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4話 邂逅編
27 宮中の思惑
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「さて、火群」
あまりにも近い声にはっとする。御簾の向こうに消えたはずの女が気付けば眼前に佇んでいた。
距離を取ろうとするが背後は柱だった。身動ぐ程度しかできない。火群は座り込んだまま観念して、じとりと瑠璃を見据えた。心底おかしそうに女は笑う。
「そう睨むな。今更身構えたとて遅かろうに」
「るせェ、寄ンな」
「駄犬が人並みに考えごとに耽っていたようだが、さて。どう弁解してくれる気だ?」
「あァ?」
火群が顔を背けた分、女が顔を寄せてくる。いっそ突き飛ばしてでも立ち去ってやろうかと火群が思い至ると同時の声に、思わず胡乱な視線を向けた。
「妾の客人に斬りかかるなどどういうつもりだ? と、訊いておる」
「っ……」
僅かに身体が強張ったが、瑠璃は火群の顔を覗き込むだけだった。責めるに似た口調だが表情は常の通り、いけ好かない微笑を浮かべている。女の呼ばわる躾はあれだけで終わったらしい。
短く息を吐き、火群は考える。どういうつもりだなどと詰問されたとて答えは決まっていた。
「知らねェ」
「ほう」
「身体が動いた。紅蓮がおこってた。そンだけだ」
「……ふむ」
火群の答えに瑠璃は目を細める。しばしの間、瑠璃は透かすように火群の瞳を見つめ、やがてはあと息を吐いた。
「……語彙がないなあ、お前は」
「あ? ゴイって何だよ」
「よいよい、お前は知らぬともよい。ひとまずは聞いたとおりゆえな、今後はそのつもりで仲良う頼むぞ」
瑠璃はゆるりと背筋を伸ばし、踵を返す。あまりにも遅々としたそれにしゃらりしゃなりと髪の飾りから幾重にも纏った薄衣の音が重なっていく。火群は瑠璃の言葉を図りかねたまま、ちいさなその姿を見つめていた。
「……そのつもりってなァどれだよ」
「うん? 次からお前を仕事に遣るときには氷雨殿もおるゆえな、という話だが?」
「は――」
男の、藍深い視線が胸裡に蘇る。
火群は息を止めて、吐いて、それから吸う。ここまで瞬き一つほどの間があって、しかし瑠璃は肩越しに火群を振り返った。
貴石をはめ込んだような瞳が、ちかりと光を散らす。それはどうにも剣呑を孕み、そして続く声は決して否を許さない響きを曳いている。
「わかるな、火群」
「――ッ、あ、あ」
喉に絡む息苦しさと、腹の底を脅かす不快感。そして背筋を舐め上げる虚ろの怖気。
刹那、乱れた呼吸に絡まる舌が、半ば火群の意思を離れて答える。その程度のことは見越しているだろうに、それでも女はにっこりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ならばよい。今日は朝から大義であった。下がるがよいぞ」
「――」
紅蓮を手に、火群は静かに立ち上がる。続いてぎちりと鳴ったのは手にした紅蓮か、鞘を掴む火群の指か、あるいは奥歯を噛む音か。
気にくわない。何もかも。あの男も、あの刀も、この女も――何もかも!
それでもこの身は女の言うがまま、為せと命じられたとおりに動くしかない。そんな己が何よりも腹立たしいのだ。
枯れ野の髪を振り乱し、火群は足音も荒く飴色の床を踏む。笑みを湛えた瑠璃の視線を背に感じれば紅蓮を握る手が力を込めるあまりに震えた。大広間を背に、未だに同じ場所に留まる玫瑰と瑪瑙も無視して足音を響かせながら階段を下りていく。
高いところは好かない。典承殿を辞した火群は過ぎる嘔気に歯噛みしながら、雲開殿へ、更にその下の階へと宮中を下っていった。
◇ ◇ ◇
「――さて、其方らはどう見た」
着重ねた単はあまりにも重い。
瑠璃は自らの足で進むのを早々に諦め、瞬きの一つで壇上の御椅子へと戻った。ついと指を振ればしゃらりと御簾が上がる。董女の姿は既にない。開けた視界では先頃来客が座していた場所に、左右に控えていたはずの男たちが今は並んで座している。
その片方、刻は気怠く言葉を吐いた。肩の荷を下ろしたように緩やかな声である。
「火群に関しては言葉通りかと。紅蓮が動いて火群がそれに従った。本人にもわかっていないんでしょう。おこった、が字義通りかも怪しいところです」
「うむ。当主殿の方は」
「相当疑っておる様子で」
こちらに答えたのは飾である。呆れを滲ませ砕けた口調の刻とは対称に、淡々と冷ややかな声で続ける。
「ただし表立って追及するつもりは今のところないかと。七宝、ひいてはフジでの彼の立場を考えれば、まだしばらくは様子見といったところでしょう」
「其方の語りは雑味が多い。納得しかねる点が多すぎるであろうよ」
「如何にも。承知の上です」
面布に覆われて、男の表情は見えやしない。しかしながら瑠璃には、いつも通りの無表情で開き直る飾の姿が手に取るようにわかった。隣の刻も同じらしく、呆れの色を隠しもしていない。
尤も、飾という男は周囲を気にする男でもない。この場において一切の決定を握るのは最終的には飾であることを踏まえれば、そもそも何を気にする必要もないだろう。
その飾は重ねて平然と瑠璃に水を向ける。
「人は今はよいでしょう。蒼天の方は如何様で」
「うむ。『七宝』に開いた……いや違うな、あちらから接触してきた、と言うべきだな」
「なら――完成は早いのでは」
期待の言葉に反して、刻の口調は暗い。
瑠璃は多少なりとも刻の胸中を知っている。この場において最も意志がなく、しかし心を持つ男。相反する心中を察しながら瑠璃は目を眇め、ゆるりとかぶりを振った。
「いや。それこそ様子見とでも言おうか、……あれは間違いなく『七宝』よりも上位のもの、何を思うておるのか、あるいは何も考えておらんのか計り知れぬ。間違いなく言えるのは、当主殿とは全く別個の意思があろうということぐらいだな」
「――その当主の、隠れてしまう、とは?」
飾の声は鋭い。この男が聞き逃すはずもないと知ってはいるが、しかしながら瑠璃を責める空気すら隠さないのは頂けないところである。几帳面とはつまり余裕がないのだと、飾に限ってはそんな考えが頭を過ぎる。
剣呑を宥めるように、瑠璃は殊更ゆっくりと答えてやる。
「七宝に入ってからここまで、まるで木立を抜けるように視えなくなる瞬間がある。そう長い時間ではない。蒼天によるものか、はたまた別の何かか。こればかりはまだわからんな」
言葉尻は半ば溜め息へと変わり、三者の間に落ちていく。
飾の相手は気を遣う。瑠璃が何を言おうとこの男に響かないことぐらいは理解しているが、それでも形ぐらいは勿体ぶってやる必要があるのだ。飾にとっても、瑠璃にとっても。
肩から力を抜いたとて被さる衣の重さは変わらない。それでもできうる限り脱力し、瑠璃は背もたれに身を預ける。
「時間はまだある。蒼天とその仕い手――果たしてどう動くかは、これからよ」
瑠璃は天を仰いで目を眇める。ここは七宝の国、ひいてはヒノモトを統べる七宝宮は最上階、典承殿だ。遍く全てを見下ろして、しかしそれは人の創り上げた場所である。高きに編まれた木目の精緻に、あるいは神威を示すように重厚な屋根に遮られ、天など見えようはずもない。
果たしてその高みが何色をしているのか。あるいは何色へと移り変わるのか。
蒼天と紅蓮はようやく邂逅を果した。何もかも、全てはこれからだ。瑠璃は刻と飾からは見えないよう、静かに笑みを浮かべる。
その笑みに潜む感情が何なのか。二人の男はもちろん、少女自身すらまだ気づいていない。
あまりにも近い声にはっとする。御簾の向こうに消えたはずの女が気付けば眼前に佇んでいた。
距離を取ろうとするが背後は柱だった。身動ぐ程度しかできない。火群は座り込んだまま観念して、じとりと瑠璃を見据えた。心底おかしそうに女は笑う。
「そう睨むな。今更身構えたとて遅かろうに」
「るせェ、寄ンな」
「駄犬が人並みに考えごとに耽っていたようだが、さて。どう弁解してくれる気だ?」
「あァ?」
火群が顔を背けた分、女が顔を寄せてくる。いっそ突き飛ばしてでも立ち去ってやろうかと火群が思い至ると同時の声に、思わず胡乱な視線を向けた。
「妾の客人に斬りかかるなどどういうつもりだ? と、訊いておる」
「っ……」
僅かに身体が強張ったが、瑠璃は火群の顔を覗き込むだけだった。責めるに似た口調だが表情は常の通り、いけ好かない微笑を浮かべている。女の呼ばわる躾はあれだけで終わったらしい。
短く息を吐き、火群は考える。どういうつもりだなどと詰問されたとて答えは決まっていた。
「知らねェ」
「ほう」
「身体が動いた。紅蓮がおこってた。そンだけだ」
「……ふむ」
火群の答えに瑠璃は目を細める。しばしの間、瑠璃は透かすように火群の瞳を見つめ、やがてはあと息を吐いた。
「……語彙がないなあ、お前は」
「あ? ゴイって何だよ」
「よいよい、お前は知らぬともよい。ひとまずは聞いたとおりゆえな、今後はそのつもりで仲良う頼むぞ」
瑠璃はゆるりと背筋を伸ばし、踵を返す。あまりにも遅々としたそれにしゃらりしゃなりと髪の飾りから幾重にも纏った薄衣の音が重なっていく。火群は瑠璃の言葉を図りかねたまま、ちいさなその姿を見つめていた。
「……そのつもりってなァどれだよ」
「うん? 次からお前を仕事に遣るときには氷雨殿もおるゆえな、という話だが?」
「は――」
男の、藍深い視線が胸裡に蘇る。
火群は息を止めて、吐いて、それから吸う。ここまで瞬き一つほどの間があって、しかし瑠璃は肩越しに火群を振り返った。
貴石をはめ込んだような瞳が、ちかりと光を散らす。それはどうにも剣呑を孕み、そして続く声は決して否を許さない響きを曳いている。
「わかるな、火群」
「――ッ、あ、あ」
喉に絡む息苦しさと、腹の底を脅かす不快感。そして背筋を舐め上げる虚ろの怖気。
刹那、乱れた呼吸に絡まる舌が、半ば火群の意思を離れて答える。その程度のことは見越しているだろうに、それでも女はにっこりと笑みを浮かべて口を開いた。
「ならばよい。今日は朝から大義であった。下がるがよいぞ」
「――」
紅蓮を手に、火群は静かに立ち上がる。続いてぎちりと鳴ったのは手にした紅蓮か、鞘を掴む火群の指か、あるいは奥歯を噛む音か。
気にくわない。何もかも。あの男も、あの刀も、この女も――何もかも!
それでもこの身は女の言うがまま、為せと命じられたとおりに動くしかない。そんな己が何よりも腹立たしいのだ。
枯れ野の髪を振り乱し、火群は足音も荒く飴色の床を踏む。笑みを湛えた瑠璃の視線を背に感じれば紅蓮を握る手が力を込めるあまりに震えた。大広間を背に、未だに同じ場所に留まる玫瑰と瑪瑙も無視して足音を響かせながら階段を下りていく。
高いところは好かない。典承殿を辞した火群は過ぎる嘔気に歯噛みしながら、雲開殿へ、更にその下の階へと宮中を下っていった。
◇ ◇ ◇
「――さて、其方らはどう見た」
着重ねた単はあまりにも重い。
瑠璃は自らの足で進むのを早々に諦め、瞬きの一つで壇上の御椅子へと戻った。ついと指を振ればしゃらりと御簾が上がる。董女の姿は既にない。開けた視界では先頃来客が座していた場所に、左右に控えていたはずの男たちが今は並んで座している。
その片方、刻は気怠く言葉を吐いた。肩の荷を下ろしたように緩やかな声である。
「火群に関しては言葉通りかと。紅蓮が動いて火群がそれに従った。本人にもわかっていないんでしょう。おこった、が字義通りかも怪しいところです」
「うむ。当主殿の方は」
「相当疑っておる様子で」
こちらに答えたのは飾である。呆れを滲ませ砕けた口調の刻とは対称に、淡々と冷ややかな声で続ける。
「ただし表立って追及するつもりは今のところないかと。七宝、ひいてはフジでの彼の立場を考えれば、まだしばらくは様子見といったところでしょう」
「其方の語りは雑味が多い。納得しかねる点が多すぎるであろうよ」
「如何にも。承知の上です」
面布に覆われて、男の表情は見えやしない。しかしながら瑠璃には、いつも通りの無表情で開き直る飾の姿が手に取るようにわかった。隣の刻も同じらしく、呆れの色を隠しもしていない。
尤も、飾という男は周囲を気にする男でもない。この場において一切の決定を握るのは最終的には飾であることを踏まえれば、そもそも何を気にする必要もないだろう。
その飾は重ねて平然と瑠璃に水を向ける。
「人は今はよいでしょう。蒼天の方は如何様で」
「うむ。『七宝』に開いた……いや違うな、あちらから接触してきた、と言うべきだな」
「なら――完成は早いのでは」
期待の言葉に反して、刻の口調は暗い。
瑠璃は多少なりとも刻の胸中を知っている。この場において最も意志がなく、しかし心を持つ男。相反する心中を察しながら瑠璃は目を眇め、ゆるりとかぶりを振った。
「いや。それこそ様子見とでも言おうか、……あれは間違いなく『七宝』よりも上位のもの、何を思うておるのか、あるいは何も考えておらんのか計り知れぬ。間違いなく言えるのは、当主殿とは全く別個の意思があろうということぐらいだな」
「――その当主の、隠れてしまう、とは?」
飾の声は鋭い。この男が聞き逃すはずもないと知ってはいるが、しかしながら瑠璃を責める空気すら隠さないのは頂けないところである。几帳面とはつまり余裕がないのだと、飾に限ってはそんな考えが頭を過ぎる。
剣呑を宥めるように、瑠璃は殊更ゆっくりと答えてやる。
「七宝に入ってからここまで、まるで木立を抜けるように視えなくなる瞬間がある。そう長い時間ではない。蒼天によるものか、はたまた別の何かか。こればかりはまだわからんな」
言葉尻は半ば溜め息へと変わり、三者の間に落ちていく。
飾の相手は気を遣う。瑠璃が何を言おうとこの男に響かないことぐらいは理解しているが、それでも形ぐらいは勿体ぶってやる必要があるのだ。飾にとっても、瑠璃にとっても。
肩から力を抜いたとて被さる衣の重さは変わらない。それでもできうる限り脱力し、瑠璃は背もたれに身を預ける。
「時間はまだある。蒼天とその仕い手――果たしてどう動くかは、これからよ」
瑠璃は天を仰いで目を眇める。ここは七宝の国、ひいてはヒノモトを統べる七宝宮は最上階、典承殿だ。遍く全てを見下ろして、しかしそれは人の創り上げた場所である。高きに編まれた木目の精緻に、あるいは神威を示すように重厚な屋根に遮られ、天など見えようはずもない。
果たしてその高みが何色をしているのか。あるいは何色へと移り変わるのか。
蒼天と紅蓮はようやく邂逅を果した。何もかも、全てはこれからだ。瑠璃は刻と飾からは見えないよう、静かに笑みを浮かべる。
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