あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第三章

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 ——セリーナ。
 名を呼ばれた気がして、セリーナは振り返った。
 そこには、亡き人が立っていた。
「……フランク」
 セリーナは彼に駆け寄って、その腕の中に飛び込んだ。彼は生前と同じように、ふんわりとした力加減で抱擁してくれる。しかし、全ての感覚がどこか曖昧だ。
「私……ごめんなさい」
 フランクが死に陥れられたなど少しも疑わなかった。大切な人を喪っても続く日々に振り落とされないように必死になって、二度目の結婚で得た新しい幸せに、いつしか夢中になって。
 ——それでいいんだ。
 「でも」
 ——僕は君に幸せになってほしい。
 「私、幸せよ。あなたとの日々も、幸福なものだったわ。絶対忘れない」
 ——ああ……。ほら、早く戻ってあげなさい。彼が待ってる。
 セリーナの額にそよ風のようなキスの感触がかすめ、背中を押し出された。

 ぽろりと涙を一つこぼして、セリーナはぼんやりと目を覚ました。
 うつ伏せの姿勢で、清潔なシーツが張ってあるベッドに横になっている。
 朦朧とする頭で記憶をたどり、病院に担ぎ込まれて治療を受ける際、芥子の薬を飲まされたのを思い出した。痛み止めと鎮静の効能があるが、幻覚作用もあるものだ。
 あの亡き人の幻影も、芥子が見せた都合のいい夢だったのだろうか。
「セリーナ……」
 ささやき声と共に髪が撫でられ、セリーナはハッとなって目線を上げる。ベッドの端に腰掛けたレオンが、こちらを覗き込んでいた。
「レオン」
 次第に記憶が鮮明になってくる。
 アイゼンシュタインによって拘束され、地下牢で背に何度も鞭を浴びせられたこと。レオンが助けに来てくれたことも。
 それにしたがって感情が膨れ上がり、再びとめどなく涙が溢れてきた。ぶり返す恐怖や悔しさ、そして大きな安堵が、混沌となって零れ落ちる。
「泣かないで……。もう大丈夫です。貴女を苦しめるものは、全て俺が葬りましたから」
 そう言うレオンも、泣きそうな顔をしていた。
 手を伸ばすと、彼の大きな手に包み込まれる。縋り付くように、セリーナは繋がれた手に力を込めた。
「もっと早く貴女を見つけていれば」
 セリーナは「いいの」と首を振った。
「来てくれると、信じてたわ」
「いえ、俺は遅すぎました。貴女がこんな拷問を受けるなんて……」
 レオンは声を詰まらせ、セリーナの背を見遣ってから、深くうなだれて握り合った手に額を押し付けた。
 セリーナは自分の背後は見られないが、きちんとした手当で包帯が傷に巻かれているのは感触でわかった。今は芥子の効能もあって、横向きに姿勢を変えても、さほど痛みは無い。
 むしろレオンの方がひどい有様に見えた。いつもの若々しく凛としたおもてには、憔悴しきった痕がある。
「あなたは私を救ってくれたわ。……そして、フランクをも」
 そのセリーナの言葉にレオンは弾かれたように顔を上げて、ゆっくりと首を振る。
「救う? 貴女をここまで痛めつけられて……? もしフランク殿がここにいたら、俺を罰するでしょう」
「何を言っているの。そんなこと、」
 セリーナは言葉を飲み込んだ。
 普段ならば、彼の眼差しは真っ直ぐにセリーナへの愛情を伝えてくるのに、今はそれがどこか痛々しく歪められている。
「レオン……。何があったの? 牢から私を逃してくれて、それから……、アイゼンシュタインは逮捕されたんでしょう?」
 そう問うと、レオンの表情に、彼には似つかわしくない影がよぎる。セリーナが困惑してさらに問い詰めると、彼の眼差しはふと暗い淵を覗くように虚ろになった。
「アイゼンシュタインは、俺が殺しました」
 無機質なざらついた声だった。死による復讐を振り下ろしたのだと、その事実をレオン自身が嘲るような。
 こんな彼を見ていられなかった。セリーナは彼のシャツの襟首を掴み、渾身の力で引き寄せる。一瞬、背中の傷が引きつって痛みが走ったが、どうでもよかった。
 ベッドに座ったまま上半身を引き寄せられたレオンは、セリーナに覆いかぶさりそうになって、慌てて手をつく。
「……っセリーナ、傷に障ります」
 セリーナはその制止を無視して、下から彼にキスをした。レオンの動揺が伝わってくるが、少し髭の伸びた頬に手を添えてもう一度唇を寄せると、今度は彼からささやかに唇が喰まれた。
 ふと気がつくと、セリーナの頬はまた涙で濡れていた。自分が泣いているのか、それともレオンが零したものなのかわからず、なぜか少しだけもどかしい。
 そしてしばらく、それ以上言葉もなく二人で息を潜めていたが、突然病室のドアがノックされた。
「フェアクロフ。そろそろ時間だ」
 ノックに続いて、ドアの外から軍人らしい硬い声がかけられる。
 レオンはすでにそれを予期していたらしかった。名残惜しげにセリーナの額から鼻梁を辿り、唇を重ね合わせ、最後に髪の一房に鼻を埋める。
「行かなくては」
「え、待って。どこに?」
「軍部に呼ばれています」
「いつ戻って来ますか? 私、背中の治療を受けたら、きっとすぐ自宅療養になるわ」
 レオンは答えなかった。悲しい笑みのような表情をうつむかせ、セリーナを不安にさせる。
「心配しないで。リサもアレクセイ義兄さんも来ていますから」
「レオン? 待って……!」
 立ち上がった彼に手を伸ばすと、手の甲に唇が押し当てられた。不吉な予感がどんどん膨らんでいく。
「セリーナ……愛してます。心から。」
 それだけを言い残して、レオンは部屋を出て行った。
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