常世の狭間

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
72 / 114
幽冥聚楽

本音と建前

しおりを挟む
 
「待て、順序良く話してくれぬか?まず関白は、襖が外れなかったことで、自分の狭間だと気付いた。それで良いか?」
「それと鯉口じゃ。あれ程、切れなかったのが突然、鞘を払える状態になった……その状況を覚えておるか?」

「ああ、確か女が万作を……ごほん!」

 菅公は、関白の後ろで背筋を伸ばし着座する万作を目に止めると、最後まで語らなかった。
 女は、言った。未練を断つ為に万作を斬り捨てよと。それを聞いた関白は微かに怒気を含ませ、答えによっては女を斬り捨てると返したことは、菅公の脳裏にしっかりと残っていた。冷厳れいげんな視線は、普段の関白からは想像出来ぬほどの厳しさだったと。

「私の意思で鯉口が切れたのだ。その前は、何故、鞘が払えぬのかと躍起になってはいたが、奥底では抜きたくないと思っておったのだろう」
「それは、何故に?」

 刀葉樹の言葉は、関白の行動に念を押すかの如く、紡がれる。思えば初めから、そうだった気がすると関白は、苦笑いを浮かべた。

「私は、万作が欲していた一胴七度で介錯することが、餞になると思っていた。しかし、本音は生かしたいと思っておったのだ。だが、万作を斬った。今にして思えば、私は斬りたくなかったのだ。わかるか?」
「うむ、わかっておる。しかし、それが最善であったであろう」

「おそらくな。ただ私は、割り切れなかったのだ。狭間は正直である、本音と建前……本音を優先したのだろう」

 鞘が払えなかった理由を口にした関白は、はぁ……と、やり場のない思いを溜め息に変えると、チラリと刀葉樹に視線を流す。

「鬼は人よりも正直じゃと申しておいて、狭間は結局、私のではないか」

 嘘つきが――と、言いたげな関白の非難がましい目付きに、女は小首を傾げるとまなこを細めた。何処と無く試すような視線に、ぞくりと肌が粟立つのは、この女の妖術なのだろうか。

「その方、何がしたいのだ?手っ取り早く役目を果たし帰ってくれぬか?」
「此はしたり。私は初めに申しました。地獄とは、ただの亡者が居座るような場所ではございません……おわかりか?」

「わかっておる」
「獄官として、私は万作を救い上げたい。それには、何としても居場所を消し去る必要があるのです」

 万作の居場所とは、衆合地獄であった筈だが常世の狭間に連れ出したことで、門扉を閉めたことになると女は告げる。

「今、万作の居場所は常世の狭間しかありませぬ。ここを出されれば……」

 刀葉樹は、ゆるゆると瞼を上げる。光の屈折か?向けられたまなこの中に棲む関白の姿は、ゆらゆらと揺れた。

「心情が、ぐらぁり、ぐらぁり……と揺れておるようで、ご決断を。刻を置けば別離は辛く」

 早く万作を斬り捨てよ――、言葉にはしないが、はっきりと口にしたも同然の女に、関白の唇は返答を返すことが出来ず。ただただ絞り出したかのような苦しげな声音が、静寂な空間に広がった。

「……居場所が狭間しかないのならば、このまま留め置くことは?」
「……お見苦しや、おわかりであろう?」

 ここは狭間である。次の亡者が現れる前の繋ぎにて、永遠に棲むことなど出来ぬと、誰しもが理解していた。次の亡者が現れれば、狭間は変化する。狭間の住人以外は、初めから無かったかのように溶け、無に期すのだ。
 つまり、万作は消え去る。元々存在しなかったかのように魂ごと。

「そうなる前に、十王の御前にお戻しあれ。それが万作の為であり、関白の為でもあるのです」

 審議にさえ戻せば往生できる。しかし魂ごと消え去れば、往生どころの話ではない。輪廻転生も、夢のまた夢である。

「はっきりと申しましょう。関白は、芳乃を見て底に押し込めていた小姓達を思い出した。追腹を切った不憫な者達の中でも、特に万作を。怨みに囚われ、夜叉の如き者になった芳乃が早く往生することを願ったのも、万作が忠義に囚われ往生を拒むことなく、転生の輪に加わって欲しいと願ったから」

 関白は、何も答えなかった。それを応と見るか?否と見るか?
 菅公は、応と感じた。関白とは、元々そういう者だと知っているからだ。女は、踏みつけていた束帯そくたいの袖から膝を浮かせ、ズズ……と関白に、にじり寄った。
 真正面から見つめる獄官のまなこには、相も変わらず、ぐらぁり、ぐらぁりと歪む関白の姿が映り、黒く澄み渡るまなこには、唇が裂けんばかりに、引き上がる刀葉樹の女。
 その女が、ふっと昊天こうてんを指し示す。何かあるのか?と、二人が空を見上げると碧色へきしょくが、白く滲みだしているではないか。

「何じゃ?狭間の変化にしては、妙だが?」
「白みだした?いや、青だけが溶けているようじゃ」

 ギラギラと照りつけていた火輪までもが、徐々に光を失いつつある。関白は、急ぎ周りを見渡すが、白壁の塀や櫓はもとより、室内に至るまで変化はない。後ろに控える万作も消え去る様子はなく、ホッと息をつく。

「ご安心を、ただ空が気に入らぬのです。関白の狭間なれど、獄官には眩うて、眩うて……変化を促したのですが、狭間の主の許可なくしては、これが限度のようです。残念なり」
「ほぅ、やはり地の底に棲む獄官は、明るいのが苦手なのか?」

「ええ、もう少し暗い方が……」
「……好きにしろ」

 その言葉を待っていたとばかりに、刀葉樹の女は、空に向かい合掌印を結ぶと何かを唱えた。ふぅ――と吹き掛けた呼吸からは、文字がくゆで、それを二人が目にしたと同時に、一天はガラリと姿を変えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

パラサイト/ブランク

羊原ユウ
ホラー
舞台は200X年の日本。寄生生物(パラサイト)という未知の存在が日常に潜む宵ヶ沼市。地元の中学校に通う少年、坂咲青はある日同じクラスメイトの黒河朱莉に夜の旧校舎に呼び出されるのだが、そこで彼を待っていたのはパラサイトに変貌した朱莉の姿だった…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子
ホラー
自分と目をあわせると、何か良くないことがおきる。 幼い頃からの不吉な体験で、葛葉はそんな不安を抱えていた。 時は明治。 異形が跋扈する帝都。 洋館では晴れやかな婚約披露が開かれていた。 侯爵令嬢と婚約するはずの可畏(かい)は、招待客である葛葉を見つけると、なぜかこう宣言する。 「私の花嫁は彼女だ」と。 幼い頃からの不吉な体験ともつながる、葛葉のもつ特別な異能。 その力を欲して、可畏(かい)は葛葉を仮初の花嫁として事件に同行させる。 文明開化により、華やかに変化した帝都。 頻出する異形がもたらす、怪事件のたどり着く先には? 人と妖、異能と異形、怪異と思惑が錯綜する和風ファンタジー。 (※絵を描くのも好きなので表紙も自作しております) 第7回ホラー・ミステリー小説大賞で奨励賞 第8回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。 ありがとうございました!

神楽坂gimmick

涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。 侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり…… 若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

処理中です...