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第1章 異世界転生編

66話 定例会議後

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『あなた、うちの高嶺の前から姿を消して、二度と現れるな、と伝言よ』
 高飛車な声。
 翔は目を細める。

 オレが、なんだって?

『伝言?』
『そんな話の場所にどうして優美香が』

 戸惑う声は、花音。
 高木の姿と、その隣に小柄な女の姿。一度、レンの散歩に行った花音を迎えに行った時に見かけたか?

 高木の声が花音を馬鹿にしたように響いている。
 花音の問いかけに答えた、それに続いた言葉に翔は思わず腰を浮かせた。
『そんなことはいいの。これ、手切金で預かっているわ。これを持って、このまま消えて。会社と、そして、彼本人の意思よ』
『手切金?』
 花音が眉根を寄せ、唇を噛むのが分かった。最初に映し出された画角が変わり、やり取りをしている様子がきちんと見ることができている。
『そんなもの、いりません』
 断る声にほっとする。


 でも


 翔はぎり、と胸が軋んだ。
 オレがそんなものを渡すはずがない、とは、言わない。

『欲深いわね。彼はファンを大事にするから、あなたのことも放っておけなかったんでしょうけど。少し面倒を見るつもりが長くなって困っているのよ。マスコミもかぎつけて、記事にすると言ってきている。彼に今来ている仕事、監督がスキャンダルを嫌うからそんなことになったら迷惑なのよ』
『そうじゃなくて。彼の迷惑になるつもりはないんです。もう…なっているんでしょうが。そんなものもらわなくても、いなくなりますから』
『信用でいないのよ。彼と、わたしたちの安心料よ。そんなもの受け取れば、二度と顔を見せられないでしょう?』
『いりません』
『強情ね…優美香、あなた、この金額で大丈夫って言ったじゃない』
『相変わらず、男好きね。花音。被害者ぶって、同情買うつもり?いい子ぶるの、得意だもんね。この間の件もそうだし。いい子ぶったって、結局本性が出て逃げられてるのに』
『優美香…』


 ひたすら、花音を貶める言葉を吐くこの女は、何なんだ。
 オレの知らないところで、オレの意思だと代弁して花音を傷つけるこいつらは。
 会社の意思?


 高木が、花音の首元に目をやるのが分かった。
『それ…彼とペア?そんなもの持っていられたら困るのよ。彼の方はもう捨てているはずだけど。今日あなたにこの話をすることになっているから』
 言った途端、その手が花音にのびた。
「花音っ!」
 映像に向かって叫んでも無駄なのに、思わず声が漏れる。


 怒りで、頭が沸騰していた。
 何をいう?
 捨てただと?
 ずっと、ずっと持っている。


 花音に伸びた手が乱暴に首元のペンダントを掴み、もう片方の手が先ほどから手切金、と言っていた物を強引に花音の鞄にねじ込もうとする。
『やめて!これは…誰にも見せるつもりはないから』


 階段の上で揉み合いになる。
 過去の映像。
 何もできない。
 そう思いながらも、翔は胸が軋んで、奥歯をぎりっと噛み締める。


 乱暴をするな。
 普通でも許せることではないのに。
 この花音の腹には…。


 そう思っているのに、さらに、優美香、と呼ばれている女の手までが花音に伸ばされた。



『なにしてるんだ!!』



 鋭い声が割って入り、画像が乱れる。
 逃げて行く足音。
 舞い落ちる札束。
 割って入ったのは、弓削の声か。


「強要、もしくは脅迫…横領、傷害」
 背後からの声に、翔はようやく画面から目を引き剥がし振り返った。
「傷害だって?」
「彼女は、突き落とされた」
 不意に、隣からの声に翔は呆然とする。
 その事実を伝えたのは、浅井。
「知って……??」


 落ちてきたことだけだ、と浅井は言う。
 だが、それが大事なことだろう。
 弓削は、その浅井の言葉を裏付けるように肯いたけれど。
「あんたのマネージャーは、速水に口止めをされていた。そして、この場に置き去られ、その後のことは何も聞かされていない。さっき俺が言ったのは、この映像を見て速水が言った言葉だ」
「副社長が?」
 翔は感情が定まらずに息を吐き出す。
 速水や弓削がこうして今、花音の周囲にいる。ずっと見守ってきたのは、きっとこの時の流れから。でも、なぜ、と。
「なんで副社長が」
「花音には、自分の所の社員がしでかした不始末の詫びだと言っていたけど違うだろうな」
 だが、知らん、と弓削は肩を竦める。
 知っているのかもしれない。翔には読み取れない。


「突き落とされて、花音は」
「速水と病院に運んだ。速水が抱きとめていたから、大きな怪我はなかった。子どもも無事だったのは、映像でわかっているだろうが」


 あの日、階段で見つけたチェーン。あれは、この時のものだったのかとふと気づく。
 こんな物を守るために危険な目に遭うなんて。


「だからってなんで、姿を?オレの周りにいれば、危ないからか…」
 言った瞬間、乱暴に襟元を掴まれた。
 怒りを湛えた目が覗き込んでくる。
「本気で、そう思っているのか。さっきまでのあれだけの映像を見ていて」
 目をそらす。自分よりも長く花音のことを守ってきた男。
 でも、今1番殴りたいのは、自分自身。
「仕事の話だけは、本当だった。かぎつけたマスコミは俺だから安心しろと言ったが。他のマスコミが気づくのも時間の問題だと」
 突き放すように手を離され、翔は尻餅をつく。
「花音の思う通りに進んだよ。事務所の住所にあんたの名前宛で送り返せば、事務所から横領された金は、あるべき場所に結果的に戻るだろうと。あんたは腹を立てて受け取らないだろうから」
「っ」
「花音が病院にいる間に、あんたはわりと早い段階で花音を探すのをやめた。あんたの前から姿を消すのは、簡単だったよ」





 止めたはずの映像が、不意にまた流れる。
 先ほどとは別のテープ。どれに入れてあったのかと思うまま、翔の目は画面に戻る。そこに、花音の姿があるから。



 ちょこん、と、リビングの床に座っている花音。その前には、ずいぶん背が伸びた隼人。
『こっそり連れて帰ってきて、どうするつもりだったの』
『だって、今日連れて帰らないと処分されちゃうって言うから』
『弱い子だから、残ってたんだよ。お母さん、どうするつもりなの』
『うちの子にする』
 花音が抱え込んでいるのは、子犬?
『仕事、あるんだよ?弱い子、見てられないでしょ』
『……』
 しょぼん、と花音がうなだれる。どうも、親子関係が逆転しているそのやり取り。
 随分、大人びた隼人。苦労したからか、年より随分大人に見える。
『名前、考えたの?』
 名前をつけてしまっていたら、もう情が移っているだろう。
『すーちゃん』
『すもも、ってこと?』
 うん、とうなずく花音に、隼人が負けたのが、見ていてわかった。ため息をついて、それまで厳しい顔をしていたのが、笑顔になる。
「すもも?」
「飼っていた犬が、死んだな。もも、って子が」
 弓削の解説を受けながら、翔はじっと見ている。
 双子が、嬉しそうに犬を撫でている。
『よかったね、おかあさん』
 ふわっと笑う花音は、大人びた隼人と対照的に、変わらない無邪気な笑顔。
 けれど、その笑顔で隼人も年相応の屈託のない笑顔になる。



「花音に、会わせてくれ」




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