紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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宮内省

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 近衛は、不思議に思う。
 そもそも何故、晃子に執着しているのか?と。胸の炎も休まらず――と云われれば、そのような感じとも思えるが、邪心がない、ひたむきな愛と問われると、明らかに違うだろう。
「あの方じゃなければ」と 言うが、妓楼に揚がり、女郎を侍らせることもあるのだから、言葉通りに晃子じゃなきゃ駄目だと云うことはないはずだ。

「学友に からかわれ、ご母堂を悪く言われた所を、晃子さんに見られたと言いましたね?」

 英国へ着岸する最後の夜に、語られたのは子爵令息の話だった。無論、子爵令息とは光留のことであり、晃子との出逢いをこう語った。
 持ち前のブロンドの髪を学友に からかわれ、母のことまで悪く言われてしまい、情けなくも涙ぐんでしまった。運が悪いことに、地面に這いつくばっている無様な姿を晃子に見られ、学友らは辛辣な晃子の言葉で一目散に退散したと。

「ええ。そして僕は、情けなくも四つん這いで、その方晃子を見上げるのですが、海老茶式部がよく似合う大層、美しい人で見惚れて声も出ませんでした……こう、言いました」
「ただ、美しい令嬢が現れただけで、宮家の縁談を蹴ったり、晃子さんの縁談を壊しにかかりますか?変でしょう?」

「変でしょう?と 言われても困りますね。恋をするのが可笑しいなんて理屈はないでしょう?ただ、そこまで執着するのが分からないと言われるのは、理解できます」
「ああ、良かった。それですよ」

 近衛は、あからさまにホッと胸を撫で下ろす。難解なパズルのパーツが噛み合ったような顔つきに光留は、美しい弧を描く唇から笑い声をあげた。懐かしげに細まる瞳は、まるで眩しいものを見るようだ。

「その後、晃子さんとお話をしたのですよ。しかしね、これは教えません」
「え!? 何です!気になるでしょう」

「まあ、時が来たら……とだけ申し上げておきましょう。それでは ごきげんよう」
「待ってください!清浦さんが、光留さんの出仕先を子爵と相談しているとか。お決まりで?」

 ドアノブに指を掛けた光留は、振り返った。輝くブロンドが風もないのに揺れ、溢れる笑みは見惚れる程だ。

「ええ、今日決めました」
「やはり、内務省で?」
「いいえ、宮内省です」

「え?」

 疑問を投げ掛ける一声に、返答はなかった。呆然と立ち尽くす近衛をそのままに、古い扉は音を鳴らし閉ざされたのだ。

「宮内省……えぇ?」

 そっと視線を窓の外へ向け、地面に描かれたわだちを眺めると共に「……怖ッ!! 」と、小さく漏らした近衛の声は、空間を静かに舞った。
 宮内省くないしょうとは、他の行政各官庁とは一線を引いたような省だ。
 名の通り、宮中を取り仕切る宮内大臣をトップに、外部局・内部局といくつにも分かれている。
 侍従じじゅう職は、天皇の側に控え、式部しきぶ職は 宮中儀礼。
 そして、宗秩寮そうちつりょうは 皇族・華族に関する一切を取り仕切る。
 他にも諸陵寮しょりょうりょうなど、陵墓の管理担当もあるが、光留が宮内省と言うからには、宗秩寮だろうと近衛は思った。
 何故なら、宗秩寮そうちつりょうは侍従のように天皇ではなく、その他皇族華族を対象にした部署だったからだ。
 財産のことまで握られているといっても過言ではない。華族は、何をするにしても宗秩寮を通さなければならない。結婚も離婚も――。



 ◆◆◆◆◆


「やられたなぁ~!!」
「やられたと言うわりには、楽しそうですね。清浦さん」

 んん?と、眼を細める清浦の口許は、近衛の言う通りに楽しげに引き上がっていた。
 光留が、司法省の一室を出ると近衛は直ぐ様、人を呼び使者を走らせた。
 それを受け、すっ飛んできたのは今は無役の清浦だ。無役だからと暇ではないだろうに……と近衛は、少々呆れたが清浦の魂胆など分からないし、知りたいとも思わなかった。

「私が、何故漏らしたのか分かられますよね?」

 近衛はソファーに腰掛ける、清浦の目の前に座った。

「何かあった時に、手を尽くして欲しい……とか?」
「当然です、他にも」

「他にもあるのかね?」
「ええ、裁判などになる前に人が厄介になるのは、警察でしょう?」

「ああ……成る程」
「昨晩の達磨と眼鏡が、警察沙汰になりそうな時は、私にご一報を」

「なる前にか!? ちょっと早くないか?」
「なってからじゃ遅いでしょう。まぁ、私はご親戚として光留さんが無茶やらないように、なるべく……」

「君も大変だねぇ……それより、知っての通り私は無役でね。そんな大それた頼みなど聞けないよ」
「ネタだけ持ち逃げですか?」

「本当のことだろう?」
「貴方は、先の内務三役ではないですか、警察の。それと、この司法省にも強いパイプがある。無役……笑わせないでくださいよ」

「ほう、やけに喧嘩腰ではないか?近君」
「光留さんは、貴方に頼み事をしないでしょう。だから、代わりに私がやっているだけです。ああ、誤解のないように言いますが、光留さんは知りませんよ。私の一存です」

「光留君が知っていたら、私がつけ込むと思っているだろう?まあ、いいよ。協力しよう……ただ条件がある」

 煙草を取り出し、吸い口にフッ!と息を吹き掛けると指で弄ぶように、クルクルと回す。
 近衛は、マッチを擦り「どんな?」と差し出した。燻る白煙越しに清浦の見定める視線が、近衛の顔にあてられたかと思うと、低くひそむ声が放たれた。

「もしも、もしもだよ?光留君が、晃子嬢と結ばれたら……」
「結ばれたら?」

「君がうちの娘を貰ってくれ」
「嫌です。恐ろしいことを言わないで下さい」

「さすがに婿殿を、夜な夜な連れ回したりするのは控えるが……」
「考えておきましょう」

 華族の結婚は、本人の意向だけでは決まらない。口約束をしても、どうとでもなる。近衛は、まず連れ回されることを回避する考えに至った。
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