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第4話 黒幕現る 第一部 完
⑥ 弾劾
しおりを挟むエルミアがこの街へ来てから1日が過ぎた。
今は、早朝。
自らの執務室で、グレッグ司教は一人、笑みを浮かべていた。
頭に思い浮かべるは、昨日保護した聖女エルミア――ではなく。
彼女が連れてきた、一人の男である。
(――まさか、本当にあのお方だったとは)
報告を聞いたときは、まさかと思った。
噂で、最近は公務に姿を見せないと聞いてはいたが、まさか“王国”に居るとは考えていなかったのだ。
ましてや、それがあんな形で出会えることになるとは――!
(間違いなく、本人だ。
何度かお顔を拝見したこともある。
見間違えは無い)
司教という立場の関係上、グレッグは“帝国”に赴いたことがある。
その時、かの“将軍”の姿を何度かこの目で見たのだ。
3年前に終結した、“魔竜戦役”の英雄を。
これでも、観察眼や記憶力には自信がある。
他人の空似などということは決してない。
(――エルミアには、感謝せねばな)
彼女を蹴落とそうとしていたことは、グレッグにとって過去のものとなっていた。
やたらと自分に反抗してきたギリー司祭にも、もう恨みはない。
いや、よくぞあの女を見目麗しく育ててくれたと、感謝すらしている。
(なんなら、ギリー司祭のために盛大な葬儀を開いてもいい)
その程度のこと、いくらでもしてやろう。
何せ、“将軍”だ。
今や“帝国”の皇帝すら彼の行動に口出しできないという。
……流石にそれは尾ひれがついた話であろうが、絶大な権力・名声を欲しいがままにしているのは間違いが無かった。
(そして――あの2人は確実に好き合っている!)
エルミアは勿論、あのお方も互いへの好意が滲み出ていた。
彼らがどのような出会いをしたのか定かではないが、只ならぬ想いを抱いていることは簡単に見て取れる。
――しかし。
(いくら想い合っていようとも、エルミアは“王国”の聖女。
婚姻ともなれば、そう容易くはない)
そうなのだ。
聖女は、清廉であり、貞淑であることが求められている。
――どちらもあのエルミアとはかけ離れた性質であるが、世間はそう考えているのだ。
(あんなのが聖女として選ばれれば教会の威信に関わると思っていたのだがな。
外面だけは上手く取り繕いおって、あの女狐め。
――あの女の本性を見抜けなかった他の連中も愚かとしか言いようがない。
淫乱な罰当たり娘より、私のロアナの方が遥かに聖女として相応しかったというのに。
……まあ、過ぎたことか)
一瞬、過去の恨みつらみが浮かび上がるが、慌てて頭を振る。
全て、過ぎたことなのだ。
そんなわけであるからして、当然、聖女は色恋沙汰などご法度。
唯一認められているのは、“勇者との恋愛”だけだ。
“勇者の一団”と“四天王”との戦いが始まった時分より、勇者と聖女は結ばれるものとされていた。
実際、多くの勇者がその時の聖女と結婚している――それが、幸せだったかどうかは別として。
グレッグとしては下らない悪習だと思うのだが、教会の上層部も、民衆も、未だ過去のしきたりを踏襲したがっている。
(――だが、ご安心召され、ヴィル様。
私が必ずや貴方とエルミアを結び付けてみせましょう!)
悪習と呼称したが、実際、聖女への押し付けとも言える価値観を否定する人間は教会内にも一定数いる。
グレッグが、司教の権力を用いて、彼らの声を纏めれば――
彼らの愛を成就させるのは、難しいことではなかった。
(無論、相応のものは頂きますがな。
なに、愛の前ではちょっとばかりの権力など、塵芥のようなもの。
よもや“将軍”ほどの人物が惜しむことはありますまい)
自然、口元が緩んでしまう。
いや、下品な真似をするつもりはない。
かの人物は、大層義理堅い男としても知られていた。
普通に振る舞っていれば、十分な見返りを用意してくれるだろう。
(さらに、“将軍”を世話した人物にもなれるわけだ。
くくくくく、本人が意図しなかったとしても、周りは私のことを放っておかないでしょうなぁ。
絶大な信頼と栄誉を預けられることとなる)
そしてグレッグは、それらを“権力”と“金”に変換する術をよく心得ていた。
(うまく立ち回れば、大司教はおろか、次期教皇とて夢ではない!
素晴らしい、素晴らしいぞ、エルミア!
お前の淫猥具合はとても許せたものでないが、しかしよくやった!
よくぞ、あのお方を垂らし込んでくれた!!)
にやつきが抑えられない。
これからのことを考えれば考える程、笑いがこみ上げてくる。
(まったく、こうなると分かっていれば、聖女の後見人程度の名誉、お前にくれてやればよかったな、ギリーよ!
だが安心しろ、そちらもしっかり務め上げてやろう!)
“将軍”が“聖女”に懸想している以上、彼女を軽く扱うわけにはいかなかった。
しかし、それについても問題はない。
元々、彼は聖女の後見人となることを目論んでいたのだから。
後見の対象は、エルミアでなくロアナだったが。
(そこだけが、酷く残念だ)
心に水が差される。
ロアナを――あの、人形のように純朴な少女を聖女にしてやれなかったのは、グレッグの心残りである。
ましてや、時間が無かったとはいえ、彼女をギリー司教殺害の容疑者として仕立てねばならなかったなど。
(昨日の様子を見るに、エルミアは“理解”していたようだからな。
ロアナの極刑など、望むまい。
神官としての道は閉ざされるだろうが――なに、また私が拾い上げてやればいいだけのこと。
これからは、そうだな、私の世話役にでも任命してやるか)
そうなれば、前よりも一緒にいられる時間が増える。
考え方を変えれば、これはこれで良い結果とも捉えられた。
今まで以上に、愛をくれてやろう。
「……む?」
その時、グレッグの耳に人の声が入ってきた。
一人二人ではない、かなり多くの人数が喋る声だ。
「なんの騒ぎだ?」
不快を感じ、執務室を出る。
静かにするよう、言いつけてやらなければ。
(まったく、朝っぱらから。
今、この教会には“将軍”がおられるのだぞ?
あの方に不興を買われたらどうするつもりだ)
そんなことを考えながら。
グレッグ司教の考えは、大よそ的を得ていた。
ヴィルやエルミアの人となりやその関係を理解し、最適に近い段取りで彼らに歩み寄った。
ただ、唯一に近い誤算。
エルミアは――グレッグが不快な淫奔女とみなしていた彼女は。
本当に、心の底からギリー司教を深く慕っていたのだ。
聖堂には、多くの人々が詰め寄っていた。
教会の神官もいるし、市井の信者もいる。
皆、口々に何かを呟き、場は騒然としていた。
「お前達、何を騒いでいる!」
そこへ、グレッグ司教の大声が響く。
「ここをどこだと思っているのだ!?
神聖なる神の御前で、いったい何をたむろっておるか!!」
司教は騒めく人々を一喝するが、静まる気配はない。
代わりに――
「――グレッグ司教座下。
今、皆様に説明をしていたところなのです。
貴方の、悪行を」
凛とした声が、グレッグにかけられる。
司教がこちらを向いた。
「――エルミア!?
それに、ヴィル様まで!!?」
聖女の装いとなったエルミアと、その隣に立つヴィルを見て、驚きを漏らす。
司教は2人に近寄ってきながら、問い質してきた。
「悪行とは、いったい何のことだい、エルミア?
私にはとんと心当たりが無いのだが」
「お惚けにならないで下さい。
貴方が私の襲撃を画策し、ギリー司祭の殺害を企てたことは分かっているのです」
糾弾しても、グレッグの顔には余裕の笑み。
「はははは、私が、ギリー司祭を?
冗談にしても性質が悪いね。
いったい誰にそんなことを吹き込まれたのかな?」
「吹き込まれたわけではありません。
ただ、しっかりと説明を頂きはしました。
こちらの――ロアナさんから」
「――――へ?」
司教の顔が固まった。
ヴィルの影に隠れていた、ロアナの姿を見た瞬間に。
「な、何を――ロアナが、そんなことを言うはずが――
いや、そもそも彼女は厳重に拘束されていて――」
余程ショックが大きかったのか、口調に力が無い。
ロアナの“裏切り”は、それ程までに予想外だったのか。
「――ろ、ロアナ。
嘘、だろう。
そんな、君が、喋るはず――」
「――いいえ」
相変わらず声は小さかったが、それでも毅然と少女は答える。
「――全て、お話ししました。
――司教様が行ったことを、全て」
「な、何っ」
司教が絶句する。
「何故だ、ロアナ。
何故、そんなことを……?」
「――司教様、わたしは貴方を尊敬していました。
――貴方のためとなるのであれば、この身砕けようと惜しくありません。
――しかし、わたしは神に仕える身。
――神の名において、偽称はできないのです」
「グレッグ司教座下、貴方はロアナさんの忠義心を利用したつもりだったのでしょう。
しかし、彼女はかつて聖女を志していた身。
不正への協力など、できるはずがありません。
ロアナさんの信仰心を侮りましたね」
ロアナの台詞を、エルミアが補う。
(――よく言えるなぁ、この子達)
証言を得た経緯が経緯なだけに、真面目な顔でこんなことを言ってのける彼女らに、ヴィルは少し冷や汗を流す。
いや、多少の気後れがあったとしても、真剣にやらざるをえない場ではあるのだが。
2人の少女をきっかけに、周囲の人々も司教を弾劾しだす。
「グレッグ司教、貴方はなんてことを!」
「聖女様を殺そうとするだなんて!」
「神聖なる職に身を置きながら、恥を知れ、恥を!」
小一時間も前から、エルミアは彼らに対して演説を行っていた。
美しく聡明な“聖女”(外面は)の言葉に、民衆が心を傾けないわけがなかった。
ここにいる人々は、完全にこちらの味方だ。
この段階に至って、ヴィルがやれることなどもう何もない。
「ま、待ちなさい!
これは、ただ彼女達がそう言っているだけだ!
私がやったという証拠は――」
司教がどうにか弁解しようとするが、
「聖女様が嘘を言っているというの!?」
「悪いが、俺はあんたの方が信用ならないな!」
「罪を犯していないというなら、もっと堂々として見せたらどうかね!」
それは、民衆の怒りに油を注ぐだけであった。
誰も司教の言葉に耳を傾けない。
こういう思慮に欠いた集団行動は、ヴィル個人としては正直好ましくないのだが――利用できるものは、利用させて貰う。
(もし、ここがグレッグ司教の教区であったなら、結果はまた違ったのだろう)
ここは、彼の担当する地域ではない。
故に、影響力もかなり小さくなっている。
人々が司教に反発するのは、それも理由の一つだった。
(もう、ここは“詰み”だな)
人々へ説得が通じない。
ヴィル達はグレッグの甘言を聞く気が無い。
これだけ大っぴらなところでは、脅迫も使えないだろう。
武力行使も、しないはずだ。
彼がそこまで愚かな人物だとは思えなかった。
司教は、一刻も早くこの場を立ち去りたがっているはずだ。
となれば、後は落としどころを用意してやるだけ。
ヴィルは、エルミアへ合図を送る。
「――皆さん、どうかお静かにお願いいたします。
私は、ここで司教座下を処罰したいなどとは考えておりません。
ただ、グレッグ司教座下に正式な裁きの場へ立って頂きたいだけなのです」
予め打ち合わせしていた通り、彼女は話し始める。
「おお、流石は聖女様――」
「なんと慈悲深い――」
「自分を陥れた男まで、庇いなさるとは――」
口々に、エルミアを褒め称える民衆。
自分達がそう誘導した結果ではあるのだが、その単純すぎる反応には少々嫌気がさしてしまう。
何はともあれ、“逃げ道”は作った。
そのことをグレッグも察したのだろう、一つため息を吐くと、
「――分かった、エルミア。
私を拘束しなさい。
裁判にて、神の御判断を仰ごうではないか」
淡々と、聖女の申し出に従う。
「ご理解を頂けて何よりです、グレッグ司教座下。
私も、事の真偽が白日の下となることを望んでおります」
エルミアは、そんな彼へ一礼する。
そしてグレッグ司教は、教会の神官達に連行される形で聖堂を去っていった。
(――思った以上にすんなり進行したな。
相手の頭がいいと、無駄が少なくて助かる)
しかし、これで終わったわけではない。
裁判の準備?
いや、違う。
(当然、動くんだろう、グレッグ司教?
お抱えの部下を随分とこの街に潜ませているそうじゃないか。
悪いが、こちらも“そこ”を狙わせて貰うぞ)
ヴィルがグレッグを見逃したのは、法による裁きを受けさせたいからではない。
そういうまどろっこしいのは趣味ではないのだ。
司教を程ほどに追い詰めた理由は一つ。
――彼をヴィルの戦場へ引きずり出すためだ。
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