あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第四章

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 ここで待っていれば裁判を終えたレオンにいずれ会えるだろうと、セリーナは軍の待合所で暖炉の火に当たっていた。外は日も暮れ始め、何かを申請に来た退役兵や、兵舎に住む息子に面会に来たらしい老婦人などは帰ってしまい、そこにはセリーナ独りだ。
 六番隊の隊長が出してくれた薬が効いてきていて、背中の傷の痛みは和らぎつつあるが、一日の疲れは蓄積していた。身体がだるい気がするし、頬が火照っている。
 目まぐるしい一日を振り返ると、この疲れも当然だろう。何しろ王都までの馬車は揺れがひどかったし、着いたら着いたで、軍本部の正門で総隊長に直接かけ合おうと何時間も寒空の下で立ち通しで、やっとレオンに会えて、今度は医療部に行くように言われ。
 ——でも結果として、得たものは大きいわ。王都の軍本部で職をもらえるなんて。これで私もレオンを助けることが……。
 その時、広く堅牢なだけ静まり返っている部屋に、外の廊下を慌ただしく駆ける足音が聞こえてきた。
「くそ、軍施設つっても、何棟もあるんだな。待てって、レオン。待合所っていっても、医療部の待合所じゃないか?」
「だから、本館の待合所だって言われたんだから、当然こっちだろ」
 聞こえてきた声に、セリーナは吹き出してしまう。まるで学校の廊下をうるさく駆けまわる男の子みたいだ。次の瞬間、乱暴に部屋の扉が外から開かれた。
 セリーナには心の準備があったが、どうやら夫の方はそれほどでもなかったようだ。部屋にセリーナを見つけて、レオンの目が見開かれる。
「……セリーナ」
「レオン。お疲れ様」
 やっとこうできる。セリーナは戸口で固まっているレオンに歩み寄り、彼の頬を両手で包み込んで顔を寄せた。鼻先と上唇がかすかに触れた途端、今度はレオンが一気にセリーナの吐息を奪う。
 耳にかすかに「うわあ」というマットの声が聞こえてきたが、レオンもセリーナもしばらくその口づけを中断する気にはならなかった。やっと理性を持ち直して、身体を離したのはセリーナだった。
「……疲れてない?」
 レオンの長くなった前髪をそっとかきあげて、覗き込みながら尋ねると、彼はゆるゆると首を振った。
「貴女の方がよっぽど疲れた顔をしてる」
 今度はレオンのガサついた手がセリーナの頬を包んで、親指で目の下を優しく撫でる。隈でもできているのだろう。彼の目線がじっくりとセリーナの肌を観察し、化粧と前髪で隠している痣も見つけて眉をしかめる。
「背中の傷は?」
「大丈夫。六番隊長さんに薬を出してもらって、それが効いてるわ」
「六番隊の……」
「フランツ・アプシュニット隊長よ。あのね、私、六番隊の薬草園を作る仕事に就いたの」
 ちょっと胸を張って言うと、レオンとマットが困ったような含みのある目線を交わす。
「俺たちには、降格の処分がくだされて、けど勤務はこの王都軍本部です。ほとんど、恩赦だ」
 セリーナにももちろん、その軍の決定は知らされていた。そしてこれがセリーナが勝ち取ったものなのだ。
「この寛容な判決には、いろいろ思惑があるんじゃないかと、俺は思うんですが」
 なんだか申し訳なさそうにそう言い出したのはマットだった。王都に移送されてまで裁判を受けたのに、見方によっては栄転ともとれる結末となったのが、まだ納得できないようだ。
 セリーナはマットにも微笑みかけて、自分が王都に来てからの経緯を説明することにした。
「私、総隊長さんとお会いしてね、いろいろお聞きしたのよ。以前から、地方に新設された隊が優秀だと一目置いていたのに、こんな事件を起こしてしまって、残念だと。どうやら、前々からあなたたちに目をつけていて、いずれ軍本部に引き抜きたいと考えていたらしいの。レオン、あなたの正義感がちょっと危なっかしいものだってのは、総隊長さんと私の共通認識。だから、今度はあなたと私二人で、ここ王都で一から再出発しますと、そう請け負ったわ」
 そこで言葉を切って、セリーナはヴェネット総隊長との会話を再び思い出す。あれは六番隊での面接が終わり、レオンへの判決を最終審議をしている上層部に、再び陳情が許された時だった。
 ヴェネット総隊長ははいかにも軍の最高峰に立つ人物らしい堅苦しい所作や言葉を使うが、考え方ははるかに柔軟な人物だった。

——『フェアクロフ夫人。この失態さえなければ、レオン・フェアクロフは多くの兵士の上に立てる気質を持つ、またとない逸材でした。悔やまれるのは、彼が若くして落ちた恋が、軽々しく扱える類のものではなかったことです。未亡人だった貴女を娶り、さらに貴女の前夫への陰謀を知れば、真っ直ぐすぎる男はどうしても自己犠牲に突き進む。そして個人的には私も、そういう男を見捨てることができない程度には、情があるつもりです』
 レオンの処罰としての配属先をまだ決めかねていると言うヴェネット総隊長に、セリーナはこう言い切った。
——『ならば、その恋情を向けられた私こそが、レオンの人格と忠誠心の保証人になります。彼の実力と、私のこの覚悟に見合う采配をお願いいたします』

 今考えれば、なんの身分もない女がよくもこんな啖呵を切ったものだ。
 しかし蓋を開けてみれば、レオンは更生としてヴェネット総隊長の監督下に配置になり、階級は低いものの彼のそばで全てを学べる機会に恵まれることになった。セリーナも薬草園を作る職を得て、夫婦二人で生活していけるだけの目処が立つ。
「全て、貴女のおかげなのですね」
 その声が、セリーナの意識を引き戻した。顔を上げると、レオンは困って泣きそうで、それでいてかすかに微笑んでいるような、難しい表情になっていた。ふと見ると、マットもガシガシと頭を掻いて、「結果として、俺にもこの判決が出たんですね」と呟いている。
「まずあなたたちが私を救ってくれたのよ。それとも、年上の女に処遇の手回しされるのが、そんなにバツが悪い?」
 レオンとマットは「まさか」と慌てて首を振る。セリーナは少し笑って、遠慮なく夫の胸に身を預けた。すぐにレオンの腕が、セリーナの疲れた体を優しく包み込んでくれる。
「ただ、貴女がここまでしてくれると思っていなかったので、なんだか……嬉しいような不甲斐ないような。複雑な気分というか……」
 最後にまっすぐな声で、「感謝しています。とても」と付け加えられた。
「愛していれば当然よ」
 そう返すと、セリーナの前髪を揺らすレオンの吐息がかすかに乱れる。
 セリーナは、やっとここまでこれたのだと、レオンの胸にさらに顔を埋めた。彼の上着にある金属のボタンが、火照った頬に当たって気持ちいい。
「大丈夫ですか? 疲れているでしょう」
「少し、ね。ちょっと気が緩んできたわ」
 自由になった夫を見るまではと、張り詰めていた緊張がふと緩んで、眩暈を覚えた。よろけて、レオンの腕に支えられる。
「……っ、セリーナ! いつの間に、こんな熱……!」
「うわ、彼女、意識が」
 レオンとマットの慌てふためく声に「大丈夫だってば」と言いたいのに、セリーナはそのまま疲労に引きずられるように気を失ってしまった。
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