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第四章
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何時間も街道を走り、夜は検問所で休憩をとり、また一日中ガタガタという音を立て続け、レオンとマットを護送する馬車はやっと王都の市壁内に入った。
その頃には二人とも揺れる狭い密室に座り続けるのに疲れきって、自分たちを待ち構えるものが何であれ、足が伸ばせるなら厳しい軍事裁判でも歓迎したいほどだった。
耳には市井の喧騒が聞こえてくる。「やっとか」と二人とも凝り固まった肩を回した。
レオンが王都を訪れるのはこれが初めてだ。訪れる、という表現はできない状況かもしれないが。対して、マットはこの都会に慣れているらしい。
「俺の父親は王都の交通省に務める高官なんだ。母は彼の地方出張先の愛人でね。わかりやすいだろ? 王都には子供の頃、何度か親父に面会しに来た。親父も弱みがあるから、小遣いはたんまりくれてさ」
レオンにとっては、友の身分や出生は興味のある分野ではなかったので、今までそんなことは知らなかった。「そうか」とだけ相槌を打つ。
その簡潔な反応にマットは苦笑しつつ、「でもさすがに、軍本部には近寄ったことすらないな」と、扉の隙間から外の様子を探ろうとする。レオンもつられて耳をすますと、雑踏の賑やかさは次第に遠ざかり、兵士を訓練する号令や、行進の揃った足音が聞こえてきた。
この国の軍の駐屯地は各地にあり、身分に関係なく兵士の階級は実力で評価されている。しかしやはり、エリートというものは存在するのだ。王都で十二編成されている部隊は、貴族と平民が混じり合っているが総じて軍部学校を出た者が多く、優秀な者が選抜されている。
この国を治めるリヒャルト王の直轄である軍本部に憧れない兵士などいない。
護送用馬車から降ろされたレオンは、軍本部の堅牢な要塞を見上げた。自分のしたことに後悔は無いが、裁かれる身としてここに来たことは、正直悔しかった。
マットに振り返ると、いつもニヒルな笑みばかりの彼も、レオンと同じような表情になっている。
「多分、裁判まではまたお互い独房だろう」
「ああ」
これが友と話す最後の機会かもしれない。
「マット。本当に、お前を巻き込んですまなかった。責は全て隊長の俺にあると、きちんと証言してくれ」
警備兵が二人の腕を掴んで、誘導するように歩き始める。今さら抵抗もできず、レオンもマットもそれに従った。
暗い石壁の廊下で別れる時、マットは苦笑いしながら肩をすくめてみせた。
「ああ、お偉いさんたちに説明してやるさ。お前がどれだけ恋の奴隷になってるかってな」
軍事法廷は翌日の早朝から、まず副隊長の審議から始まった。揃った面々は、さすがのマットも背筋が強張る人物ばかりだった。
軍部検察。国防大臣。軍部顧問。数名の議員。
そして一番隊のアーノルド・ベリオ・ヴェネット総隊長。王都に十二ある部隊をまとめる人物だ。
——なんでこんな仰々しいことになってんだよ。
という内心は押し隠し、マットは彼らに囲まれた状態で直立不動の姿勢を保つ。
審議は滞りがなかった。調書が要点をかいつまんで読み上げられ、事件当夜の経緯が確認される。
マットは既に行われた取り調べで、フランク・ブランソンにまつわる調査から、行方不明になっていたセリーナの捜索、そしてアイゼンシュタインへの襲撃に至るまでを嘘偽りなく話した。隠し通せることでもないし、馬鹿正直なレオンとの証言と食い違っても後々面倒だからだ。
「よろしい。では、レオン・フェアクロフがセリーナという女性と結婚するまでの経緯を聞かせてもらいたい」
その質問は法務士官から発せられた。今まで滞りなく受け答えをしていたマットは、わずかに戸惑う。こんなことを訊かれるとは予想していなかったし、何をどこから説明すべきか咄嗟に判断できない。
「ええっと、フェアクロフがセリーナさんに求婚をしたのは、去年の穂積月の末くらいで……」
「求婚の前に、二人はすでに面識はあったのか?」
どもるマットに、ヴェネット総隊長の問いが被せられた。彼の鋭い眼差しに射抜かれて、マットはますます背筋が一直線になる。
「フェアクロフは五年ほど前から、彼女のことを知っていました」
「知っていた?」
確かにあの重度の恋は「知っていた」という表現では軽すぎるだろう。
その言葉を反復して確認したのも、ヴェネット総隊長だった。どうやらレオンとセリーナの結婚について、彼は個人的な興味があるらしい。もしかしたら「レオン・フェアクロフはセリーナにつきまとい、恋敵フランク・ブランソンを亡き者にした」というくだらない疑惑が解消されていないのかと、マットは少しムキになる。
「ええ、フェアクロフはセリーナさんがブランソンの姓であった頃から、一方的に彼女を知っていました。そこに特別な感情があったのも、俺は長年の友としてよく分かっていました。しかしレオン・フェアクロフは誠実が服を着て歩いているような男です。あの頃の彼は、セリーナさんに己の存在さえ悟らせませんでした。はっきり言ってあれは、見ているこっちが哀れになってくるほどの片恋でして」
ヴェネット総隊長の口の端が、何かを耐えるようにピクリと強張った。マットは「おや?」と、過敏になっている神経をやっと落ち着かせる。
「最後に、アイゼンシュタイン卿を殺害したレオン・フェアクロフを止めなかった理由を述べよ」
法務士官が言った。
マットはその問いに、素直に答えることができた。
「一度は止めたんです。捕縛して法廷に出そうと、フェアクロフも一旦は納得しました。けれど、アイゼンシュタインは彼の恋を侮辱した」
ヴェネット総隊長が身を乗り出した。
「その侮辱が死に値すると?」
「フェアクロフは善良が故、抗えない恋に葛藤し、アイゼンシュタインは邪悪にもそれを嘲笑ったのです。友として、俺も許せなかった」
一拍の間が空き、マットを囲んで座っていた男たちは頷きあったり目配せを交わし、書記が全てを書き付けたことを確認する。
マットの審議はここで終わった。
その頃には二人とも揺れる狭い密室に座り続けるのに疲れきって、自分たちを待ち構えるものが何であれ、足が伸ばせるなら厳しい軍事裁判でも歓迎したいほどだった。
耳には市井の喧騒が聞こえてくる。「やっとか」と二人とも凝り固まった肩を回した。
レオンが王都を訪れるのはこれが初めてだ。訪れる、という表現はできない状況かもしれないが。対して、マットはこの都会に慣れているらしい。
「俺の父親は王都の交通省に務める高官なんだ。母は彼の地方出張先の愛人でね。わかりやすいだろ? 王都には子供の頃、何度か親父に面会しに来た。親父も弱みがあるから、小遣いはたんまりくれてさ」
レオンにとっては、友の身分や出生は興味のある分野ではなかったので、今までそんなことは知らなかった。「そうか」とだけ相槌を打つ。
その簡潔な反応にマットは苦笑しつつ、「でもさすがに、軍本部には近寄ったことすらないな」と、扉の隙間から外の様子を探ろうとする。レオンもつられて耳をすますと、雑踏の賑やかさは次第に遠ざかり、兵士を訓練する号令や、行進の揃った足音が聞こえてきた。
この国の軍の駐屯地は各地にあり、身分に関係なく兵士の階級は実力で評価されている。しかしやはり、エリートというものは存在するのだ。王都で十二編成されている部隊は、貴族と平民が混じり合っているが総じて軍部学校を出た者が多く、優秀な者が選抜されている。
この国を治めるリヒャルト王の直轄である軍本部に憧れない兵士などいない。
護送用馬車から降ろされたレオンは、軍本部の堅牢な要塞を見上げた。自分のしたことに後悔は無いが、裁かれる身としてここに来たことは、正直悔しかった。
マットに振り返ると、いつもニヒルな笑みばかりの彼も、レオンと同じような表情になっている。
「多分、裁判まではまたお互い独房だろう」
「ああ」
これが友と話す最後の機会かもしれない。
「マット。本当に、お前を巻き込んですまなかった。責は全て隊長の俺にあると、きちんと証言してくれ」
警備兵が二人の腕を掴んで、誘導するように歩き始める。今さら抵抗もできず、レオンもマットもそれに従った。
暗い石壁の廊下で別れる時、マットは苦笑いしながら肩をすくめてみせた。
「ああ、お偉いさんたちに説明してやるさ。お前がどれだけ恋の奴隷になってるかってな」
軍事法廷は翌日の早朝から、まず副隊長の審議から始まった。揃った面々は、さすがのマットも背筋が強張る人物ばかりだった。
軍部検察。国防大臣。軍部顧問。数名の議員。
そして一番隊のアーノルド・ベリオ・ヴェネット総隊長。王都に十二ある部隊をまとめる人物だ。
——なんでこんな仰々しいことになってんだよ。
という内心は押し隠し、マットは彼らに囲まれた状態で直立不動の姿勢を保つ。
審議は滞りがなかった。調書が要点をかいつまんで読み上げられ、事件当夜の経緯が確認される。
マットは既に行われた取り調べで、フランク・ブランソンにまつわる調査から、行方不明になっていたセリーナの捜索、そしてアイゼンシュタインへの襲撃に至るまでを嘘偽りなく話した。隠し通せることでもないし、馬鹿正直なレオンとの証言と食い違っても後々面倒だからだ。
「よろしい。では、レオン・フェアクロフがセリーナという女性と結婚するまでの経緯を聞かせてもらいたい」
その質問は法務士官から発せられた。今まで滞りなく受け答えをしていたマットは、わずかに戸惑う。こんなことを訊かれるとは予想していなかったし、何をどこから説明すべきか咄嗟に判断できない。
「ええっと、フェアクロフがセリーナさんに求婚をしたのは、去年の穂積月の末くらいで……」
「求婚の前に、二人はすでに面識はあったのか?」
どもるマットに、ヴェネット総隊長の問いが被せられた。彼の鋭い眼差しに射抜かれて、マットはますます背筋が一直線になる。
「フェアクロフは五年ほど前から、彼女のことを知っていました」
「知っていた?」
確かにあの重度の恋は「知っていた」という表現では軽すぎるだろう。
その言葉を反復して確認したのも、ヴェネット総隊長だった。どうやらレオンとセリーナの結婚について、彼は個人的な興味があるらしい。もしかしたら「レオン・フェアクロフはセリーナにつきまとい、恋敵フランク・ブランソンを亡き者にした」というくだらない疑惑が解消されていないのかと、マットは少しムキになる。
「ええ、フェアクロフはセリーナさんがブランソンの姓であった頃から、一方的に彼女を知っていました。そこに特別な感情があったのも、俺は長年の友としてよく分かっていました。しかしレオン・フェアクロフは誠実が服を着て歩いているような男です。あの頃の彼は、セリーナさんに己の存在さえ悟らせませんでした。はっきり言ってあれは、見ているこっちが哀れになってくるほどの片恋でして」
ヴェネット総隊長の口の端が、何かを耐えるようにピクリと強張った。マットは「おや?」と、過敏になっている神経をやっと落ち着かせる。
「最後に、アイゼンシュタイン卿を殺害したレオン・フェアクロフを止めなかった理由を述べよ」
法務士官が言った。
マットはその問いに、素直に答えることができた。
「一度は止めたんです。捕縛して法廷に出そうと、フェアクロフも一旦は納得しました。けれど、アイゼンシュタインは彼の恋を侮辱した」
ヴェネット総隊長が身を乗り出した。
「その侮辱が死に値すると?」
「フェアクロフは善良が故、抗えない恋に葛藤し、アイゼンシュタインは邪悪にもそれを嘲笑ったのです。友として、俺も許せなかった」
一拍の間が空き、マットを囲んで座っていた男たちは頷きあったり目配せを交わし、書記が全てを書き付けたことを確認する。
マットの審議はここで終わった。
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