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第3章 守護霊界の掟
第7話 ナイフの芦屋
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【真視点】
五時限目の体育はバスケットボールだった。パスやカット、シュートの練習が一通り終わったあと、チーム戦が行われた。
体育館を半分に区切ったネットの向こうでは女子も授業を受けているため、ほとんどの男子は恰好つけることに躍起になっている。
恥ずかしながら、オレもそのひとりで、成瀬さんに注目されたいばかりに、「ヘイヘイ!」と掛け声だけは積極的だ。
というのも、プレーの方は掛け声のレベルより遥かに劣っているからだった。
オレがボールに触れれば、チームは負ける。
そう断言できるほどバスケットボールは苦手だったから、チームを敗北へ導かないためにも、ボールに触らずにすむポジションを狙って走るドッジボールのようなオリジナル競技をひとり開催しているのだ。
「崎山!」
運悪く同じチームの坂本が敵の隙をついてボールをパスしてきたから、オレの焦りは一瞬で最高潮に達した。
重圧に耐えかね、危うく真之助にパスを出しそうになったが、そこは何とか思いとどまった。
ふと成瀬さんを一瞥すると、心配そうにオレを見つめている。
このままでは、男が廃る。
そう思い直し、腹は決まった。
「おおおおおお!」
奇跡よ起これ!
念じながら咆哮すると、一瞬だけ世界から人も音も何もかもが消え去った。
今ここにはゴールを目指すオレと、両手を組み合わせ、勝利を祈る成瀬さんだけが存在している。
シュートが決まれば、二人は結ばれ、恋人同士になるのだ。
そんな風にのぼせ上がるほどの確かな手ごたえを感じつつ、今度こそボールをしっかり両手で持ち直し、走った。走った。走った――。
体育教師の長いホイッスル。
「崎山、反則」
「え?」
「トラベリング。ラグビーじゃねえんだ」
体育教師の苦虫を噛み潰したような顔を受けて、みんなが笑った。
※ ※ ※
試合終了後、体育館の隅っこで膝を抱えていると、肩を叩かれた。
「お疲れ」
この試合の功績者になった坂本だ。
試合はオレの失態を上回る坂本の大活躍で圧勝。しなやかで力強い筋肉が伸びて縮んで弾んでボールをゴールへシュートした。今でこそ同じ帰宅部だが、中学時代はバスケ部の部長を務め県大会へ出場した経歴を持つ坂本の実力を思う存分発揮したと言っていい。
坂本は嫌みのない労いの言葉を投げ掛けると颯爽と立ち去った。
生まれつき優秀な顔立ちと快活で優等生らしい坂本の立ち振る舞いが何だか羨ましい。
「人は生まれながらにして不平等だと思わないか?」
唐突な問いかけに、真之助は訳が分からないと言った顔で首を傾けた。
「どうして?」
「気配り上手で、そつがない。勉強もスポーツも器用にこなす。さらに整った容姿。坂本みたいに生まれたかった」
「まさか、さっきのラグビーを気にしてるの? 別に気にすることないじゃないか、みんなを笑顔にしたんだから。成瀬さんだって笑っていたよ」
「そこが大問題なんだよ」
バスケットコートでは新しい試合が始まろうとしていた。友人Aや平沢がボールを睨み、腰を屈めて待機している。しかし、オレの視線は自然とその向こう、ネット越しの女子の試合に向いた。成瀬さんが懸命にボールを追っている。
真之助は寿々子さんへの協力に渋い顔をしているが、オレはどんなことがあっても成瀬さんを守りたい。
オレは元凶を引き寄せる運命期、一方の成瀬さんは不成仏霊のトーカー行為によって、命を脅かされている、らしい。危機に瀕しているという意味では同じ立場にあるのだから、お互いに助け合うことはできないだろうか。
例えば、成瀬さんに寿々子さんの存在を知らせたらどうだろう。
『不成仏霊のストーカに狙われているから、守護霊と協力して危機を乗り越えてみないかい?』
そんなことを話したら、きっと頭がおかしいか、もしくは新興宗教の勧誘だと勘違いされて、二度と目を合わせてもらえないだろう。
「考えていることが顔に出ているよ。随分とご執心だ。こっちは熱にあてられて暑い暑い」
真之助は袖の袂から取り出した鉄扇を広げて、わざとらしく風を起こした。オレの思考の全てを見抜いている。そんな顔が何だか悔しくて、
「オレが見ているのは寿々子さんの方」と咄嗟に嘘を吐き、話をそらす。
「寿々子さんはどうしてあんな恰好しているんだと思う?」
「あんな恰好って、島田髷にセーラー服のこと?」
「シッ。声がでかいって。変な恰好とか失礼だろうが」
「失礼なのは真の方だと思うけど」
成り行きとはいえ、寿々子さんのよく言えば一部のマニアに喜ばれそうな個性的な恰好に話題は移る。
「幽霊の服装は生者とだいたい同じで、着たい服を着ているんだよ。生前、思い入れのある服を好んで着ている人もいれば、寿々子さんのように時代の変遷と共に流行を取り入れた服装へ流れる人もいる」
「じゃあ、寿々子さんは梅見原高校の制服が着たいから着ているってことなんだろ? JKに憧れているってこと? なあ、寿々子さんって何歳くらいだと思う? 甘い恋がしたいって言ってたけど、お見合い結婚だったってことなのかな?」
「寿々子さんは百八十から二百五十歳くらいで、ついでに未婚」
はっきりと断言する真之助にオレは疑いの眼差しを向けた。オレの知っている限り、真之助が寿々子さんにプライベートな質問をぶつけたことはない。すなわち、この情報は嘘だ。真之助は平気で嘘を吐く。何度となく騙されてきたオレが言うのだから間違いない。
「何その視線。心外だなあ」
真之助は疑惑を払い除けるようにパタパタと鉄扇を動かし続けた。
「幽霊は服装を変えられても、体型体格、髪型は生前の特徴が強く現れるものなんだ。だから、寿々子さんの髪飾りからある程度時代や身分が推測できるんだよ」
説明によれば、江戸時代も初期と中期、後期とでは、櫛や簪の流行が異なるらしく、特に櫛は真之助の生きていた時代にはあまり見ない横長のデザインなのだそうだ。
「それに櫛と簪には花をモチーフにした螺鈿や蒔絵が施してあるから、かなり上流家庭のお嬢さんだね。未婚だと言ったのは、彼女の結っている島田髷が未婚の女性に多い髪型だからだよ」
それから、真之助は芝居じみた仕草でガッツポーズを作った。
「真が寿々ちゃんに恋をしているなんて驚いたけれど、現代では身分や年齢差はあまり障害にならないから、頑張れば脈はあるはずだよ。ファイト!」
「ファイトじゃねえよ! それに寿々子さんは幽霊だろ」
オレはムキになって、「年上好きはあいつの方」と友人Aを顎で指した。
バスケットコートの中、友人Aは聳え立つ巨大な壁のように立ちふさがっている。彼の長身とガッチリとした体躯に圧倒されて、対戦チームは巨人に睨まれた小人のようにすでに戦意喪失しているのが伺えた。
今ボールを持っているのは友人Aのチームメイトだ。オフェンス、つまり攻める側にある彼は対戦チームのディフェンスを振り切った。
その先には友人Aが待っている。
パスを回せば、確実にゴールが決まる――ものだと思った。
けれど、チームメイトはボールを譲らなかった。独走し、突き進み、自らシュートを放ち、ゴールを外した。彼は悔しそうに拳を振り下げた。
そんなことが一度だけではなく、他のチームメイトがボールを持ったときにも起こった。
友人Aがノーマークだろうが、パスを受けるために躍り出ようが、チームメイトたちは味方であるはずの友人Aにボールを一度も渡さぬまま、試合が終盤を迎えたとき、対戦チームの平沢が友人Aのディフェンスを振り切れず、バランスを崩して転んでしまった。
「芦屋に保健室へ連れて行ってもらえ」
足を引きずるようにして歩く平沢に、体育教師は言った。
平沢は「付き添いなんて必要ないです」と全力で辞退したが、結局は半べそをかきながら、友人Aに付き添われて、保健室へ消えた。
「今の試合、友人Aを無視していたよな?」
真之助に同意を求めたところ、数人の男子生徒が一塊になって話している内容が耳に届いた。
「ナイフの芦屋」
昨日、上野をぶん殴った友人Aを、真之助がそんな名称で呼んでいたのを思い出し、オレは男子生徒の一人の肩を掴んだ。
「おい。何だよ、そのナイフの芦屋って」
男子生徒は教師に注意を受けたのかと思ったらしく一瞬目を丸くしたが、相手がオレだとわかると安堵し、息を吐いた。
「知らないのか。あの人、目つきが鋭くてナイフみたいだから、ナイフの芦屋って呼ばれているんだ」
「友人Aが?」
「友人Aって呼ぶのはよせよ、ガチで殺されるぞ。ヤバい不良グループと繋がっているから、警察に目をつけられているって専らの噂だぜ」
「そんなのデマだろ」
「デマじゃねえよ。酒、タバコ、クスリに万引き、恐喝、そればかりじゃない、暴力事件を起こして一度は退学になったんだけど、親か何かのコネであっさり取り止めになって留年処分で戻ってきたんだよ」
「留年処分?」
「そ。だから一年センパイ。とっとと卒業してくれていたら、平和だったのにさ。お前、何にも知らなかったの?」
『オレにあだ名をつけてくれよ』
始業式早々、隣の席同士になったばかりで無茶なお願いをされたことを思い出す。
「オレ、崎山真。あんた、名前なんていうの?」
高校生活も三年目に入ると言葉を交わしたことがなくても学年のほとんどの顔を案外覚えてしまうものだった。しかし、隣に座るタレ目の少年には全く見覚えがなく、転校生かと思い、声をかけたのだ。
「オレに訊いてんのかよ?」
「他に誰がいるんだよ。転校生だろ?」
「ちげーよ。エーイチ、芦屋瑛市」
「よろしく」
「……ふん」
タレ目は不機嫌そうに応えた。無愛想なやつが隣になったもんだなあ、まあいいか。
オレは連日連夜のゲーム三昧により睡眠不足で一秒でも早く仮眠したかった。机の上を整え、いざ眠りの世界へ出発だ。と顔を伏せようとしたとき、タレ目が頬を赤らめ照れ臭そうに「オレにあだ名をつけてくれよ」と両手を合わせて頭を下げたのだ。目に見えない尻尾をブンブン振って。
面倒くさいやつが隣になったもんだ。
オレは本当に適当に、多頭飼育崩壊の飼い主くらい無責任にあだ名をつけた。
それなのに友人Aときたら、「イケメンだね」と褒められたかのように嬉しげに笑ったのだ。
「ナイフの芦屋……」
口に出して呟いてみる。実感のない軽い響きが鼓膜を上滑りしていくようだった。
昨日、上野や取り巻きたちが友人Aの姿を見た途端、尻尾を巻いて逃げ去ったのは、「ナイフの芦屋」だから。
『彼は強い、いつも負け知らずだ。なんて言ったって「ナイフの芦屋」なんだからね。学校で居眠りばかりしているから、何にも知らないんだよ』
真之助や他校の生徒でも知っていることをオレは何も知らなかった。
同じクラスで一番近い距離にいるのにオレは何も――。
「カモにされないように気をつけろよ」
男子生徒が忠告した。
その後、平沢がひとり保健室から戻ってきた。なぜか一緒だったはずの友人Aの姿はなく、授業も終わりに近づいた頃になって、ようやくのっそりと現れた。体育教師の大目玉を食らった友人Aは「トイレに行っていた」と言った。
そして、授業終了後、三年一組の教室へ帰ったオレたちは愕然とすることになる。
再び、盗難事件が起こってしまったのだ。
五時限目の体育はバスケットボールだった。パスやカット、シュートの練習が一通り終わったあと、チーム戦が行われた。
体育館を半分に区切ったネットの向こうでは女子も授業を受けているため、ほとんどの男子は恰好つけることに躍起になっている。
恥ずかしながら、オレもそのひとりで、成瀬さんに注目されたいばかりに、「ヘイヘイ!」と掛け声だけは積極的だ。
というのも、プレーの方は掛け声のレベルより遥かに劣っているからだった。
オレがボールに触れれば、チームは負ける。
そう断言できるほどバスケットボールは苦手だったから、チームを敗北へ導かないためにも、ボールに触らずにすむポジションを狙って走るドッジボールのようなオリジナル競技をひとり開催しているのだ。
「崎山!」
運悪く同じチームの坂本が敵の隙をついてボールをパスしてきたから、オレの焦りは一瞬で最高潮に達した。
重圧に耐えかね、危うく真之助にパスを出しそうになったが、そこは何とか思いとどまった。
ふと成瀬さんを一瞥すると、心配そうにオレを見つめている。
このままでは、男が廃る。
そう思い直し、腹は決まった。
「おおおおおお!」
奇跡よ起これ!
念じながら咆哮すると、一瞬だけ世界から人も音も何もかもが消え去った。
今ここにはゴールを目指すオレと、両手を組み合わせ、勝利を祈る成瀬さんだけが存在している。
シュートが決まれば、二人は結ばれ、恋人同士になるのだ。
そんな風にのぼせ上がるほどの確かな手ごたえを感じつつ、今度こそボールをしっかり両手で持ち直し、走った。走った。走った――。
体育教師の長いホイッスル。
「崎山、反則」
「え?」
「トラベリング。ラグビーじゃねえんだ」
体育教師の苦虫を噛み潰したような顔を受けて、みんなが笑った。
※ ※ ※
試合終了後、体育館の隅っこで膝を抱えていると、肩を叩かれた。
「お疲れ」
この試合の功績者になった坂本だ。
試合はオレの失態を上回る坂本の大活躍で圧勝。しなやかで力強い筋肉が伸びて縮んで弾んでボールをゴールへシュートした。今でこそ同じ帰宅部だが、中学時代はバスケ部の部長を務め県大会へ出場した経歴を持つ坂本の実力を思う存分発揮したと言っていい。
坂本は嫌みのない労いの言葉を投げ掛けると颯爽と立ち去った。
生まれつき優秀な顔立ちと快活で優等生らしい坂本の立ち振る舞いが何だか羨ましい。
「人は生まれながらにして不平等だと思わないか?」
唐突な問いかけに、真之助は訳が分からないと言った顔で首を傾けた。
「どうして?」
「気配り上手で、そつがない。勉強もスポーツも器用にこなす。さらに整った容姿。坂本みたいに生まれたかった」
「まさか、さっきのラグビーを気にしてるの? 別に気にすることないじゃないか、みんなを笑顔にしたんだから。成瀬さんだって笑っていたよ」
「そこが大問題なんだよ」
バスケットコートでは新しい試合が始まろうとしていた。友人Aや平沢がボールを睨み、腰を屈めて待機している。しかし、オレの視線は自然とその向こう、ネット越しの女子の試合に向いた。成瀬さんが懸命にボールを追っている。
真之助は寿々子さんへの協力に渋い顔をしているが、オレはどんなことがあっても成瀬さんを守りたい。
オレは元凶を引き寄せる運命期、一方の成瀬さんは不成仏霊のトーカー行為によって、命を脅かされている、らしい。危機に瀕しているという意味では同じ立場にあるのだから、お互いに助け合うことはできないだろうか。
例えば、成瀬さんに寿々子さんの存在を知らせたらどうだろう。
『不成仏霊のストーカに狙われているから、守護霊と協力して危機を乗り越えてみないかい?』
そんなことを話したら、きっと頭がおかしいか、もしくは新興宗教の勧誘だと勘違いされて、二度と目を合わせてもらえないだろう。
「考えていることが顔に出ているよ。随分とご執心だ。こっちは熱にあてられて暑い暑い」
真之助は袖の袂から取り出した鉄扇を広げて、わざとらしく風を起こした。オレの思考の全てを見抜いている。そんな顔が何だか悔しくて、
「オレが見ているのは寿々子さんの方」と咄嗟に嘘を吐き、話をそらす。
「寿々子さんはどうしてあんな恰好しているんだと思う?」
「あんな恰好って、島田髷にセーラー服のこと?」
「シッ。声がでかいって。変な恰好とか失礼だろうが」
「失礼なのは真の方だと思うけど」
成り行きとはいえ、寿々子さんのよく言えば一部のマニアに喜ばれそうな個性的な恰好に話題は移る。
「幽霊の服装は生者とだいたい同じで、着たい服を着ているんだよ。生前、思い入れのある服を好んで着ている人もいれば、寿々子さんのように時代の変遷と共に流行を取り入れた服装へ流れる人もいる」
「じゃあ、寿々子さんは梅見原高校の制服が着たいから着ているってことなんだろ? JKに憧れているってこと? なあ、寿々子さんって何歳くらいだと思う? 甘い恋がしたいって言ってたけど、お見合い結婚だったってことなのかな?」
「寿々子さんは百八十から二百五十歳くらいで、ついでに未婚」
はっきりと断言する真之助にオレは疑いの眼差しを向けた。オレの知っている限り、真之助が寿々子さんにプライベートな質問をぶつけたことはない。すなわち、この情報は嘘だ。真之助は平気で嘘を吐く。何度となく騙されてきたオレが言うのだから間違いない。
「何その視線。心外だなあ」
真之助は疑惑を払い除けるようにパタパタと鉄扇を動かし続けた。
「幽霊は服装を変えられても、体型体格、髪型は生前の特徴が強く現れるものなんだ。だから、寿々子さんの髪飾りからある程度時代や身分が推測できるんだよ」
説明によれば、江戸時代も初期と中期、後期とでは、櫛や簪の流行が異なるらしく、特に櫛は真之助の生きていた時代にはあまり見ない横長のデザインなのだそうだ。
「それに櫛と簪には花をモチーフにした螺鈿や蒔絵が施してあるから、かなり上流家庭のお嬢さんだね。未婚だと言ったのは、彼女の結っている島田髷が未婚の女性に多い髪型だからだよ」
それから、真之助は芝居じみた仕草でガッツポーズを作った。
「真が寿々ちゃんに恋をしているなんて驚いたけれど、現代では身分や年齢差はあまり障害にならないから、頑張れば脈はあるはずだよ。ファイト!」
「ファイトじゃねえよ! それに寿々子さんは幽霊だろ」
オレはムキになって、「年上好きはあいつの方」と友人Aを顎で指した。
バスケットコートの中、友人Aは聳え立つ巨大な壁のように立ちふさがっている。彼の長身とガッチリとした体躯に圧倒されて、対戦チームは巨人に睨まれた小人のようにすでに戦意喪失しているのが伺えた。
今ボールを持っているのは友人Aのチームメイトだ。オフェンス、つまり攻める側にある彼は対戦チームのディフェンスを振り切った。
その先には友人Aが待っている。
パスを回せば、確実にゴールが決まる――ものだと思った。
けれど、チームメイトはボールを譲らなかった。独走し、突き進み、自らシュートを放ち、ゴールを外した。彼は悔しそうに拳を振り下げた。
そんなことが一度だけではなく、他のチームメイトがボールを持ったときにも起こった。
友人Aがノーマークだろうが、パスを受けるために躍り出ようが、チームメイトたちは味方であるはずの友人Aにボールを一度も渡さぬまま、試合が終盤を迎えたとき、対戦チームの平沢が友人Aのディフェンスを振り切れず、バランスを崩して転んでしまった。
「芦屋に保健室へ連れて行ってもらえ」
足を引きずるようにして歩く平沢に、体育教師は言った。
平沢は「付き添いなんて必要ないです」と全力で辞退したが、結局は半べそをかきながら、友人Aに付き添われて、保健室へ消えた。
「今の試合、友人Aを無視していたよな?」
真之助に同意を求めたところ、数人の男子生徒が一塊になって話している内容が耳に届いた。
「ナイフの芦屋」
昨日、上野をぶん殴った友人Aを、真之助がそんな名称で呼んでいたのを思い出し、オレは男子生徒の一人の肩を掴んだ。
「おい。何だよ、そのナイフの芦屋って」
男子生徒は教師に注意を受けたのかと思ったらしく一瞬目を丸くしたが、相手がオレだとわかると安堵し、息を吐いた。
「知らないのか。あの人、目つきが鋭くてナイフみたいだから、ナイフの芦屋って呼ばれているんだ」
「友人Aが?」
「友人Aって呼ぶのはよせよ、ガチで殺されるぞ。ヤバい不良グループと繋がっているから、警察に目をつけられているって専らの噂だぜ」
「そんなのデマだろ」
「デマじゃねえよ。酒、タバコ、クスリに万引き、恐喝、そればかりじゃない、暴力事件を起こして一度は退学になったんだけど、親か何かのコネであっさり取り止めになって留年処分で戻ってきたんだよ」
「留年処分?」
「そ。だから一年センパイ。とっとと卒業してくれていたら、平和だったのにさ。お前、何にも知らなかったの?」
『オレにあだ名をつけてくれよ』
始業式早々、隣の席同士になったばかりで無茶なお願いをされたことを思い出す。
「オレ、崎山真。あんた、名前なんていうの?」
高校生活も三年目に入ると言葉を交わしたことがなくても学年のほとんどの顔を案外覚えてしまうものだった。しかし、隣に座るタレ目の少年には全く見覚えがなく、転校生かと思い、声をかけたのだ。
「オレに訊いてんのかよ?」
「他に誰がいるんだよ。転校生だろ?」
「ちげーよ。エーイチ、芦屋瑛市」
「よろしく」
「……ふん」
タレ目は不機嫌そうに応えた。無愛想なやつが隣になったもんだなあ、まあいいか。
オレは連日連夜のゲーム三昧により睡眠不足で一秒でも早く仮眠したかった。机の上を整え、いざ眠りの世界へ出発だ。と顔を伏せようとしたとき、タレ目が頬を赤らめ照れ臭そうに「オレにあだ名をつけてくれよ」と両手を合わせて頭を下げたのだ。目に見えない尻尾をブンブン振って。
面倒くさいやつが隣になったもんだ。
オレは本当に適当に、多頭飼育崩壊の飼い主くらい無責任にあだ名をつけた。
それなのに友人Aときたら、「イケメンだね」と褒められたかのように嬉しげに笑ったのだ。
「ナイフの芦屋……」
口に出して呟いてみる。実感のない軽い響きが鼓膜を上滑りしていくようだった。
昨日、上野や取り巻きたちが友人Aの姿を見た途端、尻尾を巻いて逃げ去ったのは、「ナイフの芦屋」だから。
『彼は強い、いつも負け知らずだ。なんて言ったって「ナイフの芦屋」なんだからね。学校で居眠りばかりしているから、何にも知らないんだよ』
真之助や他校の生徒でも知っていることをオレは何も知らなかった。
同じクラスで一番近い距離にいるのにオレは何も――。
「カモにされないように気をつけろよ」
男子生徒が忠告した。
その後、平沢がひとり保健室から戻ってきた。なぜか一緒だったはずの友人Aの姿はなく、授業も終わりに近づいた頃になって、ようやくのっそりと現れた。体育教師の大目玉を食らった友人Aは「トイレに行っていた」と言った。
そして、授業終了後、三年一組の教室へ帰ったオレたちは愕然とすることになる。
再び、盗難事件が起こってしまったのだ。
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