紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
51 / 96

頼りになる男

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆

「おいおい、どうしたって言うんだい?」

 咥えていた煙草を急ぎ、唇から引き離した清浦は、テーブルに両手を突き、頭を下げる男に声をかけた。朝から、面会を願い出ていたことは知っていたが、頭を下げに来るとは予想もしていない。突いて出たのは、いつもの軽口だ。

「おしい!こんな場所じゃなくて、座敷で会うんだった!君の土下座なんて、なかなか見れるもんじゃないだろ?」

 諧謔かいぎゃくを弄する唇に、言いたいことは言ったと煙草を咥えなおし、出方を待つ。
 委ねた背中は、安物のソファーからボフッと空気を漏らした。

「清浦さん!茶化さないでください」

 声は発するが、肝心の面を未だに伏せる姿に、これは恋しいご令嬢がらみだと見当がついた。清浦は、真横に尖らせた唇から白いものを燻らせ、チラリと視線を流す。
 まだ、頭を上げない。
 こうなったら頭を上げるまでに、何分かかるか 1人で遊ぶのも悪くない――と 思うが、それでは 根比べになり、意地っ張りな男が どう出るかなど 分かりきっている。
 さすがに、付き合いきれない。
 それでは、男の口振りを真似
「お顔を上げて下さい、貴方の瞳に映る私を見たいのです」
 などと、言ってみようかと過ったが、むず痒く最後まで言いきれる自信がない。清浦は、仕方がない――と折れた。

「知っての通り、私は 忙しくてね。さっさと頭を上げて用件を言ってくれ」
「有難い!」

 勢いよく身体を起こした光留は「お願いがあるのです」と切り出した。
 黙り、煙草を咥える清浦に構わず、言葉を継ぐ。案の定、晃子のことだった。

「……で、私に羽倉崎を呼び出せと?」
「はい。僕が、晃子さんに お目通りを願っても土方大臣の名を使っても、体調が悪いと断られるのです。しかし、それは嘘です」

「嘘?」
「はい。駒子さん……泰臣君の許嫁ですが、その駒子さんの話によると、元気にしているそうです」

 清浦は「ほぅ」と、思案気に顎を撫でる。

「君と晃子さんを、会わせないようにしている……とかか?」
「あり得ます。泰臣君は、僕の邪魔をする気ですので……何をニヤニヤしているのです?」

 今までの人生、蹴躓けつまずいたことがない光留の最重要案件が、よりによって上手くいっていない――と、なると面白いに決まっている。清浦は「失敬、失敬」と、緩む頬を引き締めた。

「しかし、なかなか面白い。学友が敵か?」
「刺した釘は、抜けてはいないようですが、邪魔はする気のようで」

 優美な微笑を浮かべる光留は、皆を魅了するが、チッと舌打ちを漏らす苦々しい表情が、この男を1番魅力的に見せる――
 そう思う所が、清浦の風変わりと云うべき部分だろう。

「で? 今日、呼び出せばいいのか?」
「清浦さん! 貴方ほど頼りになる人は、いません!」

 調子の良い光留の言葉に、人好きのする笑顔を浮かべ「そうだろ?」と、煙草を灰皿に押し付ける――と、そのままテーブルの隅に置かれた手土産を引っ張り寄せた。
 御用菓子司と記された包みに「金か?」と口を開けば、すかさず「ご冗談を」と返す光留の顔は、もの柔らかな笑みが浮かべられていた。

「光留君のその顔を見ると、信頼されているなぁと実感するよ」
「ええ、信頼しておりますとも。だから失望させないで下さい」

「はは!饅頭分は、仕事をするよ。お茶を入れさせよう、近君も呼ぶから」
「いえ、お2人でお召し上がりください。僕は、泰臣君を屋敷から引っ張り出さなくては……」

「ほう、2人を晃子嬢から引き離すのか?」
「ええ、時間がありません。昨日を無駄にしてしまいました」

 昨日とは、咲に羽倉崎の行動予定を流すように打診した日の翌日になる。
 咲のことを知った晃子が、気掛かりでもあり又、鬼怒川行きのことを聞かなければならない光留は、男爵邸を訪ねた――が、清浦に話したように体調不良と面会叶わず、宮内大臣の名を出しても「少々の無理もできない」と断られた。おそらく泰臣は、会わせないまま終止符を打たせるつもりなのだろう。

「成る程……と、いうことは、明日の朝には出立か?」
「ええ、なので何がなんでも、本日お目にかかる必要があるのです」

 会ってどうするんだ? とは、尋ねなかった。どっちに転ぼうが、今日中に会っておかなければならないのは変わりない。

「羽倉崎は、何時頃まで引き留めればいいんだね?」
「夕食頃までで」

「そんなに早く帰していいのかい?」

 意外だった。成り行きでは、最後になるかもしれない逢瀬だろうにと。いや、おそらく最後などという考えは、端からないのだろう。光留は深々と頭を下げた。

「これ以上は、ご迷惑をお掛けするつもりはありません」
「ま、こっちは心配しなさんな。司法省の呼び出しを断れる商人などいないよ」

 清浦は、シッシッと手を振り、早く行けと促した。
 光留の手により、静かに閉められたドアが、直ぐ様 音を鳴らす。

「清浦さん、お茶をお持ちしたのですが3つは、いりませんでしたね」

 いつもの平坦な声に、振り向きもしない清浦は、窓の向こうの銀杏の葉に「今宵か? 明日か?」と、呟くと振り返る。 
 ニッと引き上げる唇が「私が、2つ頂く」と告げると、ソファーに手を差し伸べ、盆を持つ部下に座れ――と促した。

「ああ、本当に頼りになる人ですね……貴方は」  

 訪ねて来たのは光留だ。それも菓子折を持って。願い事しか考えられない、そこにきて座れときた。確実に、片棒を担ぐ事態だ。
 近衛は、テーブルに盆を置くと頭を抱え、深く腰を掛けた。

「だろ? 我ながら思うよ。さあ、仕事をしながら話そう。この後、急用が出来たんだ」

 清浦は、そういうと脇に寄せてあった書類の束を、2人の間に引き寄せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神楽坂gimmick

涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。 侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり…… 若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?

【完結】帝都一の色男と純朴シンデレラ ~悲しき公爵様は愛しき花を探して~

朝永ゆうり
恋愛
時は大正、自由恋愛の許されぬ時代。 社交界に渦巻くのは、それぞれの思惑。 田舎育ちの主人公・ハナは帝都に憧れを抱き上京するも、就いたのは遊女という望まない仕事だった。 そこから救い出してくれた王子様は、帝都一の遊び人で色男と言われる中条公爵家の嫡男、鷹保。 彼の家で侍女として働くことになったハナ。 しかしそのしばらくの後、ハナは彼のとある噂を聞いてしまう。 「帝都一の色男には、誰も知らない秘密があるんだってよ」 彼は、憎しみと諦めに満ちた闇を持つ、悲しき男だった。 「逃げ出さないでおくれよ、灰被りのおひいさん」 ***** 帝都の淑女と記者の注目の的 世間を賑わせる公爵家の遊び人 中條 鷹保 ✕ 人を疑うことを知らない 田舎育ちの純朴少女 ハナ ***** 孤独なヒロイン・ハナは嘘と裏切り蔓延る激動の時代で 一体何を信じる? ※大正時代のはじめ頃の日本を想定しておりますが本作はフィクションです。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係

ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________

婚約者を親友に盗られた上、獣人の国へ嫁がされることになったが、私は大の動物好きなのでその結婚先はご褒美でしかなかった

雪葉
恋愛
婚約者である第三王子を、美しい外見の親友に盗られたエリン。まぁ王子のことは好きでも何でもなかったし、政略結婚でしかなかったのでそれは良いとして。なんと彼らはエリンに「新しい縁談」を持ってきたという。その嫁ぎ先は“獣人”の住まう国、ジュード帝国だった。 人間からは野蛮で恐ろしいと蔑まれる獣人の国であるため、王子と親友の二人はほくそ笑みながらこの縁談を彼女に持ってきたのだが────。 「憧れの国に行けることになったわ!! なんて素晴らしい縁談なのかしら……!!」 エリンは嫌がるどころか、大喜びしていた。 なぜなら、彼女は無類の動物好きだったからである。 そんなこんなで憧れの帝国へ意気揚々と嫁ぎに行き、そこで暮らす獣人たちと仲良くなろうと働きかけまくるエリン。 いつも明るく元気な彼女を見た周りの獣人達や、新しい婚約者である皇弟殿下は、次第に彼女に対し好意を持つようになっていく。 動物を心底愛するが故、獣人であろうが何だろうがこよなく愛の対象になるちょっとポンコツ入ってる令嬢と、そんな彼女を見て溺愛するようになる、狼の獣人な婚約者の皇弟殿下のお話です。 ※他サイト様にも投稿しております。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~

泉南佳那
恋愛
伯爵令嬢の桜子と伯爵家の使用人、天音(あまね) 身分という垣根を超え、愛を貫ぬく二人の物語。 ****************** 時は明治の末。 その十年前、吉田伯爵は倫敦から10歳の少年を連れ帰ってきた。 彼の名は天音。 美しい容姿の英日混血の孤児であった。 伯爵を迎えに行った、次女の桜子は王子のような外見の天音に恋をした。 それから10年、月夜の晩、桜子は密に天音を呼びだす。 そして、お互いの思いを知った二人は、周囲の目を盗んで交際するようになる。 だが、その桜子に縁談が持ち上がり、窮地に立たされたふたりは…… ****************** 身分違いの、切ない禁断の恋。 和風&ハッピーエンド版ロミジュリです! ロマンティックな世界に浸っていただければ嬉しく思います(^▽^) *著者初の明治を舞台にしたフィクション作品となります。 実在する店名などは使用していますが、人名は架空のものです。 間違いなど多々あると思います。 もし、お気づきのことがありましたら、ご指摘いただけると大変助かりますm(__)m

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

処理中です...