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幽冥聚楽
誰の狭間で御座候ふか
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「こうして私達は、三人連れだって死出の山を越えました」
万作は呟いた。本来ならば微かに漏らした声音である。関白以外に聞こえる筈もないが、ここは音のない常世の狭間。漏れた声は、陽炎のように辺りに漂った。その声音に重ねるように菅公が問う。
「初めに、一胴七度など見たくもなかったと騒いでいたのは、何故じゃ?死の直前、関白の一等を賜ったことで一等より勝ると判断したのではないのか?」
万作は、首を振り答えた。
「私の物になったとしてもあれは、私より勝る殿下の一等でありました。一等を譲られたと、平時であれば勝ったと考えたでしょうが、全く違います。どうせ手放さなければならなかった物です。冥土の土産にと思われたのでしょう。私は、結局負けたのです」
「ひねくれた考え方を、するものじゃなぁ。関白、如何に?」
「如何に……とは、答えにくいことを尋ねるのだな、菅公」
「答えにくいとは、そなた嘘でも『実に、そなたが一等じゃ』と申すべきであろう」
「私の嘘は、すぐに露見するらしいからな」
こう言うと関白は、一胴七度を押し付ける形で、万作を引き剥がした。
「これは私の本心だ。関白の一等など、大したものではない。一胴を七度斬ったとて、刀は刀じゃ。確かに太閤への面当てに偽物を差し出したのは否めないが……だが、それをやろうと心に決めたのは、万作が思い浮かんだからだ」
「殿下!」
菅公からは、万作の面は見えない。しかし、こちらに背を向けている肩が、喜びに震えるように波打つのが、はっきりと分かった。おそらく関白を見上げる眼は、星を散りばめたように輝き、白磁のような頬は桜色に染まっているだろう。
「成る程、少し落として持ち上げると効果あり……」
「刀葉樹……地獄では、あまり参考にならぬと思うぞよ?」
「……あなや!」
「それは私の言葉じゃ!」
万作の為に太閤を謀ったとは、何と気の利いたことを言うものだと感心する。こんなことを言われ、喜ばない者がいる筈もなく、万作に与えた言霊の威力は、相当なものだろう。
「確かに一等と言われれば、いくつもあるのかもしれぬ。だが、死を前にして一等を考えた時に思ったのは、共に追腹を切った者達であった」
「それでは、私は一等の一つではありませぬか。主殿助殿や三十郎殿と同じく……」
不満気な万作の声音に、関白が吹き出した。ぶ――っ!と。それは関白殿下らしからぬ笑いであるのだが、万作にとっては懐かしく慕わしい失笑であった。声を殺すように拳を口許に寄せ、懸命に笑いを堪える仕草に万作は、泣き笑いにも似たものを面に浮かべた。
「殿下は、初めてお逢いした時も、そのようにお笑いになられました」
「ああ、面白いものを目撃したゆえ」
「笑い事ではございませぬ!……しかし、あれがなければ殿下と出逢うことはなかった。そう思えば、厨の坊主に感謝しても良いと思えます。私は、ずっと死ぬまで山麓の桜を恋しく想い、死してもなお、桜の下で殿下と再会したいと夢見ておりました。こんなに想っておりますのに、一等のうちの一人とは……このような考えも栓なきこと――ですか?」
万作は、胸に一胴七度を抱き、一気に語った。
「ああ、栓なきことだ。一等は幾人もいるかも知れぬが、それは仕方ないであろう?しかし、太閤を謀って一胴七度を……いや、後生大事にしていた物を譲りたいと思ったのは、そなたしかおらぬ」
「うまい!! 」
――と刀葉樹が手を打つと、すかさず菅公は女の膝を檜扇で打ち据えた。そんなやり取りが視界に入ったのだろう、関白は一頻り笑い、立ち上がる。
真夏の静寂に、白足袋が畳を打つ――が、音はない。しかし、音の代わりとばかりに、蝶が粉を撒くような金粉の舞いが、金瓦の光に呼応するようにチラチラと輝く様は、夢の如き光景であった。
絢爛豪華な聚楽第、ゴウジャスと思うか、悪趣味と思うかは人それぞれ成れど、これ程、金銀が似合う者は、他にはおらぬだろう――と、菅公は歩み寄る幽鬼に見惚れた。
関白は、刀葉樹の女を覗き込む。
「さぁ、お刀殿。ここは、誰の常世の狭間で御座候ふか?」
人を魅了する華やかな幽鬼は、優しく眼を細める。それは試すように。静かなれど、はきと放たれた関白の声音に女は伏せた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
その眼は、ゆらり、ゆらり、と孕んだ熱をうねらせ、真っ直ぐに関白を見据えると、一気に口の端を引き上げた。
万作は呟いた。本来ならば微かに漏らした声音である。関白以外に聞こえる筈もないが、ここは音のない常世の狭間。漏れた声は、陽炎のように辺りに漂った。その声音に重ねるように菅公が問う。
「初めに、一胴七度など見たくもなかったと騒いでいたのは、何故じゃ?死の直前、関白の一等を賜ったことで一等より勝ると判断したのではないのか?」
万作は、首を振り答えた。
「私の物になったとしてもあれは、私より勝る殿下の一等でありました。一等を譲られたと、平時であれば勝ったと考えたでしょうが、全く違います。どうせ手放さなければならなかった物です。冥土の土産にと思われたのでしょう。私は、結局負けたのです」
「ひねくれた考え方を、するものじゃなぁ。関白、如何に?」
「如何に……とは、答えにくいことを尋ねるのだな、菅公」
「答えにくいとは、そなた嘘でも『実に、そなたが一等じゃ』と申すべきであろう」
「私の嘘は、すぐに露見するらしいからな」
こう言うと関白は、一胴七度を押し付ける形で、万作を引き剥がした。
「これは私の本心だ。関白の一等など、大したものではない。一胴を七度斬ったとて、刀は刀じゃ。確かに太閤への面当てに偽物を差し出したのは否めないが……だが、それをやろうと心に決めたのは、万作が思い浮かんだからだ」
「殿下!」
菅公からは、万作の面は見えない。しかし、こちらに背を向けている肩が、喜びに震えるように波打つのが、はっきりと分かった。おそらく関白を見上げる眼は、星を散りばめたように輝き、白磁のような頬は桜色に染まっているだろう。
「成る程、少し落として持ち上げると効果あり……」
「刀葉樹……地獄では、あまり参考にならぬと思うぞよ?」
「……あなや!」
「それは私の言葉じゃ!」
万作の為に太閤を謀ったとは、何と気の利いたことを言うものだと感心する。こんなことを言われ、喜ばない者がいる筈もなく、万作に与えた言霊の威力は、相当なものだろう。
「確かに一等と言われれば、いくつもあるのかもしれぬ。だが、死を前にして一等を考えた時に思ったのは、共に追腹を切った者達であった」
「それでは、私は一等の一つではありませぬか。主殿助殿や三十郎殿と同じく……」
不満気な万作の声音に、関白が吹き出した。ぶ――っ!と。それは関白殿下らしからぬ笑いであるのだが、万作にとっては懐かしく慕わしい失笑であった。声を殺すように拳を口許に寄せ、懸命に笑いを堪える仕草に万作は、泣き笑いにも似たものを面に浮かべた。
「殿下は、初めてお逢いした時も、そのようにお笑いになられました」
「ああ、面白いものを目撃したゆえ」
「笑い事ではございませぬ!……しかし、あれがなければ殿下と出逢うことはなかった。そう思えば、厨の坊主に感謝しても良いと思えます。私は、ずっと死ぬまで山麓の桜を恋しく想い、死してもなお、桜の下で殿下と再会したいと夢見ておりました。こんなに想っておりますのに、一等のうちの一人とは……このような考えも栓なきこと――ですか?」
万作は、胸に一胴七度を抱き、一気に語った。
「ああ、栓なきことだ。一等は幾人もいるかも知れぬが、それは仕方ないであろう?しかし、太閤を謀って一胴七度を……いや、後生大事にしていた物を譲りたいと思ったのは、そなたしかおらぬ」
「うまい!! 」
――と刀葉樹が手を打つと、すかさず菅公は女の膝を檜扇で打ち据えた。そんなやり取りが視界に入ったのだろう、関白は一頻り笑い、立ち上がる。
真夏の静寂に、白足袋が畳を打つ――が、音はない。しかし、音の代わりとばかりに、蝶が粉を撒くような金粉の舞いが、金瓦の光に呼応するようにチラチラと輝く様は、夢の如き光景であった。
絢爛豪華な聚楽第、ゴウジャスと思うか、悪趣味と思うかは人それぞれ成れど、これ程、金銀が似合う者は、他にはおらぬだろう――と、菅公は歩み寄る幽鬼に見惚れた。
関白は、刀葉樹の女を覗き込む。
「さぁ、お刀殿。ここは、誰の常世の狭間で御座候ふか?」
人を魅了する華やかな幽鬼は、優しく眼を細める。それは試すように。静かなれど、はきと放たれた関白の声音に女は伏せた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
その眼は、ゆらり、ゆらり、と孕んだ熱をうねらせ、真っ直ぐに関白を見据えると、一気に口の端を引き上げた。
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