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1話 邂逅編
4 問答
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「貴様は、何だ。何故我々を阻む?」
「オレぇ?」
黄金の瞳がぱちぱちと瞬いた。意外だと言わんばかりに、しかし直に細められる。口角を上げて吐く言葉は低く昂奮を滲ませていた。
「オレぁ火群ってンだ。この――紅蓮に、ゆいいつ、選ばれた人間だよ」
あるいは、陶酔か。男――火群は拙く、噛み締めるように区切りながら囁いた。
それは伊角に言い聞かせているというよりも、己の裡で感じ入っているように見える。
抱いていた紅蓮なる刀の横腹を指先で撫で、火群ははッと息を吐く。鋭く熱の籠もった息に、鋼を辿る指先の柔さが不釣り合いだった。散々流させた血を落とした刃はやはり、鋼の内側で炎が渦巻いているかのように赤みを帯びている。
火群はきゅうと眉根を寄せる。紅潮した頬に、熱い吐息に、常軌を逸した動きで武士たちを薙ぎ払った男が何を考えているのか伊角にはわかるべくもない。落馬の痛みが徐々に引き冷静を取り戻しつつある伊角は、ただ火群を見上げていた。
視線に気づいたのか、須臾の陶酔から火群が引き戻される。ぱちと瞬いて、熱を引きずる吐息を長く零した。
「アンタらのことなんか知ンねェよ。オレぁババアが『やれ』っつってるからやってる、そンだけだ」
どこか忌々しげな、苛立ちを含んだ口調だ。
つまりこの、何やら由来がありそうな刀を手にした若者は、何者かに命じられて伊角たちの前に立ち塞がったのだ。先の言葉を思い返すならば七宝に伊角を入れず、追い返すために。
「私を、殺すのか」
「ンー?」
呻く伊角に、反して男は軽薄に首を傾げる。伊角を見下ろし、宙を見上げ、それから最後にちいさく舌を打つ。その視線はちらりと後方を振り返ったようにも見えたが定かではない。黄金の瞳に伊角を映して細めている。
笑んでいるようにも見定めているようにも見える目だ。思わず伊角は身動ぐが、強かに地に打ち付けた身体がしばらくまともに動けそうになかった。
伊角を気にする様子もなく、男はつまらなそうに呟いた。
「今日は殺すなって言われてンだよ。アンタ以外も死ンじゃアねーだろ」
確かに、最後に斬りかかった若武者は脇腹を裂かれ腕を貫かれただけだ。じっと意識すればそこかしこから呻き声や微かな悪態をつく声が聞こえる。ちらりと眼球だけを動かして伺えば、よろめきながら立ち上がる愛馬と、その遙か向こうには顔を押さえて虫のようにゆっくりと這う虎八までもが見えた。
――ならば誰が、何のために。この男を伊角の前にやったのか。
七宝を、宮中を、帝を目前にして、彼らの不興を買う恐れさえあるこの場所で。襲撃しておきながらわざわざ伊角たちを殺さぬように?
悠長に考えていられる状況でもなかった。血で汚れた煤色の裾を揺らし、火群が殊更にゆっくりと立ち上がっていた。未だ倒れたままの伊角の身体を跨ぎ、そのまま下肢に乗り上げるような格好で膝を地に着ける。
蒼穹と逆光を背負い、火群は紅蓮を振りかぶった。
ざぐんと、控えめな土を抉る音。咄嗟に閉じていた目を開けば、伊角の顔のすぐ側に刃が突き刺さっていた。
赤を閉じ込めた刀身に鈍く火群が映っている。影になった表情には相変わらずの陶酔が滲んでいて、鏡像にも鮮明に頬を薄く染め息を吐いた。刀身から本物へと視線を転じれば、熱を逃がすように、ただでさえ開けていた共襟を肩が見えるほど広げた火群が跨っている。裾も足の付け根が露わになるほど捲り上げられ、白く肉づきの薄い内腿を晒していた。
ぞっとした。伊角は甲冑も身につけているというのに、それでも触れる身体の熱さに。つい先ほどまでけたけた笑いながら伊角の兵たちを撫で切りにした男が、今は伊角の上でやたら湿った熱をひけらかしていることに。
何よりも恐ろしいのは、その体温を受けて伊角の中で渦巻くものがあることだった。
「貴、様ッ、何のつもりだ!」
渦を切るように奥歯を噛み締め、伊角は身体を捩る。打ち付けた身体が痛むばかりで上に乗った火群は当然のようにビクともしない。妙に粘ついて濁った黄金の目が如何にも煩わしそうに伊角を見下ろしている。
相変わらず吊り上がった口角は心なしか綻びを見せて、浅く熱を吐いていた。呼吸の度に晒された胸が上下し、昼の晴天に白い肌が浮いては沈む。
「殺しゃしねェって言ったろ? いいから大人しくしてろよ、なァ?」
歯を見せて気安く投げかける。それは伊角に対してではないのだろう。糸を引くような甘さを溶かす視線は伊角ではなく、すぐ真横に突き立てられた紅蓮に向かっていた。
のたうつ赤を閉じ込めた刀身に映る火群の姿は鈍く、歪に笑っている。
伊角は胃の底が冷えるような、視界が奈落の底へ急激に落ち込むような感覚に囚われる。
火群は完全に伊角の生死を握っているのだ。殺すつもりで立ち向かう兵を尋常ならざる膂力で、しかも殺さぬように斬り伏せた。伊角の動きを封じる位置を取り、そしてこの男が戯れにでも地に突き立てた刀に手を伸ばしひょいと振れば伊角の首は簡単に胴から分かれるのだろう。
伊角の身体から力が抜ける。
――あるいはこの無為の感覚は、何かの言い訳なのかも知れない。
伊角の理性は悟りながらも、しかし抗うことを手放し、冷えた腹の奥底で渦巻く熱に身を任せた。
「……――あは、」
火群は笑うように息を吐く。緩んだ口角を舌先が舐る。
黄金の瞳は灼け熔けた鋼か蜜のように、どろりどろりと何かを滴らせていた。
「オレぇ?」
黄金の瞳がぱちぱちと瞬いた。意外だと言わんばかりに、しかし直に細められる。口角を上げて吐く言葉は低く昂奮を滲ませていた。
「オレぁ火群ってンだ。この――紅蓮に、ゆいいつ、選ばれた人間だよ」
あるいは、陶酔か。男――火群は拙く、噛み締めるように区切りながら囁いた。
それは伊角に言い聞かせているというよりも、己の裡で感じ入っているように見える。
抱いていた紅蓮なる刀の横腹を指先で撫で、火群ははッと息を吐く。鋭く熱の籠もった息に、鋼を辿る指先の柔さが不釣り合いだった。散々流させた血を落とした刃はやはり、鋼の内側で炎が渦巻いているかのように赤みを帯びている。
火群はきゅうと眉根を寄せる。紅潮した頬に、熱い吐息に、常軌を逸した動きで武士たちを薙ぎ払った男が何を考えているのか伊角にはわかるべくもない。落馬の痛みが徐々に引き冷静を取り戻しつつある伊角は、ただ火群を見上げていた。
視線に気づいたのか、須臾の陶酔から火群が引き戻される。ぱちと瞬いて、熱を引きずる吐息を長く零した。
「アンタらのことなんか知ンねェよ。オレぁババアが『やれ』っつってるからやってる、そンだけだ」
どこか忌々しげな、苛立ちを含んだ口調だ。
つまりこの、何やら由来がありそうな刀を手にした若者は、何者かに命じられて伊角たちの前に立ち塞がったのだ。先の言葉を思い返すならば七宝に伊角を入れず、追い返すために。
「私を、殺すのか」
「ンー?」
呻く伊角に、反して男は軽薄に首を傾げる。伊角を見下ろし、宙を見上げ、それから最後にちいさく舌を打つ。その視線はちらりと後方を振り返ったようにも見えたが定かではない。黄金の瞳に伊角を映して細めている。
笑んでいるようにも見定めているようにも見える目だ。思わず伊角は身動ぐが、強かに地に打ち付けた身体がしばらくまともに動けそうになかった。
伊角を気にする様子もなく、男はつまらなそうに呟いた。
「今日は殺すなって言われてンだよ。アンタ以外も死ンじゃアねーだろ」
確かに、最後に斬りかかった若武者は脇腹を裂かれ腕を貫かれただけだ。じっと意識すればそこかしこから呻き声や微かな悪態をつく声が聞こえる。ちらりと眼球だけを動かして伺えば、よろめきながら立ち上がる愛馬と、その遙か向こうには顔を押さえて虫のようにゆっくりと這う虎八までもが見えた。
――ならば誰が、何のために。この男を伊角の前にやったのか。
七宝を、宮中を、帝を目前にして、彼らの不興を買う恐れさえあるこの場所で。襲撃しておきながらわざわざ伊角たちを殺さぬように?
悠長に考えていられる状況でもなかった。血で汚れた煤色の裾を揺らし、火群が殊更にゆっくりと立ち上がっていた。未だ倒れたままの伊角の身体を跨ぎ、そのまま下肢に乗り上げるような格好で膝を地に着ける。
蒼穹と逆光を背負い、火群は紅蓮を振りかぶった。
ざぐんと、控えめな土を抉る音。咄嗟に閉じていた目を開けば、伊角の顔のすぐ側に刃が突き刺さっていた。
赤を閉じ込めた刀身に鈍く火群が映っている。影になった表情には相変わらずの陶酔が滲んでいて、鏡像にも鮮明に頬を薄く染め息を吐いた。刀身から本物へと視線を転じれば、熱を逃がすように、ただでさえ開けていた共襟を肩が見えるほど広げた火群が跨っている。裾も足の付け根が露わになるほど捲り上げられ、白く肉づきの薄い内腿を晒していた。
ぞっとした。伊角は甲冑も身につけているというのに、それでも触れる身体の熱さに。つい先ほどまでけたけた笑いながら伊角の兵たちを撫で切りにした男が、今は伊角の上でやたら湿った熱をひけらかしていることに。
何よりも恐ろしいのは、その体温を受けて伊角の中で渦巻くものがあることだった。
「貴、様ッ、何のつもりだ!」
渦を切るように奥歯を噛み締め、伊角は身体を捩る。打ち付けた身体が痛むばかりで上に乗った火群は当然のようにビクともしない。妙に粘ついて濁った黄金の目が如何にも煩わしそうに伊角を見下ろしている。
相変わらず吊り上がった口角は心なしか綻びを見せて、浅く熱を吐いていた。呼吸の度に晒された胸が上下し、昼の晴天に白い肌が浮いては沈む。
「殺しゃしねェって言ったろ? いいから大人しくしてろよ、なァ?」
歯を見せて気安く投げかける。それは伊角に対してではないのだろう。糸を引くような甘さを溶かす視線は伊角ではなく、すぐ真横に突き立てられた紅蓮に向かっていた。
のたうつ赤を閉じ込めた刀身に映る火群の姿は鈍く、歪に笑っている。
伊角は胃の底が冷えるような、視界が奈落の底へ急激に落ち込むような感覚に囚われる。
火群は完全に伊角の生死を握っているのだ。殺すつもりで立ち向かう兵を尋常ならざる膂力で、しかも殺さぬように斬り伏せた。伊角の動きを封じる位置を取り、そしてこの男が戯れにでも地に突き立てた刀に手を伸ばしひょいと振れば伊角の首は簡単に胴から分かれるのだろう。
伊角の身体から力が抜ける。
――あるいはこの無為の感覚は、何かの言い訳なのかも知れない。
伊角の理性は悟りながらも、しかし抗うことを手放し、冷えた腹の奥底で渦巻く熱に身を任せた。
「……――あは、」
火群は笑うように息を吐く。緩んだ口角を舌先が舐る。
黄金の瞳は灼け熔けた鋼か蜜のように、どろりどろりと何かを滴らせていた。
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