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幽冥聚楽
幽鬼ならざる者
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夢か、現か、幻か――
この世の理は、難解であり予期すら出来ぬ。それは、人から幽鬼に変わり果てても、そうそう簡単に理解出来るものではない。
勢至菩薩である、響とて口にする
「私は修行中ゆえ」と。ただの亡者である関白に、この女が何を目的としているのか?など、読み解くことは出来ない。
しかし、女の恨みがましい目付きには見覚えがあった。
―― これは、妬み?
呆然と倒れた女を見やる。
げに恐ろしきは、人の欲。
欲の感情ほど、醜く恐ろしものはない。関白は、生前そう思ったことがあった。
欲といっても様々だ。死してもなお三界と呼ばれる、欲の世界が存在するのだから、俗世は欲だらけだろう。
貧しければ、人を羨み、ああなりたいと欲を持つ。それなりに成功すれば、更に上を――と、欲を出す。
そして、これ以上目指すものがないとなった人間はどうなるか。自身の築いた栄華を他の者に譲り、悠々自適に生を楽しむ者も、生への執着を強くする者もいるだろう。
しかし、どんなに渇望しても老いを止めることは出来ぬのだ。
泥水をすする思いで手にした物は、あの世には持っていけぬ。それならば可愛い我が子へ、子がおらねば近しい身内へと思うのが人の情でもある。
しかし、そうしたとて人の欲が消え去るものではない。少しのきっかけで、いとも簡単に欲は芽吹く。
何故に?理不尽なりと、皆が口を揃えたとしても、欲の前に勝つる者などいない。
跡継ぎとした立派な若者と、思いもよらず恵まれた我が子。しかし自身は、落日の如く沈むのみ。金を積んでも若さは買えぬ。
老人の心配事は、家の安泰よりも子の安泰が勝ったのだ。
関白の脳裏に、老いさらばえた恨みがましい眼が浮かんだ――。
「もうし――、どうされた?」
女は、のそりと身体を起こす。無体な真似をされたというのに、腹立ちさえ見せぬことにこうなることを知っていたのではないか?とさえ思えた。
「いや……すまなかった。そなたの目付きが嫌なものを思い起こさせたゆえ」
関白は、我に返り謝罪を口にするが、目付きが嫌だった――など、人様に言うことではない。しかし、当の女は意にも介さない様子で指先を口元に寄せ、肩を震わせた。
「嫌な目付き……とは、はて?どなた様を思い出されたのでありましょうか?」
「……これは、これは、可笑しな物言いをするものじゃな。そなた、まるでさ迷って来た亡者を誘導する地獄の十王のようじゃ」
訪れた亡者を迎え入れた朧達は、決まって生前を語らせる。全てを知っているのにだ。幾度も訪れた者達を見送った関白は、それを見てきた。亡者の凝り固まった邪念や、怨念の元を掴み、それを打ち崩す。
女は、関白の引っ掛かりを掴もうとしていると感じた。何故なら特徴のない顔にある唇が、それを肯定しているかのように引き上がったからだ。
「……まぁ、良いわ。誰を思い出したか教えてやろう。その代わり名を名乗れ」
「名を?……良いのですか?菅公は」
「よい。聞きたくないのであれば、耳を塞げば良いことじゃ」
関白は、女の前に胡座をかいた。腰を据えて話すつもりだろう。女は、幾ばくか考える素振りを見せたのだが、すぐに納得したのだろう、こくりと頷いた。
「菅公《かんこう》、こやつ。名が見えぬ」
「なんと!? 」
「よくよく考えれば、亡者が辿り着いた場合、我らが気付かぬ訳がない。まあ、一胴七度に気を取られておったからアレだが……」
菅公は大きく頷き、檜扇を腕に打ち付けた。常世に亡者が足を踏み入れると、薄氷を打ち砕くような振動と裂ける音が響き渡る。
芳乃の時も、常世の風景が朱色の御殿へ変化し、振動により二人は出迎えた。これは、亡者が現れる前触れと言っても良かった。
しかし、女は突然現れた。気配を感じる事もなく――だ。
「孟婆が、これに似た現れ方をした」
孟婆とは、あの孟婆茶を振る舞う冥府の役人だ。以前、響によって呼び出された孟婆は、突然庭先に現れた。何の前触れもなしに――。
関白は、視線を女に戻すと眼を細めた。らしからぬ、冷たく刺すような眼差しだ。
「そなた、私を導く為に現れた……などとは言わぬよな?その為に、嫌な記憶を炙り出されたなど気分が悪い」
「……さぁて、私は私の役目で参っておりまして。私の目が嫌だったとは……知らず知らずに申し訳ありませぬ」
「そなたが嫌なのではない。私への嫌がらせで、忌む目付きをしたのかと思ったまでだ」
「……まぁ、否定はしますまい。私には役目がありますゆえ。しかし、その者の名を今、聞き出そうとは思いませぬ。私の預かり知らぬこと」
女は、ゆらゆらと肩を揺らす――と、合掌印を結ぶ。
「私の名は――」
女は、ふぅぅ――っと息を吐く。
「「 あッ……!! 」」
菅公と関白は、同時に声を上げた。何故なら、女の開かれた唇から声ではなく、文字が流れ出てきたのだ。ゆらり、ゆらりと燻る文字は、形を変えながら意味のある三文字を作り出した。
刀葉樹――と。
この世の理は、難解であり予期すら出来ぬ。それは、人から幽鬼に変わり果てても、そうそう簡単に理解出来るものではない。
勢至菩薩である、響とて口にする
「私は修行中ゆえ」と。ただの亡者である関白に、この女が何を目的としているのか?など、読み解くことは出来ない。
しかし、女の恨みがましい目付きには見覚えがあった。
―― これは、妬み?
呆然と倒れた女を見やる。
げに恐ろしきは、人の欲。
欲の感情ほど、醜く恐ろしものはない。関白は、生前そう思ったことがあった。
欲といっても様々だ。死してもなお三界と呼ばれる、欲の世界が存在するのだから、俗世は欲だらけだろう。
貧しければ、人を羨み、ああなりたいと欲を持つ。それなりに成功すれば、更に上を――と、欲を出す。
そして、これ以上目指すものがないとなった人間はどうなるか。自身の築いた栄華を他の者に譲り、悠々自適に生を楽しむ者も、生への執着を強くする者もいるだろう。
しかし、どんなに渇望しても老いを止めることは出来ぬのだ。
泥水をすする思いで手にした物は、あの世には持っていけぬ。それならば可愛い我が子へ、子がおらねば近しい身内へと思うのが人の情でもある。
しかし、そうしたとて人の欲が消え去るものではない。少しのきっかけで、いとも簡単に欲は芽吹く。
何故に?理不尽なりと、皆が口を揃えたとしても、欲の前に勝つる者などいない。
跡継ぎとした立派な若者と、思いもよらず恵まれた我が子。しかし自身は、落日の如く沈むのみ。金を積んでも若さは買えぬ。
老人の心配事は、家の安泰よりも子の安泰が勝ったのだ。
関白の脳裏に、老いさらばえた恨みがましい眼が浮かんだ――。
「もうし――、どうされた?」
女は、のそりと身体を起こす。無体な真似をされたというのに、腹立ちさえ見せぬことにこうなることを知っていたのではないか?とさえ思えた。
「いや……すまなかった。そなたの目付きが嫌なものを思い起こさせたゆえ」
関白は、我に返り謝罪を口にするが、目付きが嫌だった――など、人様に言うことではない。しかし、当の女は意にも介さない様子で指先を口元に寄せ、肩を震わせた。
「嫌な目付き……とは、はて?どなた様を思い出されたのでありましょうか?」
「……これは、これは、可笑しな物言いをするものじゃな。そなた、まるでさ迷って来た亡者を誘導する地獄の十王のようじゃ」
訪れた亡者を迎え入れた朧達は、決まって生前を語らせる。全てを知っているのにだ。幾度も訪れた者達を見送った関白は、それを見てきた。亡者の凝り固まった邪念や、怨念の元を掴み、それを打ち崩す。
女は、関白の引っ掛かりを掴もうとしていると感じた。何故なら特徴のない顔にある唇が、それを肯定しているかのように引き上がったからだ。
「……まぁ、良いわ。誰を思い出したか教えてやろう。その代わり名を名乗れ」
「名を?……良いのですか?菅公は」
「よい。聞きたくないのであれば、耳を塞げば良いことじゃ」
関白は、女の前に胡座をかいた。腰を据えて話すつもりだろう。女は、幾ばくか考える素振りを見せたのだが、すぐに納得したのだろう、こくりと頷いた。
「菅公《かんこう》、こやつ。名が見えぬ」
「なんと!? 」
「よくよく考えれば、亡者が辿り着いた場合、我らが気付かぬ訳がない。まあ、一胴七度に気を取られておったからアレだが……」
菅公は大きく頷き、檜扇を腕に打ち付けた。常世に亡者が足を踏み入れると、薄氷を打ち砕くような振動と裂ける音が響き渡る。
芳乃の時も、常世の風景が朱色の御殿へ変化し、振動により二人は出迎えた。これは、亡者が現れる前触れと言っても良かった。
しかし、女は突然現れた。気配を感じる事もなく――だ。
「孟婆が、これに似た現れ方をした」
孟婆とは、あの孟婆茶を振る舞う冥府の役人だ。以前、響によって呼び出された孟婆は、突然庭先に現れた。何の前触れもなしに――。
関白は、視線を女に戻すと眼を細めた。らしからぬ、冷たく刺すような眼差しだ。
「そなた、私を導く為に現れた……などとは言わぬよな?その為に、嫌な記憶を炙り出されたなど気分が悪い」
「……さぁて、私は私の役目で参っておりまして。私の目が嫌だったとは……知らず知らずに申し訳ありませぬ」
「そなたが嫌なのではない。私への嫌がらせで、忌む目付きをしたのかと思ったまでだ」
「……まぁ、否定はしますまい。私には役目がありますゆえ。しかし、その者の名を今、聞き出そうとは思いませぬ。私の預かり知らぬこと」
女は、ゆらゆらと肩を揺らす――と、合掌印を結ぶ。
「私の名は――」
女は、ふぅぅ――っと息を吐く。
「「 あッ……!! 」」
菅公と関白は、同時に声を上げた。何故なら、女の開かれた唇から声ではなく、文字が流れ出てきたのだ。ゆらり、ゆらりと燻る文字は、形を変えながら意味のある三文字を作り出した。
刀葉樹――と。
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