紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
71 / 96

道化師の素顔

しおりを挟む
「2人から話は聞いている。違いがあってはいけないと、志賀からも」

 2人とは、泰臣と羽倉崎だろう。
 すぐにバレる嘘をつくはずもないので、心配はしていないが、志賀からも聞いているのならば、なおのこと間違いはない。
 光留は、軽く頷き
「相違ないでしょう。志賀さんからは、僕も聞いておりますから。話していく過程で食い違いが生じれば正していく……これでどうでしょう?」と、提案した。

 談話室に入るなり開口一番、口を開いたのは男爵だった。お互い、あらましを語るのは気まずいという暗黙の了解で、話を進めることとなる。

「私の考えは一つ、晃子を連れ戻し、早々に結婚へ向け、準備を進めたい。妾の存在を知り、興奮していたのだろうと、羽倉崎君も理解を示している。相手方は騒ぐ気もなく、痴話喧嘩として収めてくれると言っているのだ。どうだろう、君も何も見なかった、聞かなかったということで」
「お断りします」

 光留は、ピシャリと言い放った。
 家名に泥を塗ることのない、穏便な幕引きを拒絶された男爵は、テーブルの上で組む指先をピクリと跳ねさせると、ううむ――と唸る。

「……それでは、警察に訴えることになるが?」
「それは、泰臣君の考えでしょうか? それとも羽倉崎さんの考えでしょうか? まさか、男爵の考えではありませんよね?」

「君は、確信があるように強く言うが、警察沙汰になれば、困ると思わないのかね?」
「何故、僕が困るのです?ああ、いちいち尋ねていたら埒があきませんね。まず警察沙汰になれば、困るのは尾井坂家です。だって、そうでしょう?」

 光留は、白湯を含む。余裕のある態度が表すように、馬鹿をみるのは尾井坂家。羽倉崎にしてみても不名誉になる。ただし、話を世に広めたら――だ。

「警察に嘘を証言するとは思いませんが、ゴシップ記事は、金でどうとでも……と言ったところでしょうか。大々的に面白おかしく……そうですね、子爵家の女ったらしが令嬢を誑かしたとか?」
「ふざけてないで、真摯に話し合おうではないか」

「ふざけておりませんよ。おそらく当たりでしょう? 醜聞を楽しむ者達は、大喜びで触れ回る。酒乱の閣下、伊藤閣下のマスカレード、僕は 英国行きの汽船でも耳にしました。今度は、馬鹿な従五位が 想い焦がれた令嬢を掠め取ったと。事実はどうでも良いのです」
「じゃあ聞くが、君は何が目的なんだね?」

「晃子さんを、僕にいただきたいのです」
「ダメだ」

 予想範囲の返答に光留は、ですよね――と、肩を揺らした。
 男爵も、結婚の承諾を得ることが光留の目的であると、泰臣から聞かされているだろう。許嫁のいる娘を貰いたいと、口走った男に驚く素振りもなく、大きな溜め息をつく。

「君の評判は、聞いているよ。そのまんまだ」
「はは!お耳汚しでしたね、馬鹿な男だと?」

「ああ、馬鹿だね。考えてみなさい、私は羽倉崎君と晃子を結婚させる。君は、大きな恥をかくだけではないか。例えば、先程の話ではないが、不名誉なことを書かれたらどうするのだ?お父上に申し訳ないと思わないのか?」
「何故、男爵は心配をするのです?僕が、そんなに甘い男に見えるのでしょうか?」

「何?」

 光留の言葉が 癪に触ったようで、尋ね返した声音には、不愉快の色が滲み出ていた。
 それが面白かったのか、はたまたが狙いだったのか、微かに引き上げた口角が魅せる微笑は、柔和であり、その唇から紡がれる甘言は、実に耳に心地よいものが想像できた。
 男爵は「ああ……」と、落胆を漏らす。

「そのようにして晃子を誑かしたのか」
「ご冗談を。笑顔一つで、お心を射止めることが出来れば苦労しません。それより男爵、腹を割って話しましょう」

 今日中に蹴りをつけたい。日を改めると、変な横槍が入りかねないと、はやる気持ちを押さえ込み、焦りも垣間見せない 穏やかな雰囲気を演出するのは、光留の専売特許だ。

「貴殿方は、僕が承知しなければ警察沙汰にし、晃子さんを連れ戻す。しかし、世間的に不都合もある為、ゴシップを流す。これにより、とんでもない馬鹿が、晃子さんに横恋慕し男爵家に迷惑をかけた……こんな流れに持っていくと僕は、想像しています」

 男爵は、黙り聞き入る。元から返事を求めるつもりもなく、否定もされないのならば続けるまで

「男爵が当家を心配されるのは、この事によって、我が父の機嫌を損ねることでしょうか? 親戚筋まで敵に回すかもしれませんから。ああ……下手したら大名華族や、公家華族も。すみませんね、顔が広くて」
「君は、可愛くない物の言い方をするな」

「図星を指されると皆さん、そう言われます。可愛くないと」

 ははっ!と 声をあげ笑う光留は、テーブルに身を乗り出す。
 談話室のテーブルは、長方形に長く距離が保たれている。通常2人だけの会談ならば、距離が近い方が良いだろう。
 気を利かせた内匠寮ないしょうりょうの官吏が、テーブルを変えようとしたのを止めたのは、光留本人だ。
 話の内容だけに男爵が、腹に据えかねる事態は、あり得るのだから予防線を張るのは、必要不可欠。簡単に手が届く距離にいて、殴られるなんて真っ平だと。

「お尋ねします。穏便に……と、いかなかった場合、子爵家と仲違いしてまで2人の縁談を進めたいとお思いですか?」
「それが、尾井坂家の為になるのだよ。田中子爵と、それに近い御家を敵に回しても。やりづらいことは出てくるかもしれないがね。泰臣には爵位を、家業は羽倉崎君とすれば……」

「無理です。男爵は、僕を見誤っています」
「どういう意味だ?」

 光留は、乗り出した身体をゆっくりと起こし、ふてぶてしく背もたれに、しなだれかかった。先程までの、人をとろかす微笑みは消え去り、静かな双眸には愛嬌の欠片もない。
 化けの皮が剥がれた道化師の素顔は、生まれながら、人にかしずかれ育った者の風格がみてとれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神楽坂gimmick

涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。 侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり…… 若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?

【完結】帝都一の色男と純朴シンデレラ ~悲しき公爵様は愛しき花を探して~

朝永ゆうり
恋愛
時は大正、自由恋愛の許されぬ時代。 社交界に渦巻くのは、それぞれの思惑。 田舎育ちの主人公・ハナは帝都に憧れを抱き上京するも、就いたのは遊女という望まない仕事だった。 そこから救い出してくれた王子様は、帝都一の遊び人で色男と言われる中条公爵家の嫡男、鷹保。 彼の家で侍女として働くことになったハナ。 しかしそのしばらくの後、ハナは彼のとある噂を聞いてしまう。 「帝都一の色男には、誰も知らない秘密があるんだってよ」 彼は、憎しみと諦めに満ちた闇を持つ、悲しき男だった。 「逃げ出さないでおくれよ、灰被りのおひいさん」 ***** 帝都の淑女と記者の注目の的 世間を賑わせる公爵家の遊び人 中條 鷹保 ✕ 人を疑うことを知らない 田舎育ちの純朴少女 ハナ ***** 孤独なヒロイン・ハナは嘘と裏切り蔓延る激動の時代で 一体何を信じる? ※大正時代のはじめ頃の日本を想定しておりますが本作はフィクションです。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

成り上がり令嬢暴走日記!

笹乃笹世
恋愛
 異世界転生キタコレー! と、テンションアゲアゲのリアーヌだったが、なんとその世界は乙女ゲームの舞台となった世界だった⁉︎  えっあの『ギフト』⁉︎  えっ物語のスタートは来年⁉︎  ……ってことはつまり、攻略対象たちと同じ学園ライフを送れる……⁉︎  これも全て、ある日突然、貴族になってくれた両親のおかげねっ!  ーー……でもあのゲームに『リアーヌ・ボスハウト』なんてキャラが出てた記憶ないから……きっとキャラデザも無いようなモブ令嬢なんだろうな……  これは、ある日突然、貴族の仲間入りを果たしてしまった元日本人が、大好きなゲームの世界で元日本人かつ庶民ムーブをぶちかまし、知らず知らずのうちに周りの人間も巻き込んで騒動を起こしていく物語であるーー  果たしてリアーヌはこの世界で幸せになれるのか?  周りの人間たちは無事でいられるのかーー⁉︎

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】没落令嬢オリビアの日常

胡暖
恋愛
没落令嬢オリビアは、その勝ち気な性格とあまり笑わない態度から、職場で「気位ばかり高い嫁き遅れ」と陰口を叩かれていた。しかし、そんなことは気にしてられない。家は貧しくとも心は誇り高く! それなのに、ある時身に覚えのない罪を擦り付けられ、啖呵をきって職場をやめることに。 職業相談所に相談したら眉唾ものの美味しい職場を紹介された。 怪しいけれど背に腹は変えられぬ。向かった先にいたのは、学園時代の後輩アルフレッド。 いつもこちらを馬鹿にするようなことしか言わない彼が雇い主?どうしよう…! 喧嘩っ早い没落令嬢が、年下の雇い主の手のひらの上でころころ転がされ溺愛されるお話です。 ※婚約者編、完結しました!

【完結】悪役令嬢はゲームに巻き込まれない為に攻略対象者の弟を連れて隣国に逃げます

kana
恋愛
前世の記憶を持って生まれたエリザベートはずっとイヤな予感がしていた。 イヤな予感が確信に変わったのは攻略対象者である王子を見た瞬間だった。 自分が悪役令嬢だと知ったエリザベートは、攻略対象者の弟をゲームに関わらせない為に一緒に隣国に連れて逃げた。 悪役令嬢がいないゲームの事など関係ない! あとは勝手に好きにしてくれ! 設定ゆるゆるでご都合主義です。 毎日一話更新していきます。

処理中です...