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幽冥聚楽
夢現
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この日、関白豊臣秀次は、遠乗りをしていた。山の春情を楽しもうと、ねだられ障泥を打ち、馬を駆けさせたと云うのに、せがんだ者は、山の天気が不満なのか膨れっ面で一天を仰ぐ。
どんよりと空を覆うのは、朧雲。
灰色の下「はぁ~」と、盛大に溜め息をつく若衆は、少々派手にも見ゆる蘇芳の小袖に、真逆とも云える白銀の袖無し羽織をまとっていた。小袖に比べれば随分、落ち着いた羽織だと思うが、顕紋紗で織られた羽織には、小葵があしらわれ小袖の蘇芳と合わさると、羽織の白銀にうっすらと赤紫の小葵文様が浮かび上がる。
地味に見えて、なかなか豪勢だ。
そんな衣を身につけた若衆は「はぁ~」と、再度、大きな溜め息をついた。今度はガックリとうなだれて。
あからさまに、声を掛けて欲しいと言わんばかりだ。そんな態度に慣れているのだろう。近習に手綱を渡した痩躯の男は、歩み寄る。
「溜め息で、雲を払うことも出来ぬと云うのに……これ見よがしに、意味もないことをするものだ」
やれやれ――と言わんばかりに、腰に両手を添え、後方へ身体を逸らす。
一刻程、馬に股がっていたのだ。
同じような姿勢に背骨は、ボキボキと微かな悲鳴を上げた。その様子に、ずいっと背後から進み出た者が口にする。
「殿下、あの大樹の下に席を設けておりますれば、横におなりになられては?」
一人がこう言えば、負けじと押し退けるように別の者が、こう申す。
「さすれば、私がお身体をお揉み申し上げましょう」
バチバチと火花が散りそうな視線を交わす近習らは、主である殿下を間に挟み、睨み合う。女の悋気も厄介だが、男の悋気も厄介なのは変わりはない。意味は違えど、主の覚えがめでたいのは、良きことだ。
秀次は、ケラケラと天を仰ぎ笑った。
「主殿助、急な遠乗りであったのに、あのように寛げる場を設けたとは感心である。そなたの心配りは、他の者より抜きん出ている」
「……は、はい!! 」
にっこりと微笑む秀次の言葉に、主殿助と呼ばれた若衆は、心底嬉しそうに面をほころばせた。
「三十郎、そなたの腕の力加減は心地よい、御典医より上手いと思うておる故、ここで揉まれたら寝てしまいそうじゃ、今は遠慮しよう」
「勿体ないお言葉でございます!! 」
こちらも又、感極まった様子で頬が赤らむ。先程の険悪な睨み合いが嘘のように、お互い上機嫌だ。
「さて……次は、そなたじゃが……」
秀次の言葉に、若衆が振り返る。白い面は、白磁のように艶やかで引き締まる口角は、桜色の笑みを浮かべている。年の頃、十四、五といった所だろう。幼さが抜けきれぬ顔ではあるが、女とも見紛うばかりの美貌の若衆であった。
黒々と輝く瞳は、何かを期待するかのように瞬きを繰り返す。
「万作。溜め息をついても栓なきことじゃ」
「でた!また、殿下の栓無きこと!」
関白の小姓である不破万作は、大きな瞳に強い意思を滲ませると、叱りつける言葉を吐く。
「また――と言われても、溜め息で雲を払える訳でもあるまい」
「私は、そのようなことを申しているのではありませぬ!仕方ない――、栓ない――と、殿下の成るようにしか成らぬ――というお考えが嫌いなのです!」
「戯言を」
「殿下!! 私は、青い空の下で大桜を見たかったのです!」
「仕方ないであろう、雲がかかっておるのだから」
「ああああ!! もう!また!私は、昨日参りましょうと申しました。昨日は、晴れておりました」
「仕方ないであろう、太閤に頼まれたことを済ませねばならなかったのだから」
「また、刀の目利きでございましょう?太閤殿下は、名刀をたくさんお持ちとか……、他にも確かな目をお持ちの方も居られましょう?殿下じゃなくとも。一方、私の桜見物は、殿下じゃなくては駄目なのです!」
「ああ、悪かった、悪かった」
良くあることなのだろう、秀次の返答は軽い。
「……実に、悪かったと?」
「ああ」
「実で?」
「ああ」
「……実は、桜の他にもお願いごとがございます」
何か思い当たったのか万作は、ふっと視線を逸らし、考え込む素振りを見せた。先程まで、食って掛かる勢いだったのが、急に大人しくなったことに秀次は、これは無理難題を吹っ掛けてくるな――と、内心苦笑いを漏らした。
小姓の不破万作は、並ぶもの無き美貌の持ち主であった。なかなかお目にかかれない麗しさは、当代の男子で三本の指に入ると評判であり、袂に艶文を突っ込まれることは日常茶飯事な上に、人の目を盗んで納戸に引きずり込まれそうになることも。
男女問わず万作に夢中になり、何かを望めば必死に叶えようとしてくれるのだから、自ずと自信もついてくる。万作は、少々我が儘であった。
どんよりと空を覆うのは、朧雲。
灰色の下「はぁ~」と、盛大に溜め息をつく若衆は、少々派手にも見ゆる蘇芳の小袖に、真逆とも云える白銀の袖無し羽織をまとっていた。小袖に比べれば随分、落ち着いた羽織だと思うが、顕紋紗で織られた羽織には、小葵があしらわれ小袖の蘇芳と合わさると、羽織の白銀にうっすらと赤紫の小葵文様が浮かび上がる。
地味に見えて、なかなか豪勢だ。
そんな衣を身につけた若衆は「はぁ~」と、再度、大きな溜め息をついた。今度はガックリとうなだれて。
あからさまに、声を掛けて欲しいと言わんばかりだ。そんな態度に慣れているのだろう。近習に手綱を渡した痩躯の男は、歩み寄る。
「溜め息で、雲を払うことも出来ぬと云うのに……これ見よがしに、意味もないことをするものだ」
やれやれ――と言わんばかりに、腰に両手を添え、後方へ身体を逸らす。
一刻程、馬に股がっていたのだ。
同じような姿勢に背骨は、ボキボキと微かな悲鳴を上げた。その様子に、ずいっと背後から進み出た者が口にする。
「殿下、あの大樹の下に席を設けておりますれば、横におなりになられては?」
一人がこう言えば、負けじと押し退けるように別の者が、こう申す。
「さすれば、私がお身体をお揉み申し上げましょう」
バチバチと火花が散りそうな視線を交わす近習らは、主である殿下を間に挟み、睨み合う。女の悋気も厄介だが、男の悋気も厄介なのは変わりはない。意味は違えど、主の覚えがめでたいのは、良きことだ。
秀次は、ケラケラと天を仰ぎ笑った。
「主殿助、急な遠乗りであったのに、あのように寛げる場を設けたとは感心である。そなたの心配りは、他の者より抜きん出ている」
「……は、はい!! 」
にっこりと微笑む秀次の言葉に、主殿助と呼ばれた若衆は、心底嬉しそうに面をほころばせた。
「三十郎、そなたの腕の力加減は心地よい、御典医より上手いと思うておる故、ここで揉まれたら寝てしまいそうじゃ、今は遠慮しよう」
「勿体ないお言葉でございます!! 」
こちらも又、感極まった様子で頬が赤らむ。先程の険悪な睨み合いが嘘のように、お互い上機嫌だ。
「さて……次は、そなたじゃが……」
秀次の言葉に、若衆が振り返る。白い面は、白磁のように艶やかで引き締まる口角は、桜色の笑みを浮かべている。年の頃、十四、五といった所だろう。幼さが抜けきれぬ顔ではあるが、女とも見紛うばかりの美貌の若衆であった。
黒々と輝く瞳は、何かを期待するかのように瞬きを繰り返す。
「万作。溜め息をついても栓なきことじゃ」
「でた!また、殿下の栓無きこと!」
関白の小姓である不破万作は、大きな瞳に強い意思を滲ませると、叱りつける言葉を吐く。
「また――と言われても、溜め息で雲を払える訳でもあるまい」
「私は、そのようなことを申しているのではありませぬ!仕方ない――、栓ない――と、殿下の成るようにしか成らぬ――というお考えが嫌いなのです!」
「戯言を」
「殿下!! 私は、青い空の下で大桜を見たかったのです!」
「仕方ないであろう、雲がかかっておるのだから」
「ああああ!! もう!また!私は、昨日参りましょうと申しました。昨日は、晴れておりました」
「仕方ないであろう、太閤に頼まれたことを済ませねばならなかったのだから」
「また、刀の目利きでございましょう?太閤殿下は、名刀をたくさんお持ちとか……、他にも確かな目をお持ちの方も居られましょう?殿下じゃなくとも。一方、私の桜見物は、殿下じゃなくては駄目なのです!」
「ああ、悪かった、悪かった」
良くあることなのだろう、秀次の返答は軽い。
「……実に、悪かったと?」
「ああ」
「実で?」
「ああ」
「……実は、桜の他にもお願いごとがございます」
何か思い当たったのか万作は、ふっと視線を逸らし、考え込む素振りを見せた。先程まで、食って掛かる勢いだったのが、急に大人しくなったことに秀次は、これは無理難題を吹っ掛けてくるな――と、内心苦笑いを漏らした。
小姓の不破万作は、並ぶもの無き美貌の持ち主であった。なかなかお目にかかれない麗しさは、当代の男子で三本の指に入ると評判であり、袂に艶文を突っ込まれることは日常茶飯事な上に、人の目を盗んで納戸に引きずり込まれそうになることも。
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