トウジンカグラ

百川カサネ

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5話 邂逅編

36 花街の主

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 黄金に映り込む景色は、その華やかな名に反して酷く地味だった。

 水で溶かしたような薄い青の下、拡がる街並みは精緻に入り組んでいる。火のない灯籠は昼に沈むように佇み、高張提灯も屋号を主張することなくゆるい秋風に揺れていた。通りを行き交う人影はまばらで、彼らの眠りを妨げることなくただ過ぎていく。

 火群は露台に座り込み、高欄に肩を預けて酷く静かな街並みを見下ろしている。高いところは腹の底がすうすうして好かないが、ここはほんの三階だ。七宝の中では高い建物だが宮中とは比べるまでもなく、そもそも庇伝いに地上まで降りていけるような高さに思うところはない。思うとすれば、通りをぶらつく自分に声をかけここに連れ込んだ男はいつになったら現れるのかという苛立ちぐらいである。

 覇気のなくなったしぐれと別れ行く当てもなく上方に向かってぶらついた末、辿り着いたのが花街である。日の高い時分は人通りも乏しく、呼び込みに精を出す妓夫の姿もなければ妓女たちが三味線を奏でる張見世ももぬけの殻だ。時折妓楼の中から女たちの笑い声が響くことはあれど、暮れからの喧騒が冗談のように、あるいはその時に向けて音を溜め込んででもいるかのように静寂に満ちている。精緻で華美な装飾の施された露台は夜には女たちが艶やかに佇むこともあるが、今は所狭しと畳や衾、布団を干し、陽光に溶け込むように長閑に微睡んでいた。
 火群が座り込む露台には何も干されていない。妓楼の入り口を真下に見下ろす露台は夜であっても女も客も立ち入らない――楼主の私室である。そのくせ貴重な布団をぞんざいに敷き、金を塗した衝立を置き、外つ国から渡ってきたらしい小間物を文机の上に並べている。以前は衝立と変わりない大きさの、板のような硝子の匣に魚を泳がせて飾っていたこともあった。乗り切らず床に置かれた、金の輪を重ねて鞠のようにした置物など一体何に使うものなのだろうか。

 鈍く陽光に照り返すそれをぼんやりと眺めるうちに閃く。そもそも通りをそぞろ歩く火群にこの露台から声をかけ、まあ寄っていけなどと言いながらいざ立ち入れば火群を捨て置いている男に従う必要もないのではないか。
 ようやく思い至った火群は露台から腰を上げる。入り口から出るかいっそ庇から降りるか。紅蓮の柄で肩を叩きながら考えるうちに、鈍い足音が聞こえてくる。

「おう、待たせたな」

 振り向けば、今まさにそこかここかと悩んだ入り口に立つ件の男。火群はちいさく舌を打った。

「待ってねェよ」

「まあまあ、座れよ」

 全く話を聞いていない様子である。布団の真ん中に座り込む男を火群は半眼で見下ろした。
 座り込んでみても大きい、のっそりとした体躯の男である。刻と変わりない歳の頃に見えるがあまりにも印象が違う。骨が太いとでも言えば良いのだろうか、清佐程度の子どもなら首根っこを摘まむ程度で持ち上げられそうだと火群は常々思う。

 その太い指が小さな皿を摘まんでいる。いや、火群の手に乗せれば小さくはないのかも知れない。遠近感に迷う男だと思いながら火群は男の前に胡座を掻いて座った。皿の上には白い粉を纏った小豆色の四角いものが乗っている。

「葛焼き。ウチの別嬪さんたちが間食してたんだが、お前にも食わせてやれだと」

「ふぅん」

 別嬪というのは妓女たちのことだろう。そう顔を合わせることはないが花街の女たちは火群に妙に構いたがるところがある。他の市街の連中のように遠巻きにされるのとどちらがいいかと考えれば、火群からすればどちらもそう変わりはない。
 とはいえ彼女らはここにはいない。いるのは妓女たちを取り仕切る、この楼主の男だけである。そして葛焼きには何の蟠りもない。火群は菓子を摘まんで口に入れた。もちもちと頬張る様を男は薄く笑いながら眺めている。

「おら、甘いモン食って元気出たか」

「はァ?」

 唐突にこの男は何を言うのか。つい先ほど座り込んでいた露台の下で、金もないのに女に執心し暴れる男を若い衆が取り押さえる場にたまたま居合わせ首を突っ込んだのは三日ほど前のはずだ。元気、が何を指すのか知らないが、いつも通りであることなど知っているだろうに。
 薄く顔を顰めながら再度皿に手を伸ばす。もう一つ残っていた葛焼きを口に放り込めば、同時にぐっと頤を掴まれた。相変わらず薄い笑いのまま黙って見つめてくる。太い指に挟まれたまま、不自由に咀嚼を続ける火群も何も言わない。

「ま、いい。こないだの捕り物とその前の――宮中に遣いを呼びつけてた男の件、あれもお前が引っ掻き回してくれたって聞いたからな。その礼だとでも思ってくれ」

「あァ? ……あいつらここの若いのと客だったのか」

 刻が捕まらず範宮殿まで下り、昼日中から花街への文に精を出していた男を捕まえたときか。あの日何があって苛立っていたかを思い出し、自然と眉間に皺が寄る。
 火群の所作にか、あるいは他の誰かに対してか。男はせせら笑うように答えた。

「いや、他の楼だよ。だから助かった」

 花街の妓楼同士、あるいは花街と宮中の間には様々に思うところが渦巻いているらしい。
 しかしながら火群の知るところでもない。礼が小さな菓子二つとはなかなか気前が良いことだと思いながら、火群はふぅんと気のない返事をした。咀嚼していた葛焼きを嚥下する。

 未だに火群の頤を掴む男の指が蠢く。むにゅりと捻るように頬を押し上げ、かと思えば親指で唇を辿りながら頤を掬われる。男と視線を合わせる格好になって、指先が唇を割る。開けろとでも言いたげに入り込んでくる。

 火群は口の端を持ち上げた。息を吸うように薄く唇を開き、舌先で爪先を迎え入れる。大人しく入り込む指の太さと長さを確かめるように付け根まで舐れば、甘さの残る口内に薄らとした皮膚の苦さと塩気が混じった。
 じわりと溢れる唾液を絡めて、わざとらしく音を立てて舐り、吸う。くつくつと男の笑い声が響いている。やわく歯を立てやれば、男の指はのっそりと退いていった。

「あっは、ヤりてぇのかよ?」

「阿呆。お前が欲しがってんだろうが。俺ぁ夜は相手してやれねぇからな」

 花街は夕暮れから目覚めて夜に開き、朝に蕾む世界だ。この男は女を愛で育て男を忙しなく使いながら、夜にはあの露台から煌びやかで仄暗い街並みを、通りの喧騒を、人の行き来を見下ろしている。
 別に欲しがってはいない。が、先ほどの小さな菓子と同じだ。蟠りもないのであればくれるというものは貰うだけの話である。
 男が帯を解いて着崩す様を見ながら、火群はゆらりと立ち上がる。抱えたままだった紅蓮の柄に手をかければ呆れを隠しもしない声が上がった。

「刺すな刺すな。刀掛けがあんだろが」

 顎をしゃくって示されたのは壁際の押板だった。そこには漆塗りの刀掛けが空のまま鎮座している。火群はちいさく舌を打ちながらそちらへ足を向け、抜刀した紅蓮を刀掛けにそっと横たえた。赤を閉じ込めた刀身が鈍く光を反射する様にほうと息を吐く。
 しばし、しゃがみ込んで抜き身の紅蓮を見つめる。散々その煌めきに陶酔してようやく、火群は空になった鞘をそこら辺りに放り出した。背後から再度呆れきった声。

「お前なあ、鞘と刀は合わせて価値があるんだぞ。鞘も掛けりゃあいいだろうに」

「はァ? 鞘に価値なんかあるかよ。そんなん紅蓮だけ――ッン」

「へいへい」

 前髪を掴んで引かれる。立ち上がった男の、開けた着流しの合間から覗くものを鼻先に押しつけられる。まだ芯を持たないそれは男の体躯に見合った大きさでずっしりと重たい。
 男は火群の膝を跨ぐ。上から垂れ下がるようにして迫るそれを、火群は口を開いて迎え入れる。先端を唇でやわく捉えて吸い、舌を這わせながら、両手で自身の帯を解いていく。
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