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道化師の素顔
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「2人から話は聞いている。違いがあってはいけないと、志賀からも」
2人とは、泰臣と羽倉崎だろう。
すぐにバレる嘘をつくはずもないので、心配はしていないが、志賀からも聞いているのならば、なおのこと間違いはない。
光留は、軽く頷き
「相違ないでしょう。志賀さんからは、僕も聞いておりますから。話していく過程で食い違いが生じれば正していく……これでどうでしょう?」と、提案した。
談話室に入るなり開口一番、口を開いたのは男爵だった。お互い、あらましを語るのは気まずいという暗黙の了解で、話を進めることとなる。
「私の考えは一つ、晃子を連れ戻し、早々に結婚へ向け、準備を進めたい。妾の存在を知り、興奮していたのだろうと、羽倉崎君も理解を示している。相手方は騒ぐ気もなく、痴話喧嘩として収めてくれると言っているのだ。どうだろう、君も何も見なかった、聞かなかったということで」
「お断りします」
光留は、ピシャリと言い放った。
家名に泥を塗ることのない、穏便な幕引きを拒絶された男爵は、テーブルの上で組む指先をピクリと跳ねさせると、ううむ――と唸る。
「……それでは、警察に訴えることになるが?」
「それは、泰臣君の考えでしょうか? それとも羽倉崎さんの考えでしょうか? まさか、男爵の考えではありませんよね?」
「君は、確信があるように強く言うが、警察沙汰になれば、困ると思わないのかね?」
「何故、僕が困るのです?ああ、いちいち尋ねていたら埒があきませんね。まず警察沙汰になれば、困るのは尾井坂家です。だって、そうでしょう?」
光留は、白湯を含む。余裕のある態度が表すように、馬鹿をみるのは尾井坂家。羽倉崎にしてみても不名誉になる。ただし、話をそのまま世に広めたら――だ。
「警察に嘘を証言するとは思いませんが、ゴシップ記事は、金でどうとでも……と言ったところでしょうか。大々的に面白おかしく……そうですね、子爵家の女ったらしが令嬢を誑かしたとか?」
「ふざけてないで、真摯に話し合おうではないか」
「ふざけておりませんよ。おそらく当たりでしょう? 醜聞を楽しむ者達は、大喜びで触れ回る。酒乱の閣下、伊藤閣下のマスカレード、僕は 英国行きの汽船でも耳にしました。今度は、馬鹿な従五位が 想い焦がれた令嬢を掠め取ったと。事実はどうでも良いのです」
「じゃあ聞くが、君は何が目的なんだね?」
「晃子さんを、僕にいただきたいのです」
「ダメだ」
予想範囲の返答に光留は、ですよね――と、肩を揺らした。
男爵も、結婚の承諾を得ることが光留の目的であると、泰臣から聞かされているだろう。許嫁のいる娘を貰いたいと、口走った男に驚く素振りもなく、大きな溜め息をつく。
「君の評判は、聞いているよ。そのまんまだ」
「はは!お耳汚しでしたね、馬鹿な男だと?」
「ああ、馬鹿だね。考えてみなさい、私は羽倉崎君と晃子を結婚させる。君は、大きな恥をかくだけではないか。例えば、先程の話ではないが、不名誉なことを書かれたらどうするのだ?お父上に申し訳ないと思わないのか?」
「何故、男爵はうちの心配をするのです?僕が、そんなに甘い男に見えるのでしょうか?」
「何?」
光留の言葉が 癪に触ったようで、尋ね返した声音には、不愉快の色が滲み出ていた。
それが面白かったのか、はたまたそれが狙いだったのか、微かに引き上げた口角が魅せる微笑は、柔和であり、その唇から紡がれる甘言は、実に耳に心地よいものが想像できた。
男爵は「ああ……」と、落胆を漏らす。
「そのようにして晃子を誑かしたのか」
「ご冗談を。笑顔一つで、お心を射止めることが出来れば苦労しません。それより男爵、腹を割って話しましょう」
今日中に蹴りをつけたい。日を改めると、変な横槍が入りかねないと、はやる気持ちを押さえ込み、焦りも垣間見せない 穏やかな雰囲気を演出するのは、光留の専売特許だ。
「貴殿方は、僕が承知しなければ警察沙汰にし、晃子さんを連れ戻す。しかし、世間的に不都合もある為、ゴシップを流す。これにより、とんでもない馬鹿が、晃子さんに横恋慕し男爵家に迷惑をかけた……こんな流れに持っていくと僕は、想像しています」
男爵は、黙り聞き入る。元から返事を求めるつもりもなく、否定もされないのならば続けるまで
「男爵が当家を心配されるのは、この事によって、我が父の機嫌を損ねることでしょうか? 親戚筋まで敵に回すかもしれませんから。ああ……下手したら大名華族や、公家華族も。すみませんね、顔が広くて」
「君は、可愛くない物の言い方をするな」
「図星を指されると皆さん、そう言われます。可愛くないと」
ははっ!と 声をあげ笑う光留は、テーブルに身を乗り出す。
談話室のテーブルは、長方形に長く距離が保たれている。通常2人だけの会談ならば、距離が近い方が良いだろう。
気を利かせた内匠寮の官吏が、テーブルを変えようとしたのを止めたのは、光留本人だ。
話の内容だけに男爵が、腹に据えかねる事態は、あり得るのだから予防線を張るのは、必要不可欠。簡単に手が届く距離にいて、殴られるなんて真っ平だと。
「お尋ねします。穏便に……と、いかなかった場合、子爵家と仲違いしてまで2人の縁談を進めたいとお思いですか?」
「それが、尾井坂家の為になるのだよ。田中子爵と、それに近い御家を敵に回しても。やりづらいことは出てくるかもしれないがね。泰臣には爵位を、家業は羽倉崎君とすれば……」
「無理です。男爵は、僕を見誤っています」
「どういう意味だ?」
光留は、乗り出した身体をゆっくりと起こし、ふてぶてしく背もたれに、しなだれかかった。先程までの、人を蕩かす微笑みは消え去り、静かな双眸には愛嬌の欠片もない。
化けの皮が剥がれた道化師の素顔は、生まれながら、人に傅かれ育った者の風格がみてとれた。
2人とは、泰臣と羽倉崎だろう。
すぐにバレる嘘をつくはずもないので、心配はしていないが、志賀からも聞いているのならば、なおのこと間違いはない。
光留は、軽く頷き
「相違ないでしょう。志賀さんからは、僕も聞いておりますから。話していく過程で食い違いが生じれば正していく……これでどうでしょう?」と、提案した。
談話室に入るなり開口一番、口を開いたのは男爵だった。お互い、あらましを語るのは気まずいという暗黙の了解で、話を進めることとなる。
「私の考えは一つ、晃子を連れ戻し、早々に結婚へ向け、準備を進めたい。妾の存在を知り、興奮していたのだろうと、羽倉崎君も理解を示している。相手方は騒ぐ気もなく、痴話喧嘩として収めてくれると言っているのだ。どうだろう、君も何も見なかった、聞かなかったということで」
「お断りします」
光留は、ピシャリと言い放った。
家名に泥を塗ることのない、穏便な幕引きを拒絶された男爵は、テーブルの上で組む指先をピクリと跳ねさせると、ううむ――と唸る。
「……それでは、警察に訴えることになるが?」
「それは、泰臣君の考えでしょうか? それとも羽倉崎さんの考えでしょうか? まさか、男爵の考えではありませんよね?」
「君は、確信があるように強く言うが、警察沙汰になれば、困ると思わないのかね?」
「何故、僕が困るのです?ああ、いちいち尋ねていたら埒があきませんね。まず警察沙汰になれば、困るのは尾井坂家です。だって、そうでしょう?」
光留は、白湯を含む。余裕のある態度が表すように、馬鹿をみるのは尾井坂家。羽倉崎にしてみても不名誉になる。ただし、話をそのまま世に広めたら――だ。
「警察に嘘を証言するとは思いませんが、ゴシップ記事は、金でどうとでも……と言ったところでしょうか。大々的に面白おかしく……そうですね、子爵家の女ったらしが令嬢を誑かしたとか?」
「ふざけてないで、真摯に話し合おうではないか」
「ふざけておりませんよ。おそらく当たりでしょう? 醜聞を楽しむ者達は、大喜びで触れ回る。酒乱の閣下、伊藤閣下のマスカレード、僕は 英国行きの汽船でも耳にしました。今度は、馬鹿な従五位が 想い焦がれた令嬢を掠め取ったと。事実はどうでも良いのです」
「じゃあ聞くが、君は何が目的なんだね?」
「晃子さんを、僕にいただきたいのです」
「ダメだ」
予想範囲の返答に光留は、ですよね――と、肩を揺らした。
男爵も、結婚の承諾を得ることが光留の目的であると、泰臣から聞かされているだろう。許嫁のいる娘を貰いたいと、口走った男に驚く素振りもなく、大きな溜め息をつく。
「君の評判は、聞いているよ。そのまんまだ」
「はは!お耳汚しでしたね、馬鹿な男だと?」
「ああ、馬鹿だね。考えてみなさい、私は羽倉崎君と晃子を結婚させる。君は、大きな恥をかくだけではないか。例えば、先程の話ではないが、不名誉なことを書かれたらどうするのだ?お父上に申し訳ないと思わないのか?」
「何故、男爵はうちの心配をするのです?僕が、そんなに甘い男に見えるのでしょうか?」
「何?」
光留の言葉が 癪に触ったようで、尋ね返した声音には、不愉快の色が滲み出ていた。
それが面白かったのか、はたまたそれが狙いだったのか、微かに引き上げた口角が魅せる微笑は、柔和であり、その唇から紡がれる甘言は、実に耳に心地よいものが想像できた。
男爵は「ああ……」と、落胆を漏らす。
「そのようにして晃子を誑かしたのか」
「ご冗談を。笑顔一つで、お心を射止めることが出来れば苦労しません。それより男爵、腹を割って話しましょう」
今日中に蹴りをつけたい。日を改めると、変な横槍が入りかねないと、はやる気持ちを押さえ込み、焦りも垣間見せない 穏やかな雰囲気を演出するのは、光留の専売特許だ。
「貴殿方は、僕が承知しなければ警察沙汰にし、晃子さんを連れ戻す。しかし、世間的に不都合もある為、ゴシップを流す。これにより、とんでもない馬鹿が、晃子さんに横恋慕し男爵家に迷惑をかけた……こんな流れに持っていくと僕は、想像しています」
男爵は、黙り聞き入る。元から返事を求めるつもりもなく、否定もされないのならば続けるまで
「男爵が当家を心配されるのは、この事によって、我が父の機嫌を損ねることでしょうか? 親戚筋まで敵に回すかもしれませんから。ああ……下手したら大名華族や、公家華族も。すみませんね、顔が広くて」
「君は、可愛くない物の言い方をするな」
「図星を指されると皆さん、そう言われます。可愛くないと」
ははっ!と 声をあげ笑う光留は、テーブルに身を乗り出す。
談話室のテーブルは、長方形に長く距離が保たれている。通常2人だけの会談ならば、距離が近い方が良いだろう。
気を利かせた内匠寮の官吏が、テーブルを変えようとしたのを止めたのは、光留本人だ。
話の内容だけに男爵が、腹に据えかねる事態は、あり得るのだから予防線を張るのは、必要不可欠。簡単に手が届く距離にいて、殴られるなんて真っ平だと。
「お尋ねします。穏便に……と、いかなかった場合、子爵家と仲違いしてまで2人の縁談を進めたいとお思いですか?」
「それが、尾井坂家の為になるのだよ。田中子爵と、それに近い御家を敵に回しても。やりづらいことは出てくるかもしれないがね。泰臣には爵位を、家業は羽倉崎君とすれば……」
「無理です。男爵は、僕を見誤っています」
「どういう意味だ?」
光留は、乗り出した身体をゆっくりと起こし、ふてぶてしく背もたれに、しなだれかかった。先程までの、人を蕩かす微笑みは消え去り、静かな双眸には愛嬌の欠片もない。
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