事あるときは幽霊の足をいただく!

北大路 夜明

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第2章 守護霊を解放せよ

第11話 君はラッキーボーイ

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 信号が黄色から赤色に変わり、覆面パトカーは滑らかに停車した。

 もうひとつ先の信号を右折し、しばらく走れば、聖子先生のアパートだ。
 
「もう飽きちゃった。真、今すぐ車を降りよう」

 また、怨霊男の気まぐれが始まった。

 一度は聞こえないふりを決め込んだオレだが、「降りないと呪い殺しちゃうからね」と怨霊男は脅迫めいた言葉とは似つかわしくない爽やかな物言いで、勝手にシートベルトの解除ボタンを押してしまった。

 これまでの経験上、抵抗しようと試みたところで、怨霊男に何を言っても自分の意見が通るわけもなかったから、強引に背中を押されるまま、オレは慌てて口走った。
 
「すみません、ここで降ります。歩いて帰ります」

 車外は風が強くなっていた。

 先ほどまで気持ちよさそうに揺らいでいた歩道脇の桜が、わずか五分ほどで歌舞伎の連獅子《れんじし》のように雄々しく枝を振り乱している。

「さあ、ゲームを始めようか。ルールは簡単、十秒であそこの広場まで走っていくこと。よーい、スタート。十、九」 

 覆面パトカーの後方を指差して、怨霊男のカウントダウンが何の脈絡も無く開始された。
 
 一体、何のゲームに強制参加させられているのか全く検討もつかないが、趣味のいいゲームではないことだけは安易に想像がつく。

「八」
 
 カウントダウンの間隔が短ければ短いほど強迫観念が色濃く出るもので、できる限り時間を順守しようとするのが人の性《さが》だ。苛立ちを募らせながらも、従順な自分自身に辟易《へきえき》する。

「送ってくださってありがとうございました。それじゃあ、さようなら」

 オレは弾き飛ばされたボーリングのピンの勢いで覆面パトカーを飛び降りた。

「崎山君!」

「七、六」

 聖子先生の声が背中にかかったが、怨霊男は馬にムチ打つ勢いで、オレを急かすから振り返る余裕もない。オレは馬か、とツッコミたくなる。

「五。ダッシュだ、もっと遠くへ」

「どうして今来た道を戻らなきゃならないんだよ!」

「四。黙って走って。ルール追加、負けた人は勝った人の言うことを何でも聞くこと」

「卑怯だぞ」

 くだらないゲームに負けてしまっては、どんな無理な要求を呑まされるのかわかったものじゃない。

 よからぬ未来が脳内を掠《かす》めたが、すぐに考えを打ち消した。

 勝てばいいのだ!

 このゲームに勝ち、ルールに則《のっと》って、オレの望みをきいてもらおうじゃないか。

 オレの願いはただひとつ。怨霊男の成仏だ。怨霊男が無事に成仏してくれれば、安穏な日常が戻ってくる。

 浮き足立つ心を抑えられず、オレはニヤリとほくそ笑んだ。
 
 しかし、飛ぶように前を走る怨霊男に追いつく気配がない。まさに馬の尻尾のように揺れるサムライのポニーテールが、オレを小馬鹿にしているように見えるのは被害妄想だろうか。
 
「三、二」
 
 無情にもカウントダウンは続く。

「どっちかと言うと、あんたの方が馬なんだからな!」

 毎日の遅刻で鍛え上げた脚力をなめるなよと奥歯を噛み締めた。

「一」
 
 音――。
 
 ゼロのタイミングで音がした。
 
 何百、何千、何万と幾重にも重ねたを紙を引き裂くような音だ。そのわずか数秒後に硬いものがぶつかり合う衝突音が耳に届いた。

 近い。振り返る。声を失った。
 
 倒れた桜の古木。
 
 露わになった太い根っこ。
 
 信号待ちの覆面パトカー。
 
 倒木が覆い被さるように覆面パトカーを押し潰していた。
 
 聖子先生。
 
 三田村さん。
 
 安藤さん。
 
 先ほどまで、とりとめのない会話を交わしていた三人の顔が浮かび、炎を吹き消すようにふっと消えた。
 
「突風だ! 木が倒れて、車が潰されたぞ」
 
 集まってきた野次馬が口々に言った。

 青信号へ移り変わっても、覆面パトカーが発進することはなかった。

※※※

「聖子先生、三田村さん、安藤さん!」
 
「崎山君、私なら無事よ」
 
 駆け出そうとしたとき、聖子先生に呼び止められた。どうやら、後を追ってきていたようだ。膝に手を当て、息せき切っている。
 
「足、早いのね……」
 
「毎朝、鍛えてますから」

「刑事さんは大丈夫かしら」

「急ぎましょう」
 
 オレたちはジャングルの茂みをかき分けるようにして、無我夢中で野次馬の中に体を滑り込ませた。その間、心臓がハードロックさながらのバスドラムを鳴らし続ける。
 
 覆面パトカーが忽然《こつぜん》と目の前に現れ、ようやく息をついた。
 
 車外に三田村さんと安藤さんの姿があったからだ。
 
 二人とも無事な様子で、安藤さんは耳にスマートフォンを当てながら、こんな状況だというのに顔色ひとつ変えず、淡々と状況を報告している。
 
 三田村さんはオレたちに気がつくと手にした発炎筒をアイドルコンサートのペンライトのようにブンブンと振った。
 
「二人とも無事でよかったよ!」

 安堵したのか大きく肩の位置を下げた三田村さんは興奮ぎみに喋る。

「真君が車を降りてから黒川さんが追いかけていっただろ、そのあとすぐにズドーンだよ。古い街路樹だから、弱っていたんだろうね。近頃は異常気象の影響で、竜巻や突風といった自然災害が増えているとは聞いていたけれど、まさかこんな身近で起こるなんて夢にも思わなかったよ。自然界は厳しいね」
 
「三田村さんたちも無事でよかったです」
 
「この通りピンピンしているよ。これから始末書を書かなきゃならないと思うとげんなりするけれど」
 
「そうそう」と発炎筒を車道に設置した三田村さんがオレの目をのぞき込むようにして言った。
 
「真君ってさ、第六感が鋭い系なの?」
 
「どういうことですか?」
 
 質問の意図がわからず、赤い炎に照らされる三田村さんの顔を見返した。

 三田村さんは顎で覆面パトカーの方を指す。
 
「九死に一生を得るとはまさにこのことだろうね」
 
 老朽化した街路樹は根っこからなぎ倒されて、車線を完全に封鎖している。
 
 オレは辺りに飛散した枯れ枝を踏みしめながら、街路樹の下敷きになっている覆面パトカーに歩み寄った。
 
 立ち竦むオレの隣に三田村さんが並ぶ。 
 
「街路樹が直撃したところって、後部座席の左側だけなんだよ。つまり、真君が座っていた場所だ。もし、あのまま、キミが乗っていたとしたら、大怪我どころではすまなかったかもしれない」
 
 覆面パトカーは後部座席左側からトランクにかけ、古木によって見事に潰されていた。狙った人物を暗殺するヒットマンのような正確さに、肌が粟《あわ》立った。
 
 つまり、この場で命を落とした可能性があったのはオレただひとりであって、聖子先生、三田村さん、安藤さんの三人が無傷ですむことは必然的な結果だったのだ。
 
「キミはラッキーボーイだよ」
 
 チームメイトのプレイを称賛するスポーツ選手のような軽い動作で、三田村さんに肩を叩かれたが、点滅するハザードランプの気忙しさに恐怖心を煽《あお》られ、返す言葉も見つからなかった。
 
 三田村さんは「やっぱりこれって始末書を書かなきゃならないのかな」とぼやきを残して、事故処理の作業に戻っていった。
  
 キミはラッキーボーイだよ――。
 
 真は強運を持ち合わせてなんていないわ――。
 
 ばあちゃんの声が甦る。
 
 昨日、目の前で消えた記憶の笹舟が深い水中から再び浮上した。

 笹舟は強い光に照らされ、はっきりと輪郭を帯びた。

 全ての謎がとけた瞬間だった。
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