紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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真相

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 ◆◆◆◆◆


 焦げ茶を基調とした男爵邸は、晩方にもなると鬱蒼と茂る森林の中に建つこともあり、月夜でもない限り、その全貌を窺い知ることはできない。正門からいざなうように置かれた街灯によって浮かび上がる茫然たる姿は、実に掴みどころがなく、あやふやと云うか、朧気と云うか、ピタリと当てはまる言葉が浮かぶことはなかった。
 そこに烏まで夜鳴きを始めるとなると、不気味さも一入ひとしおだ。
 火点ひともし頃、人の往来もなく車輪の音もない。烏の鳴き声が、いたく耳についた。

 ―― ああ、うるさい。

 羽倉崎はぐらざきは、明るく照らされた表玄関からではなく、身内や屋敷の者が出入りする内玄関に足を踏み入れた。

「これは羽倉崎様、ようこそお越しくださいました」
晃子あきこさんは?」

 小走りで駆け出てきた家令に、返事もせずに晃子の所在を尋ねる。
 少々、無礼のようにも思えるが、上流階級の家令ともなると心得ているもので、と 意にも介さない。
「只今、お呼びしておりますので談話室にて」と、にこやかな笑みを浮かべると「晃子様は、最近、温室に足を運ばれることが増えております」など、聞きもしないのに様子を語る。
 これは、7日に1度程訪れる羽倉崎が男爵邸の、いや正確に云うと晃子の日々の様子に、細かい注意を払うことから、根掘り葉掘り聞かれる前の先手だということは、羽倉崎自身もよく分かっていた。
 普段、晃子とは険悪と言っても過言ではない泰臣までもが「羽倉崎さんは、束縛が過ぎるのではないか?」と、苦言を漏らしたことがあるほど、何でも知っておかなければ気がすまない。元々、細かく口を挟む性格なのだが、晃子に関しては病的と言っていいほど、一挙手一投足までをも――と、余念がない。

「温室? 何故、温室へ?」
「庭師の話によりますと最近、薔薇に興味をお持ちとか」

「薔薇?……あれは、それが原因で?」

 廊下の壁に沿うように置かれたシックな花台には、焦げ茶とは対照的な白磁の一輪挿し。そこには、白のような薄い桃色のような薔薇が一輪、生けられていた。
 羽倉崎は、椿紋が描かれた一輪挿しに花が生けられているのを、これまで目にしたことがない。
 鮮やかな椿を本物に例えた趣向、もしくは、一輪挿しその物を際立たせる為の趣向とさえ思っていたのだが、どうも違ったようだ。

「ええ、庭師が言うには良い薔薇を咲かせる為に、他の花をわざと切るとか」
「ああ、よく聞くな」

「それを晃子様が、可哀想だからと」
「花を?晃子さんが、可哀想? 」

 暫く会わない晃子が少々、風変わりな人になってしまったように感じ、羽倉崎は原因を作ったであろう薄桃色の花弁に鼻先を寄せた――と、その時
「 興味がおありになって?」
 背後から如何にも、お嬢様然とした声がかけられた。

「晃子さん。これは、どういう風のふきまわしで?」

 我ながら挨拶を飛ばし、気になることを即座に尋ねるのは、悪癖だ……と、言ったそばから後悔するが、晃子は「まぁ、失礼ね」とだけ漏らし、ほっそりとした肩を揺らした。

「しかし、今まで興味を持たなかった人が、花が可哀想などと言い出しては、どうしたのか?と思うでしょう?」
「また、林田にお聞きになったの?」

 晃子は、チラリと後方に控える家令をみやる。ばつが悪いと視線を逸らす家令の態度も、いつものこと――と、深い溜め息を漏らした。
 晃子が、いつ誰と何処に出向いた――、そんな細かいことまで羽倉崎が把握しているのは、今に始まったことではない。

「晃子さん、そんな呆れた顔をしないで」
「これを呆れるなと言われても無理な話」

「貴女を早く屋敷に迎え入れたいのですが、それが叶わないとなると、気が気ではないのですよ。全て知っておかねば……ああ、そうだ。晃子さん、新聞ご覧になりました?」
「新聞? あぁ、あのくだらない……」

 数日前、娯楽新聞のようなものに自分と思われる記事が載ったことを思い出した。
 ハッキリと名が書かれているわけではないが、紀尾井坂付近の男爵令嬢が、貿易商の男と婚約したというものだったが、十中八九、晃子のことだろう。
 娯楽というものは、駄洒落であったり物事を何かに引っかけ、思わせ振りに書いたりする。それを楽しむのも一興という考え方だ。
 紀尾井坂周辺の男爵――、男爵と分かりやすい引っかけである。
 両家、婚約を望んでいることは間違いないが、成立はしていない。宮内大臣の許可が下りないのだ。しかし、晃子は気にもしていなかった。

「くだらない、か。その くだらない記事にも結構、コレがかかっているのですよ」

 羽倉崎は、親指と人差し指で円を作る。つまり金――と。

「まあ、貴方の差し金なの?」
「ええ、あまりにも進まないので、少し揺さぶってみようかと思いましたが、官は娯楽ネタには動じないようで」

「呆れた」
「それくらい早く進めたいと思っているのですが、嬉しくないのですか?」

「何故、嬉しいのです?」
「あ、やはりお変わりない。薔薇の話でご性格が乙女のようになられたかと思いましたが、いつものように辛辣で」

「失礼ね」
「晃子さんも」

 親が決めた婚約者との縁談が進み、嬉しいと思うほど晃子は、羽倉崎を知らない。
 逆に商売柄、結婚の準備などで調度品や宝飾品を求めにやって来る、子女の華やかな顔を知る羽倉崎には、晃子は感情が乏しい人にも見えた。子女も晃子も変わらない、親が決めた相手との結婚で、こうも表にでる感情は違うのかと。

 ―― それとも私がいない所では、はしゃいでいるのだろうか?

「私は、貴女を一目見た時から、すぐにでも妻に迎えたいと思っているのです。官の許可が下りないのが不安で仕方がない」

 羽倉崎は、一輪挿しから薔薇を抜いた。

「おや?刺が……」
「オフィーリアという品種だそうで。とても可愛らしいでしょう?刺が似合わないと思いまして」

「わざわざ刺を折ったのですか?」
「ええ。庭師が言うには、育てるものは取らない方が良いけど、飾る分には良いと」

「ほぅ……しかし、刺が似合わないという発想も、少々晃子さんらしくないですね」
「あら、そうですか?」

「私が知らない間に何かありました?」
「……特にないですが、また林田にお尋ねになられては、林田も困ってしまうでしょうから申しますが、先日、お友達がみえたのです。その方が、オフィーリアをずいぶんお気に入りのようで、私も愛でてみようかと」

「成る程。何にしても、人から勧められると気になるものですからね」

 晃子は、誰の友達かは言わなかった。男とわかれば、根掘り葉掘りと尋ねられるばかりか、泰臣やすおみにまで話は届くだろう。そして、光留ひかるに迷惑をかけることになると思えば、なおのことだった。
 そして、林田の前で口にし、全てを話さないことは暗に、余計なことを話すな――という嗜めであった。
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