事あるときは幽霊の足をいただく!

北大路 夜明

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第3章 守護霊界の掟

第11話 守護霊の心、生者は知らず【後編】

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【真視点】

 二人を追って辿り着いた先は、学校からさほど遠くない場所にある梅見原中央公園だった。

 芝生に覆われたなだらかな斜面を下り、新緑が眩しい散策路を抜けると、ちょうど今が見頃の花菖蒲はなしょうぶが池を取り囲むようにして咲いているのが見えた。

 成瀬さんは池の真ん中に設置された東屋あずまやにひとり立っていた。

 ぼんやりと遠くに思いをはせる横顔が何だか悲しげに映るのは、平沢が言ったように成瀬さんが盗難事件に関わっているからだろうか。

 池をぐるりと一周してからようやく木道を渡り、声をかける決心がついた。

「成瀬さん」

「あれ、崎山君」

 振り返った成瀬さんの笑顔が花開くと、平沢の話していたことが全部嘘であって欲しいと願う気持ちが強くなった。

「こんなところでどうしたの? 駅は反対方向なのに」

「花が綺麗だから見に来たんだ」

「私も。奇遇だね」

 オレたちは並んでベンチに腰を掛けた。

 憧れの女の子と二人きりのシチュエーションは胸がときめくはずなのに、これから起こるかもしれない嫌な予感に心臓がバクバクと騒がしい。
 
「芦屋君のことびっくりしちゃった。まさか彼が犯人だったなんて思ってもみなかったから」

 びっくりしたのはオレの方だ。こちらから訊くまでもなく成瀬さんの方からわざわざこの話題に触れてくるなんて。

 友人Aと平沢の悔し気に歪んだ顔が頭を過り、オレはおずおずと口を開いた。

「オレは友人Aが財布を盗んだなんて全然思っていないんだ」

「友達だもんね。信じたい気持ちはわかるよ」

「そうじゃなくて、あいつはやってない」

「え」

「花を見に来たというのは嘘で、本当は成瀬さんに用があるんだ。平沢に財布を盗むよう言ったのは成瀬さんなんだって?」

 どんなボールを投げるべきか散々迷ったが、結局オレが投げられるボールは種類が限られている。直球だけだ。

 ど真ん中に打ち込まれたボールを成瀬さんはどう打ち返すのか、言葉を待っていると、成瀬さんは打ち返さずに、柔らかな笑みで受け止めた。

「もしかして、平沢君から聞いちゃった? 誰にも言わないでって約束したのに私裏切られたのね。崎山君も気を付けた方がいいよ。平沢君は案外、秘密を守れない子みたい」

 自分の失敗から得た教訓を冗談交えて話す親切な先輩のような口ぶりが、胸にザラザラとした不快感を生み落とした。

「どうして、平沢にそんなことをさせたんだよ。あいつは苦しんでいたんだ」
 
 すると成瀬さんが手のひらで口を覆って、肩を揺らし始めた。

「苦しいって、平沢君が言ったの? 憶測だけで喋らないで欲しいな。平沢君に頼んだのは今回のたった一回きりで、あとは全部あたしが財布を盗ったんだよ。平沢君が苦しいわけないじゃない」

「たった一回でも平沢は苦しんでいたさ。友人Aまで巻き込んで何がしたかったんだよ?」

「私、お金が欲しかったの。欲しかったから盗った、ただそれだけ。でも、そろそろ疑われそうだったから、平沢君に私の財布を盗んで、誰か適当な人のカバンに入れてってお願いしたの。私は別に芦屋君じゃなくても、崎山君のカバンでもよかったんだよ」

「そんな……」

「ショックだった? 私がこんな女の子で」

 成瀬さんが高らかに笑うと花菖蒲が風で揺れた。悪意のない悪意にオレはどう立ち向かうべきかわからず、言葉を失ってしまう。

 さらに成瀬さんは楽しげに黒目がちの瞳を細めた。

「でも大丈夫。もうクラスで盗難事件は起こさないから安心して。ちゃんと働いてお金を稼ぐから。だから、誰にも言わないって約束して」

 そう言って、突き出してきた小指は、ガラス細工のように繊細で絡めたら今にも折れてしまいそうなほど儚げだった。

 この指でクラスメイトの財布を盗み、平沢を、友人Aを巻き込んだのか。正義漢振るつもりはないが、その小指が胸のザラザラに触れ、怒りが込み上げてきた。

「約束はしない、そんなの身勝手だ。いつも成瀬さんを見守っている寿々子すずこさんの身にもなってみろよ。寿々子さんがどんな思いをしてオレたちに相談してきたと思っているんだよ。きっと成瀬さんを止めて欲しいこともあってオレたちの前に現れたんだ」 

「誰それ、寿々子って?」

「あんたは気づいていないだろうけどな、寿々子さんはあんたの守護霊だよ!」

 きっとそうだ。真之助も思い悩んだに違いない。

 放課後になると屋上へ赴き、強かに体を地面に打ちつける想像を、飽きもせずに繰り返していたのだから。

 その度に彼はどんな言葉をかけてくれたのだろうか。目に見えないだけで、聞こえないだけで、感じ取れないだけで、いつも隣で優しく寄り添ってくれていたはずだ。

「守護霊って、正気なの? 頭、大丈夫?」

 オレを覗き込んだ成瀬さんは同情めいた表情を浮かべた。

「崎山君は直情径行なところがあるって聞いていたけど本当なのね」

 誰がそんな根も葉もない情報を流したのか問いただそうとしたとき、背後から躊躇ためらいがちな男の声がした。

 見れば、背広姿のサラリーマンが立っていた。父さんとさほど年が変わらない四十代半ばの男だ。

「誰? 成瀬さんのお父さん?」

「ううん、。私も崎山君に嘘をついていたの。花を見に来たんじゃなくて、パパと待ち合わせをしていたんだよ」

 成瀬さんの言葉に妙に色っぽい響きが乗った。この「パパ」が、反抗期の娘に恐る恐る接する父親を指さないことくらい、鈍感なオレにもすぐにわかった。血の気が引いた。

 成瀬さんと男は親しげに互いを異なる名前で呼び合った。恐らく、SNSのアカウント名なのだろう。二人は今日が初対面のようだった。

「写真も可愛かったけど、実際の方がもっと可愛いね」

 男はナメクジのようなじっとりとした視線を成瀬さんの体に這わせながら、歯の浮くような言葉を弄んだ。

 オレが睨んでいることに気がつくと、「まだいたのか」と言いたげに顔をしかめた。

「まさか弟さんまで同伴なの?」

「弟じゃないよ。彼はただのクラスメイトだから気にしないで。友達でも何でもないし」

「だったら、クラスメイトとはここでお別れだ。俺たちは場所を移動しよう」

 男の弾む声が気に入らない。

 真面目で善良なサラリーマンを気取る背広姿が気に入らない。

 オイルで濡れた短い髪が気に入らない。

 だらしのない口元が気にいらない――。

「行くな」

 自分でも驚くくらい低い声が唇から滑り出た。

「自分を安売りするような真似はやめろよ!」

 握っていた拳を開いて、成瀬さんの細い手首を取った。驚いて目を丸くした成瀬さんを強引に引き寄せる。この男に彼女を渡してはならないと寿々子さんが言っているような気がしたのだ。

「おい、おっさん。JKに手を出すなんて大人として恥ずかしくねえのかよ?」

「これは彼女と俺の間で成立したビジネスなんだ。君みたいな社会に出たこともないガキに口を挟まれたくないな」

 男が成瀬さんの逆の腕を掴んだ。

 ふと大岡裁きの「子争い」を思い出す。ひとりの子供をめぐって、母親と名乗る二人の女が、子供の片腕ずつを引っ張り合う話だ。最終的に痛みに涙を流す子供から手を離した女に親権が与えられたのだが、オレが成瀬さんから腕を離したところで、彼女を助け出せるとは思えなかったし、ましてや彼氏の権利を得られるはずもなかったから、オレは力の限り叫ぶことにした。

「誰か、助けてください。女子高生を連れ去ろうとしている人がいます!」

 周囲の裁きの目が一斉に男へ向くと、男は慌てた様子でこの場を去った。

「もう、大丈夫だよ」

 成瀬さんを守り切った達成感と安堵感がじんわりと胸に広がり、筋肉の強張りがほどけかけたとき、




 パァン!!!!




 銃声が響き渡ったのかと思った。

 しかし、成瀬さんに頬を張られた音だと気がついたときには、彼女の瞳は怒りに満ちていた。

「何が『もう大丈夫だよ』よ。私を救ったつもりかもしれないけど、独りよがりの偽善者ね。これじゃあ、お金にならないじゃない!」

 オレの時間だけが止まってしまったかのようだった。

 男のあとを追いかける成瀬さんを止めたくても、予想外の展開に脳は思考を急停止し、足の裏は地面に貼り付いてしまったかのように動かなかった。

 成瀬さんの身を案じ、よかれと思ってしたことが、却って裏目に出てしまい、怖気づいたのだ。

 そして、同時に批難の気持ちも湧き起こっていた。

 オレが独りよがりの偽善者ならば、彼女は自分を正当化して、協調的な偽悪者とでも言いたかったのだろうか。

 それは他人の財布に手をつけ、無関係の友人Aや平沢を巻き込んだ成瀬さんに相応しい言葉ではないように思えた。

 義賊のつもりか。ネズミ小僧じゃあるまいし。

「殴る必要ないよな?」

 真之助に同意を求めてみたが、彼の姿はどこにもなく、単なる独り言になってしまった。

 辺りを見回した。色とりどりの菖蒲の花が揺れるばかりだ。

 寿々子さんと決着をつけると言っていたが、どこへ行ってしまったのだろうか。

「このタイミングで失恋は冗談キツイぜ。せめて友達と紹介して欲しかったな。てか、弟じゃねえし」

 ひときわ強い風が吹いた。

 恋心もどこかへ吹き飛んでしまえばいいのに。

 左頬がジンジンと痛い。
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