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紀尾井坂 ③
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「正妻とその子が、良い顔をする訳はない……ということで、君と晃子さんの仲がお悪いのは存じております。君が僕に晃子さんから手を引けと言っているのも、それに関係が?」
「あるわけないだろう。正直、俺はあの女……お姉様が、何処に嫁ごうが興味はない」
「それでは、何故?」
「それは、こちらの台詞だ。お前は何故、姉に目をつけた?」
「情けない所を見られたのです」
「は?」
光留は、指先で前髪を摘まみ上げると、コレ、コレと主張する。
「学習院で毛色を、からかわれていたのをご存知でしょう?」
「知ってはいるが、あれはやっかみだろう。嫉妬。お前は髪で、俺は成金だった」
「ええ、僕も気にしていませんでした。気にしていたら、父に軟弱と殴られてしまいますしね」
光留は、部屋の片隅にある一輪挿しを顎で差すと「あれは、いくつもあるのですか?」と尋ねた。
「ああ、あれは、うちの商社の記念で作らせたもので、いくつかある」
「人に配ったりも?」
「いや、屋敷と社に置かれているだけだろ。あれが、どうかしたのか?」
「いえ、可愛らしい椿だと思いまして。まあ、とにかく僕は、晃子さんに無様な姿を見せてしまいました。そして、あの方に恋をしてしまったのです」
「話を、端折りすぎだ」
「今日は、勘弁してください。僕はこの後、視察の件で出仕しなければならないので、時がないのです。しかし、是非とも晃子さんのお相手を聞いておきたい」
そう言われては、話を引き伸ばすことも出来ないと泰臣は、自棄っぱちで数度頷いた。正直、この縁談に関わらせたくはないが、黙っていても耳に入るだろう。
「姉の縁談相手は、華族ではない。父の仕事に関係する貿易商だ。羽倉崎商会という会社をやっている人で、歳は28程じゃないかな。感じの良い人だよ」
「珍しい名ですね」
「ああ。俺もそういったら、東京に自分しかいないって笑っていたよ」
「男爵は、何故その人に決めたのです?」
「同じ貿易商ということで、いろいろと融通が利くということと、羽倉崎さんが望まれたことが決め手だと」
「望んだ?それは……」
コンコン――
光留の唇が、ノックで引き結ばれた。
「……泰臣君、人払いしたはずでは?」
音がするドアを睨み付ける目付きは、入ってきた者を一喝しそうな程、苛立って見える。時間がないのに、やって来たのだ邪魔が入れば不機嫌にもなるだろうと泰臣は一言「申し訳ない」と、断ると
「来客中だと言っただろう、後にしなさい!」と、ドア越しに一喝した。
どうせ、婆やのヨネだろうと。しかし、返ってきたのは、予想を裏切る若々しい声だった。
「光留様がいらしたと聞いたので、ご挨拶に伺ったのですが……それでは、のち程」
凛とした声に、チッと舌打ちする泰臣とギョッと目を見開く光留は、同時に声をあげた。
「そうして下さ……」
「滅相もない!! 」
ソファーに、だらしなく寝そべっていた光留は、その声に飛び起きた――が、勢い余ったのか、振り上げた足がテーブルの角に打ち当った。
ガタンッ!と大きな音と共に 「痛ッ!! 」と上がる小さな悲鳴は、幸いなことにドアの向こうには聞こえていないらしい。案じる言葉は掛からなかった。
「おい!大丈夫か!? 」泰臣は、衝撃で大きく歪んだテーブルを戻し、案じる言葉を掛けたのだが当の本人は、聞いてはいない。
見た感じ、強く打ち付けたようにも思えたが、何ともないのか棒っ切れを追う犬のように、ソファーから転がり駆け出した光留は、行き着いたドアの前で大きく呼吸し、扉を開く。その姿は、優美な子爵家の従五位との評判から、一寸の狂いもない光留様だ。
笑みが溢れる――とは、ああいう顔つきを指すのだろうと、泰臣は眺めた。
「お帰りなさいませ、光留様」
「晃子さん、ただいま帰りました」
2人して微笑む姿は、とても似合っていると思うが、光留の欧州視察の理由が本当に晃子が原因なのであれば、面倒事にしかならない。
相手が決まった令嬢を、どうにかしようと考えているのならば、子爵家も只では済まないだろう。
―― 不味いな。
泰臣は、そう思う。
いつもは、軽口を叩く光留だ。現に馬車を降りた時も、ヨネの手を取り「逢いたかった」と言ってのけた。そのくらい息をするように行動に移せる男なのに、晃子には一言も漏らさない。
挨拶を受けただけで、仄かに染まる頬は、光留の心情を如実に物語っている。
―― 意外だ。ちょっと可愛い……。
光留が聞いたら、柳眉を寄せるだろうが、そう思ってしまった。泰臣は「ごほん!」と咳払いで、笑いを払うと立ち上がり「御姉様、どうぞ」と同席を許す。
「あら、お珍しいこと。泰臣さんが私と同席するだなんて」
伏せた睫毛が、白雪のような肌に影をつくり、薄く開かれた唇からは、冷たい声音が流れた。視線が泰臣に向くことはない、晃子の瞳は卓上へ逸らされていた。
視線を合わせたくもないということだろう。
お互い様だ――泰臣は、事務的に答えた。
「2人だけにする訳にも、いきませんので」
ギスギスした空気が漂うのは、いつものことで気にもならないが今は、客が同席している。さすがに、光留が気まずくないか?と心配になるが、微笑みを浮かべる男は、刺さりそうな空気に気がついてもいないようだ。
恋は盲目、周りが見えなくなるとも云うが、この男もそうなのか――と思うと、全てが意外だった。
「あるわけないだろう。正直、俺はあの女……お姉様が、何処に嫁ごうが興味はない」
「それでは、何故?」
「それは、こちらの台詞だ。お前は何故、姉に目をつけた?」
「情けない所を見られたのです」
「は?」
光留は、指先で前髪を摘まみ上げると、コレ、コレと主張する。
「学習院で毛色を、からかわれていたのをご存知でしょう?」
「知ってはいるが、あれはやっかみだろう。嫉妬。お前は髪で、俺は成金だった」
「ええ、僕も気にしていませんでした。気にしていたら、父に軟弱と殴られてしまいますしね」
光留は、部屋の片隅にある一輪挿しを顎で差すと「あれは、いくつもあるのですか?」と尋ねた。
「ああ、あれは、うちの商社の記念で作らせたもので、いくつかある」
「人に配ったりも?」
「いや、屋敷と社に置かれているだけだろ。あれが、どうかしたのか?」
「いえ、可愛らしい椿だと思いまして。まあ、とにかく僕は、晃子さんに無様な姿を見せてしまいました。そして、あの方に恋をしてしまったのです」
「話を、端折りすぎだ」
「今日は、勘弁してください。僕はこの後、視察の件で出仕しなければならないので、時がないのです。しかし、是非とも晃子さんのお相手を聞いておきたい」
そう言われては、話を引き伸ばすことも出来ないと泰臣は、自棄っぱちで数度頷いた。正直、この縁談に関わらせたくはないが、黙っていても耳に入るだろう。
「姉の縁談相手は、華族ではない。父の仕事に関係する貿易商だ。羽倉崎商会という会社をやっている人で、歳は28程じゃないかな。感じの良い人だよ」
「珍しい名ですね」
「ああ。俺もそういったら、東京に自分しかいないって笑っていたよ」
「男爵は、何故その人に決めたのです?」
「同じ貿易商ということで、いろいろと融通が利くということと、羽倉崎さんが望まれたことが決め手だと」
「望んだ?それは……」
コンコン――
光留の唇が、ノックで引き結ばれた。
「……泰臣君、人払いしたはずでは?」
音がするドアを睨み付ける目付きは、入ってきた者を一喝しそうな程、苛立って見える。時間がないのに、やって来たのだ邪魔が入れば不機嫌にもなるだろうと泰臣は一言「申し訳ない」と、断ると
「来客中だと言っただろう、後にしなさい!」と、ドア越しに一喝した。
どうせ、婆やのヨネだろうと。しかし、返ってきたのは、予想を裏切る若々しい声だった。
「光留様がいらしたと聞いたので、ご挨拶に伺ったのですが……それでは、のち程」
凛とした声に、チッと舌打ちする泰臣とギョッと目を見開く光留は、同時に声をあげた。
「そうして下さ……」
「滅相もない!! 」
ソファーに、だらしなく寝そべっていた光留は、その声に飛び起きた――が、勢い余ったのか、振り上げた足がテーブルの角に打ち当った。
ガタンッ!と大きな音と共に 「痛ッ!! 」と上がる小さな悲鳴は、幸いなことにドアの向こうには聞こえていないらしい。案じる言葉は掛からなかった。
「おい!大丈夫か!? 」泰臣は、衝撃で大きく歪んだテーブルを戻し、案じる言葉を掛けたのだが当の本人は、聞いてはいない。
見た感じ、強く打ち付けたようにも思えたが、何ともないのか棒っ切れを追う犬のように、ソファーから転がり駆け出した光留は、行き着いたドアの前で大きく呼吸し、扉を開く。その姿は、優美な子爵家の従五位との評判から、一寸の狂いもない光留様だ。
笑みが溢れる――とは、ああいう顔つきを指すのだろうと、泰臣は眺めた。
「お帰りなさいませ、光留様」
「晃子さん、ただいま帰りました」
2人して微笑む姿は、とても似合っていると思うが、光留の欧州視察の理由が本当に晃子が原因なのであれば、面倒事にしかならない。
相手が決まった令嬢を、どうにかしようと考えているのならば、子爵家も只では済まないだろう。
―― 不味いな。
泰臣は、そう思う。
いつもは、軽口を叩く光留だ。現に馬車を降りた時も、ヨネの手を取り「逢いたかった」と言ってのけた。そのくらい息をするように行動に移せる男なのに、晃子には一言も漏らさない。
挨拶を受けただけで、仄かに染まる頬は、光留の心情を如実に物語っている。
―― 意外だ。ちょっと可愛い……。
光留が聞いたら、柳眉を寄せるだろうが、そう思ってしまった。泰臣は「ごほん!」と咳払いで、笑いを払うと立ち上がり「御姉様、どうぞ」と同席を許す。
「あら、お珍しいこと。泰臣さんが私と同席するだなんて」
伏せた睫毛が、白雪のような肌に影をつくり、薄く開かれた唇からは、冷たい声音が流れた。視線が泰臣に向くことはない、晃子の瞳は卓上へ逸らされていた。
視線を合わせたくもないということだろう。
お互い様だ――泰臣は、事務的に答えた。
「2人だけにする訳にも、いきませんので」
ギスギスした空気が漂うのは、いつものことで気にもならないが今は、客が同席している。さすがに、光留が気まずくないか?と心配になるが、微笑みを浮かべる男は、刺さりそうな空気に気がついてもいないようだ。
恋は盲目、周りが見えなくなるとも云うが、この男もそうなのか――と思うと、全てが意外だった。
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