紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
22 / 96

お日さま

しおりを挟む
 爪先は文章を差すというより、削る勢いで文字を引っ掻く。余程、気に入らないのだろう。力の入る指先は、血の巡りを押さえつけ、白く色が変わっていた。

「令嬢は、結婚を心待にしている……?そこが、あり得ないのでしょうか?」

 指先が紙面を、ぐしゃぐしゃと寄せる為に何を差しているのか、宵には分からなかったことから、それらしいことを口にする。

「そこは………………」
「あり得るのですか!?」

「あってはならない――と、思ってはいます」
「坊ちゃま……、まずはお相手のお気持ちを確認してみましょう」

「答え次第では、僕は生きていけなくなる……」
「逆があったら、どうされるのです!? 坊ちゃまのせいで晃子様が、好いたご婚約者と破談になって生きていられないと……」

「とんでもないこと言わないでください!」

 光留にしては、珍しく焦慮を露にする態度に宵は、晃子に関して否定的なことを口にしては、ダメなのだと感じ「それでは、何があり得ないのです」と、切り口を変えた。

「ご結婚が近い――ココです。晃子さんには、ご結婚の認可は下りません。理由は、聞いての通り。そして、苦肉の策と別の方法でご結婚を強行する場合……知ってます?どんな方法があるか?」
「いえ。宵にはさっぱり……」

「分家です。結婚の前に、晃子さんを分家とする願いを提出するのです」
「分家!? 」

「ええ、華族は何をするにしても宗秩寮そうちつりょうを通さなければなりません。勿論、分家願いも。それが許可されれば晃子さんは、平民になってしまう。平民になれば結婚は自由です。宮内省の許可なんていりません」
「まあ!それでは、晃子様は華族としてご結婚ではなく、平民として……」

「まさか!平民になってもらっては困ります!僕は言いました、視察の前に土方大臣へお願いに上がった時に」

 光留は、あの日快諾してくれた土方に「大臣の御仁恕じんじょ、一生涯忘れません……」と 頭を下げ、こう続けた。

「分家願いもお止め下さい」と。
 土方は、一瞬意味が分からなかったのか、ポカンとした様子だったが、直ぐ様、理解したのだろう。痛快だ――と、高笑いを響かせ、頷いてみせた。しかし、蓋を開ければ宗秩寮に結婚の願いが出されたのは、3ヶ月程前という。まだ強行するような期間でもなく、分家願いは出されていない。

「いずれ、出るか?出ないか?わかりません。宵さん、僕がここまでやっているのです。情けないとも、みっともないとも思います。それでも外堀を埋めてかからないと恐ろしいのです。お父上は、僕に関しての相談事をではなく、貴女にします。どうか縁談の打診がきたら、この事を思い出してください」
「わ、私に断れと!? 」

「僕の味方なのでしょう? 秘密を共有したでしょう? 」
「あ……っ!」

 光留は、してやったり――と唇を引き上げた。宵は、両手で顔を覆い無念を表すが、頼みを無下にすることなど出来ないのは、光留のことが可愛くて仕方がないからだ。

「何故、すんなりと決まるご令嬢をお選びにならないのです」
「アレ、とても綺麗でしょう?」

 光留は、にっこりと微笑み、書棚にある小さな小瓶を指差した。英国から買い求めたという黄色の香水は仕舞うでもなく、いつも目につく場所に置いてあるのだが、宵は、色のついた水としか認識していない。

「清浦さんと、ぶらぶら歩いていたら道端から目に入ったのです。ガラスケースに光が反射して、キラキラと輝く姿が鹿鳴館を思い出させました。お日さま色の姿も、神々しい香りも、すべてが一目惚れでしてね。正直、欧州で頭を冷やしたら、忘れられるかもしれないと少し過ったこともあります。だけど無理でした」

 光留は、情けないけど――と、失笑を漏らすと宵をしっかりと瞳に捉え、言いきった。

「大層、美しい人を連想させるperfumeを手にした時に、本物も絶対に必要だと思ったのです。晃子さんは、あの日僕にこう言いました――」

 学友に母親の悪口を言われ、膝をつき涙ぐんでいた情けない少年に、海老茶式部の女学生は立ち去り際、こう言ったという。
『私は、走り去った人達を憶えていることはないでしょう。でも貴方のことは忘れません。だって、とても綺麗なお日さま色なんですもの』と。

「お日さま色とは、笑われるかもしれませんが僕は、あの方にそう言われ有頂天になりました。そして、この髪色がとても尊いものに思えた。親に感謝したいほどです。わかってもらえますか?」

 宵の返事など、聞かなくてもわかる光留は新聞を盆に投げ入れた。

「男爵家に恨みがあって、進まない縁談を載せ、晃子さんを辱しめるつもりの記事なら、後日、僕との結婚で一矢報いる気でいますし、許可を出さない宮内省を批判している記事ならば、これ以上のことをやってみろって話です」

 侮蔑、露にする端正な顔立ちは、なかなか拝めるもではない。宵は「はぁ~」と大きく諦めの息をつくと「新聞、どうされますか?」と聞いた。

「捨てて結構……あぁ、明日菓子折を用意して貰えませんか?」
「菓子でございますか?どちらへ?」

「帰国した日に、俥が泥濘にはまって大事だったと話したでしょう? あの時に世話になった家へ、お礼をと思いまして」
「宵がお持ちしましょうか?」

「いえ、ずいぶん日が経ってしまいました。僕が行きます」

 似ても似つかない晃子の大和絵の横には、白袴隊の記事が載っていた。光留は記憶の彼方と化していた瀬戸物町の女を思い出す。
 無理して静かに笑っている風にも見えた、朝の容花かおばなを彷彿とさせる、幸薄な風情の女を。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神楽坂gimmick

涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。 侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり…… 若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?

【完結】帝都一の色男と純朴シンデレラ ~悲しき公爵様は愛しき花を探して~

朝永ゆうり
恋愛
時は大正、自由恋愛の許されぬ時代。 社交界に渦巻くのは、それぞれの思惑。 田舎育ちの主人公・ハナは帝都に憧れを抱き上京するも、就いたのは遊女という望まない仕事だった。 そこから救い出してくれた王子様は、帝都一の遊び人で色男と言われる中条公爵家の嫡男、鷹保。 彼の家で侍女として働くことになったハナ。 しかしそのしばらくの後、ハナは彼のとある噂を聞いてしまう。 「帝都一の色男には、誰も知らない秘密があるんだってよ」 彼は、憎しみと諦めに満ちた闇を持つ、悲しき男だった。 「逃げ出さないでおくれよ、灰被りのおひいさん」 ***** 帝都の淑女と記者の注目の的 世間を賑わせる公爵家の遊び人 中條 鷹保 ✕ 人を疑うことを知らない 田舎育ちの純朴少女 ハナ ***** 孤独なヒロイン・ハナは嘘と裏切り蔓延る激動の時代で 一体何を信じる? ※大正時代のはじめ頃の日本を想定しておりますが本作はフィクションです。

婚約者を親友に盗られた上、獣人の国へ嫁がされることになったが、私は大の動物好きなのでその結婚先はご褒美でしかなかった

雪葉
恋愛
婚約者である第三王子を、美しい外見の親友に盗られたエリン。まぁ王子のことは好きでも何でもなかったし、政略結婚でしかなかったのでそれは良いとして。なんと彼らはエリンに「新しい縁談」を持ってきたという。その嫁ぎ先は“獣人”の住まう国、ジュード帝国だった。 人間からは野蛮で恐ろしいと蔑まれる獣人の国であるため、王子と親友の二人はほくそ笑みながらこの縁談を彼女に持ってきたのだが────。 「憧れの国に行けることになったわ!! なんて素晴らしい縁談なのかしら……!!」 エリンは嫌がるどころか、大喜びしていた。 なぜなら、彼女は無類の動物好きだったからである。 そんなこんなで憧れの帝国へ意気揚々と嫁ぎに行き、そこで暮らす獣人たちと仲良くなろうと働きかけまくるエリン。 いつも明るく元気な彼女を見た周りの獣人達や、新しい婚約者である皇弟殿下は、次第に彼女に対し好意を持つようになっていく。 動物を心底愛するが故、獣人であろうが何だろうがこよなく愛の対象になるちょっとポンコツ入ってる令嬢と、そんな彼女を見て溺愛するようになる、狼の獣人な婚約者の皇弟殿下のお話です。 ※他サイト様にも投稿しております。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

明治ハイカラ恋愛事情 ~伯爵令嬢の恋~

泉南佳那
恋愛
伯爵令嬢の桜子と伯爵家の使用人、天音(あまね) 身分という垣根を超え、愛を貫ぬく二人の物語。 ****************** 時は明治の末。 その十年前、吉田伯爵は倫敦から10歳の少年を連れ帰ってきた。 彼の名は天音。 美しい容姿の英日混血の孤児であった。 伯爵を迎えに行った、次女の桜子は王子のような外見の天音に恋をした。 それから10年、月夜の晩、桜子は密に天音を呼びだす。 そして、お互いの思いを知った二人は、周囲の目を盗んで交際するようになる。 だが、その桜子に縁談が持ち上がり、窮地に立たされたふたりは…… ****************** 身分違いの、切ない禁断の恋。 和風&ハッピーエンド版ロミジュリです! ロマンティックな世界に浸っていただければ嬉しく思います(^▽^) *著者初の明治を舞台にしたフィクション作品となります。 実在する店名などは使用していますが、人名は架空のものです。 間違いなど多々あると思います。 もし、お気づきのことがありましたら、ご指摘いただけると大変助かりますm(__)m

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...