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紀尾井坂
しおりを挟む鬱蒼とした森林を走る2頭立ての馬車で、寝転がり今朝方、父から言われたことを反芻する。
「清浦さんから、内務省に出仕させないか?と打診があったが、どうする?」
思わぬ言葉に、口にふくんだ味噌汁を吹きだした。ゲホゲホと、むせる背を宵に撫でられるのを手で制し「あの人、いつそんなことを?」と、咳き込みながら尋ねた。
昨日、駅で別れた後、清浦は麹町方面へ向かった。それなのに、いつ父に打診出来たのだろうか?という疑問が湧いたのだ。
答えは、簡単だった。清浦は、昨日光留が帰宅する少し前に子爵邸に現れたという。預けた荷物を取りに来たという名目だったようで、光留の不在を確認すると「ほぅほぅ」と漏らし、子爵に告げたという。
「内務省に出仕させませんか? 畏れながら、私に預けて頂ければ悪いようには致しません」
こんなことを言ったという。
子爵は、本人の意向を聞いた上で――と返答をしたそうだが、口振りからは乗り気のように感じられた。
「そういえば……あの人、ああ見えて出来る人だった」
ガラガラと鳴る車輪の音に光留の声が、かき消えた。元々、清浦は遣り手の官僚として有名だ。司法にやたら詳しく、貴族院は勿論、警察などにも顔が利く。後ろ楯は、初代内務大臣の山縣なのだから、これから先も何かと活躍することは、容易に想像できる。しかし、光留は首を捻る。
「……あの人、何を考えているんだろう?」
これが本音だ。
1年前、宮家のお姫様との縁談が上がった時に、欧州への視察同行という役目を持ってきたのも不可解だとは思ったが、あの時は親交ある子爵を助ける意味合いで、話をつけてくれたと思っていた。
しかし、今回の内務省への出仕は、些か理解できない。
「あの人、本気で僕を娘婿にと思ってるのだろうか?」
恐ろしい予想に、思わず「うわぁ」と声が出た。清浦は、1年前に言ったのだ。
「うちにも、良い娘がいるが?」と。
勿論、光留にどうだ?という意味だ。
「結構」と無下に断ったが、諦めていないということだろうか? 自分の手元におき、懐柔していく作戦かもしれないと思うと、先が思いやられる。
その時、馬車がゆっくりと円を描きだした。ガラガラとなっていた車輪の音が、緩やかになったことで光留は飛び起き、手早く髪を撫でると、居住まいを正す。胸元から引っ張り出した金時計の蓋を指で跳ね上げ、内側の鏡を覗き込むことも勿論、忘れない。
外には下男や女中が揃い、焦茶を基調とした洋館の表玄関には、学習院で机を並べた学友がヒラヒラと手を振っていた。
生まれも育ちも、全く違うのだが不思議なことに、馬が合った。豊かな黒髪に、紬の小袖と馬乗袴――。
「僕が、同じ姿をしたら似合わないんだろうなぁ……」
変に感心し、開けられたドアの向こう側に、ゆっくりと降り立った。
一斉に頭を下げる下男や女中に「ごきげんよう」と微笑んでみせると、皆そろって恥じらいか、はにかみか、得も言われぬ表情を見せるのだが、それは見慣れた光景だ。
見てくれの良さは、百も承知なのだから愛想は、すこぶる良い。どうすれば自分が良く見えるのかも、光留は心得ている。
以前 清浦は、英国行きの汽船の甲板員に子爵令息について、こう話した。
「評判が良くてな。学習院でも、貴族院でも……とにかく、外面が」と。
光留は、軽快に飛び跳ね、泰臣の隣に立つ初老の女の前で足を止めると、ひょいっと小枝のような指を掬い上げた。
「1年という歳月が僕にとって、どんなに長かったか貴女には、想像がつかないでしょうね。お逢いしたかった、米さん」
「まあ、まあ、まあ!ヨネも、お逢いしたかったですよ、光留様」
「相変わらず、調子の良い男だな。お前は」
「泰臣君、君も変わらないね」
光留は、変わらぬ友の背を叩き、屋敷に足を踏み入れた。アールヌーボーの優美な曲線と足元を誘う緋毛氈を辿る光留の足は、廊下に置かれた花台でピタリと止められた。
「……これ、素敵な一輪挿しだね」
「そうか?」
「大宮伯爵家との縁談が整ったらしいね? おめでとう」
「え!? もう耳に入っているのか」
「まぁ……実は、ここに来る前に宮内省へ出向いてね。小耳に挟んだのです」
「宮内省?へぇ……どうぞ」
泰臣はドアを開け、光留を客間へ誘った。
広々とした空間は、華美な装飾が施され、ソファーからランプに至るまで格調高い。これ程の物を揃えるのにも、結構な金が掛かるだろうと、下世話な勘繰りまでしてしまう。財力云々よりも、それを取り入れたという部分に光留は、さすが貿易商だと感嘆の声を漏らした。
「人払いは?」
「ヨネさんが、お茶を運んで来たらな」
「君は婆やを、こき使っているのか」
「ヨネさんが、出来ることをやりたいと言っているんだ」
「なるほど……ねぇ、泰臣君。この一輪挿し、たくさんありすぎない?」
先程、廊下にあったというのに、客間にも全く同じ物が存在することに光留は、少々呆気にとられ、進められるソファーへ腰を掛けることなく、眺め入った。
「これは一体、何なのです?」
徐に腕を伸ばし、一輪挿しを手にしようとしたその時、ドアの向こうでカラカラと音が鳴る。女中が押すワゴンだろう――と、気付くと同時に、コンコン――とドアが叩かれた。
「案の定だ」
光留は、音への返事はせずに自らドアを引いた。客人、しかも子爵家の跡取りにドアを開けさせてしまったヨネと女中は、驚きで目を瞬かせているのだが、そんなことにはお構いなしに「あとは、お構い無く」と、有無を言わせず盆を受けとり、踵を返す。
ヨネも女中もどうすれば良いか分からないといった風だ。客に任せて良いのだろうか?と、助けを求める視線に泰臣は、軽く頷き、追い払うかのように手を払った。
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