平和すぎるオメガバース

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本編

ヒート編

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 琉世と病院に行った翌月、俺はこっそり寮を出た。寮は狭い一人部屋だし点呼もないから、登校さえしていれば帰っていなくても特におとがめはない。
 琉世は学業の傍ら父親の仕事を手伝っていて、病院で言ったとおり家を借りて一人暮らしを始めたのだった。一人というか、二人というか。一応琉世の押しに負けた形で暮らし始めたが、口から出したのは拒否の言葉でも心の中は全肯定の気持ちしかなかったから、俺はみんなをだましているような後ろめたい気持ちで琉世と生活している。
 初めてのヒートから二か月が経った頃、なんとなく体がだるい日が続いた。初めの頃はヒートの頻度も不定期なことが多いらしいから、もしかしたら早めのヒートが来てしまうのかもしれない。
 三時間目の終わりでだるさが強くなってきて早退させてもらった。寮と迷って琉世のマンションに帰ることにした。だんだんと心拍数が上がっていき、道すがら抑制剤を飲んだが琉世の部屋にたどり着いた時にはもうふらふらで、死ぬほど気合いを入れて手を洗った後そのままベッドに倒れ込んだ。

「……間違えた」

 自分の部屋ではなくうっかり琉世の部屋にきて、彼のベッドに寝てしまった。起き上がろうにもひたすらだるく、指一本動かせない。だるさの奥から徐々にある欲求が湧き始めていた。

「やべー……」

 寮に戻った方が良かった。俺は手だけを動かして鞄の中からスマホを取り出し、琉世にしばらく実家に戻れとメッセージを送った。

「薬飲んできた!」

 しばらくして、玄関の開く音といっしょに遠くから琉世の声が聞こえた。

「だよね……お前が実家に戻るはずねー……わかってたわかってた……」

 ベッドに横たわったまま、聞こえるはずのない言葉を発する。勢いのよい足音がだんだんと近づいてくる。隣の部屋が開く音。

「あれ?」

 いぶかしがる琉世の声。
 近くでドアが開く音。

「こっちー!」

  琉世のばかでかい声が頭にがんがん響いた。

  * * *

 緋色からのメッセージに気づき、腹が痛いとアピールして授業途中で早退した。猛然と自転車を漕いでいる途中で、自分のオメガがヒートを迎えたと申告すれば普通に休みがもらえることを思い出したが、緋色はまだ俺の番になることに前向きではないから、腹が痛いことにして良かったと思った。普段なら自転車で十五分の道を十分かからず走った。
 駐輪場にダイレクト駐車をかまし、勢いよくマンションのエントランスをくぐり、うっかり玄関を開ける前に部屋に入ろうとしてしまい鼻をぶった。ドアが閉まっているのに甘い良い匂いがした。
 ドアを開けると甘い匂いが濃くなった。
 この前のヒートの時は緋色の寮に入る前からこの匂いに当てられて、ドアの前に至る頃には俺の俺が少しだけ立ち上がろうとしていた。前に緋色と見て吐いてしまったエログロ映画を思い出しても欲は止まらず、半泣きで緋色に帰らせていただく旨の電話をかけた苦い記憶が蘇る。
 それを考えると今の俺の状態は百パーセント理性的! 当時は俺の元来持っている鋼鉄の理性で性欲なんて押さえられると思っていたが、理屈じゃなかった。

「薬飲んできた!」

 安心させるために緋色に聞こえるように叫び、手を洗って緋色の部屋に突撃する。

「あれ?」

 いない。もう一度スマホを見る。しばらく実家に戻れ、と書いてある。そもそも、慌てていて見ていなかったが、玄関に入ったところで何かを踏んだ気がする。あれはきっと緋色の靴だ。
 とりあえず鞄を置こうと自分の部屋を開ける。
 俺のベッドに制服のままの緋色が突っ伏していた。

「こっちー!」

 思わず腹から声が出た。

「うるせー……」

 消え入りそうな声。近づくにつれて匂いが強くなるが、俺も、俺の俺も平常心を保ったままだ。

「大丈夫? 俺、ちゃんと薬飲んだよ。いまのとこ全然平気」

 ベッドサイドに座り、鞄から飛び出ていた緋色の荷物を鞄にしまう。勢いよく倒れ込んでその拍子に飛び出してしまったような乱れ方だった。安心してもらいたくて背中をさすろうとしたら、触れた瞬間に緋色が跳ねて慌てて手を離す。

「ご、ごめん!」
「は……恥ずかしくなってきた」
「なんで?」
「俺すっごいおめがじゃん。恥ずかしい」
「そんなの……」

 気にするな、もなんか違う気がして何も言えなくなって、とりあえず上体をかがめて緋色の顔を見ようとするが、彼はベッドに顔を押しつけているから叶わない。

「苦しくねーの?」

 無言。

「俺、薬効いてるみたいだから安心してよ。もう触んねえし」

 と言ったら、いきなり緋色は寝たまま顔を横に向け、俺の腕を掴んできた。その手が熱くて、一気に体温が上がる。

「お、おれ大丈夫だけど、つ、つかむのはちょ、ちょっと」
「……っ」

 緋色が俺の腕を掴んでいる。力強く! 腕に食い込む彼の指を見ていたら力強さに比例して変な気分が強くなってくる。抑制剤で抑えられているとはいえ、初めから変な気分はあった。変な気分というか、あたりまえの気分というか、十四歳から芽生えた当たり前の気持ちがぐんぐん育っている。
 友達だ。大親友。もちろんただの友達ではないが恋愛感情ではない。あんな性欲先行の汚い感情のはずがない。家族に対して俺は薄情だから家族愛の強さはわからないけれど、家族という感じでもない。友達はたくさんいる。家族も何人もいる。でも、緋色は一人しかいない。

「琉世」
「はい!」
「注射」

 緋色は錠剤の抑制剤で効かないときのために特効薬を処方されていた。けれど強い代わりに副作用も大きいという説明を俺も一緒に受けている。

「いや、あれは」
「いいから!」
「はいっ」

 ここまで切羽詰まった緋色を見るのは初めてで、俺は命じられるまま緋色の鞄の中から特効薬を取り出した。

「早く刺して」
「ど、どこに」
「どこでもいいから!」

 固いところは痛いかと思い、腕にしがみついている手を引き剥がして仰向けに寝てもらう。緋色は荒い呼吸を繰り返している。服をめくり白くて筋肉のあまりついていないおなかをむき出しにすると、苦しげな緋色には申し訳ないけれど変な、当たり前の欲が増幅した。
 邪念を消して、一気に針を刺す。薬を入れると、緋色が呻いた。

「い、痛い?」
「痛い……けど、良い感じ……」

 緋色は腕で顔を覆っている。腕の間から見える目元が赤らんでいるのをエロいと思った。良い匂いがする。緋色の匂い。甘い匂いが薄れ、本来の緋色の匂いに変わったのだ。爽やかで、少し甘ったるい。
 オメガの匂いなのかもしれないけれど、今のところ緋色からしか感じたことがない。今までは柔軟剤とか石けんの匂いだと思っていたけれど、今は俺と同じものを使っているから、これは彼の匂いなのだと思う。好きな匂いだ。こんな良い香り、ほかのやつが嗅いだら惚れてしまう。
 俺はくっつきたくなる衝動をなんとか抑え、緋色から離れた。

「りゅうせい」
「はい」

 いつもより舌っ足らずなしゃべり方。こんなの他のやつには聞かせられない。

「ちょっと」

 手招きされてさっきの位置に戻ると、また腕を掴まれた。はあ、と緋色が深く息を吐く。近くにいてほしいのだろう。かわいい。緋色はたまに俺と彼の関係性を気にして聞いてくる。関係性に名前が欲しいのかな、と思って緋色にしか使わない大親友という言葉を使っている。親友を可愛いと思うのは変だと言われることがあるけど、可愛いのだからしかたない。
 緋色のことは可愛いと思うときもあるし、かっこいいと思うときもある。腹が立つときもあるし、なんでわかってくれないんだと憎らしく感じるときもある。けれど、どんなときも好きなことに変わりはない。

 特効薬は眠くなるのか、緋色は浅い眠りと覚醒を繰り返していた。少しまどろんでははっとして起きて、呻く。それは窓の外の色が変わるまで何時間も繰り返されて、あまりにつらそうで、いたたまれなくなってネットでヒートの楽な過ごし方を調べてみた。
 前に調べたときは気が済むまでやれ! と書いていてがっかりしてすぐ調べるのをやめてしまった。今回は学者先生の論文とか大学の情報とか、医師会とかの真面目なところを見て、ちゃんとした情報を得ようとして驚いた。どこを見ても我慢すべきではないと書いていたから。
 緋色を見る。とてつもなくつらそうで、俺の腕にすがって震えている。
 こんなのが三か月ごとに一週間もやってくるとか、かわいそうで仕方ない。

「緋色」
「……っ、なに」
「俺、ヒートの楽な過ごし方調べたんだけど」

 言って、肩に触れると、驚くほど体が跳ねた。

「……い、いやだろうけど」

 緋色の体勢を少し変えて仰向けにする。やめろ、と小さな抵抗をされたが、心を鬼にした。
 あくまでも事務的に、風邪を引いたときに看病するように慈愛の精神でやろう。俺はロボット。大丈夫。俺ならできる。氷枕の代わりに、ちょっと手で冷やしてあげるだけ。俺はアイスノン。

「……大丈夫だ」

 自分に言い聞かせ、一度ベッドから離れて部屋着に着替えた。
 俺に抑制剤はよく効いている。だから大丈夫だと思い込み、緋色の下着を一気に下ろすと、緋色が慌てたように体を起こした。

「大丈夫。俺はアイスノンだから。俺のことは無機物だと思って」
「は、はあ!?」

 緋色の緋色に目を落とす。何もしてないのに勃っていてかわいそうだった。先から透明な液体が流れていてそれが下に伝っていくのが艶めかしい。自分も大概やばいけど、こういうこともあろうかとさっきキッツキツのジーンズを履いたのだ。ただ、圧迫されすぎて不能になりそう。

「失礼します……」
「う、わ!」

 緋色は、あ、と声と息が合わさったような声を出した。俗に言う喘ぎに気づかないふりをして彼の勃ち上がっているものを掴むと、それだけで緋色は達してしまった。

「ちょ……っ、ほんと、やだぁ……」

 ついに緋色が泣き出した。こいつは昔からクールなやつで、泣いたところは中二のあの時くらいしか見たことがない。転んでもいじめられても怒られてもこいつは泣かなかった。
 意外としくしく泣くのが可愛い。「う、う、」と声を出して泣かれるとよしよし慰めたくなるが、そんなことをしたらもっと嫌な思いをさせてしまいそうだから何もしなかった。
 一度果てたのにヒートは偉大で、すぐにまた復活した。俺のあれもやばくてもう痛いを通り越して無になったが、まだ薬が効いているようで俺は理性に満ち溢れている。心臓は大太鼓を狂い叩くように激しく、頭はぐつぐつと煮えたぎり、水の中にいるように音もなんか遠くに聞こえるけれど、論理的な思考は失われていない。

「りゅう……」

 下からとろんとした目で覗かれてはっとした。俺は大丈夫だ! と考えていたらそれに気を取られ、無意識に指が彼のお尻の入り口をさすっていた。

「ご、ごめん!」

 謝って勃っているものをまた掴む。さっきはすぐに出してくれたのに、今回は扱いてもよがるだけで一向にいく気配がなく、もうはちきれんばかりに震えてしまっている。

「あっ……は、……あっ、ンっ、……っ、と、特効薬とかっ、なんもきかねーじゃん……」

 恨みがましく言って、緋色が彼の後ろに手を回した。

「緋色?」

 そして、さっき俺が無意識に触ってしまったお尻の中に指を入れる。

「んぅっ――」
「――!」

 とてつもなく止めてほしい光景が目の前に広がる。俺のあれがジーンズから突き破りそう。いや、もう出てる? 混乱して下を見ると俺のあれはおろしたてのぱっつぱつのジーンズ内にちゃんと収まっていて安心した。

「あっ……りゅう、これ、やばっ」
「……俺」

 自慰くらいならしても許されるだろうか。許される。こんなのもし俺がベータでも、こいつと同じオメガでも同じようにジーンズから突き破る危険にさらされているに違いない。
 ベルトを外しジーンズを下ろすと、恥ずかしいことにおもらしをしたみたいにパンツがぐっしょりと濡れていた。パンツも脱いで出てきたものに驚く。すごい勃ちっぷり! 俺のはこんなに大きくなかったはずだ、と一夜にして性器の成長期が来たのかとばかなことを考えたが、そんなはずはなく、こんな緋色を見てしまったから。

「りゅう」

 緋色に呼ばれる。こんな甘ったるい声聞いたことがない。

「りゅう」
「ちょっ!」

 俺のそそり立つ俺を緋色が掴む。先端に向けて根元の方から快感が猛スピードで上がっていく。あまりのことにどうしていいかわからず慌てふためいていると、緋色が緩慢に起き上がり、四つん這いになって俺のあれを咥えた。

「えっ? えっ?」

 はむはむとおいしそうに食まれ、竿に舌が絡みつき、ちゅ、ちゅ、と音を立てながらキスをされ、気持ちよさが内部で渦を巻いて俺の頭までぐるぐるさせていく。引き剥がそうと緋色の頭にやった手は逆にもっともっとと強請るように彼の頭を押さえつけた。

「あっ、緋色っ」
「んっ――」

 苦しいのだろう。俺の今日の性器はそのへんのAV男優もびっくりするくらいの太さと長さと硬さを誇る。それなのに一生懸命咥えている姿がいじらしい。かわいい。
 気づいたときにはもう遅く、俺は彼のお尻に指を突っ込んでいた。彼の中は俺の指を締め付けながらうねうねと動き、俺はここに自分の性器をいれたらどうなるのだろうという想像で頭をいっぱいにした。

「はあ、あっ――、んん!」

 奥まで指を入れると緋色は顔を上げて眉を寄せ、ぎゅっと目を閉じた。今まで咥えていたものが顔にあたるのも気にせず気持ちよさそうに声を出す。

「りゅう、りゅう」
「……なに」
「ゴムあるよ、……ああっ!」

 うっかり尻の中に入れている指を押し込んでしまった。奥が気持ちいいのか緋色がひときわ高い声をあげて背中をのけぞらせた。

「ご、ごめん」

 指を引き抜き、肩で息をする緋色の背をさする。

「んっ……、ちょっ、りゅう、それもだめ――」
「ご、ごめん」

 久しぶりに俺と緋色の体が完全に離れた。それに寂しさを覚える。薬が効かなくなってきたのかもしれない。いっときも離れたくなくて、できることならもっと深いところで繋がりたくてたまらない。これはたぶん俺がアルファだから。そして、こいつがヒート中のオメガだから。

 よくヒート中のオメガを前にしたアルファは獣に成り下がるといわれる。実際に見たことはないけれど、一切の理性が消え、ただ本能のままに求め合うのだとか。実際にそれにロマンを見いだす人たちも多く、そういう恋愛映画とか漫画が数え切れないくらいあるが俺は軽蔑している。好きなやつの前でこそ理性は制御されるべきだ。本能じゃなく俺は心で緋色を抱きたい。

「……ん?」

 待て。俺は今何を考えた?
 ベッドの下に投げた自分の鞄に手を伸ばし、自分用の薬と水を取って三粒口に放り込んだ。それを水で流し込むと、もやの中にあった思考が少しクリアになった。ごそごそと緋色も動いている。薬を追加するのだろうと思って俺は手にしていたペットボトルを緋色のそばに置いた。
 目を閉じて精神統一を図る。大丈夫。矛盾していることは百も承知だが、今までの考えをすべてアルファ性のせいにする。

「ほぁ!」

 股間に違和感を覚え目を開く。

「ひ、緋色!」
「うるせー……」

 緋色が俺にゴムをつけていた。

「大丈夫だよ。今避妊の薬も飲んだし……」
「え? え?」

 緋色は俺の上に乗っかると、お尻に俺の性器の先端をあてがい、そのまま腰を落とした。

「あっ……」

 もちろん彼を押し退けて逃れることはできる。けれど、俺はそれをしなかった。ちゃんと考えられる頭があることを認識した上で、彼の行動を眺めた。
 さっき指で感じた彼の中を今度は自分の中心で感じる。中は熱くて締め付けがキツくて、吸い付くように絡んでくる。

「あっ……、んっ――、ご、ごめんね」

 なぜか謝られた。顔を見たくても彼は俺の肩口にぴたりとくっついているから表情を知ることができない。

「なんで、謝るの」

 片方の手を彼の腰に、もう片方を首元にやる。首には俺があげたプロテクターが付いている。この下にうなじがあって、そこに歯を立てれば彼は俺のものになる。番の契約は強力だからこの先彼が俺以外の誰とやってもなんか違う、と思うはずだ。
 首元に緋色の切ない息がかかる。

「緋色」
「ぁあっ、ひっ……、っ」
「緋色」

 両手で腰を掴んでぐ、と引き寄せると緋色が喘いだ。深く繋がっていくたびに、胸の奥底から凄まじい罪悪感とそれを上回る喜びが湧き上がってくる。
 全部入り切り、体全体で呼吸している緋色を抱きしめる。それからそっと背中から倒し、顔の横にある彼の手に自分の指を絡めた。
 少し抜いて、腰を打ち付けると緋色が普段からは考えられない声でなく。あ、あ、と喘ぐ合間に、りゅう、と俺の名前を必死に呼んでくれる。
 体を倒すと胸と胸がくっついた。くっついたら満足し、少し体を離して服の中に手を突っ込んで胸を触ると、今まで触れていなかったのに緋色の乳首は立っていて、服をたくし上げてそこに吸い付く。ちんこの先が緋色の奥に当たっていて、俺が少し動くたびに緋色が気持ちよさそうな声を出して絡みついてくるのが嬉しい。

「あっ……、あっ、ぃっ……、りゅっ――、りゅ、せっ――」

 足を開かせて何度も何度も腰を打ち付けた。何度も何度も何度も何度も――。

  * * *

 ばかじゃねーの、と思う。
 薬が効いているからこんなもんで済んだのに、琉世は俺も彼もバース性の本能に負けたと思っているらしい。
 琉世は、やってしまった――と部屋の隅で頭を抱えたあとはっとした様子で近付いてきて、俺の体を綺麗にし、食べるものを買ってくると言って出かけていった。琉世と離れると一気に体が楽になる。体温もぐっと下がった感じがするし、俺の忌々しい尻も疼かない。
 これなら大丈夫そうだ。出すまでは死ぬかと思っていたけれど、一回やったらスッキリした。医学の進歩に感謝しながら、琉世のことを考える。

「……悪いことしたかな」

 高校を離されて、一緒にいられる時間が少なくなった。
 オメガだとわかった日、俺は琉世にヒートが来るまでは一緒にいられると言ったけど、やはり周りはそう思わなくて、中学を卒業したときに俺は家族や数少ない友人達に琉世とは付き合うのをやめたと伝えた。琉世にもそう言うように言い聞かせている。
 全員「残念だね」と慰めてくれた。友達なら一緒にいて良いんじゃないか、と言ってくれる人は誰もいなかった。
 今だから思う。きっとみんな、俺が琉世を好きなことに気付いていたのだ。

「ただいま……」

 琉世が帰ってきた。声だけで元気がないことがわかる。彼が部屋に入ってくると、ふわっと爽やかな良い匂いが香った。間近で嗅ぎたくなる匂いだ。いつもうっすらと漂っているけれど、さっきやってたときに香りが強くなっていたから、これがフェロモンとかいうやつなんだろう。

「おかえり」
「……大丈夫なの?」
「全然平気。一回出したら……、いや、出されたら? すげーすっきりした」
「それもだけど……。おしりとか……俺突っ込んじゃったし、大丈夫?」
「平気だよ。つーかお前か突っ込んだっつうより、俺が乗っかったんだよ」
「いやいや。緋色、ヒートなんだから、ちゃんと理性のある俺がこれはだめだよって言わないといけなかった」

 やっぱり琉世は大親友と寝たことを後悔している。こいつはただヒートにあてられてちんこを尻に突っ込んだだけ。

「……なんか、ごめん」

 いきなり死にたくなるくらい大きな後悔に襲われた。
 いつもいつも、離れられないのは俺の方だ。俺がちゃんと琉世を拒絶しないからこんなことになってしまった。
 オメガが惚れたアルファとずっと一緒にいたいなんて願っちゃいけなかったのだ。
 ヒート中のオメガをアルファが無理矢理抱いても罪に問われない。それだけヒート中のオメガが発するフェロモンは強力で、アルファはオメガのフェロモンに抗えない。俺は罪を犯した。アルファである琉世と、琉世の未来の恋人にとてつもなく悪いことをしてしまった。

「なんで緋色が謝るの」
「俺……今日で絶交する」

 琉世が絶句した。いつもなら「なんでー!」と見ていて可笑しくなるくらい騒ぐのに、俺の本気が伝わったんだと思う。悲しさを認識していないのに涙が溢れた。琉世がそろそろと近付いてくる。

「なんで?」

 爽やかな良い香りを纏った琉世がベッドサイドに浅く腰掛ける。普段よりも離れた距離だった。

「一緒にいるのがつらい」

 俺がオメガだったから、お前がアルファだから、大親友だから。なんでつらいの? と聞かれたら具体的に答えられることはたくさんある。だけど、琉世は聞かなかった。ただ黙って俺の隣に座っていた。
 俺が落ち込んだ時、琉世はいつも慰めてくれた。背中をさすったり、くだらない話を聞かせてくれたり、抱きしめてくれたり、一生懸命元気づけてくれる。
 琉世が近くにいて、顔がほてるようになったのはいつからだろう。心拍数が上がるようになったのは? 横顔を盗み見るようになったのは――。

 初めてのバース検査で俺はベータだった。
 オメガだったら琉世に噛んでもらえるのに、と残念に思った。けどすぐに、ベータだったら琉世とずっと友達でいていいことに気が付いて、オメガじゃなくて良かった、と思い直したのを覚えている。
 それなのに再検査でオメガだとわかった日、琉世に会いに行ったのは別れを告げるためじゃない。俺は期待したんだ。

 琉世も俺のことを好きだったら良かったのに。
 あのとき親友としてではなく、オメガの俺をほしがってくれていたら、自分勝手な俺は、俺たちのことを知る人が一人もいないところへ一緒に行きたいとねだっただろう。
 琉世が俺のことを好きだったら良かったのに。そうだ、本当に琉世が俺のことを好きだったら良かったのに。
 一度溢れ出した涙は止まってくれず、両手を目に押し当てた。

 本当に、本当に、琉世が俺のことを好きじゃなくて良かった。

 時間が過ぎて行った。涙はとうに止んでいて、俺は頭を空っぽにしたまんまベッドの上で膝を抱え、顔を埋めていた。

「俺、緋色がヒートじゃない時にやりたい」

 そんな時、妄言が聞こえた。
 何時間経ったのかわからない。
 琉世は俺が俯く前と同じようにベッドサイドに浅く腰掛けて、暗い部屋の中でぼんやりと前を向いていた。

「恋愛感情ってなんだと思う?」

 琉世はそう言って、俺の方を向く。目が合うと微笑まれた。いつも元気なくせに顔に疲れが滲んでいる。

「緋色はわかる?」

 琉世の手が伸びてきて、首輪越しに俺のうなじに触れる。言うべき言葉も見つからないまま口を開いて、何も言えずにそのまま閉じた。

「俺はオメガとアルファとか、ベータ同士のとか、友達から聞く恋の話とか、漫画とか映画の恋愛物とか、くだらねえなって思うんだよな」

 鍵穴を引っかかれる。

「だけど、俺が緋色に感じてる気持ちに名前を付けろって言われたら困る自分がいる」
「大親友、だろ」
「……前にお前のは恋愛感情だよって言われたことが何度もあって、俺の気持ちはそこらへんに溢れてるような陳腐なもんじゃねえよって思って、腹立ててたんだ」

 琉世が床に置いていた彼の鞄から何かを取り出した。小さく光る物。俺も持っている、琉世に買ってもらったプロテクターの鍵だ。

「普通友達を可愛いと思わない、とか」

 琉世はやけに丁寧な手つきで鍵を外した。久しぶりに解放された首筋に琉世の指が添えられる。

「俺がこんな面倒くせーやつだから緋色は泣いたんだろうな」
「……俺は陳腐な感じで、ずっと琉世が好きだったよ」

 言ってみると、はは、と琉世が力なく笑った。

「嬉しいな……」
「嬉しいのかよ」
「すげー嬉しいわ、これ」

 うなじに添えられていた手に力が入り、引き寄せられる。嬉しいときとかテンションが上がったときの一瞬のハグではなく、体の中の奥にある言語化できない感情を流し込むような、そんな抱擁だった。友達にはしない類いのもの。
 背中に腕が回されて、俺も琉世の俺よりは大きな薄っぺらい背中にしがみついた。俺の好きな琉世の匂いが強くなる。くんくん嗅ごうとしなくても、その匂いは俺の体全体にまとわりついてしまう。琉世の体温を感じて抱き合っているのだと認識し、心拍数が上がりいつものように顔に熱が集まってくる。学校で誘ってくるアルファたちが近付いてきてもこんなことにはならないから、おれは都合よく、これが恋だと思っているのだ。
 琉世が少しだけ体を離し、顔を近づけてきた。これは――。

「まて」
「えっ」

 琉世が止まり、困惑した表情を浮かべた。

「い、いま、すっごい良い雰囲気でさ、き、キスするようなそんなあれだったよね?」
「雰囲気はそんな感じだったけど、俺、まだ言われてねえ」
「え? 何を?」
「何をって聞いちゃう?」
「……お、思いの丈は伝えた気がする。……あ!」
「気付いた?」
「緋色が良いって言ってくれたら、俺はすぐにでも番になりたい。噛みたい。その後面倒くさいこと言うやつがいないところでずっと二人きりで生きていきたい。噛んで良い?」
「な、なんかプロポーズっぽいこと言われた気がするけど……」

 これでいいんじゃないかと思い始めた。けれど、今言って欲しいことは別にある。

「……好きって言って欲しい」
「好きだよ!」

 予想と違った。想像では俺の言葉で琉世がはっとして、もっとしんみりと言われるかと思っていたのに、彼は彼の匂いと同じ爽やかな笑顔とともに言ってくれた。

「俺は緋色が女の子でもベータでもアルファでも、それ以外のなんでも良かったよ。もちろん、オメガでも。結婚とか番とか恋人とか友達とか、どんな名前なのかは置いといて、俺は昔からずっと緋色と一緒にいるつもりだった。二人だけで。わかってた?」
「わかってねーよ。一生友達……大親友なんだと思ってたわ」
「えー! ひどい!」

 腕の中に俺を閉じ込めたまま琉世が笑っている。ひとしきり笑った後彼は俺の肩口に顔を埋めて、やけに真剣な声で言った。

「緋色、噛んじゃっていい?」
「……今度ね」

 今度かよ、と言って琉世がまた笑った。

 薬の効き目は二十四時間程度。明日の午前中俺はまた発情してしまう。今もだるさはあるが、これがヒートのだるさなのか琉世と運動したのが原因かはわからない。だけど早退したときよりもずっと体の調子は良かった。
 薬のおかげで、一度抱いてもらったことにより俺のオメガの本能は満足し、落ち着いているのだ。
 朝一番に本能に落ち着いてもらったら学校にも行けそうなくらい。面倒くさいから行けても行かないけれど。

「明日もし朝一で発情しちゃってたら、お前が学校行く前に軽く突っ込んでもらって良い?」
「え? 俺明日休むよ!」
「そこは行けよ……。朝発情してなかったり時間なかったら帰ってくるまで待ってるし。……正直、薬が合ってるみたいで、琉世が近くにいなかったらすっげー怠くてなんかムラムラする……くらいなもんなんだよ」
「だめだって! 俺明日学校に俺の番……予定の子がヒートなんでーって申請してヒート休みもらうし」
「やめとけ、親にも友達にもばれる」
「緋色はやっぱり嫌?」

 琉世はいつものようにゆるゆるな表情で笑っているが、声はこいつに似つかわしくない自信に満ちたものだった。

「周りからやんややんや言われたら黙れって言うし、それでも駄目なら駆け落ちしようよ」
「……駆け落ちって」
「好きだよ、緋色」

 頬に手を添えられて、顔が近付いてくる。段々と大きくなってくる琉世の整った顔を見ながら目を閉じると、今度こそ口付けられた。
 
 ――発情期が来たら、俺はお前に琉世とかけおちしたーい! って絶対に言わせてみせる!

 十四歳の時の記憶が甦る。
 駆け落ちなんて簡単に言って、こいつは駆け落ちの意味なんて知らないくせに、と憤った覚えがある。

「お前駆け落ちって何なのか知ってんの?」
「親から交際を反対されている愛し合っている者同士が、一緒になるために行方をくらませること」
「……そ、そう」
「昔辞書で調べた」
「昔?」
「十歳の時。もし緋色がオメガだったらどうしようって思って、色々調べてたんだよ。これしかない! ってなって、今でも覚えてる」
「ああ、そう……」

 近くに来ると顔がほてるようになったのは、心拍数が上がるようになったのは、もう思い出せない過去のこと。俺がこいつに恋をしている間ずっと、琉世も俺とずっと一緒にいるにはどうすればいいか考えていたのか。

「……駆け落ち、したいな」

 琉世が俺を番にしてくれて、それが見つかったときの周りの反応は火を見るよりも明らかだ。俺たちはただ、一緒にいたいだけなのに。
 それならいっそ――。

「……やっぱ好きの二文字だけじゃたりねえなあ。俺のこの、ハッピーな色したどす黒い気持ちには……」

 琉世は困ったように、しかし見たこともないような満足そうな表情を浮かべた後また俺に口付けた。

「なんだよ。それ」

 つられて笑う。

 このあと二人で、駆け落ちがうまくいく方法を調べよう。
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オメガのケンタは、ベータの彼女に振られて運命の番に出会えるという流行りの婚活アプリにヤケクソで登録した! 男とマッチングする気はなかったケンタだが、仲良くなったのはなんだか変なアルファで…? ☆完結済み☆

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