紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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組閣

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 ◆◆◆◆◆

 羽倉崎と光留の会食は、なかなか都合がつかなかった。初めは、光留が難色を示していると思われていたのだが、本当に都合がつかないようで、尾井坂家へ訪れるのも、宮内省の職務の一つであり、限られた時間だった。それでも、あわよくば――と、来訪に合わせて、羽倉崎も足を運ぶのだが結局、挨拶だけで すれ違う有り様だ。

「田中様と駒子様は、まだ?」
「そのようね」

 羽倉崎は 窓辺に立ち、庭を挟んだ一室に視線を向けた。大きな窓に映る2人がよく見える。駒子は、花嫁修業の一環として習い事を始めたのだが、大宮家が費用を出すわけもなく、尾井坂家で全て賄っていた。
 しかし、費用面では問題ない尾井坂家でも、それなりの講師に頼み込むのは、なかなか難しく、宗秩寮に誰かいないか?と願い出た形であった。
 羽倉崎は、懸命に字を書いているであろう駒子を、硝子越しに見つめ、ボソリと呟いた。

「大宮伯爵家が、先生を招くと茶菓子代が必要になり困ると、難色を示したと聞きましたが……、そんな華族がいるとは、少々驚きました」
「羽倉崎さん……私は、少々どころではありませんでした」

「……確かに」

 羽倉崎は、晃子の困惑に頷いた。
 習うだけで良いという厚待遇に、待ったをかけたのは、当の大宮伯爵家だった。
 難色は、訪れた講師に出す茶菓子などの費用であり、屋敷修繕箇所もありすぎて……という衝撃の理由であった為、尾井坂家が驚き、全て引き受けた形だった。講師は、宗秩寮に縁がある者から選ばれ、職務の一環で時間を割くことを許されており、うち1人が光留に決まったのだ。
 光留は、大炊御門家から筆、和歌、笛を習ったということから、泰臣は 和歌も……と打診したのだが、さすがに暇がないということで別の者が派遣されていた。
 詰め込みすぎても身につかないと、取り敢えず選ばれたのは、筆と和歌、あとは泰臣の強い要望でテーブルマナーとなった。
 講義に、同席している筈の泰臣だが 窓越しに見えるのは、若々しい印象を与える黄色の縦縞に、長い髪を流行りのマガレイトに結い上げた駒子と、背後から寄り添う光留の姿だけ。羽倉崎は「ほほう」と、一声唸ると「ご覧なさい」と、晃子を呼び寄せた。

「仲睦まじいというより何か、勘繰りたくなる雰囲気ですよ」
「馬鹿なことを仰らないで。泰臣さんもいるというのに」

「見えないではないですか」
「ここから、見えないだけです」

 紙に向かう真剣な駒子の指先には、光留の指が重ねられ、一緒に文字を書いているようだ。筆の持ち運びから、流れを教えていると思われた。

「泰臣君は、何とも思わないのでしょうか?私ならば、横から手を叩きますよ」
「貴方は、少々可笑しいから……」

「失礼な……私が可笑しくなるのは、貴女のせいですよ」

 晃子は、羽倉崎の戯言を聞き流し、窓辺から顔を背けた。


 ◆◆◆◆◆


「大変申し訳ありません。僕はこの通り、多忙を極めておりまして、会食に御一緒できそうにありません」

 神妙な顔つきで、スプーンをクルクルと回す光留は、切り出した。何度も打診されれば、いつまでも返事をしないわけにはいかない上に、多忙なのは本当だ。

「それに、清浦さんも近さんも大変、お忙しいのです。お気持ちだけで……と言われるでしょう」

 カップを口元に寄せながら、付け加えられた言葉は、独り言のように漂った。
 これも嘘ではないと泰臣は分かる。この場に揃う者達も、疑いようがないだろう。何故なら、内閣が変わったのだ。
 以前、清浦が近衛に耳打ちした通り、伊藤博文が総理大臣になった。清浦の情報は正しく、司法大臣には山縣有朋。その他官庁の、顔ぶれも決定する中、何故か、司法次官が空席となっていた。言わずと知れた司法省の事務方トップである。皆、いぶかしがるのは当然だったのだが、その次官に 清浦が抜擢されたのだ。

「それにしても組閣から空きすぎたが、何かあったのか?」
「ええ、実は清浦さんには、もう一つポストが打診されていたとか……」

 光留は、惜しげもなく官の内部事情を明かす。珍しい――と、思いつつ泰臣は「それで?」と継いだ。

「山縣閣下は、司法には詳しくありません。そこで名前が上がったのが清浦さんなんですが、ここに元の警保局長にと推す声も上がったのです。言わずと知れた内務省の要ですよ。両方に名前が上がった為に、穏便に~、穏便に~とやって、今になったと聞いております」
「山縣閣下からのお声がけなら、そう内務省へ言えば良いんじゃないか?」

「泰臣君、君ねぇ……内務大臣を知らないんですか?三井の番頭ですよ?あの人、すぐ怒るから……ということで、清浦さんも大忙し、近さんは元々 ああいう席は、お嫌いです」
「息抜きに、よろしいではないですか。会食、程々……先日のように」

「先日?」

 意味がわからない一言に光留は、口元に寄せたカップを ピタリと止め、大きな瞳を羽倉崎へ向けた。

「清浦様の行きつけの店に、揚がられたと聞き及んでおります」
「ああ、申し訳ない。僕は羽倉崎さんが退席された時に、一緒に抜けまして存じ上げません」

 驚きを露にした男達は、顔を見合せ 晃子は、クスリ……と笑う。そんな光景を双眸に捉え、何か賭け事でもしていたのか?と過ったが、晃子の満足気な笑みに、此方に不利益はないだろうと、立ち上がった。

「それでは僕は、この辺で。お見送りは結構」

 見送りは、結構と言っても言葉通りに受けとる者はいない。――と、なると付いてくるのは屋敷の女だ。案の定、晃子と駒子が立ち上がった。駒子は、余計だが仕方がない――と、2人を従え、表玄関へ向かった。



 真っ直ぐに伸びる緋毛氈を率先して歩き、壁に掛けられた染まる富士の油絵に光留は、目を止めた。

「これは……、額縁師に絵を見せて作らせたのならば、その額縁師には今後頼まない方がよろしいでしょう。適当に入れたのならば、もっと落ち着いた色合いにと、塗師へ。理由は……わかります?駒子さん」
「え~と、絵と額が合っていませんか?」

「そうです。どう合っていないか考えてください。答えは、晃子さんへ伝えますので暫く、ここで考えながら お待ち下さい」
「はい!」

「晃子さん、参りましょう」

 まんまと駒子を切り離すことに成功した。
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