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5話 邂逅編
31 ささやかな襲撃
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始めは沸々と煮えていた腹の底は三日もすれば冷える。更に日が経てばいっそ間違いではなかったかと首を捻ろうというものである。
何せ閉ざされ、倦み、それでいて広範な都である。雑多に人が行き交う中、どこにいるかも知れない相手と擦れ違うなどいかほどのことか。そもそも火群が身を現せば人波らしい人波は即座に引いていくのだが、あれから幾度か遭遇した波の中にあの藍の瞳はなかった。無論波に残され火群と向き合う姿などあろうはずもない。
宮中での滞在を断ったところまでは見た。ならば市街のどこかに身を寄せているのだろう。とはいえ探すつもりはおろか知りたいとも思わない。
神剣なる刀刃を持つ男を丸め込み――否、召し抱えておきながら、火群の飼い主を称する女の呼び立てはない。
最後に羅城の外で戦行列を追い返したのもあの男が七宝を訪れた前の日が最後だ。女の魂胆は知らないが、あんな行列だって頻繁に訪れるものではない。外の人間がいるなら考えることがある、などと刻は口にしていたが、七宝のどこぞに賊が現れたから斬ってこいという話もなかった。強いて言えば街中でたまたま鉢合わせた喧嘩に何度か首を突っ込んだぐらいである。
こういう日々は平穏だと、あの女あたりは言うのだろう。
平穏とは、火群にとって紅蓮を振るう機がないということである。
それはつまり、価値がないということだ。紅蓮を振るわないのであれば火群には何もすることがない。
食べて、寝て、息をしている。それだけ。
何もない。何もない日々の中で、探すつもりも知りたいとも思わない男がどうしても脳裏にちらつく。埋み火がちりちりと何かを焦がしている。煩わしいそれを踏みにじって消すように、千鳥足で人気のない夜道をいく男を引っかけた。大層酒臭かったが、酔いが回りすぎていたのか火群から逃げることもなく存分に種を蒔き上機嫌で去っていっただけ上等だろう。
火群はといえば宮中に戻る頭もなく、虚を満たす一時の充足のまにまに路傍に座り込んで寝入っていた。それが昨夜のことである。
「――えいっ」
「そんなんじゃだめだろ。もっとさ……」
「えー!」
あっと言う声が二重に響く。同時に瞼の裏の暗闇に閃光が奔る。
ずどん。あるいは、がぁん。
いつも通り唐突で急速な覚醒は、しかしいつも以上に過激な衝撃と共に訪れた。
即座に目を開く。視界にちかちかと星が散っている。火群は反射的に抜刀の姿勢を取り、抱いていた紅蓮の鯉口を鳴らしていた。その剣呑な鋼の声も口から飛び出す怒号に掻き消える。
「――ッにすンだ、あ゛ァ!?」
「起きた」
「起きた」
「おきたー!」
怒りのままに瞬いて星を追い出す視界には、片膝で立つ火群と大差ないか、あるいはもっと小さな影が並んでいた。
一つは空の手で投擲の姿勢を取る少女。一つは少女の足下に纏わり付く幼子。そして最後の一つは両手で結構な大きさの石を抱える少年である。
そして火群の足下には、妙に存在感のあるまばらに散った小石と結構な太さの竹筒。ころころと呑気に少年少女たちへ向かって転がる竹は、どう考えても火群に一投され眠る頭を強打したものに違いあるまい。となればこの小石の山も怪しいものがある。
転がる竹を眺め、火群は苛立たしく息を吐く。構えていた紅蓮を抱え、ついでに鐺で竹を転がしながら膝を崩して地面に尻をつけた。胡座を掻き腕を組んで紅蓮を抱え、そのまま見なかったふりを決め込もうと目を閉じる。しかしながらそれもまた即座に遮られた。
「えーい!」
「ぐっ、て、めェ!」
いっとう小さな子どもが火群の股の間に尻から飛び込んでくる。転がしたばかりの竹筒を両手で抱え、何がおかしいのかケラケラ笑いながら上下に振っていた。ちゃぷちゃぷと激しい水音が立ち、そして時折火群の顔面から足首までを殴打している。
紅蓮を握り、火群は腕を振るうがままに膝から払い除ける――よりも先に、少女と少年が近寄ってきた。少年は抱えたままだった石をその場に落とし――なかなか豪気な音と砂埃が上がった――少女はしゃがみ込んで幼子に向き合う姿勢になる。しかしながらどちらの視線も火群へと向けられ、その瞳は妙に非難がましい色をしていた。
「子どものすることだろ、大人げねーぞほむら」
「そうだよ、大人げないよほむら。ほら清佐、こっち」
「やー!」
火群の膝の幼子、清佐は竹筒を放り投げ両手を広げる少女へと背を向けた。紅葉のような手が火群の腕を見た目にそぐわぬ強さで掴み、ぐりぐりと顔を押しつけてくる。投げ出された竹は膝を打ったし、擦りつけられる顔からはぐちゅぐちゅと粘ついた水音が上がっている。ちらりと隙間から見えた清佐は涙と洟で顔をべたべたに汚していた。
「きよ、あるくのイヤ! つかれたあ!」
「わがまま言わないの。お姉ちゃんも小六太ももう疲れたもん、おんぶできないよ」
「三葉の言うとおりだぞ清佐。ほら」
少女と少年――三葉と小六太は火群に貼りつく清佐の腕をそれぞれ取り、ぐいと引く。すると一体この小さな身体のどこにそれほどの力があるのか、清佐はますます泣き叫んで火群の袖に縋りついてきた。これでまた少年少女が力任せに幼子を引っ張るものだから、火群のグチャグチャに濡れた袖は更に引き伸ばされていく。
「いや――――!!」
大きければ勝ちとでも言いたげな大音声である。清佐の泣き声は最早声を通り越して不快な音として火群の脳みそを揺さぶっていた。わんわんと揺れる頭ではこれだけ元気ならばいくらでも歩けるだろうにという思考もままならない。
無理矢理引っ張られる腕の中、抱えた紅蓮ががちがちと鳴る。火群はとにかくを黙らせようと力任せに腕を振った。火群の動きに気付く間もなく泣き叫びながら少年少女の方へと転がる幼子の片腕を掴み、ぶんと振り抜く。しかし三葉と小六太は存外と簡単に手を離し、清佐の身は無事に火群の肩に納まった。
「っるせェンだよお前ら! 騒動すンなら他所でやれ!」
片腕で幼子を担ぎながら立ち上がり、喧しいことこの上ない子どもたちを順に見比べる。火群を見上げる三葉と小六太は目を瞬かせ、それから二人して見つめ合って頷いた。
何だと思う間に肩の清佐が火群の頭をぺちぺちと叩く。あんなに全身全霊で泣き叫んでいたというのに、涙は綺麗に引っ込んでいた。
「おんぶ! ほむ!」
「……あ゛?」
「よかったねえ清佐」
三葉はにこりと微笑みながら竹筒を手に立ち上がる。小六太も手についた砂を払うように両手を打ちながら立ち上がった。そして少年少女はどちらも清佐と、清佐を肩に乗せる火群に背を向け歩き出す。
「ほら、行くぞほむら。昼の鐘までには着かねーと」
小六太が肩越しに火群を振り返る。清佐は肩の上を勝手に這い、火群の首を跨ぐようにして頭に両腕を乗せていた。おんぶではなく肩首の姿勢だが、幼子と火群を置いて進む少年少女も幼子当人も、無論火群もそれどころではない。
子どもの歩幅ながら身軽さを活かし、二人の子どもはどんどん歩いていく。疲れたとは何だったのか? 幼子を押しつけられたとここらでようやく気付いた火群は首に回る細足を掴んで振りほどこうとするが、清佐は火群の頭を身体全体で抱え込むようにへばりついてきた。
「ほむ、すすんでー!」
「進んでじゃねェよ降りろ! この……クソッ! おい!」
どう掴んで引っ張ろうと清佐は餅のようにへばりついている。清佐の小さな手は火群の顎を押さえ込むように回り込み、下を向いているためか眼前には洟が垂れてちらついていた。こうなってはどうにもならない。火群は片手で清佐の膝を押さえ、もう片方の手で紅蓮を腰に差し駆け出した。
小六太と三葉は市街へと抜ける道を目を瞠る速さで進んでいる。走っていないのがいっそ奇妙だ。頭上できゃっきゃと騒ぐ清佐を無視して火群は少年少女を追って吠えた。
何せ閉ざされ、倦み、それでいて広範な都である。雑多に人が行き交う中、どこにいるかも知れない相手と擦れ違うなどいかほどのことか。そもそも火群が身を現せば人波らしい人波は即座に引いていくのだが、あれから幾度か遭遇した波の中にあの藍の瞳はなかった。無論波に残され火群と向き合う姿などあろうはずもない。
宮中での滞在を断ったところまでは見た。ならば市街のどこかに身を寄せているのだろう。とはいえ探すつもりはおろか知りたいとも思わない。
神剣なる刀刃を持つ男を丸め込み――否、召し抱えておきながら、火群の飼い主を称する女の呼び立てはない。
最後に羅城の外で戦行列を追い返したのもあの男が七宝を訪れた前の日が最後だ。女の魂胆は知らないが、あんな行列だって頻繁に訪れるものではない。外の人間がいるなら考えることがある、などと刻は口にしていたが、七宝のどこぞに賊が現れたから斬ってこいという話もなかった。強いて言えば街中でたまたま鉢合わせた喧嘩に何度か首を突っ込んだぐらいである。
こういう日々は平穏だと、あの女あたりは言うのだろう。
平穏とは、火群にとって紅蓮を振るう機がないということである。
それはつまり、価値がないということだ。紅蓮を振るわないのであれば火群には何もすることがない。
食べて、寝て、息をしている。それだけ。
何もない。何もない日々の中で、探すつもりも知りたいとも思わない男がどうしても脳裏にちらつく。埋み火がちりちりと何かを焦がしている。煩わしいそれを踏みにじって消すように、千鳥足で人気のない夜道をいく男を引っかけた。大層酒臭かったが、酔いが回りすぎていたのか火群から逃げることもなく存分に種を蒔き上機嫌で去っていっただけ上等だろう。
火群はといえば宮中に戻る頭もなく、虚を満たす一時の充足のまにまに路傍に座り込んで寝入っていた。それが昨夜のことである。
「――えいっ」
「そんなんじゃだめだろ。もっとさ……」
「えー!」
あっと言う声が二重に響く。同時に瞼の裏の暗闇に閃光が奔る。
ずどん。あるいは、がぁん。
いつも通り唐突で急速な覚醒は、しかしいつも以上に過激な衝撃と共に訪れた。
即座に目を開く。視界にちかちかと星が散っている。火群は反射的に抜刀の姿勢を取り、抱いていた紅蓮の鯉口を鳴らしていた。その剣呑な鋼の声も口から飛び出す怒号に掻き消える。
「――ッにすンだ、あ゛ァ!?」
「起きた」
「起きた」
「おきたー!」
怒りのままに瞬いて星を追い出す視界には、片膝で立つ火群と大差ないか、あるいはもっと小さな影が並んでいた。
一つは空の手で投擲の姿勢を取る少女。一つは少女の足下に纏わり付く幼子。そして最後の一つは両手で結構な大きさの石を抱える少年である。
そして火群の足下には、妙に存在感のあるまばらに散った小石と結構な太さの竹筒。ころころと呑気に少年少女たちへ向かって転がる竹は、どう考えても火群に一投され眠る頭を強打したものに違いあるまい。となればこの小石の山も怪しいものがある。
転がる竹を眺め、火群は苛立たしく息を吐く。構えていた紅蓮を抱え、ついでに鐺で竹を転がしながら膝を崩して地面に尻をつけた。胡座を掻き腕を組んで紅蓮を抱え、そのまま見なかったふりを決め込もうと目を閉じる。しかしながらそれもまた即座に遮られた。
「えーい!」
「ぐっ、て、めェ!」
いっとう小さな子どもが火群の股の間に尻から飛び込んでくる。転がしたばかりの竹筒を両手で抱え、何がおかしいのかケラケラ笑いながら上下に振っていた。ちゃぷちゃぷと激しい水音が立ち、そして時折火群の顔面から足首までを殴打している。
紅蓮を握り、火群は腕を振るうがままに膝から払い除ける――よりも先に、少女と少年が近寄ってきた。少年は抱えたままだった石をその場に落とし――なかなか豪気な音と砂埃が上がった――少女はしゃがみ込んで幼子に向き合う姿勢になる。しかしながらどちらの視線も火群へと向けられ、その瞳は妙に非難がましい色をしていた。
「子どものすることだろ、大人げねーぞほむら」
「そうだよ、大人げないよほむら。ほら清佐、こっち」
「やー!」
火群の膝の幼子、清佐は竹筒を放り投げ両手を広げる少女へと背を向けた。紅葉のような手が火群の腕を見た目にそぐわぬ強さで掴み、ぐりぐりと顔を押しつけてくる。投げ出された竹は膝を打ったし、擦りつけられる顔からはぐちゅぐちゅと粘ついた水音が上がっている。ちらりと隙間から見えた清佐は涙と洟で顔をべたべたに汚していた。
「きよ、あるくのイヤ! つかれたあ!」
「わがまま言わないの。お姉ちゃんも小六太ももう疲れたもん、おんぶできないよ」
「三葉の言うとおりだぞ清佐。ほら」
少女と少年――三葉と小六太は火群に貼りつく清佐の腕をそれぞれ取り、ぐいと引く。すると一体この小さな身体のどこにそれほどの力があるのか、清佐はますます泣き叫んで火群の袖に縋りついてきた。これでまた少年少女が力任せに幼子を引っ張るものだから、火群のグチャグチャに濡れた袖は更に引き伸ばされていく。
「いや――――!!」
大きければ勝ちとでも言いたげな大音声である。清佐の泣き声は最早声を通り越して不快な音として火群の脳みそを揺さぶっていた。わんわんと揺れる頭ではこれだけ元気ならばいくらでも歩けるだろうにという思考もままならない。
無理矢理引っ張られる腕の中、抱えた紅蓮ががちがちと鳴る。火群はとにかくを黙らせようと力任せに腕を振った。火群の動きに気付く間もなく泣き叫びながら少年少女の方へと転がる幼子の片腕を掴み、ぶんと振り抜く。しかし三葉と小六太は存外と簡単に手を離し、清佐の身は無事に火群の肩に納まった。
「っるせェンだよお前ら! 騒動すンなら他所でやれ!」
片腕で幼子を担ぎながら立ち上がり、喧しいことこの上ない子どもたちを順に見比べる。火群を見上げる三葉と小六太は目を瞬かせ、それから二人して見つめ合って頷いた。
何だと思う間に肩の清佐が火群の頭をぺちぺちと叩く。あんなに全身全霊で泣き叫んでいたというのに、涙は綺麗に引っ込んでいた。
「おんぶ! ほむ!」
「……あ゛?」
「よかったねえ清佐」
三葉はにこりと微笑みながら竹筒を手に立ち上がる。小六太も手についた砂を払うように両手を打ちながら立ち上がった。そして少年少女はどちらも清佐と、清佐を肩に乗せる火群に背を向け歩き出す。
「ほら、行くぞほむら。昼の鐘までには着かねーと」
小六太が肩越しに火群を振り返る。清佐は肩の上を勝手に這い、火群の首を跨ぐようにして頭に両腕を乗せていた。おんぶではなく肩首の姿勢だが、幼子と火群を置いて進む少年少女も幼子当人も、無論火群もそれどころではない。
子どもの歩幅ながら身軽さを活かし、二人の子どもはどんどん歩いていく。疲れたとは何だったのか? 幼子を押しつけられたとここらでようやく気付いた火群は首に回る細足を掴んで振りほどこうとするが、清佐は火群の頭を身体全体で抱え込むようにへばりついてきた。
「ほむ、すすんでー!」
「進んでじゃねェよ降りろ! この……クソッ! おい!」
どう掴んで引っ張ろうと清佐は餅のようにへばりついている。清佐の小さな手は火群の顎を押さえ込むように回り込み、下を向いているためか眼前には洟が垂れてちらついていた。こうなってはどうにもならない。火群は片手で清佐の膝を押さえ、もう片方の手で紅蓮を腰に差し駆け出した。
小六太と三葉は市街へと抜ける道を目を瞠る速さで進んでいる。走っていないのがいっそ奇妙だ。頭上できゃっきゃと騒ぐ清佐を無視して火群は少年少女を追って吠えた。
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