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37話 地獄/救いの朝

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とぼとぼてくてくぽてぽてと廊下を歩く。

ささっとお着替えと身だしなみを整えた僕は、歩いてわずか30秒ほどのジュリーさまのお部屋……じゃなく、僕の足だと2、3分かかっちゃうお友だち用部屋へと急いでいる。

……急いでいてもぽたぽたって感じの歩き方なのは諦めてる。

こういうときだけは……ほんっと、このミニマムボディが憎い。

歩幅は狭い、脚力もない、走ったとしても1分も経たないうちに動けなくなるほどに体力もない。

ないないづくしのこの体、なにが悲しくてこんな育ち方しちゃったんだか。

もっとも、これを補うかのように燃費がいいもんだから人よりも多い時間をいろいろに使えるのがせめてもの救いか。

たいして飲み食いしないのに、特別に何かしてるわけじゃないのに、活動時間が……人の5割増しくらいっていうのは、やっぱり大きい。

昼間も特段眠くなったりしないし、この生活を続けていてもニキビも目の隈もできないし、調子が悪くなったりも風邪引いたりもしない。

つまりは低カロリーショートスリープミニマムが僕の現世のふつうってことで、だから自然体だからしょうがないか。

生まれは選べないからな。

まー、かわいい(特に女性向け)に全振りしたような見た目ではあるからもみくちゃにされるってわけで、相対的にものすごーくお得はしているんだけども。

かわいいかわいいってされるの目当てに愛想振りまかなくっても、こどもだからーって気にもされないから気楽でもあるし、年ごろなのに……JKくらい、今世では半分くらいの女の子たちは結婚している年ごろちくしょうもったいない、おっと……とにかくこの見た目だから縁談もお断りしやすい。

ぐいぐい来られても、必殺・あれがまだ来てもいませんから……ってのがあるからなんとかなってきたし。

うん。

実に都合のいい体なんだ。

それはもー、僕の生きる目的に沿った感じに。

……なのに、もう婚約取り付けておこうって企んでるジュリーさまのお母さまとお父さまって。

ああ、これだからお貴族さまは…………………………っと、いけないいけない。

大天使たるジュリーさまの親御さんなんだ、悪く思ったりしちゃだめだ。

それに、それを避けるための逃げる準備は順調だし。

と。

………………………………いない。

いつもの、僕が忙しいときにサブでお手伝いしてくれるメイドさんも、昨日はいたシルヴィーさまのお付きの人も、お部屋の前に、いない。

………………………………………………………………ああ、これは、もう……。

僕は、察しちゃった。

はぁ、がっかりだ。

凹む。

もう……1日中貴族のおっさんたちに囲まれて話し込んだくらいの疲労感がのしかかってきている。

僕はもうだめだ。

お嬢さま成分の何分の1かを手に入れられないと知って、心がしょげた。

もうやだ。

………………………………。

じゃ、ないな。

なんとかしてそれをおふろとかで補充するんだから。

よし、みなぎってきた。

元気が出たから目の前にある扉に向けて進み、こんこん、とノックをしてしばし。

ぎぃーっと内側から……外にいるはずだったメイドさんたちが扉を開けてくれて、その中には……お着替えが完璧に終わってしまわれているジュリーさまとシルヴィーさまが。

……ああおふたりとも今日はおきれいなドレスが大変にお似合いですすばらしいですすてきですですけれども僕はそのお着替えをこの手を使ってして差し上げたかったんですおふたりのおむねとおしりの具合が大変におよろしいですね、あああ……。

「………………あ、あら。 おはよう、リラ。 今朝は…………………………、その。 ずいぶんと遅かったのですね?」
「………………………………申し訳ありませぬ、遅くなってしまって。 ……あと、おはようございます……」

今にも地べたにはいずり回りたい気持ちを抑えて、どうにかこうにかお返事をする。

いちど元気は出たけど、それでも僕の中にはぐるぐると無能感が渦巻いている。

僕の、毎朝の活力のジュリーさまの裸体を拝めず、あまつさえ僕のいちばん大切なお仕事をし損ねたんだから。

………………………………………………………………。

……やはり、少しは体、鍛えなきゃならない。

今後、2度と同じ失敗を繰り返さないためにも。

「ええ、いいのよ、リラ。 私たち……ほら、疲れていたからずいぶんと早くに寝たでしょう? ですから、明け方にはもう目が覚めてしまっていて。 それからずっとおはなししていたものですから。 ……えっと、ですから。 いえ、だから、気にはしていない……わ? 髪だってシルヴィーと梳かし合いとか、服を選び合ったりだとか、ふだんにないことをしていたのだし」

ああ、………………………………ああああ。

あああああ……。

そんな……そげな桃源郷、黄金郷が花開いていたとは。

僕は、どれだけの損失を被ったのか。

まったくに、忸怩たる思いの次第だ。

「遅くなったことは、たいしたことではないの。 それでね、リラ?」
「はい、何でしょうか。 ……はっ! まずはお詫びがてらに今日の足ツボは念入りに。 それに、おふろに限らず、他のあらゆるサービ、お世話もそれはそれはもう」

そう。

僕が、今朝逃した分も、いっぱいにしなければ。

だから、さあっ。

………………………………。

ん?

ジュリーさま?

なぜにそのような凜々しい顔つきをされているのですかいえあのときを思い出してすっごく嬉しいんですけどなにかものすごく悪い予感が。

「私、ね? リラ。 考えたのです。 私は、リラが来てすぐに……、リラが来てからずっと……あなたに頼り切りだったのです。 ですから、リラだけがそのように忙しい思いをせずとも良いようにと、お父さまたちとよく話し合いましたの。 ……それで、しばらくは……当面のあいだは、リラ以外の方たちに、リラに肩代わりしてもらっていたお仕事をお手伝いいただきますから。 ですのでまずはこうして早くに起きるのだと見せて差し上げましたわ。 ……これでもう、リラが早起きをしてまで私の寝起きの世話をされなくてもいいですわよね?」

「………………………………………………………………。 へ?」

ジュリーさまは、なに、を。

え、お手伝い?

お世話しなくていい?

僕の耳がおかしいのかな?

そんなことは世界が認めないはずなのに。

けど、え、ちょっと待ってくださいジュリーさま?

……けど、そんな僕の裡も知らないで、ジュリーさまはお美しい顔を……ひと晩の内にどんなお心変わりがあったのかは分からないけど、僕の知らない顔つきをされていて。

「体も……、ええ。 リラのおかげで、すっかりと治っていますし、今の私でしたらこんとろーる、というものをしながらやっていけそうなの。 そうです、リラがさんざんに教えてくれたように。 ですので、………………………………もう。 これからはもうお世話をされなくても、私ひとりで大丈夫ですわっ」

「………………………………ジュリーさま。 少し待ってくださ」
「それに、私はずいぶんとお仕事から離れてしまいました。 そろそろ戻りませんと、すっかり忘れてしまいそうというのもあるの。 リラが、私よりもずっと上手にしていたものも、他の方に頼んで少しずつものにして行って、立派にできるようにならなければなりませんね」

「あの」
「今朝、シルヴィーと揃って早く目が覚めてしまったと言ったでしょう? そのときに相談に乗ってもらって決心したのですわ。 ……先ほど、それをお父さまにもお伝えして認めていただきました。 はじめはお父さまに直接に見ていただきますけれど、そのうちに、私が……リラの言っていたように、前のようにならない程度のお仕事を任せていただくことになっていますわ」
「ジュリーさま?」

僕の矮小な肺活量がここに来て致命的だ。

はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ、と、息が苦しい。

だけど僕は、それを人に悟らせない程度の演技はできるんだ。

だけどだけど、それがイコールで話せるってことじゃなくって。

僕が言おうとするたびにジュリーさまが遮られる形になって……そんなはずはない、よね?……で、なんにも言えないでいる。

その上、ふだんなら僕がなにかを話そうとするそぶりを見せるだけでいちいち聞いてくださるほどの気配りができるお方なのに、今はご自分の世界に入り込んでいるかのように僕を見ているようで見ていなくって、どこか遠くを……先のほうを見据えた感じになられていて。

なんで。

………………………………。

あの。

待って。

や、待ってください。

僕は、変化を望んでなんていません。

今のまま……今のままにお世話をさせていただく生活が幸せで、天国で。

「ジュ」
「……それに。 私は、再来年にはアルベールさまのところへ……王家へ行くのですもの。 数年後か、十数年後か、それよりもずっと先かは分かりませんけれども……将来には王妃という立場にもなるのです。 その少し前からいろいろと変わるでしょうし、きっと、お父さまのお手伝いというものよりもずっとずっと忙しい毎日を送ることになるでしょう。 ですから、………………………………リラにお世話してもらっていたお昼寝は、もうおしまい。 充分にぐっすりと寝て、体も元通りになって、頭もすっきりとして、いい気分になって。 今の私は正にそれですから、きっと、できます。 もう、リラにばかり任せているわけにはいきませんものね?」

「いえジュリーさまどうか僕の話を」
「……ええ、もちろん大丈夫ですわ。 せっかくリラに治してもらったのですもの。 そのあたりのこんとろーるはきちんとお医者さまにもお母さま方にも見ていただきますから」
「いえ、そういうわけではなくですね、あの」

なんで、どうして。

ジュリーさまはなにゆえにそのようなお心変わりを。

それはまずい。

非常にまずい。

お仕事も楽しいのはもちろん、そもそも僕の女神さまたるジュリーさまをお世話させていただくっていう……僕の、唯一って言ってもいい癒やし、かつ娯楽がなくなられてしまう。

なんとかして、お止めしなければ。

大丈夫、まだ、なんとかなるはずだ。

なにか、別の方向に興味を持たせて差し上げたら、………………………………。

やば。

あんまりに急なこと過ぎて、ぜんっぜん思いつかぬ。

……もしかして、詰んだ?

詰んだの?

え?
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