常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

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 万作ばんさくは、上目遣いで秀次ひでつぐを見やった。そのまなこは、漆黒のとばりに星が煌めくように美しい。しかし、その顔つきにギョッと目を見張ったのは、同輩でもある山本主殿助とのものすけと、山田三十郎だ。 

「でた!万作ばんさく殿のおねだりじゃ!」
「殿下!また、無理難題を申しますぞ!」

 声高に叫び、主を庇うように前に踏み出すのだが、潤む上目遣いは何処へやら――
「人聞きの悪いことを申すな!」
 キッ!と、睨み付け食って掛かる。これも慣れているのだろう、ケラケラと笑う秀次ひでつぐは問うた。

「一応、聞いておこう」
「まことで!あの……そのお腰の村正を」

「村……!? 聞かなかったことにする」
「――ッ!? お待ち下さい!殿下!」

 万作ばんさくのあり得ないおねだりに秀次ひでつぐは、聞く耳持たぬと歩を早めるのだが、頼み込めば何とかなった事例もあったのか、引き下がる素振りはなかった。先を進む、主の行く手を遮ろうと慌てて駆け寄る万作ばんさくに、待ったを掛けたのは山本主殿助とのものすけ。主を守るように割って入る。

万作ばんさく殿、度が過ぎるぞ」
「ふん!これで度が過ぎておるのなら、私は普段から度が過ぎておる!」

 どうしょうもない減らず口に、今度は山田三十郎が「殿下は、ならぬと申されておるではないか」と、口を挟んだ。
 しかし、柳眉を吊り上げ負けじと言い返す

「殿下は、ならぬとは申されておらぬ!申しておるのは、その方じゃ三十郎!」

 屁理屈だ。
 同輩に喰って掛かる万作ばんさくに、はぁ――と、呆れが混ざる溜め息を漏らしたのは、他ならぬ関白かんぱく秀次ひでつぐだ。開かれた唇が、今度は意味あるものを発した。

「な・ら・ぬ」
「殿下ッ!欲しいのです!」

「馬鹿、やれるか」
「殿下ッ!! それでも……!」

 とうとう、秀次ひでつぐは両耳を塞いだ。それでも言葉をすがらせる。

「とても良い刀だと聞き及んでおります!一の胴を七回も一刀両断とか!」

 聞かぬ――と言う、主の言葉を遮り、万作ばんさくは言い募る。
 一の胴を七回――とは、刀の試し斬りを指す。名刀を所持する者らは、切れ味を確認する為、人を斬る。だが人体のどの部位を斬るかは、それぞれだ。みぞおちなどは斬りやすいとされ、人体を三つ重ねて斬る、三つ胴と呼ばれるものもある。
 江戸時代になれば、刀の試し斬り役が存在し、罪人の首をはねる首切り役人がいたのだが、江戸より前は役人ではなく、持ち主であったり依頼された者が罪人を斬り、確認していた。
 そして万作ばんさくが言う、一の胴とは胸の辺りのことである。そこは、あばら骨が多く一刀両断は、かなりの腕前でないと難しいとされていた。
 関白かんぱく豊臣秀次とよとみひでつぐが腰に差すものは、一の胴を七度ななたび も切り捨てた村正であり、その素晴らしさに秀次自ら一胴七度いちのどうしちどと、名づけた名刀であった。

「欲しいのです!」
「そう思うなら自分の目利きで探しだし、一の胴を七度やってみよ」

「私には、そのような剣の腕前はございません!」
「……そなたも、どこか誉めてやろうと思うたが、誉める所などないわ」

 呆れた主の声に、主殿助とのものすけと三十郎は、弾けるような笑い声を上げた。

万作ばんさく殿、気に病むな。そなたは、面の皮が厚いのが誰よりも一等ゆえ!」
「あと、足が速いのも良いと思うぞ。殿下が呼べば、誰よりも早く馳せ参じるゆえ」

 気に障ったのか、万作は頬を膨らませ
「ふん!」と鼻を鳴らし、そっぽを向く。
 どんよりとした薄曇りに、淡い桜の花弁がチラチラと舞う。地面には、山吹鮮やかな菜の花が咲き誇り、春の香りを漂わせていた。
 一代で富と権力を手中に収めた豊臣秀吉の嫡男が亡くなり、慌ただしく関白を世襲したのは秀吉の甥にあたる豊臣秀次とよとみ ひでつぐ
 関白職について、一度目の春を迎えたばかりだった。
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