常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

聚楽

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 芳乃よしのを見送り、水泡みなわと消えゆく朱色の御殿を、ぼんやりと眺めていた関白かんぱくは、うっすらと現れだした新しい常世とこよの御殿に、眉を寄せた。徐々に明らかになる広大で、豪華絢爛なの姿に拳を握り絞め、漏れた言葉は――

聚楽第じゅらくてい……」

 陽光受ける金瓦には、桐の紋。
 全ての瓦に金を施すとは、途方もない財力である。しかし驚くのは、瓦だけではなかった。曲輪くるわを巡らせ、櫓がそびえる、この御殿は屋敷という規模の物ではない。城だ。
 名は、聚楽じゅらく
 時の関白豊臣秀吉は、こう述べたと言う。
 長生不老のうたまいあつむるものなり。
 栄華を極めた秀吉は、甥の豊臣秀次とよとみ ひでつぐに関白職と共に、絢爛豪華な聚楽第じゅらくていを譲った。
 老いと共に、徐々に狂気をあらわにする秀吉の前につゆとなった命は、数えきれぬ。そして最後に世の人々を恐怖に陥れたのは、関白秀次への謀反嫌疑――。

「うっぷ……嫌なことを思い出してしもうた。不味かったのぅ、常世とこよが変化する時に思い出してしまうとは……」

 苦笑いを漏らす関白かんぱくに、無数の人魂は寄り添い、小刻みに揺れる。まるで涙に暮れているようだ。

「寄るな、燃える!燃える!」

 ケラケラと笑い声を上げる関白かんぱくは、人魂を元気付けるようにピョンピョンと跳び跳ね、手を招く。

「私達は、あの時のまま年老うことはない。楽しく、喜びを共に。長生不老のうたまいあつむるものなり……であろう?さぁ、参ろう。ここは私達の城じゃ」

 権威と贅を尽くした聚楽第じゅらくていの主は、関白豊臣秀次とよとみ ひでつぐ
 悪逆無道、口にするのも憚るような悪行を重ねたとされる関白かんぱく秀次は、その素行と秀吉への謀反を疑われたという。

「やっておらぬよ――と、関白かんぱくは飄々と答えるがな」
「ふむ。関白かんぱくは、正直者ゆえ……やっておらぬのだろうよ。しかし、本人が思っているだけ――ということもあるが」

 おぼろきょうは、顔を見合わせ高坏たかつきにある胡桃を口に運ぶ。ギラギラと光る金箔の瓦が、まなこを突き刺すことで、自然と眉間にしわが寄る。誰彼となく呟いた――

「悪趣味な屋敷は、落ち着かぬ……」
「そうかのぅ?ゴウジャスで良いと思うがのぅ」
「せめて芳乃よしのの様に、夜だったら……」
「いや、室内もギラギラしておる……」

 一代で巨大な富と、権力を手に入れた豊臣秀吉は、派手好きであった。
 そんな太閤秀吉には、実子がなかった。正確に云えば、早世した息子はいた。その後、恵まれることもなく晩年、子宝を諦めた秀吉は、甥の秀次に全てを譲ったのだが、その後に諦めていた男子が誕生したのだ。実子が産まれれば、自身が築いたものを譲りたいと思うのは不思議ではない。
 しかし、譲りたいものは別の者秀次にやってしまったのだ。
 後悔しても遅い、己を呪ったかもしれぬ――が、後の祭りだ。方法があるとすれば秀次の跡を産まれた実子に継がせるか……、こうなれば確実に秀吉の死後の話である。
 自身が天下を取る為にやって来たことを思えば、信用することは出来なかっただろう。実子の命さえ危ういと考えた筈だ。
 洛中らくちゅうでは、まことしやかに囁かれた。
 ―― 無実の罪を着せられた。
 ―― 妻子を皆殺しにしたのは、豊臣に仇をなすことを恐れたのだ。

 まことのことは、わからない。
 ただ、実子に跡を継がせるには、関白かんぱくが邪魔であったのは、確かであった。

「そなたらは、私に遠慮せずに往生しても良いのだぞ?……はは、そうか。いや、私はよい……もう、産まれたくないのだ」

 栄華栄耀えいがえいようを極めても、安らぎがなければ、楽しくはない。栄華が人を幸せにするとは限らないと、身を以て知った。
 そんな関白かんぱくの声を、耳に捉えたのだろう。きょうは、腕釧わんせん輝く指先を狩衣かりぎぬの袖から覗かせ、合掌印を結ぶ。

「人道に導かれ、人として生を受けることは幸せでもなんでもない。なぁおぼろ殿」
「ああ。それでは、天道ならば幸せか?と言われれば、そうでもないのだがな……孟婆もうばは、幸せか?」

「苦しみもなく、悩みも少ないが……寿命が長ごうて、逃れることが出来ぬのが辛い。解脱げだつが出来ぬゆえ。菅公かんこう、そなたはさ迷うて幸せか?」
「私は幸せだが?……関白かんぱく如何いかに?」

 愚問だと言わんばかりに菅公かんこうは、檜扇ひおうぎを寄せると、声をひそめ笑う。細く流れる視線の先には、無数の人魂を従えたが、大広間へと足を踏み入れていた。
 白足袋が畳を打つ度に、金粉が舞い上がるように金色こんじきを放つ。
 一歩、また一歩――、
 従える人魂は、ゆらゆらとくゆり形作られ、あれよ、あれよと変化した。
 鮮やかな打掛を腰に巻く者、染められた間着あいぎに金糸の唐織で作られた細帯を絞めた者、顔形も様々だが、このような百鬼夜行ならば何度でも遭遇したいと思うほど、華やかな幽鬼の一行だった。
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