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第十九話 ある社畜冒険者の転機
③ “封域”イネスの勧誘
しおりを挟む「あぁああああっ!!?」
大声と共にベッドから跳ね起き、リアは目を醒ました。
「あ、アレ?
あたし、生きてる?」
ぺたぺたと身体のあちこちを触る。
勇者デュストに身体を斬られたはずなのだが、その傷は――傷跡すらも――どこにも無かった。
「ゆ、夢だったの?」
「夢なんかじゃありませんよー?
確かに貴女は死ぬ寸前でした」
「!?」
いきなり声をかけられた。
咄嗟に聞こえた方向へと振り向く。
そこには、一人の女性が立っていた。
「おはようございます。
ようやく起きましたねー」
「あ、あんたは――!?」
肩下まで伸びた金髪を三つ編みにした美しい女性。
どこか幼さも残るその容貌には、にこにこした愛嬌ある笑顔が浮かべられていた。
――リアは、その女性を知っている。
面識があるわけではない。
魔族であるならば、誰でも彼女を知っているのだ。
彼女は自分達の天敵なのだから。
「イネス・シピトリア!?」
「はーい、正解でーす。
よくできましたー」
女性がパチパチと拍手をする。
その後、『勇者の証』である黄金色のカードをこちらに見せてくる。
五勇者の一人、“封域”のイネス。
リアの前に現れたのは、勇者その人であった。
「な、なんで、なんでこんなところに!?」
「なんでとは失礼ですねー。
貴女を助けたのは誰だと思ってるんです?」
「え、それってまさか――」
「はい、デュストに斬られて死ぬ一歩手前だった貴女を治療したのは、何を隠そうこのアタシなんですよー?」
あっけらかんとした様子でイネスは告げた。
(な、なんだか緊張感が無い……)
胸中でそう呟くリア。
敵である勇者を前にしているというのに、どうにも空気が弛んでいる。
「そ、それはどうも、ありがとう?」
とりあえずという形で、一応礼を言っておく。
実際問題として、あんな重傷から一切の傷を残さずに回復させるなど、相当高レベルの治癒スキルでも不可能だろう。
それこそ、この世界で最高峰の加護の使い手である、イネス・シピトリアでもなければ。
「いえいえ、礼には及びません。
目の前で傷ついている人を見捨てるような真似、勇者はしませんよー」
「その勇者にあたしは斬り殺されそうになったんだけど……
って、そうだ、クロダは!?」
意識が不確かな状況ではあったが、黒田もまたデュストから酷い傷を負わされていたはずだった。
「大丈夫です、黒田誠一も無事ですよ。
まったく、デュストって奴は酷い男ですねー?」
「適当っ!?
返事が凄い適当っ!!?」
やる気の感じられないイネスの返答に、つい叫んでしまう。
とはいえ、この返答を鑑みるに黒田の方も事なきを得たと考えてよさそうだ。
リアをほっと胸を撫で下ろす。
(それにしても――)
イネスの姿をもう一度よく見た。
(――なんか、エロい感じよね、この人)
もし心の声を誰かに聞かれていたら、つっこみを入れられること必須な感想を抱く。
イネスは白を基調とした煌びやかなローブを羽織った装いだった。
煌びやかと言っても派手過ぎるようなことは無く、着ている人物の趣味の良さを反映しているのだろう。
これ自体、<僧侶>のスタンダートから大きく外れるようなものでは無い。
リアが注目してしまったのは、そのローブの中だった。
こちらも白色がメインの、美しい刺繍の入った上下ではあるのだが。
トップスは胸や腰回りが妙に身体にフィットしており、乳房やくびれの形が割とはっきり見て取れる。
ボトムはパンツルックで、いわゆるレギンスに近い代物だ。
生地がぴったりと下半身に――お尻や太ももに密着している。
いや、リアの場所からではイネスのお尻は見えないのだが、多分そうなっているであろう。
つまるところ、確かにイネスは色っぽい服装をしていた。
(ま、まあ、スタイルはあたしとどっこいどっこいってところかしら)
人間形態ならともかく、魔族に戻っている今、彼女に負けるつもりは無かった。
ただ、サイズ的には同じくらいでも、イネスのそれは妙に肉感的で――はっきり言えば、男好きしそうな肢体だ。
(……何考えてんだろ。
なんかクロダに中てられたのかも。
しっかりしなさいって、リア!!)
自分が本気でどうでもいいことを思考していることに気付き、慌てて頭を切り替える。
イネスの顔を見て、口を開く。
「――それで、あんたの目的は何なわけ?」
満足いく回答が得られるとも思っていないが、まず尋ねてみた。
「親切心で助けただけ……と言って、納得したりします?」
「するわけないでしょ」
到底信じられない。
リアは魔族で、しかも勇者達と敵対する立場なのだから。
「まあ、納得されちゃったらアタシも困っちゃうんですけどねー。
勿論、打算がありますよ?」
「でしょうね」
ころころと笑うイネスに対して油断なく構えるリア。
もっとも、油断しなかったところでこの勇者に対して何か対抗できるのかと言われるとかなり心もとなかったりするのだが。
「単刀直入に言ってしまうとですね。
リア・ヴィーナ、アタシの側につきません?」
「は?」
いきなりな提案に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
別に名前を言い当てられたことに驚いたわけではない。
それ位、調べられていて当然だ。
リアが不意を突かれたのは、最後の文面で。
「あんたの味方がになれってこと?
そんなの無理に――」
「何で無理なんです?」
「いや、だって」
「ひょっとして境谷――ううん、キョウヤの言っていることを鵜?みにしてるとか?」
「え?」
またしても変な声を出してしまう。
「ダメですよー、人の言うことを簡単に信用しちゃ」
「べ、別にあいつのことを信用してるわけじゃない!
他に大した情報源も無かったし、一先ずあいつの言葉に従ってるだけで――」
「じゃあ、アタシが新しい情報源になってあげますね」
絶妙なタイミングでイネスが切り返してきた。
「……信用、しろっての?」
「するかどうかの判断は貴女に任せますよー。
……それ位、できますよねぇ?」
挑発的な目で見つめてくるイネス。
リアは彼女を一睨みすると、
「……聞かせて貰おうじゃないの」
居住まいを正して、イネスの話を聞くことに決めた。
言われるまでも無く、リアにとってキョウヤの言葉とてそのままでは信用に足る代物ではない。
クロダやジェラルドからの口添えがあるため、ある程度は信じているが。
そんなわけで、同じ五勇者であるイネスが情報提供をしてくれるというのなら、乗らない手は無い。
例えそれが嘘だったとしても、何かしら掴めるものはあるはずだ。
「はいはい、聞かせてあげますよー。
とはいえ、実際のところキョウヤの言っていることは大体真実なんですよね。
幾つか言っていないことと嘘が織り交ぜてあるだけで」
「言っていないこと?」
「はいー。
まずですね、キョウヤが目的を達成すると、高確率で室坂陽葵は死にます」
指を一つ立てながら、さらっとイネスは言ってのけた。
「ヒナタが、死ぬ?」
「はい。
キョウヤはこう言ったんじゃないですか?
陽葵に六龍を宿らせた上で、彼を使って勇者達は自分の願いをかなえようとしている。
そして、そうなったら陽葵の人格は消しとぶって」
「…………」
大よそ、キョウヤが言った通りのことを口にするイネス。
「ここで言い足りなかったのは、キョウヤもまた陽葵を六龍の器として使おうとしていることですね。
まあ、そんなわけなんであいつが勝ったとしても陽葵は死にます。
そして――」
一瞬の間の後。
「――アタシは、陽葵を使おうとはしていません」
「それが、キョウヤがついている嘘?」
「そうです。
そもそもリア、貴女は勇者が六龍の力を使って何をしようとしているか、知っていますか?」
「……知らない、けど」
「でしょうねー。
キョウヤがその辺り、きっちり説明するとも思えませんし。
ま、簡単に言っちゃうとですね。
デュストは大陸支配です。
ま、ありがちと言えばありがちですよねー。
これは、さっき貴女の前でも彼が口にしたんじゃないですか?」
「……うん」
確かに、そんなことを口にしていた気がする。
「それで、エゼルミアは魔素の除去、です。
この世界から魔素に関わるもの全てを取り除こうとしています。
勿論、その中には魔素に最も縁深い種族である魔族も含まれています」
「また無茶苦茶な願いね。
なんでそんなことを――って聞いて、答えてくれるの?」
「これ位なら教えてあげますよー。
ま、彼女は魔族がらみで昔いろいろと“酷い目”に遭ってますからね。
徹底的に、自分が悲惨なことになった『原因』を排除したいんでしょう」
「仮に魔素を無くしたとしたら、魔族以外の種族も困るんじゃない?」
「滅茶苦茶困るでしょうねー。
なんだかんだで魔素の効果を活用して生活してますから。
無くなったら、ほとんどの人達の生活が立ちいかなくなるでしょう。
でもリア、あの“魔族根絶主義”のエゼルミアにそんな理屈通ると思います?」
言われてリアも改めて思い出す。
魔族とあれば、いかなる人物であっても――それこそ、魔族を裏切り、他の種族のために動いていた人物であっても、殺してきたエゼルミア。
ふざけた願望でもあるが、彼女が抱くというには納得いく願望でもあった。
「次、ガルムの願いは――世界中の女に自分の子を産ませたいんですって。
うわー、最低ですね、人間の屑ですよ、こいつ」
「勇者の中では話の分かる人物って聞いてたけど……」
「親切な態度の裏にはそういう下衆い妄念を膨らませていたわけです。
もし会っても一人でついていっちゃダメですからね、次の日には妊娠しちゃってますよ?」
うんうんと頷きながら、イネス。
(……妊娠、させられちゃうんだ。
しかも無理やり)
一方でリアは、一瞬だけ身体が熱くなるのを感じた。
(いやいや)
軽く頭を振ってすぐに雑念を振り払い、イネスに尋ねる。
「――で、あんたとキョウヤは何をしようっての?」
「焦らない焦らない。
今からお話しますよー。
まずキョウヤの目的なんですが、六龍の抹殺です」
「はぁっ!!!?」
今日一番の声だった。
「六龍を殺すって、あんた何言ってんのよ!?」
「いえ、アタシじゃなくてキョウヤがやろうしてるんですってば」
「何のために!?」
「さぁ?
思いますに、自分より上位の存在がいることを許せないとか、そんな理由じゃないですかね?」
「そんな阿保な理由があってたまるかっての!!」
六龍というのは、この世界における神である。
多くの人々の信仰の対象であり、それは魔族であっても例外でない。
それを殺そうとしているなどと――もし本当であれば全く持って意味不明な行いだ。
逆に、キョウヤが本当にそれを目的としているならば、それを語らなかったのも頷ける。
熱心な信者相手にそんなことを言えば、殺されることもありうるだろう。
そうでなくとも、反感・嫌悪感を持たれるのは必至である。
「まあ、訳わからないほど強いですからね、あいつ。
頭の中も訳わからない構造してるんじゃないかと」
「その理屈がわけわからないんだけど。
というか、あたしはキョウヤの目的って魔王様を助けることだと――」
「ああ、それはそれであいつの目的ではありますねー。
ほら、六龍がいなくなれば、それを司る巫女――魔王もお役御免でしょう?
“結果として”、魔王は助かるんですよ。
もっとも、そうなれば“彼女”はもう『魔王』と呼べない存在になっているでしょうけどね」
「ふぅん?」
意味ありげな視線を送ってくるイネスだが、リアはさらりと受け流した。
「おや、魔王が居なくなっちゃうんですよ?
よろしいんですか?」
「別に、いいんじゃない?
あたしは魔王様を尊敬してはいるけれど、依存したいわけじゃないからね。
あの方の生い立ちを聞いちゃったら、尚更。
例え魔王でなくなったのだとしても、ご健在であられるならそれでいい」
それは、リアの上司であるジェラルドも同じ意見だろう。
魔王が魔素によって歪められた巫女の成れの果てだというなら、その立場から解放してあげたいという気持ちもある。
「なるほど、思ったよりも随分と人道的な判断をされるんですねー。
……あ、勘違いしないで下さい、貴女を褒めてるんですよ?
ま、とりあえず、キョウヤについてはこれ位で。
もっと細かく説明してもいいんですが、それはアタシ達がもう少し仲良くなってからってことで、ね?」
「釈然としないんだけど。
まあいいや、それで、あんたはどうなの?」
どうもこれ以上キョウヤの話は聞けそうにないと感じ、話題を変える。
「はい、アタシは“在りし日のグラドオクス大陸に戻すこと”です。
魔王が倒される前――“五勇者が現れる前の状態”に世界を戻したいんですよ」
「……どうしてよ?
あんた達にとって、今のこの状況は悪くないんじゃないの?」
魔王は倒れ、魔族の勢力は衰え、人間達は大いに発展している。
勇者であるイネスが、現在の状況に不満を持つ理由を、リアは想像できなかった。
「それが一概にそうとも言い切れないんですよねー。
魔王が今<次元迷宮>の奥にいるってことは聞いてると思うんですけど、その理由までは聞かされてないですよね?」
「あんた達に封印されたんじゃないの?」
「いえいえ、そういうわけじゃないんです。
勇者達と魔王が戦った際、その影響で世界にちょっとばかし大きな穴が開いちゃいましてね」
「穴?」
「はい、穴。
しかもただの穴ではなく――魔界に繋がる穴です」
「魔界に!?」
「そうなんですよー。
そこから魔素が出るわ出るわ。
このままじゃ世界がやばいっていうんで、魔王がその身を犠牲にして穴に蓋をしてるんですよねー」
「ですよねーって、それあっさりバラしていいこと!?」
第三者であるリアから見ても、それは重要機密にあたる情報なのではないかと思うのだが。
「その辺はどうにかなるんじゃないですかね?
穴の問題を解決することに関しては、五勇者全員が同意していますし。
誰が勝ったとしても、六龍の力を総動員して塞ぎますよ。
アタシ以外の人に関しては確約できかねますけど。
ただ――」
「ただ?」
「やはりですね、“魔王”という存在は――まあ“六龍の巫女”でもいいんですけど――世界に必要なんじゃないかってアタシは考えたんです。
六龍を制御し、魔素のバランスをとるためにね。
それが崩れたから、魔界への穴が開き、<次元迷宮>なんて存在を作る必要ができてしまったわけでして」
何気なく、<次元迷宮>についてもイネスは触れてきた。
この口振りからして――
(――<次元迷宮>は勇者達が作ったってこと?)
或いは魔王が作ったのかもしれないが。
その疑問を口にする間も無く、イネスは話を続けていく。
「結局のところ、魔王が居た時代が一番世界にとって最も均衡がとれた状況なわけです。
なんだかんだで、あの時代がこの世界のあるべき姿なんですよー。
六龍を消そうとしているキョウヤとかもう論外な感じです」
「……まあ、あたしは否定しないけどね」
魔族であるリアにとって、魔王の必要性など論ずる意味がない。
余りにも答えが分かり切っている。
「でもさ、それじゃあんただってヒナタが必要なんじゃないの。
その“穴”を塞ぐのに、六龍の力が必要なんでしょ?
他の勇者達は“それ以外”にも六龍を使うってだけで」
五勇者は、世界に開いた“穴”を塞ぐ以外に――
デュストは大陸統一。
エゼルミアは魔素排除。
ガルムは全女性征服。
キョウヤは六龍抹殺と、魔王の解放。
――という願望を六龍を使って達成しようとしている。
(デュストが真っ当に思える程ぶっ飛んだ内容ね、他の勇者は)
そしてこれまでの話が真実とするなら、イネスには個人的に叶える願いが無いわけだ。
とはいえ、やはり穴を塞ぐのに六龍が必要となる以上、彼女もまた陽葵を利用する立場のはず。
「いえいえ、実は抜け道があるんですよ。
それもちゃんとお話します。
お話しますがその前に、もっと大事なことを」
「大事なこと?」
「ええ、貴女にとって大事なこと。
貴女がキョウヤ側になれない理由です」
イネスがリアに近づく。
互いの顔が触れそうになるまで迫ってきたので、リアは少したじろぐ。
そんな体勢で、イネスはそっと囁いた。
「リアの一番大切な人。
黒田誠一のお話ですよー」
その名前を紡がれて、リアの心臓が跳ね上がる。
「な、なんで、そこでクロダの名前が出るのよ!?」
「なんで、という程ではないでしょう?
黒田誠一はキョウヤの代理であり、つい先ほどもデュストと一戦交えたわけですから。
いえ、アレを戦ったと形容するのは、流石にデュストに失礼かもしれませんけどねー」
おかしそうに微笑みながら、イネスは続ける。
「さて、その黒田誠一ですが――もし仮にキョウヤがこの戦いに勝利し、黒田誠一が最後まで生き残ったとしても。
彼はこの世界に残りません」
「え?」
「理由は簡単、黒田誠一はキョウヤお気に入りの駒だから。
自分のモノをそう簡単に手放したりしませんよ、あいつは。
優秀な相手であれば、なおさらです」
イネスは笑みを消した。
真剣な眼差しをリアに向けて、告げる。
「共に長く旅を続けてきたアタシが断言します。
ミサキ・キョウヤは自分の認めた相手に対して、酷く執着する。
一度、東京に戻れたというのに、魔王のために再度この世界へ干渉を始める程にね。
そして事が終われば、彼らは一緒に『東京』へ帰ることでしょう。
つまり――リアの蜜月は終わりを告げるわけですね」
「うっ」
その危惧を全くしていなかったわけでは無い。
黒田が東京へ戻ってしまうということを。
(あいつ、ここでの生活を大分楽しんでるみたいだし、まずありえないと思ってたんだけど)
そもそも東京へ帰る手段だって見つかっていないのだ。
黒田が帰ってしまうかもしれないなど、考えても仕方なかったとも言える。
しかし――
(キョウヤが連れ戻すって?)
――確かに、キョウヤは黒田に対して妙に信頼しているというか、他とは異なる対応をしていたように思う。
優秀な部下を手元に置いておきたいと考える可能性は否定できない。
もしキョウヤが黒田が東京に戻って欲しいと考えていて、もしキョウヤが黒田に“東京へ帰れ”と命令したら。
(帰っちゃう、かも)
黒田は黒田で、キョウヤの言葉にはやたらと忠実だ。
元々黒田という男は人からの頼みをそう易々と断るタイプでは無いのだが、キョウヤに対してはそれが一層際立っている。
「帰って欲しく無いですよね?」
「!」
イネスの顔がすぐ目の前にあった。
顔と顔が触れ合いそうな距離で、彼女は言葉を紡ぐ。
「黒田誠一に、この世界に残って欲しいですよね、リア?
初恋の人と、ようやくここまで親しくなれたんですからね?」
「んなっ!!?
なんでそれを――じゃなくてっ!!
あたしは別にあんな奴のこと――」
「“あんなこと”までしておいて、なんとも思ってないなんて無理がありますって」
あきれ顔で、イネス。
その表情でリアは思い至る。
「…………ぜ、全部知ってたり?」
おそるおそる尋ねてみると、イネスはにっこりと笑いながら返してくる。
「まあ、大よそのところは。
……凄いですよ、貴女の肉便器っぷり。
いくら好きだからってあそこまでやりますか?」
「ああああああああ!!!?」
頭を抱えて絶叫するリア。
(うぁああああああっ!!!
あたしがクロダとやってたこと全部ばれてるわけぇ!!?)
自分の痴態を相手に知られていることを悟り、顔から火が出そうになる。
……もっとも、あれだけ盛大にヤっていたのだから、そりゃ露呈もしようというものだ。
「まあまあ、安心して下さい。
アタシもそういうことには理解がある方ですから。
若い内はちょっと刺激的なプレイをしたくなっちゃいますよねー。
いや、アレの刺激はちょっとどころじゃないですけど」
「変なフォローの入れ方しないでぇっ!!」
リアは余りのことに上を仰ぎ見る。
そこにはよく見慣れた天井が――
「――て、あれ、そういえばここってクロダの家?」
よくよく周囲を見てみると、ここは勝手知ったる黒田の自宅、その一室であった。
いつもの風景を目にして、一気にテンションが落ち着く。
「ず、随分と急激に立ち直りましたね。
ええ、そうですよー。
ここは黒田誠一の家です」
イネスはいきなりの変化に若干戸惑いながらも、そう返答してきた。
ここが黒田の家だというのならば――湧いてきた疑問を、リアは率直にイネスへ投げかける。
「え、なんであたしここに運ばれてるの?」
「そりゃ、貴女が真っ二つになった現場からほど近かったからですが」
「クロダとあんたって知り合いだったってこと?」
「……いいえ。
違いますよ?」
「じゃ、鍵とかどうしたのよ」
「この家にかけてある程度の鍵を、勇者であるアタシが開けられないとでも?」
リアの質問に、イネスは悪びれも無く断言してくる。
「……犯罪じゃない」
「いやですねぇ。
勇者は他人の家の鍵を開けたりタンスやツボの中調べたりしても一切問題ないんですよー。
こんなの常識じゃないですか。
リア、知らなかったんですか?」
「知るわけないでしょ、そんな非常識!!」
リアとて人間社会の常識を隅から隅まで把握しているわけではないが、いくら何でもそんな決まりは無いはずだ。
(……無い、よね?
でも勇者だしなぁ)
万一の可能性を考慮し、勢いを止める。
仮に犯罪だったとして、世界を救った英雄である彼女を咎められる人間が果たして居るのかどうかも定かではないし。
「それはそれとして、黒田誠一のお話ですよ。
ね、離れたくないでしょう、彼と?」
「そ、そりゃ――」
残って欲しい。
自分とずっと一緒に居て欲しい。
そう心で思っても、口には出せなかった。
しかしイネスはそんなリアの気持ちを見透かしたように笑う。
さらに追い打ちをかけるように、耳元でそっと囁いてくる。
「言っておきますが、キョウヤを頼っても無駄ですよ。
あいつ、貴女のことをまるで評価しちゃいませんから。
デュストに殺されそうになっても、助ける気配も無かったでしょう?」
「――う」
“キョウヤに嘆願すれば或いは――”
リアが思いついた可能性も潰されてしまう。
「で、でもそれ、どうにもならないんじゃ……」
キョウヤが勝てば黒田は帰り、キョウヤが負ければ黒田も他の勇者に殺されていることだろう。
後は黒田に帰らないよう縋りつく位しか手が思いつかない。
だが彼がそれに答えてくれるかどうかは――
悶々とするリアに、不敵に笑いながらイネスが語り掛ける。
「ふっふっふーん、ところがそうでも無いんですねー。
奇跡の一手があるんですよ、問題を一気に解決できる逆転の妙手が!!」
「……ど、どんな方法よ」
疑わし気な瞳をイネスに投げかけるリア。
彼女はまたしても顔を近づけ、宣言した。
「黒田誠一を、魔王にする」
「―――――――はえ?」
たっぷり時間を置いた後、かなり間抜けな声を出してしまった。
「クロダを、魔王に?」
「ええ、そうです。
彼にはその適性があります」
「はは、ちょっと、冗談が過ぎるって――」
「冗談なんかじゃありませんよ」
苦笑いを浮かべるリアに対し、イネスの顔は真剣そのもの。
言い聞かせるように彼女は言葉を紡いだ。
「黒田誠一が魔王になれば、“世界の穴”を塞ぐのに室坂陽葵を犠牲にする必要はありません。
そして、魔王になった以上、彼がこの世界から離れることも無い。
理想的な結末でしょう?」
「……そんなの、無理でしょ。
だいたい、あいつに魔王の適性があるだなんて都合のいい話があるわけ――」
「ところがどっこい、あるんですよー。
まあ、リアが知らないのも無理はありません。
魔王の適性なんて、誰もそんなものを調べてなんていないんですから。
いえ、調べる方法すら知られていませんしね。
あのキョウヤですら、魔王への適性――正確に言えば六龍の力への適性を把握することはできていないんです。
なにせ、あいつ自身にその適性が皆無なんですもの。
自分に無いもの、自分に知覚できないものは調べられない、当然ですよねー」
すらすらと語るイネス。
「だから、キョウヤは見落としている。
黒田誠一が魔王に適合する人材であるという事実に、未だ気付いていない」
「あんたは、どうして知ってるのよ……?」
「それはまあ一日の長と申しますか。
アタシはあいつよりもずっと長く“勇者”をやってきましたからね、その辺りの下調べもばっちりなわけですよ」
「仮に、仮にそれが本当だったとして。
クロダを魔王にしても、今の魔王様と同じく、魔素によって人格が歪まされていっちゃうんじゃ――?」
「そこも御心配なく。
黒田誠一が魔素によって性格変わるようなことはありませんよ。
……まあ、彼は元々これ以上なく歪んでるような人ですし」
(それは――確かに)
心の中で同意する。
寧ろ魔素の影響が既に出ていると言われても納得する変態っぷりだ。
……最近のリアは、余り人のことを言えないが。
「ね、リア。
黒田誠一を魔王にする、協力をして貰えませんか?」
「そ、そんなことを――」
否定しようとする。
黒田が魔王になることを望むとは思えなかったからだ。
……リアの本心はどうあれ。
だが、イネスは言葉を言い終えるよりも前に畳みかけてきた。
「ずっと黒田誠一と一緒に居られるんですよ?
魔王に魔族が仕えるのは当然のことなんですからね。
それに――忘れてはいませんよね、寿命のこと」
「……あ」
はっとする。
それこそ、今までまるで考えてこなかった。
人間と魔族の寿命の差。
「人間である黒田誠一と、魔族である貴女とでは、生きる時間が違う。
人の寿命はせいぜい50~60年くらい――地球ではもう少し長くて70~80年くらいですか。
どのみち、リアがまだまだ若い内に、黒田誠一は年老いて死んでしまう」
「う、う」
「でも黒田誠一が魔王になったら?
あれあれ、この問題まで解決しちゃいますよ?
八方全て丸く収まっちゃいますねぇ?」
「そ、それ、は――」
心臓がばくばくする。
黒田と、ずっと一緒に居られる。
種族の差も、寿命の差も気にすることなく。
それは、リアにとってとても甘い誘惑だった。
「…………」
イネスはじっとリアの顔を見てくる。
判断を促すかのように。
(どうしよう、どうしようどうしよう――!?)
リアの胸中は混乱の極みにあった。
理性は、これはきっと罠だと警告している。
こんな美味い話、あるわけがない。
きっと、イネスには裏がある。
それは分かっているのに。
(クロダと、ずっと一緒に――)
感情が騒めく。
今や自分の所有者である、全てを捧げているといっても過言ではない黒田。
そんな彼と別れることへの忌避感は、理性からの警報を覆しかねない程のものであった。
「……あたしは……あたし、は……」
イエスとも、ノーとも、リアは言えなかった。
ただ戸惑うだけの時間が過ぎる。
そして。
「はい、そこまで。
なかなか難しいことを聞いてしまいましたねー。
ふふ、返事はまた今度で構いませんよ」
突如、イネスがそう宣言した。
「え?」
「いや、アタシとしてはもう少し待っていても良かったんですけどねー。
肝心の黒田誠一が目を覚ましたみたいでして」
「黒田が?」
何故そんなことが分かるのか――を聞くのは愚問か。
おそらく黒田の治療もイネスが行ったのだ。
だとすれば、彼がどういう状況なのかを把握するのも、彼女にとっては容易なのだろう。
「はい。
もうすぐこの部屋に来ますよー」
「く、来るって――あんた、あいつに会ってもいいの?」
「ええ。
黒田誠一はアタシにとってキーマンになる人ですからね。
一言挨拶しておこうかと」
「あ、そうなんだ」
てっきりリアとの邂逅は秘密にしておくのかと思ったが、そうでも無い様だ。
そんな会話がなされた直後、廊下から誰かの走る音が聞こえる。
おそらく、黒田の足音なのだろう。
「リアさんっ!!」
部屋のドアが大きな音を立てて開かれた。
その向こうには、リアが今まで見たことが無いほどに必死な形相をした黒田が居た。
彼は部屋を見るなり、自分の姿を見つけたようで、
「よ、良かった――!
無事だったんですね!!」
リアを見て、心底安心したように息を吐いた。
(……本気で心配してくれてたんだ)
その様子を見て、少々不謹慎ながら嬉しくなってしまうリア。
自然と笑みが零れてしまう。
すると黒田はリアから視線を外し、
「あの、リアさん。
こちらの方は?」
イネスを見ながら問いかけてくる。
その驚いた顔を見るに、彼女の存在に今気づいたようだ。
「ああ、この人があたし達を助けてくれたみたいで――」
「――お初にお目にかかります、黒田誠一。
アタシはイネス。
“封域”のイネス・シピトリアと申します。
以後、お見知りおきを」
リアの話をイネスが横切る。
華麗な一礼と共に、自己紹介を行った。
「――――」
対して、黒田は沈黙。
突然の来訪者を注視するばかり。
(まあ、いきなり勇者が出てきちゃね。
今日はこれで二人目だし)
思考がフリーズしてしまうのも仕方があるまい。
ただでさえ、彼は想定外の出来事に弱いタイプなのだから。
数十秒に渡る時間の後、黒田はようやく口を開いた。
「…………葵さん?」
「はへ?」
だが、彼から飛び出したのは別の人名であった。
その頓珍漢な反応に、イネスからは意味不明な声が聞こえた。
「違うって。
五勇者のイネス・シピトリアよ。
クロダも知ってるんでしょ?」
リアが訂正を入れる。
それを聞いて黒田が頭を下げた。
「し、失礼しました。
……葵さんじゃ、ないんですね?」
「だから別人よ。
他人の空似なんじゃない?
ねぇ?」
最後はイネスへの呼びかけ。
彼女の方を見ると――
「あわ、あわわ、あわわわ。
な、なんで分かって――じゃなくてあのその」
――盛大に取り乱してた。
(………え?)
今度はリアが硬直する番だった。
この反応、まさか――
「――葵さんでは、無いのですよね?」
「ち、違うんです!
いえ、アタシが葵だってことが違うわけじゃないんですけど!
いやいや、アタシはイネスなんですけどね!?
覚えていてくれて嬉しいんだけど何で今のアタシを見て分かってくれたのかとか!!
正直忘れられてるかとか思ってたのに!!」
「?
私が葵さんのことを忘れるわけないじゃないですか?」
「にゃぁああああああっ!!!!?」
イネスが叫んだ。
いやむしろ鳴いた。
意味不明な声で。
「そ、そんあ、そんにゃこといきなり言われても――
あ、アタシ、結婚の準備とかまだできてなくて、じゃなくて、そう、アタシは勇者で貴方は魔王で、でもなくて!!
そう、アタシと貴方は敵同士なんだけどなんだか運命感じちゃいますよね!!
ああぁあああっ!! 違う!!
子供! 子供は3人は欲しいんですっ!!
そういう話でもないっ!?」
彼女はとてつもなくパニクっているようだ。
意味が分かるようで分からない文を羅列している。
「ど、どうしようっ!?
ねえ、どうしたらいいと思う、リア!?」
「いや、知らんがな」
いきなりこちらへ話を振られても、対処に困る。
はっきり言って、まるでついていけてない。
「あう、あうあうあうあうあうあう。
こんなのダメ、ダメですよ、まるで想定してなくて……
無理無理無理無理、嬉しくて涙が出そうで……
あーもうっ! あーもうっ!!」
放って置いたら地団駄を踏みそうなテンションのイネス。
しばらく唸った後に、
「あぁああああああ――――瞬間移動!!」
スキルで姿を消した。
「…………」
「…………」
事態がまるで飲み込めぬまま、残された二人。
「……結局、なんだったんでしょうか?」
「……さぁ?」
黒田の質問に、投げやりに応える。
突如リアの前に現れた五勇者イネス・シピトリアは。
訳の分からない内に、突如リアの前から姿を消したのだった。
第十九話 完
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