紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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ハリボテ と 道化師

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 華族会館と名を変えた鹿鳴館のバルコニーで光留は、頬杖を突き 表門を見据えるが、くぐる馬車はおろか、人影さえも未だ見えない。
 目に映る厳威げんいな黒門は、国の威信をかけて造られた白亜の洋館に全くそぐわず、諸外国の奇異な視線を浴びた代物だ。
 閉じれば何人たりとも通すことがない重々しい門は、お江戸の頃からそびえ立つ、武家屋敷のそれであり、旧薩摩藩中屋敷に建つ鹿鳴館の表門として、そのまま利用されていた。
 大枚をはたき、背伸びをしたが、不平等条約改正には失敗し、何たることか!と国粋主義者には罵られ、矢面の井上馨は失脚したという、無様なハリボテで行われる尾井坂男爵との面会には、まだ30分程早かった。
 談話室で、待つのも落ち着かないと、見渡せる2階にやって来たのだが、ここも落ち着く場所ではなかった。
 背中越しの大広間では、華族の夫人や令嬢が持ち寄った品々を前に、慈善事業について話しているのだが、時折「お呼びして……」「ほら」などと、ヒソヒソとした囁きが漏れる。
 おそらく、宮内省の役人として滞在していると、思われているのだろう。
 耳に入る囁きが経験上、光留を誘う算段だというのは分かっていた。
 そして 輪に加われば、根掘り葉掘り質問攻めにされることも。
 答えによっては、好きでもなく 興味もない物を「あら、私もですの」「ま、気が合いますわね」などと はにかみ、口にする令嬢に、恐縮してしまい心苦しい。
 何故なら どんなに気を引く素振りをされても、つまらない世辞や、誘いを受けても「それでは今度――」などと、答えることはないからだ。
 視線を集めるのは、今に始まったことではない。髪のせいとも、秀麗な面立ちのせいとも言えるが、容姿とともに洗練された立ち居振舞いも、一朝一夕で身に付くものではない。
 晃子以外の者に、誉めそやされても嬉しくもなく、ただ、ただ、面倒なだけなのだが、それでは――と、下品な態度で退けることもプライドが邪魔をする。
 しかし、それも今日で終わるかもしれないと、ある種の期待が混ざる視線を、遠くなったお江戸の名残に注ぎ続けた。
 男爵との面会は、昨日 決まった。
 司法省にて 事の進み具合を進言した光留は、宮内省に戻ると直ぐに筆を執り、尾井坂男爵へ面会願いをしたためる。
 勿論、予定を聞くだけなら電話が早いのだが、迷わず書面に決め、官吏を呼び止めた。

「ねぇ、ちょっとコレを紀尾井坂付近の男爵家へ届けて貰えないですか?」
「よろしいですが、少し後になってしまいます。すぐに出れる者を探しましょうか?」

「いいえ、急ぐ必要はないのです。身なりのが届けることに意味があるのです」

 おかしなことを言うものだと、官吏は首を捻るが、断る理由もなく手紙を受けとる。宛先には、立派な手跡で尾井坂男爵様とあることから、嫌でも馬鹿な子爵家従五位の噂を思い出す。

「尾井坂家の令嬢へ懸想しているのは本当だったのですね……」
「……そろそろ、終止符を打たねばならないと思っているのです。その出だしとなる大切な役割が、この手紙を渡すことですが 誰でも良いわけではないのです。先々、出世魚のように官位が上がりそうな人が適任と思うのです。人に例えるなら、清浦閣下のような……だから君にお願いします。仕事も早そうですし」

 光留が、柔らかい笑みを浮かべると、官吏は背筋を伸ばし、軍隊の発声練習かと言わんばかりに叫ぶ。

「直ぐに行って参ります!!」
「お願いします」

 官吏らにとって、清浦のようなというのは相当な誉め文句だろう。優秀さでは以前から官僚の中でも群を抜くと言われている男なのだから。
 勿論、それに例えられて「仕事が早そう」などと言われたら、急ぐしかない。

「お気を付けて」

 外面の良さは、折り紙つき。学習院でも貴族院でも――と、以前 評したのは清浦だ。
 底に秘めたものを隠す化けの皮は、こびりついたように貼り付き、一部と化しているかもしれない。
 こうして見送った官吏が、返事を持ち帰ったことで、光留は鹿鳴館に立っていた。

「化けの皮も、モノに出来ているのなら、立派じゃないですか……あ」

 ボソッと呟いた声が、跳ねた。一頭立ての馬車が、黒門をくぐったのを認めると、ご夫人達に会釈し 大広間を抜ける。階段を誘う緋毛氈から、降り立つと駒子を思い浮かべた。
 真夏の夜会で初対面した大宮伯爵令嬢は、食うに困らない縁談だと笑った。
 箔をつける縁談に乗った泰臣と、金目当ての駒子を滑稽だと思ったものだが、初恋を追う自分の方が、人様からしたら滑稽な道化師だろう。
 芝居小屋ならば 指を差され、愛すべき嘲笑の的になるべき存在が、華族という小屋では鹿と、影で失笑される。
 それは、そうだろう。宮家と、成り上がり男爵家を比べるのも不敬というもの。
 速度を落としながら、車止めに入る馬車の前で待ち構えるドアマンは、出てきた光留にハッと肩を上げると、慌てて「尾井坂男爵様が、お着きでございます」と、告げる。
 出迎えるとは、思わなかったのだろう。

「ご苦労様」

 肌を刺す、冬隣の風に身震いしながら薄曇りの空を見上げ「ああ、寒いはずだ」と、独り言を漏らす。
 灰色のて雲が、空に 貼りつく様が 清浦の執務室を思い出させ、あの人も、本音を隠した道化師なんだろう――などと、思う。
 芝居小屋の道化師は、善良な素顔を隠しているのかもれないが、似た者同士が 全てソレとは限らない。少なくとも光留は、自身が善良な者とは思っていない。
 その時、一歩踏み出したドアマンが「失礼致します」と、馬車の扉に手を掛けた。
 ガチャリ――と、金属が回る音が鳴り、磨きあげられた靴が、地面を踏む。
 歳は45位だろうか、清浦より少し上に見え、背丈は 光留と変わらなかった。
 面長の顔は、晃子にも泰臣にも似ていなかったが、筋が通った鼻は 2人と共通しているようにも見え、その鼻の下には、ピンと反り返った カイゼル髭が蓄えられていた。
 喜色を目一杯浮かべる光留は、右手を差し出す。

「尾井坂男爵とは、昔、チラリとお会いしたことがありますが、改めてご挨拶するのは初めてかと思います。本駒込の田中光留と申します、本日はお忙しい中 ご足労ありがとうございます」

 光留は、泰臣の学友とも宮内省奏任官そうにんかんとも名乗らなかった。
 ただの子爵家の者として、晃子との結婚を望んでいたからだ。
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