常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

邂逅

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 鬼と死人――。
 地獄の官人である刀葉樹とうようじゅの女と、狭間の主である関白豊臣秀次とよとみ ひでつぐは、身を寄せ合うように対峙していた。一見すれば、何やら艶事のようなものを想像するであろうが、関白の手に握られた一胴七度いちのどうしちどは、鯉口が切られ、抜刀も辞さない構えであった。
 菅公かんこうは、これこれ――と檜扇ひおうぎを打ち付け、チラリと女を見やった。

「刀葉樹、はっきりと話さぬと我らには獄官の考えなどわからぬぞよ。それと関白、その者は鬼だ。斬れたとしても元通りであろう?」
「……それもそうだ」

 関白は、すんなりと身を引き一胴七度いちのどうしちどを畳に置いた。

「万作を斬れとは如何なることか?ただ単に、往生せぬことが罪だと云うのなら、我らは何だというのだ?」
「往生せぬことが、罪とは申しておりませぬ。狭間は別物にて……かの者は、死出の山を越えましてございます」

「七日置きに審議を受けないことが、亡者にとっては斬られる程のことなのか?」
「関白、勘違いをしておる。問題なのは万作が獄官の元におるということ。獄……地獄で御座候ふ、おわかりか?」

「「あ!」」

 菅公と関白の声が揃った。そもそも地獄とは堕ちるものなのだ。理由はどうあれ、万作は地獄の亡者ということになる。
 女は、ふっと唇を引き上げると、素知らぬ顔で立ち上がり、元の位置まで下がる。

「私は、何も意地悪で申しておるわけではない。本来ならば審議を終え、堕ちた亡者は直ぐ様、鬼と化す。生前の自分のことなど忘れ去り、訳の分からぬまま責め苦を受け、また亡者同士で引き裂きあうのです」

 刀葉樹は、そっと胸を抑え告げた。万作は獄官と共におる故、直ぐ様、鬼と化すことはなかったが、それも時間の問題であると。

「このままでは、いずれ鬼と化す。関白、そなた自分の為に腹を切った者が、常世でも忠義を果たそうとし、その為に鬼に成り下がるのを善しとするのですか?」

 二人は、思わぬことと驚き顔を見合わせた。それでも女は、継ぐ。

「万作を鬼としない方法は、審議に戻すこと。鬼にするべからず。これが私の願いであり、愛刀ははなむけでございます。万作が欲していたでしょう?」

 女の言いたいことは、手に取るように分かった。おそらく――、万作はどんなに言葉を尽くしても、一人で往生することはないであろう。そうなれば関白もろとも往生するか、刀葉樹の刃をもつ一胴七度いちのどうしちどで斬り捨て、無理矢理審議に戻すか。

「万作にこのままでは、鬼になると告げるのはどうじゃ?これでは関白が気の毒じゃ」

 堪らず菅公は、口を挟むが女は首を振る。

「万作は、鬼になってもお待ち申し上げると申すでしょう。よろしいか、ここに万作を呼びつけます。私を憑代よりしろとされては、一緒に痛い目にあいますれば……其ばかりは御免こうむりたく。鬼はなりませぬ、お斬りなされ。関白殿下、努々お忘れなきように」

 女は深く息を吸うと、ふぅぅ――と吐く。ゆらゆらと、線のようなものが漂い出ると形作られていった。
 言霊であろう、不破万作ふわ ばんさくと名をくゆらせたかと思うと、陽炎のように揺らめき、消える――と
「殿下」
 はきとした明るい声音が、響き渡った。廊下に平伏す若衆は、関白の許しがないというのに直ぐに面を上げた。色白の面は白磁のように光を放ち、嬉しそうに細める瞳は星を散りばめたように輝く。
 桜色の唇が、何かを言いかけた瞬間、甲高い物音が響き渡った。畳に叩きつけられた物は、大きく跳ねたかと思うと、手を突く万作の左腕を打ち据え、落ちた。投げつけられたのは、名刀一胴七度いちのどうしちど

「これまでの忠義にくれてやるから、さっさと消え失せろ」
「殿下……」
 信じられないものを見聞きしたかのように、万作の眼は大きく見開かれたが、それが夢でも幻でもないと、関白の吐き捨てる言葉が追い討ちをかける。

「何でもかんでも付き従うことを、忠義と思うような馬鹿の顔など見たくもない!」
「お待ち下さい!」

 そういうなり、関白は奥へ踵を返した。ピシャリと閉められた襖に菅公は、肩を震わせ、刀葉樹の女は庭先に視線を流す。

「お待ち下さい!殿下!……何故にございますか!お開けくださいませ!」

 万作は、襖にすがり付きガタガタと鳴らすが、襖が開け放たれることはなかった。
 殿下、殿下、と呼ぶ声にとうとう涙が混じり、霞みだすと菅公が、声をあげ泣きじゃくる。二人して声をあげる様子に、刀葉樹の女は呟いた。
 別つ向こうも、かくやあらん――と。
 泣き咽ぶ万作ばんさくは、袖で顔を覆い恨み言を漏らす。掠れ、嗚咽で途切れる言葉は、皆の耳朶じだを震わせた。

「私は何か致しましたでしょうか?殿下が居られぬうつし世など、生きて死ぬるも同じと……共に浄土へ参じる為に腹を切りました」

 無論、返事はなし。万作は、うなだれた。

「万作とやら、菅公と申す。そなた何故先に死出の山を越えてしもうたのじゃ?」
「これはしたり、常世など見たこともないような場所へ、殿下をお連れする訳にはまいりません。露払いをし、お迎えせねば」

 成る程――と菅公かんこうは唸った。そういう訳で、先に進んだのかと。数刻程の違いで死を迎えたのならば、少し立ち止まれば関白と再会出来ると思うのも無理からぬことであった。

孟婆亭もうばていで、待てば良いものを」
「私は、殿下の一等になりたいのでございます」

「一等?既に一等ではないのか?」
「全く違います。どのように後世に伝わろうとも、どのように殿下がお話になられようとも」

 含みのある言葉に菅公は、刀葉樹の女を見やるが女は、知らぬ存ぜぬと素知らぬ振りをする。

「……これも何かの縁でございます。菅公、少しばかり話をお聞き下さいませ」
「そのような昔語りをしては、襖の向こうで関白が涙を流すのではないか?」

「お互いの袖を絞って、よりどちらが悲しみにくれているか、比べてみたい気分でございます」

 菅公は、断ることが出来なかった。決して万作の美貌に揺らいだ訳ではない、ただ憐れに思ってしまったのだ。頷く菅公に、ゆるゆると頭を下げた万作は語りだした。

「私が、殿下とお逢いしたのは桜の季節でございました」

 以前、関白は言った。
 桜の雨が降る中、出逢った者いたと。常世に現れた亡者に瓜二つだと、懐かしげにまなこを細め語った姿は、自身のことを話さない男が唯一楽しげに笑った事柄だった。
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