紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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任務

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 清浦は、色づき始めた銀杏の葉に「早いものだなぁ」と漏らす。
 去年の今頃、俄に耳に入ってきた噂は、某宮家と子爵家の縁談話。才覚一つで成り上がった身からすれば、やんごとない方々のご縁談だ。
 興味もないと聞き流していたところに、横で席を同じくしていた近衛の顔が、サッと曇った。いつも感情を表さない男が、人様のことで色を変えたのだ。興味を持たないはずもない。それが今、思い出せる1番始めの取っ掛かりだ。

「知っていたかい?近君、私が光留君に興味を持ったのは、君のせいだよ」
「とんでもないことを言わないで下さい。恨まれるじゃないですか」

 書類の束をトントンと机に打ち、端を揃える近衛は、静かに嗜める。上官に対する物言いではないが、2人にとっては至極当然のやり取りだった。

「馬鹿馬鹿しいと、初めは思ったさ」

 手元の書類に目を通し、朱をたっぷりと含ませた印を押す。世間話の傍らに、流れ作業のようなことをしながら、適当にやっているようでも、司法に関する報告書だ。2人とも目付きは真剣だった。

 昨年、顔色を変えた近衛に理由を聞いた。勿論、渋ったが聞き出したのは云うまでもない。押しが強いのは自負している。
 しかし、聞けば何てことはない。ただの惚れた腫れたというやつだ。
 馬鹿馬鹿しい。宮家との話で 恋に浮かれた感情など吹き飛ぶだろうよ――と内心、笑い、その内 忘れていた。
 次に噂を聞いたのは、欧州視察の直前とも言ってよい時期で 皆が集まり、激励会を開いてくれた席だった。
『田中子爵は、頭を抱えているらしい』
 気がついたら、本駒込の子爵邸を訪ね、欧州視察の同行を打診していた。

「だがな、予期せぬ行動だったんだよ。まさか、子爵家の従五位が宮家の縁談を蹴ると思うかい?私は、大いに興味を持った。自分の予想を覆した男にね。……ほら近君、お茶が冷めるから飲もう。光留君が持って来た饅頭もあるから」
「頂きます」

 御用菓子司の店名が記された包みを開くと、清浦は、一口大の饅頭を取り皿に移すでもなく、直接 手で口に放り込む。
 近衛は、一言注意したかったが、話が長くなるので我慢した。――が、モゴモゴと咀嚼そしゃくする口が言葉を発する――

「ふぁから、ひしちゃいと……」
「行儀が悪い!頬張って話さないで下さい!」

 堪忍袋の緒が切れた。近衛の袋は、意外と小さかったようだ。

「厳しいなぁ。鹿鳴館では、皿を持ち上げてスープを飲み干していたらしいじゃないか」
「何で知っているんですか……」

「大宮伯爵が近衛君は、お優しいと仰っていたよ。きっと駒子さんがマナー講習後、君の優しさに気付いたのだろう」
「それは、報われました」

 清浦は、楽しげに笑うと「話を戻そう」と強く継ぎ、身を乗り出した。

「近君、羽倉崎の所へ使者として行って欲しい」
「何と言えと?」

「舶来品の偽物が出回っている噂がある。その事について聞きたいから、出頭せよ」
「は? そんな案件、聞いたこと……」

「無いだろうねぇ。今、思い付いた。だが、料亭で呑もうなどは、駄目だよ。申し訳ない、予定が……など言い逃れが出来る。光留君の頼みだ、確実に羽倉崎を連れてこないと」
「……清浦さん、この貸しは高いのでしょう?光留さん、覚悟出来ているのでしょうか……」

「失敬な、私は恩着せがましくないよ。ただ上手くいったら……そうだな、仲人を引き受けてやっても良いかな」
「何で上から……」

「さ、早く食って羽倉崎の所へ行きなさい」
「はい、はい……って、1つしか残ってませんよ? 清浦さん、お食べ下さい」

「あ~、いらない。いらない」

 清浦は、軽く手を振り拒絶する。

「まさか、落としたとかですか」
「信用ないなぁ……、近君。これは。私の遠慮だよ」

 そう言うと、一通の書類を手渡した。それは、偽舶来品の噂についてまとめられたものだった。一体、いつから想定していたのだろうか。
 近衛は、深々と頭を下げると「いただきます」と、1つだけ残った饅頭を頬張った。


 
 ◆◆◆◆◆


 晃子を屋敷から連れ出すことも、また光留が男爵邸で面会することも、泰臣が在宅していれば実現しない。となれば、泰臣を誘きだすしか方法はなかった。
 先日、土方宮内大臣の名を匂わせてみたが、あれは晃子を呼び寄せる口実だ。
 泰臣に大臣の名を使っては、縁談が進まない理由を尋ねられ、直談判されかねない。
 光留の算盤は、羽倉崎と清浦を会わせることは良くても、泰臣と土方に面識を持たせるのは得策ではないと、すぐに弾き出した。
 そこで思い付いたのが、大宮伯爵だ。
 尾井坂家としても、無下にはできない縁談である。伯爵の呼び出しには答えるだろうと。
 ただ、駒子のマナー講師を屋敷に呼び入れることを拒んだ理由から、泰臣を拒む可能性もある。
 人様に、修繕が追い付かない屋敷を見られたくない――、至極全うな考えだ。そこで光留は、大宮伯爵邸の表玄関に立った。

「大変申し訳ない。多忙で、ゆっくりすることができません。大宮伯爵様に、こちらまで出て来て頂けますか?」

 出てきた女中に名乗り、こう言った。
 無礼だが、あちらも願ったり叶ったりだろう。
 人の声も、物音さえもしない。
 静まり返り、奥に続く長い廊下の先は薄暗く、年季の入った戸も立て付けが悪いのか、斜めに歪む。
 京都から、東京へ出てきた公家華族の屋敷だが、とても築20年程には見えないことから、旗本か 何かの屋敷だったのを譲り受けたのだろう。
 そんなことを考えていると、薄暗い中からギシギシと 床の軋む音と共に、痩躯の人影が近付いてきた。身長が低いので、子供のようだが大宮伯爵、その人だ。
 玄関先に呼びつけられたことに対して、憤っている様子もない。予想通りだったという事だろう。

「近くに寄りましたもので、駒子さんにと」

 光留は、にっこりと微笑んで見せると、包みを差し出した。御用菓子司――、清浦に渡した物と同じだ。
「これは、これは、ご丁寧に」などと、受けとる伯爵を尻目に光留は、一世一代の任務を果たすべく、不躾な視線を玄関先の柱、天井の梁に這わせた。
 明らかに、ボロ屋敷を品定めするかのような動きだ。伯爵も気付くだろう、否、気付かなかったら困ると光留は、塵芥ちりあくたと口走りそうな顔を作って見せた。
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