紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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冗長

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「本当にご馳走になってもよろしいの?」

 お伺いを立てつつも、女給が目の前に置いた皿を、星のように煌めく瞳で眺めるのは、大宮駒子。尾井坂泰臣の許嫁だ。
「どうぞ」と、勧める近衛は 金縁のカップに唇を寄せ、笑みを隠す。
 光留へのご祝儀を、郷里から取り寄せる清浦に対し、近衛としても何かしら――と考え、日本橋付近を流し見ていた所に、バッタリと出くわしたのが駒子だった。
 矢絣に袴、女学校の帰りだろうか? しかし、華族女学校は四谷だ。大宮伯爵家との方向も違うことに「お出かけでしたか?」と尋ねた。

「育ての親が、浅草におりますの」
「ああ、なるほど」

 例の下駄屋だろう。会いに行くのに、土産でも買うのかと納得する。

「ご学友とは、寄り道はされないのですか?」
「ええ。お屋敷にお呼ばれなど、お声はかかるのですが……」

 成る程、行ってしまえば今度は、学友を大宮邸へ招く必要性が出てくる。
「まあ、交遊関係は尾井坂君の夫人になってからが、良いかもしれませんね」と、不毛な会話に終止符を打った。
 駒子は、微かに笑みを浮かべ、フォークを口許に運ぶ。初めて会った日、フォークを突き立て、肉を食いちぎった姿に戦慄したが、今では何処の茶会に出ても、可笑しなことにはならないだろう。

「……美味しい!これは、何というのですか?」
waffleワッフルと。メニューには、ウヲッフルスと書かれていますね」

 欧州で見たのとは、少し違うが日本人に合わせているのだろう。あんこが添えられているが、初めて食べる駒子が美味しいというのだから、主人の試みは成功と言えよう。

「近衛様は、お仕事で?」
「いいえ、お祝いの品物を見に」

「あら、もしかして光留様? 」
「ええ、これがなかなか難しい。子爵家も男爵家も道具類は、一級品を揃えているでしょう。足りないものはないと思われ……だからと、そこらの家のように食べ物を持ち込む必要もなく……正直言って、こんなに悩んだことがないくらいです」

 言っていることは、本当なのだろう。近衛は、眉間に深くしわを寄せた。

「あら!私は、昨日お持ちしました」
「それは、かぶると事ですね。何を?」

 駒子は「あは!」と声をあげ「それはありませんわ」と、首をゆっくり振ってみせた。

「私、お金を持っていませんもの。ですので晃子様へ、光留様の書をお渡ししました」
「書?」

「ええ。筆道を習っていた時に、好きな言葉と仰られて書かれたものです」
「……駒子さん、さすがにいけませんよ。そのような紙くずは」

 光留が達筆なのは認めるが、見本のようなものだろう。さすがに無礼だと、更に眉根を寄せるが、悪びれる様子もない。唇を尖らせると、テーブルに何やら文字を書く。

「何です?」
「日光と書かれたものですが、間を折ると……」

「あ、まさか……晃?」
「そうです!凄いでしょ!? でも、晃子様にはお教えしておりません。今頃、お気づきかしら?」

「何故、教えなかったのです?」
「泰臣様が、誰にも言うなと」

 駒子は、切り分けたワッフルを頬張ると、味わいを噛み締めるように瞼をギュッと瞑った。
 


 ◆◆◆◆◆


「駒子さんからお祝いを頂きました」と、笑う晃子は、縁側で膝に抱いた猫を撫でる。
 清浦から得た不確かな助言は、用済みと考えても良さそうだ。

「お抱きになられます?」
「いえ、晃子さんから頂いた袴に毛がついてしまいます」

 先日、部屋の隅に蹴りやった馬上袴だ。あの後、晃子が仕立てたと知り、今では愛猫を抱くことも爪を引っかけそうで躊躇している。

「ところで、何を頂いたのです?」
「手本……いえ、お手紙と申しておきましょう」

「見せてくれないのですか?」
「ええ、ダメです」

「仲間外れですか、まあいいですよ。僕は、清浦さんから良い物を頂けるそうなので」

 横浜まで探しに行ったが、結局郷里から取り寄せるというのだから、悪い物ではないはずだ。そんなことを考える光留に、晃子は頭を下げた。

「私、少々子供じみた真似をしてしまったと思っております。お許しください」
「貴女がすることを僕が、許さないなどと言うわけないでしょう。それに晃子さんの悋気なら、かき集めて帳場箪笥ちょうばたんすに仕舞い込みたいくらいです」

「面白いことを仰るのね? 仕舞い込んでどうなさるの?」
「今後、晃子さんが僕に冷たくなったら、少しずつ取り出して優越に浸ります」

 自分で言って可笑しかったのか、光留は「ははっ!」と、楽しげな声を上げると、気持ちよさげに目を細める愛猫の耳を食む。

「ま、ダメですよ」
「いいんですよ。アキさんは、僕のことが好きなのですから。黒田閣下のお屋敷で、大変懐きましてね。僕の恋しいも、同じように慕ってくれないかと、願掛けのような気持ちで貰い受けました。ねぇ?アキさん、良かったですね。貴女の女主が、思ったより早く来てくださって……あ! ちょっとアキさん!」

 するりと、身をかわし膝から滑り降りたアキは、しなやかな前足を大きく伸ばし、ピョンと庭先に飛び降りた。

「ほら、寝ているのを邪魔なさるから」
「アキさんは、僕を邪魔だなんて思いませんよ。きっと気を利かせたんです、利口ですから」

 愛猫が去り、空いた膝に頬を寄せる光留は、親バカならぬ、猫バカだと晃子は肩を震わせた。

「猫がお好きなのですね」
「いいえ、アキさんが好きなのです」

 天鵞絨ビロードのような毛並みと代わり、細く柔らかいブロンドに指先を通す晃子は言う。

「私、欧州でのお話を聞きたいですわ。順を追って」
「面白いことなどないですよ。貴女への恋慕が積もり積もって、客室に籠っておりました」

「そういうのも含めて聞きたいのです。光留様から、そこまで想われるなんて、に対して優越に浸れますもの」

 そう話す晃子の頬は、薔薇色に染まっていた。

「全く気付かなかったのです。熱を持つ頬は、報われない恋を 我が身に思い知らせるだけで、薔薇色に染まる貴女の頬が、同じ想いからくるものとは知らず。覚えていますか? あの日、Opheliaはのようだと申し上げたことを」
「ええ、もちろん」

「染まっていたのです。このように可愛らしく。その理由に気付くのが遅かった、本当に馬鹿な従五位ですね。それでは、お話しましょう。知る言の葉を尽くし、冗長じょうちょうだと呆れるほど、僕が異国でも貴女を想っていたことを」

 辛かったと話す割には、嬉しいと満面の笑みを浮かべる光留は語る。石町こくちょう、時の鐘のように感じた汽笛の音が、今では懐かしく思えると。

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