事あるときは幽霊の足をいただく!

北大路 夜明

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第2章 守護霊を解放せよ

第7話 貧乏神、現る

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「オレは中学生じゃないんですよ!」

 ここは桜並木警察署の生活安全課少年係。オレは決死の覚悟を持って抵抗している最中だ。

 喚きながら身をよじるが、両脇は屈強な制服警官によって結束バンドよりもガッチリと強く固められ、かの有名な捕らえられた宇宙人のような構図になっている。

「崎山君と言ったね。君は無事に保護されたんだから、安心していいんだよ」 

 目の前には藤木と名乗った私服の担当刑事が、一見、公務員らしからぬ、人当たりがよく穏やかな視線を送ってくるが、相手は百戦錬磨の少年係の刑事だ、一筋縄でいくはずもない。
 
「でも、嘘をつくとお家に帰れなくなる」
 
 そう切り札をチラつかせられれば、例え、後ろ暗いところがなくても、居心地の悪さは言うまでもない。
 
 さらに藤木さんの瞳にはオレの心の裏側まで見通すほどの眩しい正義の光が見え隠れしているのだ。
 
 これではまるで、閻魔《えんま》大王に生前の罪を裁かれている死者の気分だ。
 
 今までついた小さな嘘までも根こそぎ拾い上げられてしまいそうで、妙な脅迫感に襲われる。

「中学生が高校生に暴力を振るわれていると通報があったんだよ。さあ、何があったのか、本当のことを話してごらん」
 
「だーかーらー、何度も言うけど、オレは高校生なんだって!」

 苛立ちを抱えた悔しさが募り、オレはついに悲鳴を上げた。脳裏にはわずか二十分前の光景が甦っていた。

 オレが上野に絡まれている現場を目撃した通りすがりの親切な女性が、「中学生が高校生にリンチされている」と警察に通報し、ちょうど近くを警邏していたパトカーが駆けつけた。

 しかし、パトカーが到着したときには上野と取り巻きたちが逃走したあとだったから、助けに入った友人Aが運悪く加害者の高校生だと勘違いされてしまったのだ。

 リンチする側の役者が代わっても、被害者の中学生がオレで続投決定なのが気に入らないが、そう不満も言っていられなかった。

 制服警官が近づいてきたのを見て、一足早く「逃げるぞ」と叫んだ友人Aの声に背中を押されたとき、怨霊男に肩を掴まれたのだ。

「男だったら負けるとわかっていても戦わなきゃならないときがあるんだよ」

 オレの台詞をまねて、相好《そうごう》を崩す。

「バカ、TPOを考えろよ」

「てぃーぴーおー? 『突然、ポリスに、追われる』?」

「どこからTPO作文を作る余裕が出てくるんだよ。さては知っているんだろ、その顔は知っているんだな、絶対に知っている顔だな」

「ぜーんぜん、何のことなのか知らないったら。『短気、プリプリ、男の子』」

「誰が短気プリプリ男の子だ、オレを怒らせる原因はあんたが作ってるんだぞ。とぼけやがって、最初から空気読めっての!」

 怨霊男のお陰ですっかり逃げ遅れたオレは、ひとり職務質問を受けたあと、誤解を解くために状況の説明に回った。

「中学校時代の同級生に絡まれていたところを同じクラスの友人が助けてくれたんですよ」

「じゃあ、どうしてその友達は逃げたの?」

「それはお巡りさんが怖い顔でやって来たからじゃないですか」

 オレが必死になればなるほど、警察官は憐れみの視線を向けてきた。「君は脅されて、そう言わされているんだね、可哀想に」と訳知り顔で頷き、保護が必要だと判断したのか、「話は署に着いてから刑事さんに聞いてもらってね」とあれよあれよという間に少年係行きが決定してしまい、今に至る……。

「僕たちは崎山君を困らせたい訳じゃないんだ」
 
 そう前置きをした藤木さんは膝を折り曲げ、小さな子供にするように、わざわざオレに視線を合わせる。

「仮に崎山君が高校生だとしよう。君が高校生だという証拠を見せてもらえる?」

「証拠、ですか……」

 学生証は自室の勉強机の上で、山積みのマンガ本の奥深くに沈んでいるはずだし、教科書は明日まで学校で留守番させるつもりで置いてきてしまった。ということは、オレには身分を証明できるものが一切ない。外国で強盗に遭遇し、無一文になった人の気持ちが今なら誰よりも理解できる。
 
「証拠なら持っているじゃないか。真が着ている梅見原高校の制服」

 先ほどまでお祭り見物のように、「逮捕されちゃう、大変だ」とはしゃいでいた怨霊男だが、どういう風の吹き回しか、気の利いた助け船を出してくた。

「学ランの校章を見てくださいよ。ほら、梅見原高校の生徒である証明ですよね」

 怨霊男の助言で百人の力を得たような気分になり、オレは居直る勢いで梅見原高校の校章を指すが、藤木さんの正義の光がいよいよ目も当てられないほどに輝きを増した。
 
「その学生服自体、借り物だってことくらいお見通しだよ。崎山君が本当のことを話せないのは、暴力を振るった高校生が恐ろしくて口を開けないからだ。チクれば、仕返しが怖い、そうだね?」

 少年係の刑事たちは非行少年少女の道を正すため、太陽と北風のように、ときに優しく、ときに厳しく接しながら、心を寄り添うよう努め、未成年者を保護することも大切な仕事であることは理解できる。

 けれど、藤木さんの、可哀想なへ向ける労るような視線やおせっかいな優しさの特売セールにほとほと困り切ってしまった。

「身分を証明できなくてもオレは高校生なんだ。どうして信じてくれないんだよ!」 
 
 オレは自由を取り戻そうと捕らわれた腕を前後左右に振った。

 公務執行妨害で逮捕されるのが先か、藤木さんとデスマッチさながらの対決に決着がつくのが先か、二者選択を迫られたとき、

「あれぇ、キミ、崎山真君じゃないの?」

 一縷《いちる》の光が差し込んだ。救世主のように救いの手を差し伸べてきた男の声に振り返ると、オレは驚きのあまり動きを止めた。

「やっぱり、そうだ。崎山真君だ」 

 しわくちゃのスーツに、清潔感の欠片もないボサボサの髪、くっきりと目の下に浮かぶクマ、痩けた頬、無精髭《ぶしょうひげ》。

 貧乏神が現れたかと目を疑うほどだった。
 
「貧乏神ですか?」とオレが口を開くより早く、貧乏神は親しげに藤木さんを「フジ」と呼び、黄色い歯を見せた。

「その子、俺の知り合いなんだ、預からせてくれよ」

「知り合いと言われても、少年課で保護した少年を三田村に渡すことはできない」

「そう堅いことを言うなよ。代わりにとっておきの情報をやるからさあ」

「その手には乗らないぞ」

 きっぱりと断る藤木さんに三田村と呼ばれた貧乏神がニヤニヤしながら肩を組んで、耳打ちした。

「バディの安藤が昨日から復帰してきたんだ。お前とは同期のよしみで合コンをセッティングしてやってもいいんだけどなあ」

「安藤さんを?」

 藤木さんは言葉をつまらせ、わずかに逡巡したあと「勝手にしろ」とオレの背中をそっと押し出した。
 
 天秤は「安藤さんと合コン」の方へ傾き、取引は成立したようだ。安藤さんとの合コンが、どれほど価値のあるものなのか想像もつかないが、少年係の刑事の心をいとも簡単に動かす「安藤さん」はよっぽど魅力的な人物に違いない。先程までのやりとりは一体何だったのだろうと拍子抜けしてしまうほどの潔さだ。

「フジ、ついでに言うと真君は高校生だからな。よーく覚えておけよ」
 
 失礼な一言に反論したかったが、オレの脳みそのキャパシティでは三田村さんが何者で、初対面にもかかわらず知り合いのふりをする理由は何なのか、想像を巡らすだけで精一杯だった。

 制服警官は三田村に敬礼をして去っていく。

「ついておいでよ」
 
 秘密基地にでも案内するかのような嬉々とした三田村さんの背中に不信感とこれからの自分の処遇に不安が募るばかりだ。
 
 はっきりしているのは、ただひとつ。三田村さんが貧乏神ではないことだけ。

 白熱灯が気忙しく明滅する薄暗い階段を上り終えると、辿り着いた先には「刑事課」の看板をぶら下げた厳つい部屋があった。

 オレはただ事ではない展開に口をぽかんと開いて呆然とした。

 一体、何の事件の容疑者として疑われているのだろうか。

 刑事課は少年事件ではなく、主に凶悪事件を担当する課ではないか。

「驚かせて悪かったね。ああでも言わないと堅物のフジは解放してくれないからな。初めまして、俺は刑事課強行犯係の三田村直哉。実はキミに会わせたい人がいるんだ」

 三田村さんの手の平が促した先、刑事部屋の一番奥にある応接用ソファーには黒髪美女が腰を下ろしていた。

 メガネの奥に猫科の肉食動物を連想させる瞳。
 
 オレが知らないはずがない。
 
 そこに聖子先生の姿がある。
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