常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

秀次さま、まいる

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 万作は、語る。
 貰った艶文の内容は無論、誰に貰ったのかも覚えていない。興味などなかったと。しかし、それを人目に触れさせることで、口の端に上り秀次の耳に入れば、ほんの少しでも気にしてくれるのではないか――そんなことを考えたと。

「全く、効果なく。思わせ振りに殿下のお側を離れては、人と密会している振りまで致しました。思えば時間の無駄でございました」
「ああ……だから、たまに居なくなっていたのか。てっきり清水などへ、出掛けていると思っておった」

「殿下の通り掛かるのを狙い、興味などない者と言葉を交わす……ああ!今にして思えば、回りくどい!ハッキリと問うべきでした。私は殿下に」
「何を問うというのだ」

「今となっては、私をどうお思いでしたか?などと問うのは、栓なきことと」
「……でた!」

「それは私の言葉です!」
「はは!申してみよ、この際。お互い幽鬼だ、憚ることなどない」

 二拍ほどの沈黙が流れたが、ふぅと吐く呼吸と共に万作が尋ねた。

「……伏見より高野山へ向かう小姓は、十名はおりました。太閤の指示で供を減らすとなった時、選ばれる者は三名……主殿助とのものすけ殿、三十郎殿は分かります。残り一名に何故、私を?」

 別つ襖を、どのような眼で見つめ、問うているのかは分からないが、万作の声は震え、頼りなさ気に関白の耳朶じだを撫でた。

 ―― あの時、何故に万作を選んだのか?

 不意に背後の文箱に意識が向いた。少し待て――こう言い残し、箱を開ける。中には書状などではない、小さな文が無造作に投げ入れられていた。すべて結びが解かれ、広げられた状態であり、内容は一目で読み終えるものであった。

 ―― この文箱は、私の常世ならではだな。

 後生大事に仕舞い込まれていた物は、決して上手くはない文字であり、見覚えのある物だった。関白は、一枚、一枚、畳に広げ眺め見る。

「万作、そなた……文字が下手くそだったなぁ」
「な、何故、今そのような!」

「いいや、何となく思い出したまでじゃ……」

 関白は、一文字、一文字、指先でなぞると遠い昔に思いを馳せた。



 ◆◆◆◆◆


 主殿助とのものすけが、云う。
 万作殿は、貰った文をバラバラと撒き散らし困ったものだと。
 三十郎は、笑う。
 皆が面白がり、中身を見るが、女からのは一重に会いたい、会いたい。男からは一重に抱きたい、抱きたい――と。

 横になり、三十郎に身体を揉ませる秀次は、変だな?と内心思う。主殿助とのものすけも内容を見ているのだろう、三十郎の話に眉を寄せ、うん、うん、と頷いている。
 秀次の所でも、万作は文を落としていくことがあった。落とすというより隠しているのか?と思うような場所に落ちているのだが。
 秀次が拾った文の手跡しゅせきは、万作のものであった。

 ―― 返事を渡す前に、落としたのだろうか?

 それにしては、落とし過ぎだ。腕の隙間からチラリと文箱を見やった。あの中には、すでに五つ、六つ程溜まっているのだから。
 溜まる理由は、なんとなく――だ。すぐに返すとしても、決まってその場に本人がいない。わざわざ呼びつけるまでもなく、次に会った時でよいと思えば、すでに半日は経つ。さすがに、新しい物を書いているだろうと、これの繰り返しだ。
 結局、秀次の文箱には、お世辞にも上手いと言えぬ万作の恋文が溜まる一方だった。
 これに終止符を打ったのは、謀反の嫌疑が掛けられてからだ。恋文などに、うつつを抜かす暇など小姓にも、その他家臣にもなくなったのだろう。
 万作の手跡しゅせきを、最後に目にしたのは、目通り叶わず高野山へと下された日だった。糟屋武則かすや たけのりの屋敷で拾った文は聚楽第で見慣れた物であり、このような時に恋文とは!と、叱りつける気で文字を追った。
 力の加減が分かっていないような、蚯蚓みみずのような手跡しゅせきが、初めて恋文の宛名を記していたことに、秀次の眼は大きく見開かれた。
 秀次さま、まいる――。
 それは、自分に向けての恋文だったのだ。


 ◆◆◆◆◆

「小姓三名を選ぶのに、何故選ばれたのか分からぬのか?」
「正直、私はお側に置いて頂けましたが、主殿助とのものすけ殿や、三十郎殿を除けば、他の者と大差なく」

「それは、そなたが思っているだけである。皆も当然、そなたが選ばれることは分かっていたであろう」
「殿下が私の名を呼んで下さった時は、嬉しくて嬉しくて……しかし、何故に私か?と。ただ視線が合ったから、などと言われては少々傷付きますし……いえ、嬉しいのですが」

 襖の向こうで、戸惑いながら話す万作が眼に浮かぶ――と、秀次は膝を打って笑った。
「万作の話をする時は楽しげだ」こう、菅公が言っていたが、当たりだ――と少々、情けない思いもするが。

「確かに。供を決める時、そなたは私を睨み付けるように見ておった」
「睨んではおりませぬ、見つめておりました」

 秀次は、宛名のある恋文を目にし、万作を供にすることを決意した。本当ならば、代々仕える家柄の者からと考えていた。死を賜りかねない状態に、数年前から仕えるだけの万作を道連れにするのは忍びなかったのだ。

「私が、そなたを選ぶのは当然である。知らぬのか?」

 秀次は、瓢箪形の引手に指を掛けた。ガタリと鳴る襖に万作は、何事かと顔を上げる。絢爛豪華な襖絵が音もなく滑り、夢にまで見た主が手を伸ばす。

「関白殿、常ならず愛し候ふ……皆、そう噂しておった」
「殿下ッ!」

 秀次の腕は、容易く万作を捉えた。かいなに抱かれ、懐かしい匂いが鼻先を擽る幸せに万作は、両腕を強く、金糸羽織の背に回す。締め付けられるような想いの強さに、秀次は囁いた。

の一等は、そなたじゃ。万作」

 泣き咽ぶ美貌の小姓を片手で抱き寄せ、その背後に右手を伸ばす。指先には、金梨地の名刀一胴七度いちのどうしちど
 真夏の火輪は、ジリジリと熱を放つ。無論、暑さはない。関白は思った。怨みも、妬みもねつを感じてもあつくはない。
 人の想いも同じだと、恋慕い、身を焦がすと申すが、実際に燃える訳ではないのだ。

 ―― それなのに……。

 関白は、固く瞼を綴じると掴んだ名刀の鯉口を切った。
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