紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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夜会のあと

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 ◆◆◆◆◆

 キャリッジに備えられたランプ灯を眺めながら横では子供のように、はしゃぐ駒子こまこが、夜会で出されたメニューについて感想を述べていた。歌うように囀ずる声は、光留ひかるの耳を綺麗にすり抜け、相づちを求める絡み付く視線によって、我に返る始末。

「光留様、どうされたのです?上の空で」
「いえ……泰臣やすおみ君は、ご婚約者を他の男に預けて、よく平気だと……あれ? 光留では?」

 光留の思い描いた予定では、侯爵家の馬車に宮津子みやつこを押し込め帰す――。これは、その通りになった。自分の馬車に晃子あきこを乗せ、泰臣は当然ながら駒子を送る――と思っていたのだが、何を考えているのか「効率的ではない」と、姉の晃子を乗せて帰ってしまったのだ。

「いくら言い慣れなくても、は家の者に叱られそうで」
「そうですか、それでもよろしい」

「私、光留様とお話できて嬉しいです」
「それは光栄です。晩餐では不自由はありませんでしたか?」

「ええ!本当はテーブルマナーが不安でしたの。でも、近衛このえ様も泰臣様も、私と同じなんですもの!ホッと致しました」
「へぇ、近衛さんと同じとは駒子さんも、しっかりとお勉強されたんですね。あの人は分家ですが、ですから、育ちがすこぶる良いのですよ」

「とても由緒あるお雛様が、あるとお聞きしました!」
「お雛様?そんな話をしたのですか?」

 何故、近衛家の話になったのだろう?と、光留は疑問に思う。見合いなのだから、泰臣の話でもすれば良いのに――と。しかし、話が合わないと言っていたことを思い出した。

「駒子さんは、お雛様に興味が?」
「ええ、お人形など持っていませんので」

「ああ……泰臣君にフランス人形でも、おねだりすると良いですね。近衛さんのお雛様は、少々変ですので」
「可笑しな人形なのですか?」

「飾り方がね。段飾りではないのです。畳にゴロゴロと置かれています。ああ、駒子さんも知っておいた方が良いかもしれませんね。何故か、わかります?」
「段を作るお金が……」

「はは!違います。お雛様って誰でしょう?」
「帝ではないのですか?」

 光留は頷き、これは近衛家の考え方ですが――と、前置きし語った。
 1番上に飾られるお内裏様とお雛様は、帝と皇后ではないか?と、思われているのだが近衛家では「帝が玉顔をさらされるわけがない」と考えた。それならば これは誰だ?と、なった時「何処かの公家だろう」となったという。

「ただの公家が、近衛家の者を段の上から見下ろすなど あり得ない。そんな理由で近衛さんの家にあるお雛様は、畳に転がっているんですよ」
「まあ!良かった!尾井坂家は、綺麗に飾ってあるのでしょうね。来年……見れるかしら?」

「晃子さんがおられれば……もし、お嫁に行かれていたら、当家でお見せ致しましょう」
「あら、光留様にもお姉様か、お妹様が?」

「いいえ。僕は、一人っ子です」
「お雛様があるのですか?」

「まあ、あるにはありますよ。母の物が……しかし駒子さんには、僕の妻の物をお見せしましょう」
「ええ!? 光留様は、ご結婚されているのですか!?」 

「まさか、もしも尾井坂家に晃子さんのお雛様がなかったら、当家にあるかも知れませんよ?」
「……意味がわかりません」

「ですね」と、光留は 機嫌良く肩を揺らすと、駒子の前に五指を広げて見せる。

「琴は、綾小路あやのこうじさん。香道は、三条西さんじょうにしさん。歌道は、冷泉れいぜいさん。華道は、植松うえまつさん。筆道は、大炊御門おおいのみかどさん……」

 1つ上げる度に、指を折っていく光留は、最後の小指で微笑んだ。

「別に、御本家に教えを乞う必要はありません。形だけ、何か聞かれたら『あら!私、お琴は綾小路さんの流れですわよ』と言えるように、その流派をお習いなさい。別に人に聴かせることもないのですから」
「そんなに!? 私、自信がありませんわ!」

「その時は、金を握らせてに、すれば宜しいのです。勿論、尾井坂家がやるでしょう。ああ、筆なら僕でも良いですよ。こう見えても、大炊御門家のご隠居に習っておりますので」
「まあ、光留様は字もお上手なの?」

「字も? 僕って、他にも上手なことありましたっけ?」
「ええ、お口もお上手!」

「これは、手厳しい!周りにそう思われているとは。さぞや、僕の言葉は 軽々しく聞こえてしまっているのでしょうね。気を付けよう……」



 ◆◆◆◆◆


 スラリと伸びた長身の影に、やはり光留が、出しゃばらなくて良かった――と、泰臣は心底、思った。
 男爵邸の正門を潜ると馬車は、速度を落とし、ゆっくりと円を描き出す。内玄関を向いた袖硝子から、チラリと見えたのは間違いなく、羽倉崎だ。
「まあ、こんな夜分に……」と、晃子は 呆れた声を漏らすが泰臣は、必ず羽倉崎が出迎えると思っていた。
 夜会招待状が届いた折りに羽倉崎は、晃子の出席に良い顔をしなかった。人の目に触れさせたくないという、いつもの独占欲だ。
 本来、晃子も人の多い場所に出ることに消極的なことから、宮内省の誘いでも理由をつけ断るのではないか?と思っていたのだが、何故か出席するという。
 晃子付きの女中によれば、初め出席の予定だったが、羽倉崎の難色が面倒に思えたらしく断る方向に傾いていたという。しかし一転し、参加の意向を固めた。
「久我の宮津子様から、お手紙が届きまして。直々にお誘いがあられたのでは?」と、絹靴に風を通しながら答えた女中の言葉に、泰臣はピクリと眉を上げた。

「宮津子さん?」
「はい。バザーでご一緒されているのでしょうか?直々のお手紙でした」

「見たのか?」
「中身までは流石に……宛名を見ましたので間違いありません。とても達筆で流石、侯爵家のお方と思いました」

「達筆……」

 怪しいとは思いはしたが、晃子を問い詰めても「貴方には関係ない」と、突っぱねられ 苛立ちが募るだけだともだすことに決めた。
 しかし、用意周到と言わざるを得ない今宵の晩餐には、光留の意向が反映されているのだろう。
 そう思ったからこそ、光留と晃子の同乗を止めた。何らかの魂胆があっての夜会ならば、羽倉崎と出くわして良いことはないと。
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