常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

胸奥

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 取り柄がない――と云う万作は、懸命に仕えた。その姿は皆の評判にもなり、可愛がられた。無論外見の良さもあるだろうが。

「私は、主殿助とのものすけ殿のように気が利きませぬ。殿下の行動の先に回り込む考えも、的確に当てれませぬ故……無駄に終わるのです」

 年が明けると直ぐに馬を駆らせ、桜を眺めに参ったことがあるという。その時も急なことだというのに、主殿助とのものすけは休息の場を設けていた。

「三十郎殿は、御殿医顔負けの力加減で殿下のお身体をほぐされる術を心得られていまして。しょっちゅう、寝所に召されるので憎たらしくて……」
「何と!? 関白は小姓みなに手を付けておったのか!?」

 ドンッ!――襖がなった。

「応……ということか」
「菅公!私は、衆道は心得ておらぬ!」

 辛抱堪らなかったのだろう、関白が声をあげた。

「何と!そなた、そうであったのか!?何故、誤解だと言わなんだ!」
「勘違いしておるようだったが、はきと聞かれもせぬのに誤解だ、なんだのと申すわけがないであろう!」

「殿下!」

 関白の声に万作は、またもや襖に張り付いた。目の前にいたら、足にすがり付いているだろう。しかし、関白は万作の言葉には一切、反応を示さなかった。
 殿下と何度呼ぼうとも、襖を叩こうが爪を立てようが。襖の前にうなだれる万作は、ポツリポツリと続きを語った。

「私は、いつの頃からか殿下を心底お慕いしておりました。おそらく早いうちから。不思議なことでございます、私は決して衆道のがある訳ではございませぬ。今も昔も。ただ殿下ならばと。いいえ、殿下が良いと」

 赤裸々な告白に菅公は、恥ずかしくて堪らなかったが向こう側からは、止めよとの声も掛からない。関白は徹底的に無視する気なのだろう。

「聚楽第へ出仕した頃より、周りを見ては、何某よりは私――というように、比べ安堵するような輩に成り下がってしまいました。浅ましい私の考えは、とうとう行き着く所まで」
「な、何じゃ」

 ゴクリと唾を呑み、菅公は問うた。

「殿下の一等を奪っていこうと思ったのです」
「何じゃ、それは?」

「全て奪えるとは思っておりません。ただ、殿下の一等の筆、一等の羽織……など、一等が減れば良いと」
「一等の筆が減っても、新たな筆が一等になるではないか」

「それでも良いのです。は確実に一等であり、私に譲られると云うことはより私を優先して下さったということになります」

 妙な屁理屈に菅公は言葉を失ったが、言われてみれば関白が大切にしている物を、自分がねだって下げ渡されたら自身に価値があるように思えるかもしれぬと頷いた。
 万作は、続けた。
 殿下、欲しいのです――と告げると大抵、ほら――と直ぐに手に乗せてくれたと。

「私は、それが嬉しくて嬉しくて……」

 又もや、涙を流し襖にすがり付く
 殿下、殿下――と、繰り返される言葉は霞みのように頼りない。その震える肩に、束帯そくたいの袖から腕を伸ばした菅公は、突如方向を変え、刀葉樹とうようじゅの手を握った。

「何でしょうか?」
「いや……危うく司命しみょうになりそうであったゆえ」

「どいつも、こいつも……」

 刀葉樹の呆れ漏れた声に、万作の声音が重なる。さすがに噂になりました――と。
 次々と関白の物を下げ渡される万作は、関白のご寵愛著しいと。
 勿論、関白に衆道の気がないことを知る者らは、首をひねったと云うが万作ならば、もしかして?となったそうだ。

「この一胴七度いちのどうしちどは、ダメでしたが……別に、刀が欲しかった訳ではないのです。私は殿下の一等が欲しかったのです。殿下!お聞きですか!?」

 無論、返事はない。それでも万作は継いだ。

「私は、殿下の一等が欲しかった!いいえ!私は殿下が欲しかったのです!殿下!お開け下さいませ!」

「あなや!」
「これは良い。今度亡者を刀葉樹に誘う時に申してみよう」

「何を参考にしておるのじゃ!」
「言われてみたくはないですか?」

「……みたい」

 何故か、しくしくと泣き始めた菅公に刀葉樹は、ポンポンと背を叩く。

「人とは……いいえ、幽鬼といえども慕われるのは嬉しいもので。そういう者を振り払うのは、身を裂かれる想いが伴うかと……関白はどちらを選ぶのやら……」

 万作は叫び、思いの丈を全て吐く。

「刀など欲しくない!逆に見たくもない!私より勝った殿下の一等など、消えれば良い!願う聚楽に存在すらせねば良いと……、それなのに!何故にここにあるのです!私の願いと殿下の願った常世だと聞いております。私の強い嫌悪よりも、殿下の一胴七度いちのどうしちどへの執着が勝ったのですか!? 」

 ボロボロと涙を溢す万作は、襖を拳で打ち付ける。ドン!、ドン!、ドン!――と三度、狭間の主の意志が強いのか?襖は、びくともしなかった。

「殿下を一等慕っているのは、私でございます!」

 一等が欲しかったわけではない。殿下が欲しかったと切々と訴えた万作に、隔だつ向こう側の関白は、何を思っているのだろうかと菅公は、悲しげに眉を寄せた。

「どいつも、こいつも……」

 耳朶じだを撫でた声音に、面を向ける。声の主である獄官の視線は、豪華絢爛な襖の向こうに向けられていたが、表情には何の感情もありはしない。ただ、その声音は切なげで陽炎のように、ゆらゆらと漂い消えた。
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