紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
90 / 96

御側室、所以

しおりを挟む
 膝を取り上げられた光留は、自分の腕を枕にすると、乾いた笑い声を上げた。

「それじゃ、僕が思わせ振りな態度を取っているようじゃないですか。そんなこと1度もありません。膝だって、誰にでも貸せと言いますよ」
「……」

「候補となったのは、アレでしょ。僕が欧州へ行く前の」
「ご存知なら、デマだと笑い飛ばすなりして、晃子様に話して聞かせれば良いではないですか。知られたことが、マズイみたいに言われても困ります」

「それをやったら、必ず聞かれます。奈緒さんは、光留様をどう思われているのでしょう?と」
「どうも思っておりません!そもそも、あれは津多子様から言い付けられたのです。ご存知でしょう?」

「ええ、知っていますよ? 人を種馬みたいに」

 忌々しいとばかりに舌打ちする。
 当時、宮家との縁談を回避する案に絶望したが、晃子を諦めることが出来ず呑んだ条件は、子爵家にとっても苦々しいものだった。
 欧州視察同行は、端から見れば立派なことであるが、田中家には子がない。
 海を越えた場所で、不慮の事故なども考えられるのだから、心配で堪らないのは当然だった。さらに独身の光留に、跡継ぎがいないと云うのも拍車をかける。ならば側室を――と考えが、及ぶのは仕方がない。
 若く、気が利く奈緒は、子爵夫妻の眼鏡に適ったというわけだ。
 しかし、当の本人は 何をやっているのか、何処其処、駆けずり回り、夫妻が言い含めようが知らぬ顔をする始末。
 結局、そのまま旅立ってしまったという経緯があったのだが、ここで終わらなかった。夫妻は、欧州へ行けば見聞を広め、初恋の熱など冷めるだろうと考えた。これは、真っ当な考えで誰が、晃子と婚約に至ると想像しただろう。奈緒は、津多子付きの女中として留め置かれた。

の振る舞いを見て、いろいろ覚えさせられていたのでしょう?僕の帰国後を考えて」
「存じません」

「まあ、いいですよ。水に流しましょう、貴女も、僕も。いい迷惑を被ったと。ただ、大事なのはこの先です」

 光留は、跳ねるように飛び起きると、肩から滑り落ちた綿入れを、奈緒に投げつけた。

「風邪引きますよ」
「そこまで、ご存知なのに随分と酷い扱いです」

 奈緒は、投げつけられた綿入れに袖を通す。腹が立ったのだろう、腕を突っ込む様子は乱暴で、顔つきは不機嫌極まりない。

「酷い……?ああ、僕は元々酷い男ですよ。晃子さん以外にはね。それに、側室と噂される女に、優しくして誤解をされたらどうするのです」
「存じません」

「帰国後、奈緒が夫人付きであることに、状況を察しました。初めは親を安堵させる為、強い拒絶をするつもりもなかった……けど、知ってしまったのです。晃子さんが妾を嫌悪していると。それを知った時は、心底震えました。ええ、自分の判断がこれ程、正しかったと思えるのは、生涯ないかもしれないと思うほどに」

 ここまで話すと、はぁ――と大きく息をついた。うなだれているように見えるが、神妙な心持ちなどではないだろうと奈緒は、続きを待つ。
 スラスラと、心情を吐露する光留の言い分は、妾を嫌うことを知らずに、親孝行という恩に流され、奈緒を側に置いていたらは、なかったと。

「あと、ひとつ……僕の仕打ちを酷いと言うけど、ハッキリとさせといた方がいいんですよ」
「穏便に出来ないのですか。晃子様の前で、私を、必要以上に見下しておられるよう」

「それが、奈緒の為なのですよ」
「私の?まさか、ご自分の為でしょう?晃子様の手前」

「馬鹿をおっしゃい。晃子さんが誤解をされたら、心を砕いて納得いくまで話せば済むことです。ただ、納得するまでの間、気落ちされるでしょう。僕は、晃子さんに悲しい思いなどさせたくないのです。ほんの一瞬でも」
「ご馳走さまでした。それでは、私は勤めがありますので」

「話は、まだです」

 光留は、畳をパシン!と叩いた。上げかけた腰をおろせと。
 渋々、座り直す奈緒を尻目に光留は、チラリと柱時計に目をやった。他の者達が、朝食の準備に起き出す頃合いだ。

「2人で話す機会などないから、これが最後になるかもしれない。よくお聞きなさい、晃子さんに子が出来なければ、当家は養子を貰い受けるでしょう。しかし、奈緒、夫人は未だに側室の件も、選択肢に入れているのではないかと、僕は考えています」
「存じません」

「存じなくてもいい。ただ、覚えておきなさい。側室は使用人です。正室の配下です。子を産んでもの手元へ渡り、名を呼ぶことも躊躇し、抱き上げることも出来ません。わが子を、などと、呼ぶことが幸せですか?」
「光留様……」

「酔った若様の戯言と思っても、構いません。ただ、覚えておきなさい。僕が、その気にならなければ、子爵も夫人もお前に無理強いは出来ないということです。何が気に入らないのか、事あるごとに当たり散らされるような女中ならば、がつくこともないと諦めるでしょう」

 その時、柱時計が、音を鳴らした。ボ――ン、ボ――ン……と、響く数は5つ。
 光留は、立ち上がった。

「晃子さんには、今度お会いした時にでも話しておこうと思います。もし、何か聞かれたら僕のことなど、何とも思っていないと言いなさい」
「勿論です。本当に何とも思っておりません」

「それで結構。幸せになりなさい」
「光留様、申し訳ありません……」

 奈緒は、両手を突き 深々と頭を垂れた。黒髪に挿された玉簪を見下ろし、光留は笑う。今まで理不尽だと、腹を立てていたことを謝罪しているのだろう。

「水に流そうと言ったでしょう」
「はい。流しましょう。約束です」

「それでは、しばらく居間で寝ます」
「いえ、1度お部屋へお戻りください」

「だから、起きれなくなるって……」
「晃子様が、昨晩戻られております」
 
「……何ですって?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神楽坂gimmick

涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。 侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり…… 若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

婚約者を親友に盗られた上、獣人の国へ嫁がされることになったが、私は大の動物好きなのでその結婚先はご褒美でしかなかった

雪葉
恋愛
婚約者である第三王子を、美しい外見の親友に盗られたエリン。まぁ王子のことは好きでも何でもなかったし、政略結婚でしかなかったのでそれは良いとして。なんと彼らはエリンに「新しい縁談」を持ってきたという。その嫁ぎ先は“獣人”の住まう国、ジュード帝国だった。 人間からは野蛮で恐ろしいと蔑まれる獣人の国であるため、王子と親友の二人はほくそ笑みながらこの縁談を彼女に持ってきたのだが────。 「憧れの国に行けることになったわ!! なんて素晴らしい縁談なのかしら……!!」 エリンは嫌がるどころか、大喜びしていた。 なぜなら、彼女は無類の動物好きだったからである。 そんなこんなで憧れの帝国へ意気揚々と嫁ぎに行き、そこで暮らす獣人たちと仲良くなろうと働きかけまくるエリン。 いつも明るく元気な彼女を見た周りの獣人達や、新しい婚約者である皇弟殿下は、次第に彼女に対し好意を持つようになっていく。 動物を心底愛するが故、獣人であろうが何だろうがこよなく愛の対象になるちょっとポンコツ入ってる令嬢と、そんな彼女を見て溺愛するようになる、狼の獣人な婚約者の皇弟殿下のお話です。 ※他サイト様にも投稿しております。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

【完結】帝都一の色男と純朴シンデレラ ~悲しき公爵様は愛しき花を探して~

朝永ゆうり
恋愛
時は大正、自由恋愛の許されぬ時代。 社交界に渦巻くのは、それぞれの思惑。 田舎育ちの主人公・ハナは帝都に憧れを抱き上京するも、就いたのは遊女という望まない仕事だった。 そこから救い出してくれた王子様は、帝都一の遊び人で色男と言われる中条公爵家の嫡男、鷹保。 彼の家で侍女として働くことになったハナ。 しかしそのしばらくの後、ハナは彼のとある噂を聞いてしまう。 「帝都一の色男には、誰も知らない秘密があるんだってよ」 彼は、憎しみと諦めに満ちた闇を持つ、悲しき男だった。 「逃げ出さないでおくれよ、灰被りのおひいさん」 ***** 帝都の淑女と記者の注目の的 世間を賑わせる公爵家の遊び人 中條 鷹保 ✕ 人を疑うことを知らない 田舎育ちの純朴少女 ハナ ***** 孤独なヒロイン・ハナは嘘と裏切り蔓延る激動の時代で 一体何を信じる? ※大正時代のはじめ頃の日本を想定しておりますが本作はフィクションです。

明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ
キャラ文芸
時は、明治二十年。 浅草にある黄昏座は、妖を題材にした芝居を上演する、妖による妖のための芝居小屋。 記憶をなくした主人公は、ひょんなことから狐の青年、琥珀と出会う。黄昏座の座員、そして自らも”妖”であることを知る。主人公は失われた記憶を探しつつ、彼らと共に芝居を作り上げることになる。 提灯からアーク灯、木造からレンガ造り、着物から洋装、世の中が目まぐるしく変化する明治の時代。 妖が生き残るすべは――芝居にあり。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...