常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

狭間にて御座候ふ

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「実に嘆げかわしや。獄卒も、奪衣婆だつえば司命しみょうも!」
 苛立たしげに刀葉樹の女は、膝をペシリと響かせた。

「婆や鬼は分かるが司命しみょうは、関係ないであろう」
「いいえ、大有りなのです!司命《しみょう》は、デレデレと鼻の下を伸ばして秘密事を漏らしたのですぞ」

「秘密事?」
「ええ」

 頑として「ね」と告げる司録しろくと、気の毒げに眺める司命しみょう。見守るしかない獄卒は、黙り込んでいた。
 最早、とりつく島もなしと思われたその時、一人が司命しみょうの足にすがり付き、潤む瞳で見上げた。微かに震える細い指先を擦り合わせ、桜色の唇からは涙で霞む声音が漏れた。後生でございます――と。

「これで陥落いたしました」
「「何がじゃ!? 」」

 二人の叫びに、女は「どいつも、こいつもでございます」と継いだ。

 足元にすがり付いた見目麗しい小姓は、不破万作ふわ ばんさくであった。瞳を潤わす雫は辛うじて頬に流れず、それが一層美しい。結い上げた黒髪の一本一本が乱れる様もだ。しなだれ掛かる細い体躯は、司命しみょうによって、かき抱かれた。

「あなや!!  」
 思わぬ展開に、菅公は叫んだ。

「昔取った杵柄と申すのか、手慣れた様子でさめざめと泣く姿に参ってしまったのでしょう」
「昔取った杵柄という言い方は、止めよ」

 刀葉樹の女は、関白の注文を無視し継ぐ。

「小姓達は、関白の露払いをと先んじて腹を切ったのでしょう?関白が、死出の山を越える気がないと知ったら?」
「まさか、馬鹿正直に伝えたのか?」

「その通りでございます」

 万作は閻魔庁の中で、誰か良い提案をしてくれないものか?と窺っていたのだろう。目敏く見つけた。同情的な司命しみょうを。
 閻魔王の書記官である。それなりの権限もあると踏んだのだ。案の定 当たった。
 かき抱かれた万作の耳元で囁かれたのは、耳を疑う一言。

 ―― 関白秀次ひでつぐは、常世の狭間にて御座候ふ。

 これは早い話、死出の山を越えていないということだ。

 ―― どいつも、こいつも……。

 これが、関白と菅公の心のうちであったのだが、三人にしてみれば司命しみょうの言葉は、衝撃だったようだ。それもそうだろう、三人の死は一重に関白豊臣秀次とよとみ ひでつぐの供をしたいと願ったものだったのだから。
 遠い昔、謀反を疑われた関白秀次ひでつぐは、豊太閤豊臣秀吉のいる伏見へ申し開きに出向いた。僅かな供回りだけを連れて。供には今回、閻魔庁で事実を知り、嘆き悲しんだという三人も含まれる。
 しかし、目通りを許されることはなかった。今にして思えば、申し開きなど必要なかったのだろうと、関白は思っている。

 ―― まんまと誘き出されたようなものだ。

 聚楽は、屋敷というより城だ。
 そして、関白に付き従う大名もいるのだから無理矢理、捕らえようとしても犠牲を出しかねない。無実だったらなおのこと。豊太閤は、速やかに済ませたかったのかもしれない。無論、邪魔者の排除をだ。
 秀次は、そのまま糟屋武則かすや たけのりの伏見屋敷へ閉じ込められた。

 刀葉樹とうようじゅの女は、継ぐ。

「三人の嘆き悲しみ様は、見ておられませなんだ。それに皆、三人の最期を知っておりますでしょう?確かに、可哀想とは思うものの、甘い顔をする訳にも参らぬ。しかし、司命しみょうが申しました」
「「また、司命しみょうか! 」」

「途中で待つことは出来ぬが、六道への入口で皆が身体を休める茶屋がある。そこにおる孟婆もうばに頼み込めば、少しばかり立ち止まらせて貰えるやも知れぬぞ――と」

 司命しみょうから教えられた、孟婆亭の情報に三人は華やかに笑った。まるで蓮が開いたかのような初々しさに獄卒達は、いそいそと閻魔庁の門を開け広げる。その様子が、貴人を見送る従者のようだ。 
 重い鉄の門は、ゴゴゴゴゴ……と地鳴りのような轟音を轟かせると完全に開ききった。次の変成王へんじょうおうの殿閣まで、七日の旅路の始まりである。三人は門の向こうへ並び立つと、深々と頭を下げた。さすが関白の小姓である立派な所作だ。名残惜しいとばかりに、鉄の門はゆっくり鈍い音を響かせ、三人の姿が徐々に門に消えかけた時、一人が思い出したように口にした。

「殿下は、お一人でお寂しいでしょう。機会がありましたら、我らが待っておるとお伝えくださいませ!」
「それには及ばず!関白秀次は、妻子三十余りと共にある」


「……と、司命しみょうが大きく口を滑らせました」
「「またかッ!! 」」

 またもや余計なことを口走った司命しみょうだったのだが、それを聞いた三人の驚き様は相当だったようだ。驚愕に目を見開き、大きく口を開きかけた――が、門は獄卒によって閉じられる寸前であった。何を言いたかったのかは分からない――が、内一人が鬼のような形相で門扉に飛び込んだ。か細い体躯が猫のように滑り込み、ゴロゴロと地面を転がり閻魔王の御前に倒れ込んだと同時に、重い鉄門は耳をつんざく轟音を轟かせた。ここで小姓ら三人は袂を別ったのだ。

「きっと獄卒は、門扉を閉じる寸前で躊躇したのでしょう。そうでなければ飛び込んだ者は、容赦なく挟まれ血飛沫が飛び散っていた。……実にどいつも、こいつも」

 刀葉樹とうようじゅの女の口ぶりが、荒々しくなってきたのは気のせいではないだろう。
 もはやセクスゥイーとは何ぞや?状態である。昂る感情を抑えようと、胸の袷を指先でなぞり背筋を伸ばす。
 女は継いだ、飛び込んで参ったのは不破万作ふわ ばんさくでございましたと。
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