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第70話  俺はお前を信じてる

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 目の前で起きたにも拘わらず理解できず少しの間呆然としていたが後ろから転がって来たボールが足に当たった事により我に返った。

いつの間に!?俺投げる瞬間見落としたのか?考え事しすぎたか?

「わりぃ、今度は絶対捕る!」

 返球されたボールを受け取ると輝明はすぐさま投球動作に入った。龍介は再び見逃す事のないように輝明の一挙手一投足に注目する。

 今度は絶対ミスらねぇぞ。しっかりとあいつを見るんだ。腕は…振りかぶらない?さっきもあんまり腕を上げてなかったけど今度は最初っから足がホームベースと平行。ランナーいねーのにセットポジションで投げんのか?フォームは…テイクバックが小さ…

 じっくり観察していたら突然ボールが飛び出してきてまだ来ないと油断していた由自は反応が遅れ、頭上を少し超える球を捕球できず再びフェンスにぶつかる音が鳴った。

「ちょっと!捕れないほど高くは外れてないわよ。しっかりしろ愚弟!!」

 うるせぇー愚妹、てめぇーの目で見てから言いやがれ!くっそ、見逃す事のないようにしっかり見続けていたにも拘わらず一瞬目の前で何が起こったのかわからなかった。別段投球フォームが大きく変わったわけでもねーのにどうなってやがんだ!?

(あれがあいつ赤坂のストレート。確かに球速は一回り以上速くなったみたいだけどコントロールがガクリと落ちたわね。あれだとスピードは落ちても四隅に投げられたさっきまでのピッチングの方が良かったんじゃない?それともまさか…)

(やっぱこうなっちゃったか)

「タイム!龍介、ちょっとこっち来てくれ」

 何だ、一体?

 自由が輝明の元グラウンドに駆け寄りながらキャッチャーボックスの龍介に手招きして呼びつける。そして彼がマウンドに辿り着くと言いずらそうに口を開いて輝明に尋ねた。

「ああ~もしかしてだけど、わざと高めに投げて外してる、のかな?」

「は?」

 ”コク”

 これまでの返答と違い答えずらそうな感じで顔を背けながら自由の質問に対して少し間を空けてからゆっくり頷いた。

(大丈夫だと思ってたけどいざ彼を相手に通常通り投げようとすると足を踏み込む直前に昔の光景が頭をよぎって怖さからつい球が浮いてしまった)

 その行動がどういう意味であるかを理解した龍介は頭に青筋を浮かべながら怒りのままに輝明を睨みつけた。

「お、おま…」

「ああ~、気持ちはわからなくもないが怒るな、怒るな。お前を怪我をさせないようにと気遣っての事なんだから」

「んなもん必要…」

「必要?」

「………!!」

 捕手の立場的に認めたくないけどさっきの球への反応からして現在の自分の状況は理解できてるからなんとか受け入れようと必死に怒りと言葉を抑えてるって感じだな。

「…あった。あったけどよ、あれじゃ試合になんねーだろ!?」

「まあ、確かにな。だから輝明、とりあえずこの回はインコースだけとかコースを限定して投げてみてくれ。投げる箇所を固定すれば流石に龍介も捕れるだろうし輝明も少しは安心して投げられるんじゃないか?」

 確かに範囲を絞って入れに行くやり方なら多分…

 ”………コク”

 ちょっと間があったけど妥協…抵抗感を感じつつも受け入れてくたってとこかな。

「確かにそれなら捕球は大丈夫かもだけど、それじゃ流石に打たれると思うぜ?」

「ピッチャーが枠に、或いはキャッチャーがまともに捕球できないんじゃそもそも試合にならないんだ。抑える云々よりもまずお前が輝明の球筋を慣れてきちんとボールをキャッチする。これが今における最優先事項だ。それができないってんなら交代するが…どうする?」

「………」

 何か決意したような表情をしていた。しかし対照的に輝明の方は不安を絵に描いた様子だった。

「龍介相手にまともに投げるのはまだ不安か?」

 ”コク”

「まあまだ全然対応しきれてないし、初球普通に投げてたら間違いなく反応しきれずプロテクターかマスクにぶつかってただろうから怖いのはわかる。けどお前らはバッテリーなんだ。色々と思うところはあると思うが付き合ってやってくれ。大丈夫、お前の磨き上げた制球力ならきっと上手く行く。俺はお前を信じてるさ」

『信じてる』。輝明が今までの人生で口にされた事の無かったこの言葉は池に投げられた石によって発生した波紋の如く彼の心に大きな波を引き立て広範囲に深く響いた。

 自分の胸に今までに無い熱い何かと全身を僅かに震えさせるような感覚を体感すると同時に体から突如として湧き上がって来る力と名の知らぬ感情が溢れ出し、それを自覚するよりも早く自由に向かって素早く数回頷いた。

「おおぉ!なんかよくわかんないけどヤル気スイッチでも入ったのかな?良い返事だ!」

(輝明のこの感じ、初めてだな。多分俺の言葉の何かが感情を高ぶらせるトリガーとなったのかな?なんにしても良い傾向だな)

 普通常のバッテリーであればなんてことのない光景だが投手側がこれまであまり意思感情を示さなかった輝明であり、そんな彼の今まで無い反応は特別なものに思え2人のやり取りを龍介は黙って見つめていた。

 この二人…

「………」

「ん、どうした龍介?こっちをジッと見たりして」

「いや、なんでもねーよ」

 やっぱそう簡単に縮まるわけねーよな。兄貴との差も、赤坂《こいつ》との心の距離も。けど、こっからだ!

「おい」

 龍介の呼びかけに輝明が彼の方を向く。

「俺は遠慮とか要らねーから。絶対捕ってやるから思いっきりこいよ!」

 そうだ、まずはあの球だ。あの球を今度は俺の力でキッチリ捕る!

 龍介はあえて彼の返答する前に背を向け、言い終わると同時に自身の中で決意を固めて再びキャッチャーボックスへと駆け出して行った。





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