過ちとか、自分にはどうにもできなかったことも、全部引き受けて前進するしかないのよ」
 そして、セリーナはランプの明かりを見つめて、ぽつりと付け加える。
「フランクのことも……。彼を失ったこと。彼が陥れられたと知りもしないで、二度目の結婚をしたこと。そして二人目の夫を、こんなにも愛していることも、全部、私は引き受けるわ」
 するといきなりレオンが床に膝をついた。セリーナの両手を取り、そこに強く額を押し付けてくる。まるで、祈るように。
「では俺は、貴女を守りきれなかったこと、逆に救ってもらったことを、決して忘れません。俺の兵士としての階級はもはや、貴女に見合うものじゃない。王都では貴女まで外で働くことになる」
 セリーナが「階級が私に見合うとか見合わないとか、そういうのは違うわ」と言葉を挟んでも、レオンは頑なに首を振って、跪いたまま強すぎる眼差しでこちらを見上げてくる。
「俺が誓えるのは、もう、この貪欲な愛しか残っていない。結婚して初めの頃は、この家にいる貴女を目に映し声を聞くだけで満足だったのに……。もはやそんな清廉さはどこにも無いんです。俺は、貴女の過去や傷も、優しさや愛も、全てが欲しい」
 それはまるで血を吐くかのような、レオンの剥き出しの告白だった。
 彼の言葉に急き立てられるように、セリーナの薄い夜着の下で鼓動が速くなっていた。あのぎこちない結婚式の時よりも、やっと夫婦として肌を合わせた時よりもさらに、夫の真摯でいて容赦のない情熱がセリーナを揺さぶっている。
「……全部あげるわ」
 そう囁いて、彼の腕を引き寄せる。
 同じ高さになった眼差しが交差した途端、耐えきれなくなったかのように、レオンから唇が重ねられた。結婚という男女の契約だけでなく、夫婦の営みという既成事実だけでもない、純粋なお互いの愛情が二人を深く結びつける。
 繰り返されるキスが次第に場所を変え、レオンの唇がセリーナの首筋を辿る。膝に手を入れられ、あっと思った瞬間には力強く抱き上げられ体勢が入れ替わり、セリーナはレオンの膝の上に乗せられた。この歴然とした体格と力の差に、圧倒されてしまう。
 壊れ物を扱うように、大きな掌がセリーナの首元から下に滑り、胸を包みこんだ。彼は眼差しだけで、この先に進んでいいかと尋ねてくる。
 セリーナは彼の髪に手を差し込み、今度はこちらから唇を寄せた。
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