紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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男爵令嬢

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 羽倉崎は、尋ねた。
 何故、ネタを流したことに、気がついたのか?と。
「なんとなく」そっぽを向く横顔は、ぼんやりとしたていで答えたが、直ぐ様「いえ、違いますね。以前から調べていたと申しておきましょう」と、加えた。

「その理由をお尋ねしても?」
「僕が帰国して、比較的すぐだったように記憶しています……」

 顔を正面に戻すと、居住いずまいを正した光留は、軽快に喋りだした。突然の問いに詰まることのない返答は、嘘などないのだろう。
 きっかけは、些細なことだったらしい。

「まず、横浜で噂を耳にしたのです。晃子さんの婚約が成立したと。その場にいた近衛さんが慌てて新聞を求めに走り、皆で目を通したのが1番初めでしたかね。僕は、そのまま汽車に飛び乗り、清浦さんに散々嫌味を言われました」
「ああ……、私が流したものですね。結構、金が掛かると言うのに晃子さんは、仕方がない人だと呆れるばかりで」

引目鉤鼻ひきめかぎばなの女が描かれたものが、その後も売りに出されて。僕は、その時に これは、誰かが故意にやってると確信しました。お陰様で乳母の目に止まり、小言を喰らう羽目になりました」
「成る程、それで調べさせていたと?」

「ええ、ただ依頼人までは、さすがに口を割りませんでした。ただ、そんなことをするメリットって誰にあります?羽倉崎さんしかいないと。目的は何だったのです? 」
「一向に進まない手続きに、もしかして男爵が晃子さんを餌に、私を引っ掻けたのかと疑いましてね。それでネタを売ったのですが、男爵が関わっている気配もない。これは、更に上……つまり宮内省か?と察しましたが、そうなのですか?」

 以前、精養軒で光留は言った。
 無理矢理、会食に参加したのは、2人の婚約が進まない理由を尋ねる為か?と。
 しかし、羽倉崎は 宮家との破談に言及した。婚約が進まない理由を尋ねても、華族の内情を口にする訳がない。宮内省の役人なら尚更だ。それならば、個人的な話から切り込んだ方が無難と判断したが、まんまとしてやられた。
 
「あの時は、結果的に騙した形になってしまいましたね。覚えておられます? 精養軒で僕は、こう言いました。吉原の遊女でも品川の飯盛女でも、大して変わりませんよ――と」
「ええ、覚えています」

「流れで受けとると、女なんて誰でも同じ……と、取れる言い方をしました。違うのですよ、……です。質問にお答えしましょう。僕は、欧州へ旅立つ前に晃子さんの縁談、分家願いを受理しないように宮内大臣へ願いでました」

 手を回し過ぎだろう……と、思うが 目の前の男の有り様から、納得できると軽く頷いた。

「それでは、羽倉崎さん。貴方は何故、帰国に合わせたように婚約成立と騒ぎ立てたのですか?少々、不自然と思うのです。僕は、横浜で耳にしました。それも、直ぐ」
「ああ……、それは狙ったからです。私は、官の一行の耳に入れたかったのです。何故なら、怪しいと思ったから」

「怪しい?何がです?」
「はは!先程から、本題とは関係のない話ばかりしていますが?先に、本題を済ませましょう」

 羽倉崎は、盆に伏せられたグラスを返し、水を注ぐと光留、自分と置いた。互いに喉を潤す。「条件を言いましょう」と切り出したのは、羽倉崎だ。

「黙って引き下がるとは、思われていないでしょう?こちらは、同業者には知れ渡っているのです。破談にした相手が、直ぐ様 子爵家へ嫁ぐなんて面目丸潰れです」
「理解しております」

「まず、ひとつ。晃子さんを、尾伊坂家へ戻されて下さい。その後、1年程かけて破談にすれば世間は、気にもしないでしょう」
「嫌です」

 突っぱねることは、予想出来た。それ故に、掛ける言葉も決まっていると羽倉崎は、大仰に溜め息をつき、笑みを浮かべる。

「やれやれ、聞き分けのない。田中様、商談と云うのは、互いの思惑が一致しなければ成立しません。ピシャリと、はまらなければ少しずつ妥協して隙間を無くすのです。それが出来なければ、ご破算……良いのですか? 」
「その隙間を埋めましょう。違う方法で」

「何です? それは……」

 俄然 興味を引かれた羽倉崎は、思わず身を乗り出す。一方 光留は、脇に置いていた封書から一通の書面を抜き取ると、テーブルに滑らせた。
 何も書かれていない。いや、正確に言うと左端の方に、尾伊坂男爵の署名が入っている。ただ、それだけ。
 怪訝な目付きで、書面から視線を上げた。行き着くのは、象牙のようにすべやかな肌に咲く、満面の笑顔。

「羽倉崎さんが、予定通り男爵令嬢と結婚すれば、面目も失いません」
「意味がわかりません」

「僕は、この書面を男爵の養子願いにするつもりです」
「養子!? 誰を!? 」

「咲さん」
「はあ!? 」

 目を見開き、馬鹿を見るような表情の羽倉崎を他所に、良い考えでしょう? と理由を語る。
 正直、男爵より上、つまり子爵家や伯爵家の令嬢と縁付けば、面目も潰れないと考えたが、そうなると羽倉崎は、持参金やら、今後の支援やらと出費が かさむだろうし、メリットがない。泰臣と違い、箔をつける必要もないのだから。
 ――と、なれば 尾伊坂男爵家へ誰かを入れ、それと結婚するのが良いと。

「どう考えても、咲さんが1番良いですよ。泰臣君の唯一の血縁ですよ? 羽倉崎さんが、今後上手くやって尾伊坂家の家業を事実上、継ぐとしても、花柳などから連れてきた養女より、泰臣君の従妹が良いに決まっています」
「お待ちを。夫人が黙っておりません」

「知ったことではありませんよ。男爵が申請するのですから」
「滅茶苦茶ですね、ちょっと……」

 渋る言葉を吐くが、目の前の男は、白いグローブで、自身の腹を撫でてみせる。
 黒のフロックコートに、真っ白な指先が這う様子は、身重の腹を撫で上げる仕草だ。

「ご予定は、3月ですって? 急げば間に合いますよ? 羽倉崎さんの子供、尾伊坂男爵の初孫にしたくありません?」

 迷うなど、馬鹿げていると言わんばかりの男は、背後の磨硝子すりがらすに散らばる月光のように、掴み所のない微笑を浮かべた。
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