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第1章 オカルト生活は突然に
第5話 音量に気をつけろ
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ため息と共に階段を上り、部屋へ向かった。体力の消耗と精神的な疲労が両肩にのし掛かる。部屋に入り、カバンをベッドの上に荒っぽく投げた。
南向きの六畳間は、正面の窓際に勉強机、向かって左側にベッド、右側にテレビとゲーム機、好きなロックバンドのポスターが壁に貼られている。
脱ぎっぱなしのパジャマや食い散らかしたお菓子の袋などを除けば、少年然としたシンプルで整頓された部屋のはずだ。
ドアを閉め、部屋を振り返ろうとしたときだった。
「鬼ごっこはもうおしまい?」
背後から声がした。
古い洋館のようにカビっぽくて陰湿で、鬱陶しくなるほど薄気味悪い声だった。
誰もいない。
誰もいない。
この部屋にはオレ以外誰もいないはずだった。
「私の勝ちだよ、次は貴方が鬼の番だ」
空耳ではない。声は確実にオレに向いている。
背中に全神経が張りついた。
真っ暗な夜道で突然背後から目隠しされるような、ひとり取り残された無人島で正体不明の動物にじわりじわりと追いつめられているような恐怖を感じた。
オレは声のした窓際へとゆっくり顔を向けた。
「やあ、お帰りなさい。ずいぶん遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」
目と耳がイカれてしまったのかもしれない。
先ほどまでオレを追い回していた例の男が勉強机に腰を下ろし、親しげに手のひらを向けているではないか。
さらに男の爽やかな笑顔と明るい声は、己の目と耳が他人のもののように感じるほど信頼関係を失わせた。
雨上がりの水溜まりから河童が発見される以上の衝撃にオレは目を剥いて絶叫した。
「出た──────!」
気が遠くなりそうだった。
腰が抜けた。
恐怖を通り越した。
体がわななくことを忘れた。
鼓動さえも停止寸前だった。
冷や汗から涙から、何が何だか分からないくらいの、体中の水分と呼ばれるもの全てが流れ出るのを感じた。
足に力が入らず、逃げることもままならない。
部屋には男と二人きり。
ドアが背中にぶつかる。
活路を失った。
絶体絶命。
相手は通り魔かもしれない。
殺される──。
「やめろ、来るな、来るんじゃねえ」
ゆっくりと間合いをつめてくる男に、せめてもの抵抗の姿勢を見せようと、オレは消え入りそうな声で、呪文のように繰り返した。
男の手が伸びてくる。
もう終わりだ──。
オレは希望の光を永遠に遮断するように瞼を固く閉じ、男から顔を背けた。
そして、全身を切り裂くような痛みが走る、はずだった。
「立ちなよ」
痛みはいつまでたっても襲ってこないどころか、意外にも優しい男の物言いに、オレは恐る恐る目を開けた。
「手を貸してあげる」
涙でぼやける視線の先には、柔和な笑みを向けた男がオレに手を差し出していた。
「ほら」
男の豹変ぶりに瞬きを重ねた。その手を取っていいものか、胸の前まで腕を持ち上げたが、手は迷いの動きを刻む。
戸惑うオレを見て、男はもう一つ紐解くように笑みを浮かべた。
奇妙な恐怖男と物腰の柔らかい温厚な優男。
このギャップに拒絶と受け入れの葛藤があったが、どことなく穏和な雰囲気のせいか、不思議にも恐怖感は萎んでいく。
ややあって、オレは差し出された手を取り、腰を上げた。
「ど、どうも」
並んでみると思いのほか男は背が高く、自然と見上げる体勢になる。
「まさか、腰を抜かしちゃうほどビックリするとは思わなかったな。本当に真はマヌケだなあ」
男がカラカラと笑うと、日の当たる縁側のように和んだ空気がふわりと広がった。
「おっと失礼。土足だったね」
男は足下に目を落とし、突っかけていた下駄を脱ぐと、袖の中にしまい込んだ。一度は膨らんだ袖が、すぐに何も入っていない元の状態に戻った。青いタヌキが主役の国民的アニメのように四次元へ繋がるポケットのつもりなのだろうか。
騙されてたまるかとトリックを見破ろうとするついでにマジマジ眺めれば、男の着ている白っぽい上着は、うっすらと斜めの線やらドットをあしらった品のある小袖で、紺地のロングスカートだと思っていたものはこちらは無地の袴だとわかった。
例えるなら、剣道部や弓道部の道着のようであり、腰に刀でも差せば、時代劇のサムライとなんら変わらない。
下駄を脱いだため男の身長がいくらか落ちたが、見上げる関係は変わらなかった。
「なあ。あんた、誰なんだよ」
張りついていた喉のつかえが取れると、零れずに保っていた水面が溢れ出すようにとうとうと言葉が流れ出た。
「どうしてオレの名前を知っているんだ? 不法侵入だぞ、どうやって家の中に入ったんだ? それに一日中、つけ回すようなことをしていた目的は何なんだ、恨みでもあんのか? オレ以外の人間にあんたの姿が見えていないのは一体どういうトリックなんだよ。おネエなのか、マジシャンなのか、通り魔なのか、訳わかんねえよ。一から順に、全部洗いざらい説明しろ」
オレは警戒心を呼び戻し、男を睨んだ。
「真は私のことを知らないの?」
「知らねえよ、初対面だっつうの」
「私は真のことなら何でも知っているよ。崎山家の家族構成だってね。貴方は崎山真、十七歳。祖母の千代、六十七歳。母親の恵子、四十四歳。父親は婿養子の潤一、四十三歳。そして妹の加奈、十三歳。五人家族」
男はオレが睨みをきかせているのにも関わらず、臆することなくペラペラと喋った。ストーカーが自分の罪を正当化するように罪を罪と意識しない無邪気さなのだろうか。
「お前、盗聴器でも仕掛けてんのか」
オレは慌てて、部屋の中を見渡した。
「まさか。盗聴器なんて必要ないよ。ついでに言うと誰から聞いたわけでも、見張っていたわけでもないよ」
「じゃあ、何でそんなに詳しいんだよ。何者なんだよ、あんた」
「仕方がないな、それではご希望にお応えして自己紹介してあげましょうか」
待ってましたとばかりに男は誇らしげに薄い胸板を叩いた。
「私はオンリョーだよ」
「音量?」
バッグの中に乱雑にしまっておいた携帯用音楽プレイヤーのボリュームが筆箱やら漫画本との接触で最大になっているとは知らずに、再生したときの飛び上がるほどの驚きを思い出した。
音楽は再生する前に音量に気をつけろ。
オレの教訓だ。
南向きの六畳間は、正面の窓際に勉強机、向かって左側にベッド、右側にテレビとゲーム機、好きなロックバンドのポスターが壁に貼られている。
脱ぎっぱなしのパジャマや食い散らかしたお菓子の袋などを除けば、少年然としたシンプルで整頓された部屋のはずだ。
ドアを閉め、部屋を振り返ろうとしたときだった。
「鬼ごっこはもうおしまい?」
背後から声がした。
古い洋館のようにカビっぽくて陰湿で、鬱陶しくなるほど薄気味悪い声だった。
誰もいない。
誰もいない。
この部屋にはオレ以外誰もいないはずだった。
「私の勝ちだよ、次は貴方が鬼の番だ」
空耳ではない。声は確実にオレに向いている。
背中に全神経が張りついた。
真っ暗な夜道で突然背後から目隠しされるような、ひとり取り残された無人島で正体不明の動物にじわりじわりと追いつめられているような恐怖を感じた。
オレは声のした窓際へとゆっくり顔を向けた。
「やあ、お帰りなさい。ずいぶん遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」
目と耳がイカれてしまったのかもしれない。
先ほどまでオレを追い回していた例の男が勉強机に腰を下ろし、親しげに手のひらを向けているではないか。
さらに男の爽やかな笑顔と明るい声は、己の目と耳が他人のもののように感じるほど信頼関係を失わせた。
雨上がりの水溜まりから河童が発見される以上の衝撃にオレは目を剥いて絶叫した。
「出た──────!」
気が遠くなりそうだった。
腰が抜けた。
恐怖を通り越した。
体がわななくことを忘れた。
鼓動さえも停止寸前だった。
冷や汗から涙から、何が何だか分からないくらいの、体中の水分と呼ばれるもの全てが流れ出るのを感じた。
足に力が入らず、逃げることもままならない。
部屋には男と二人きり。
ドアが背中にぶつかる。
活路を失った。
絶体絶命。
相手は通り魔かもしれない。
殺される──。
「やめろ、来るな、来るんじゃねえ」
ゆっくりと間合いをつめてくる男に、せめてもの抵抗の姿勢を見せようと、オレは消え入りそうな声で、呪文のように繰り返した。
男の手が伸びてくる。
もう終わりだ──。
オレは希望の光を永遠に遮断するように瞼を固く閉じ、男から顔を背けた。
そして、全身を切り裂くような痛みが走る、はずだった。
「立ちなよ」
痛みはいつまでたっても襲ってこないどころか、意外にも優しい男の物言いに、オレは恐る恐る目を開けた。
「手を貸してあげる」
涙でぼやける視線の先には、柔和な笑みを向けた男がオレに手を差し出していた。
「ほら」
男の豹変ぶりに瞬きを重ねた。その手を取っていいものか、胸の前まで腕を持ち上げたが、手は迷いの動きを刻む。
戸惑うオレを見て、男はもう一つ紐解くように笑みを浮かべた。
奇妙な恐怖男と物腰の柔らかい温厚な優男。
このギャップに拒絶と受け入れの葛藤があったが、どことなく穏和な雰囲気のせいか、不思議にも恐怖感は萎んでいく。
ややあって、オレは差し出された手を取り、腰を上げた。
「ど、どうも」
並んでみると思いのほか男は背が高く、自然と見上げる体勢になる。
「まさか、腰を抜かしちゃうほどビックリするとは思わなかったな。本当に真はマヌケだなあ」
男がカラカラと笑うと、日の当たる縁側のように和んだ空気がふわりと広がった。
「おっと失礼。土足だったね」
男は足下に目を落とし、突っかけていた下駄を脱ぐと、袖の中にしまい込んだ。一度は膨らんだ袖が、すぐに何も入っていない元の状態に戻った。青いタヌキが主役の国民的アニメのように四次元へ繋がるポケットのつもりなのだろうか。
騙されてたまるかとトリックを見破ろうとするついでにマジマジ眺めれば、男の着ている白っぽい上着は、うっすらと斜めの線やらドットをあしらった品のある小袖で、紺地のロングスカートだと思っていたものはこちらは無地の袴だとわかった。
例えるなら、剣道部や弓道部の道着のようであり、腰に刀でも差せば、時代劇のサムライとなんら変わらない。
下駄を脱いだため男の身長がいくらか落ちたが、見上げる関係は変わらなかった。
「なあ。あんた、誰なんだよ」
張りついていた喉のつかえが取れると、零れずに保っていた水面が溢れ出すようにとうとうと言葉が流れ出た。
「どうしてオレの名前を知っているんだ? 不法侵入だぞ、どうやって家の中に入ったんだ? それに一日中、つけ回すようなことをしていた目的は何なんだ、恨みでもあんのか? オレ以外の人間にあんたの姿が見えていないのは一体どういうトリックなんだよ。おネエなのか、マジシャンなのか、通り魔なのか、訳わかんねえよ。一から順に、全部洗いざらい説明しろ」
オレは警戒心を呼び戻し、男を睨んだ。
「真は私のことを知らないの?」
「知らねえよ、初対面だっつうの」
「私は真のことなら何でも知っているよ。崎山家の家族構成だってね。貴方は崎山真、十七歳。祖母の千代、六十七歳。母親の恵子、四十四歳。父親は婿養子の潤一、四十三歳。そして妹の加奈、十三歳。五人家族」
男はオレが睨みをきかせているのにも関わらず、臆することなくペラペラと喋った。ストーカーが自分の罪を正当化するように罪を罪と意識しない無邪気さなのだろうか。
「お前、盗聴器でも仕掛けてんのか」
オレは慌てて、部屋の中を見渡した。
「まさか。盗聴器なんて必要ないよ。ついでに言うと誰から聞いたわけでも、見張っていたわけでもないよ」
「じゃあ、何でそんなに詳しいんだよ。何者なんだよ、あんた」
「仕方がないな、それではご希望にお応えして自己紹介してあげましょうか」
待ってましたとばかりに男は誇らしげに薄い胸板を叩いた。
「私はオンリョーだよ」
「音量?」
バッグの中に乱雑にしまっておいた携帯用音楽プレイヤーのボリュームが筆箱やら漫画本との接触で最大になっているとは知らずに、再生したときの飛び上がるほどの驚きを思い出した。
音楽は再生する前に音量に気をつけろ。
オレの教訓だ。
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