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第4章 生きることは、守られること
第6話 卵とモンスター【後編】
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【真之助視点】
「君が知っている通り――」
私は東屋の柱に背中を預け、藤木さんの話に耳を傾けている。
もちろん、藤木さんの指す「君」とは私のことではなく、真のことであるのは言うまでもない。
「芦屋君は梅見原市でケンカが強くて有名でね。毎日、不良少年たちが入れ替わり立ち替わり勝負を挑んだんだ。けれど、誰も彼も敵わなくてね、無敗の王者だった。ところが、去年の暮れのこと。芦屋君にケンカで負けた子たちが、こぞって警察に被害届を出してしまったんだ」
「ケンカで負けたやつって……つまり、元々ケンカを売ったやつが被害届を出したってことですか?」
真の質問を受けて、そのときだけ藤木さんは難しい顔で頷いた。
「まあ、それが彼らの狙いだったんだろうね。芦屋君が一方的に暴力事件を起こしたってことで、退学が決定してしまってね。それでも一部の先生は全力を尽くしてくれたんだけど、確か、黒川先生と二階堂先生だったかな。いい先生だね」
そこで二つ腑に落ちたことがあった。
友人A君が聖子先生に恋をした理由と二階堂先生に対して遠慮がない理由だ。
これは単なる私の想像にすぎないけれど、聖子先生が友人A君が退学にならないように心を砕き、あらゆる措置を講じてくれたことが切っ掛けとなって、友人A君は聖子先生に恋をしたのではないだろうか。
同じことが二階堂先生にも言える。友人A君が無遠慮に全力でぶつかるのは信頼の証なのだ。
真も同じことを考えたらしく、「だからお前、聖子先生が好きなのか」と感慨深げに呟いた。
「けれど、せっかく先生たちの尽力があっても、いい結果が出なかったんだ。で、転機が訪れたわけだ。たまたま、コンビニ強盗に遭遇した芦屋君が犯人を捕まえてくれたんだよ。警察は彼の勇気ある行動を讃えて、感謝状を贈り、高校退学の危機を回避できた。地元新聞も取材にきて、結構なお祭り騒ぎになったんだけど、それも知らなかったの?」
私はそこに大人の事情を見た気がした。警察が友人A君に感謝状を贈り、地元新聞にも取り上げられてしまったため、学校側は彼を無下に切り捨てられなくなったのだ。「正義感溢れる勇敢なお手柄高校生」に無慈悲にも退学を言い渡したと世間に知られれば、学校の沽券にもかかわり、非難は免れないと考えたに違いない。
「知りませんでした。それで被害届はどうなったんですか?」
「不思議なことにすんなり取り下げられたんだ」
藤木さんは事も無げに応えたが、そこに至るまで、誰のどんな奔走があったのか想像するのは簡単だ。もしかすると、新聞の取材も藤木さんが手を回したのではないだろうか。
優し気な顔立ちをした、この物腰の柔らかい少年係の刑事は口には出さないけれど、友人A君の将来を大切に思う気持ちが手に取るように伝わってくる。
私は守護霊、藤木さんは少年係の刑事と、立場の違いこそあれ、同じ守る側の人間なのだ。自然と仲間意識が湧いてくる。
「それにしても、芦屋君にいい友達ができたみたいで安心したよ」
「でも、もう友達じゃなくなるかもしれねえ」
真と藤木さんの怪訝《けげん》な視線が、俯いた友人A君へと向けられる。部屋の照明を一気に落としたかのような暗い声で友人A君は苦し気に独白した。
「真はオレがナイフの芦屋と呼ばれていることを知らなかったから、今まで仲良くしてくれていたんだろ。オレのせいで、真を面倒なことに巻き込んじまうかもしれないし、迷惑をかけちまうかもしれない。だから、そのときは友達やめてもいいんだぜ? オレは孤高の一匹狼だから、クラスメイトに無視されたり、邪険に扱われるのは慣れているからな」
「何が孤高の一匹狼だ、恰好つけてんじゃねえよ。オレはお前がナイフだろうが、ハサミだろうが、どこの誰だろうが、そんなことはどうでもいいんだよ。一番重要なことはな――」
誰もが感動的な台詞を期待していたように思う。
真は童顔で小柄な体躯のため中学生に見えるのは間違いないけれど、心は空や海のように寛大で、友達思いのいい奴なのだと。
私だって真を見直す心の準備をしていたのだから、友人A君にいたっては涙を拭う予行練習くらいしていたかもしれない。
まさか、私たちの淡い期待が盛大に裏切られることになろうとは、誰も想像しなかっただろう。
「オレにとって一番重要なことは、お前がダブりってことなんだよ!!!!」
「「「はあ?」」」
私たちは目を見開き、言葉を失った。真は興奮冷めやらずといった調子で続ける。
「二組のやつから、友人Aが本当はセンパイだと聞かされたとき、オレはしばらく震えが止まらなかったんだ。いいか、よく聞け」
芝居がかった動作で空を仰ぎ、「フハハハ」と腹の底から笑い声を上げると、勝ち誇ったかのように胸の前で腕を組んだ。
「オレがあの日、中学生に間違われたのは年上のお前と一緒にいたからなんだよ。オレが子供っぽく見えるんじゃない、お前が一歳年上だから大人っぽく見えるのは当然のことなんだ。すなわち、オレは低身長でもなければ、童顔でもない。これは見事に証明された!」
鬼の首を取ったように喜ぶ真はゲームに登場するラスボスの魔王のようだった。勇者一向に投げつける尊大で挑発的な言動と何ら変わらず、モノマネを見ている気分だ。そういえば、私の位牌を叩き壊そうとしたときも真は勝ち誇っていたなと思い出して呆れた。今朝、真が身長にこだわるのをやめたと言った理由もこの辺りにありそうだ。
「バカじゃねえの。そこに食いついてくるやつは真だけだっつうの」
友人A君は私以上に呆れ果てた様子で大きく肩を下げた。今まで顔に貼り付いていた不安な影がいつの間にか剥がれ落ち、憮然とした表情に変わっている。
「はあ? バカって言うやつがバカなんだからな」
「バカにバカって言って何が悪いんだよ。バーカ」
「なんだとぉ!」
「俺から見れば、二人とも五十歩、百歩だけどね」
幼稚な言葉の応酬に藤木さんはニコニコと目を細めた。
「それ、感慨深げに言う台詞じゃねえよ。フジさん、空気読めって!」
年の離れた兄弟が仲良く談笑しているような三人の姿に私も思わず口元が綻んだ。
藤木さんの仲裁で引き分けたあと、友人A君は炭酸ジュースを一口含んでから意を決したように頭を下げた。
「フジさん、ごめん。もう誰も殴らないって約束したのに、破っちまったんだ」
そして、一昨日、真を置き去りにして逃げた本当の理由をぽつりぽつりと話し始めた。
退学を免れたとき、友人A君は「もう二度とケンカはしない」と藤木さんと約束を交わしたらしい。だから、真を助けるためとは言え、上野君に拳を振るい、補導されてしまっては、自分を信用してくれた藤木さんの顔に泥を塗ることになりかねない。そう考え、逃げ出したということだった。
上野君を殴った拳に何度も視線を落としていたのは、拳が痛むとかそういう薄っぺらい理由ではなかったのだ。
「それは約束を破ったうちには入らないよ。芦屋君はさ、崎山君を守るために正しいケンカをしたんだから。少年係の刑事がこんな発言をするのは問題かもね。誰にも言わないでくれよ」
上野君を殴った右拳を左手で包むようにして、友人A君は「うん」と小さく頷いた。
噂はひとり歩きする生き物だ。もちろん、噂事態に実態はないし、血が通った生物ではないけれど、複数の人間の元を渡り歩き、主観と身勝手な推測が混ざり合い、尾ひれがいくつも付いた姿はまるでモンスターのようだ。そのモンスターに黙って食われるか、過ぎ去るまでじっと堪え忍ぶか――。
そのとき、突然、脳裏を過去の記憶が蘇った。
『ばあちゃん、卵買ってきたよ!』
初めてのお使いを無事に成功させた真が甲高い声で帰宅を告げた。
卵を高く掲げたあのときと同じ、真の笑顔が今友人A君に向けられている。
私は確信した。
案外、真には頼もしいところがあるのだと。
今、友人A君は暗い噂や誤解のお陰で周囲から浮いた存在ではあるけれど、彼の人となりを知れば、みんなも一目置くようになり、いずれモンスターは向こうから消えてくれるだろう。友人A君には彼のよさがあり、人を引き寄せる力がある。それを見い出すきっかけをきっと真が作ってくれるはずだ。
心は時として卵のように割れやすい。
しかし、真の笑顔は確かな強さを与えてくれる。
私はずっとそうやって助けられてきた。
「君が知っている通り――」
私は東屋の柱に背中を預け、藤木さんの話に耳を傾けている。
もちろん、藤木さんの指す「君」とは私のことではなく、真のことであるのは言うまでもない。
「芦屋君は梅見原市でケンカが強くて有名でね。毎日、不良少年たちが入れ替わり立ち替わり勝負を挑んだんだ。けれど、誰も彼も敵わなくてね、無敗の王者だった。ところが、去年の暮れのこと。芦屋君にケンカで負けた子たちが、こぞって警察に被害届を出してしまったんだ」
「ケンカで負けたやつって……つまり、元々ケンカを売ったやつが被害届を出したってことですか?」
真の質問を受けて、そのときだけ藤木さんは難しい顔で頷いた。
「まあ、それが彼らの狙いだったんだろうね。芦屋君が一方的に暴力事件を起こしたってことで、退学が決定してしまってね。それでも一部の先生は全力を尽くしてくれたんだけど、確か、黒川先生と二階堂先生だったかな。いい先生だね」
そこで二つ腑に落ちたことがあった。
友人A君が聖子先生に恋をした理由と二階堂先生に対して遠慮がない理由だ。
これは単なる私の想像にすぎないけれど、聖子先生が友人A君が退学にならないように心を砕き、あらゆる措置を講じてくれたことが切っ掛けとなって、友人A君は聖子先生に恋をしたのではないだろうか。
同じことが二階堂先生にも言える。友人A君が無遠慮に全力でぶつかるのは信頼の証なのだ。
真も同じことを考えたらしく、「だからお前、聖子先生が好きなのか」と感慨深げに呟いた。
「けれど、せっかく先生たちの尽力があっても、いい結果が出なかったんだ。で、転機が訪れたわけだ。たまたま、コンビニ強盗に遭遇した芦屋君が犯人を捕まえてくれたんだよ。警察は彼の勇気ある行動を讃えて、感謝状を贈り、高校退学の危機を回避できた。地元新聞も取材にきて、結構なお祭り騒ぎになったんだけど、それも知らなかったの?」
私はそこに大人の事情を見た気がした。警察が友人A君に感謝状を贈り、地元新聞にも取り上げられてしまったため、学校側は彼を無下に切り捨てられなくなったのだ。「正義感溢れる勇敢なお手柄高校生」に無慈悲にも退学を言い渡したと世間に知られれば、学校の沽券にもかかわり、非難は免れないと考えたに違いない。
「知りませんでした。それで被害届はどうなったんですか?」
「不思議なことにすんなり取り下げられたんだ」
藤木さんは事も無げに応えたが、そこに至るまで、誰のどんな奔走があったのか想像するのは簡単だ。もしかすると、新聞の取材も藤木さんが手を回したのではないだろうか。
優し気な顔立ちをした、この物腰の柔らかい少年係の刑事は口には出さないけれど、友人A君の将来を大切に思う気持ちが手に取るように伝わってくる。
私は守護霊、藤木さんは少年係の刑事と、立場の違いこそあれ、同じ守る側の人間なのだ。自然と仲間意識が湧いてくる。
「それにしても、芦屋君にいい友達ができたみたいで安心したよ」
「でも、もう友達じゃなくなるかもしれねえ」
真と藤木さんの怪訝《けげん》な視線が、俯いた友人A君へと向けられる。部屋の照明を一気に落としたかのような暗い声で友人A君は苦し気に独白した。
「真はオレがナイフの芦屋と呼ばれていることを知らなかったから、今まで仲良くしてくれていたんだろ。オレのせいで、真を面倒なことに巻き込んじまうかもしれないし、迷惑をかけちまうかもしれない。だから、そのときは友達やめてもいいんだぜ? オレは孤高の一匹狼だから、クラスメイトに無視されたり、邪険に扱われるのは慣れているからな」
「何が孤高の一匹狼だ、恰好つけてんじゃねえよ。オレはお前がナイフだろうが、ハサミだろうが、どこの誰だろうが、そんなことはどうでもいいんだよ。一番重要なことはな――」
誰もが感動的な台詞を期待していたように思う。
真は童顔で小柄な体躯のため中学生に見えるのは間違いないけれど、心は空や海のように寛大で、友達思いのいい奴なのだと。
私だって真を見直す心の準備をしていたのだから、友人A君にいたっては涙を拭う予行練習くらいしていたかもしれない。
まさか、私たちの淡い期待が盛大に裏切られることになろうとは、誰も想像しなかっただろう。
「オレにとって一番重要なことは、お前がダブりってことなんだよ!!!!」
「「「はあ?」」」
私たちは目を見開き、言葉を失った。真は興奮冷めやらずといった調子で続ける。
「二組のやつから、友人Aが本当はセンパイだと聞かされたとき、オレはしばらく震えが止まらなかったんだ。いいか、よく聞け」
芝居がかった動作で空を仰ぎ、「フハハハ」と腹の底から笑い声を上げると、勝ち誇ったかのように胸の前で腕を組んだ。
「オレがあの日、中学生に間違われたのは年上のお前と一緒にいたからなんだよ。オレが子供っぽく見えるんじゃない、お前が一歳年上だから大人っぽく見えるのは当然のことなんだ。すなわち、オレは低身長でもなければ、童顔でもない。これは見事に証明された!」
鬼の首を取ったように喜ぶ真はゲームに登場するラスボスの魔王のようだった。勇者一向に投げつける尊大で挑発的な言動と何ら変わらず、モノマネを見ている気分だ。そういえば、私の位牌を叩き壊そうとしたときも真は勝ち誇っていたなと思い出して呆れた。今朝、真が身長にこだわるのをやめたと言った理由もこの辺りにありそうだ。
「バカじゃねえの。そこに食いついてくるやつは真だけだっつうの」
友人A君は私以上に呆れ果てた様子で大きく肩を下げた。今まで顔に貼り付いていた不安な影がいつの間にか剥がれ落ち、憮然とした表情に変わっている。
「はあ? バカって言うやつがバカなんだからな」
「バカにバカって言って何が悪いんだよ。バーカ」
「なんだとぉ!」
「俺から見れば、二人とも五十歩、百歩だけどね」
幼稚な言葉の応酬に藤木さんはニコニコと目を細めた。
「それ、感慨深げに言う台詞じゃねえよ。フジさん、空気読めって!」
年の離れた兄弟が仲良く談笑しているような三人の姿に私も思わず口元が綻んだ。
藤木さんの仲裁で引き分けたあと、友人A君は炭酸ジュースを一口含んでから意を決したように頭を下げた。
「フジさん、ごめん。もう誰も殴らないって約束したのに、破っちまったんだ」
そして、一昨日、真を置き去りにして逃げた本当の理由をぽつりぽつりと話し始めた。
退学を免れたとき、友人A君は「もう二度とケンカはしない」と藤木さんと約束を交わしたらしい。だから、真を助けるためとは言え、上野君に拳を振るい、補導されてしまっては、自分を信用してくれた藤木さんの顔に泥を塗ることになりかねない。そう考え、逃げ出したということだった。
上野君を殴った拳に何度も視線を落としていたのは、拳が痛むとかそういう薄っぺらい理由ではなかったのだ。
「それは約束を破ったうちには入らないよ。芦屋君はさ、崎山君を守るために正しいケンカをしたんだから。少年係の刑事がこんな発言をするのは問題かもね。誰にも言わないでくれよ」
上野君を殴った右拳を左手で包むようにして、友人A君は「うん」と小さく頷いた。
噂はひとり歩きする生き物だ。もちろん、噂事態に実態はないし、血が通った生物ではないけれど、複数の人間の元を渡り歩き、主観と身勝手な推測が混ざり合い、尾ひれがいくつも付いた姿はまるでモンスターのようだ。そのモンスターに黙って食われるか、過ぎ去るまでじっと堪え忍ぶか――。
そのとき、突然、脳裏を過去の記憶が蘇った。
『ばあちゃん、卵買ってきたよ!』
初めてのお使いを無事に成功させた真が甲高い声で帰宅を告げた。
卵を高く掲げたあのときと同じ、真の笑顔が今友人A君に向けられている。
私は確信した。
案外、真には頼もしいところがあるのだと。
今、友人A君は暗い噂や誤解のお陰で周囲から浮いた存在ではあるけれど、彼の人となりを知れば、みんなも一目置くようになり、いずれモンスターは向こうから消えてくれるだろう。友人A君には彼のよさがあり、人を引き寄せる力がある。それを見い出すきっかけをきっと真が作ってくれるはずだ。
心は時として卵のように割れやすい。
しかし、真の笑顔は確かな強さを与えてくれる。
私はずっとそうやって助けられてきた。
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